近くて遠い彼女
都会の一角に潜んだ小洒落たケーキ屋。
制服姿の男子高校生など似合わない華やかな空間の一席にて、俺は幼馴染とケーキを突いていた。
「どう、美味しい?」
「……まあ。まあ相応に値段がきついけど」
「せやろ? 二年生のクラス一緒になった記念っちゅうことでちゃんと調べたさかいね。けどあかん、あかんよぉとーくん。デート中にその発言は零点。こないなときは素直にうまいーって言うのが丸やで? ま、一緒にデートいく娘がおるならな?」
素直に認めるのも悔しいのでちょっと捻って答えれば、楓はやれやれと、わざわざ手振りまでして呆れを見せてくる。
まったく、なんて嫌みな女だ。クラスの隅っこ系筆頭男子の俺に、そんな女子がいないのなんてわかりきったことだろうに。
こいつが美少女で幼馴染でなければ、その顔を引っぺがしてしまいたくなる。
学校内ではお淑やかなで評判なくせに、どうしてこう俺にはきついんだ。昔はそんなこともなか……いや、最初期以外はそこまで変わらないな。
「……そうですどうせいませんよ。人気者の楓さんとは違うぼっちですが何か?」
「せやな。うち、これでも人気あるらしいし? 先月も後輩くんに一回告られてもうたし?」
「…………けっ」
「もー拗ねんといてや。ほらあーん、可愛い楓ちゃんのを一口あげるからさ?」
楓はケーキを刺したフォークをこちらに向け、俺の口元まで近づけてくる。
どうせ周りは見てないが、それでも恥ずかしいので止めて欲しい。カップルじゃねえんだぞ。
「あーん」
「……やだよ恥ずかしい。自分のあるし別にいらないって……」
「あーーん」
恥ずかしいのでいらないと目と言葉で訴えてみるが無駄。数秒経とうがフォークを下がる気配は微塵もない。
出たよいつもの我が儘モード。己はどこぞのお姫様かっつうの。
こういうときは大概どちらかが折れるしかない。そしてその九割は俺が寝負けして終わるのだ。
「……はあっ、はむっ」
「どうどう? こっちも美味しい?」
「……まあ、うん。旨い」
顔を近づけながら聞いてくる楓に、俺は曖昧な答えしか返せない。
彼女の寄越したチョコケーキ。それは俺が食べていたショートケーキとは違う、上品な甘さとほろ苦さで舌を満たしてくれてはいる。けれど今、それよりも強く感じてしまうのは、ケーキの味より彼女が使っていたフォークを口に入れられたという一つの事実だけ。
ゆっくりと食べながら、自分でも大層気持ち悪いと自虐する。きっと今抱く感傷が彼女に露見してしまえば、あまりの不快さにその閉じた目も開くこと間違いないはずだ。
けれどしょうがない、仕方ないじゃないか。
例えあちらがどんな目的でこうしているのかわからなくても。片思い中の好きな人にそんなことをされたら、思春期でも考えないような下卑た思考の一つも湧いてきてしまうものだ。
「そう? なら良かったわぁ」
そんな変態の前にいるとは露知らず、楓は目の前でにこやかに笑うのみ。
果たしてその閉じた目の中に何を思っているのか。生憎と俺が読み取れるほど、彼女の素顔は安くない。
いずれにしても、このままこの流れで話していても一生掌で転がされそうなので、強引に話を変えることにする。
「……それにしても、クラスが一緒になったからって祝う必要あるのか?」
「そらもちろん! 思えば別クラスで迎えた入学式から早一年! もう気ぃ遠なるくらい長かったで~」
風に乗る糸みたいに飄々と、どこまで本気なんだかわからない口調で楓は言う。
口ではそう宣うが、どうせそこまで思ってないはず。大方ちょっといい店に来るための理由付け兼付き添いが欲しかったってところかな。
まあそうであっても、ほんの少しくらいは言葉の通りであればと。またもや気持ち悪い願望が過ぎってしまうのが俺の情けないところだ。
「なんせこれでとーくんのこと、いつでも揶揄えるようになるわけやしね。お気に入りのぬいぐるみが側におるみたいな安心感があるわぁ」
……ぬいぐるみ扱いかよ。十六年の積み重ねにしちゃあ可愛らしい立場なことで。
「ところでさ? 流してたけど聞いていい?」
「なになに? 寝る前に妄想してること以外なら答えたるで?」
え、何それ。ちょっとすごい気にな……いや、今はそうじゃない。
「そのエセ方言はなんなの? きみ生まれてからずっと地元の人だよね?」
「気分、気まぐれ、愛。とーくんはどれがお好みなん? あ、ちなみにこれ関西弁じゃなく京言葉やで?」
口に手を当て小さく微笑みながら、楓は愉しげに問いかけてくる。
……発音からまるで一夜漬けのような突貫エセ具合。成程、昨日から読んでいた本の中身はこれか。
相変わらずの清々しいほどの雑さ。だけど理由をはぐらかしているとかそういうわけではないのはよく理解している。
何故ならこいつは、園田 楓問い女は猫のように気まぐれな奴だから。
急に左利きになろうとしたり、急にアイドルを目指したかと思えば三日で政治家になりたいとか言い出すような、それくらいマイペースな女なのだ。
それ故どうせいつもの気まぐれだし、明日には元の口調に戻っていると思うが、それでも今は非情にまずかったりする。
最近のマイブームがはんなり方言なこともあって、彼女の口調がそれはもう俺の心にクリティカルヒットしてくるのだ。こいつにそれを話したことはないし狙っているわけではないだろうが、どうしてこう、たまにこうやって不意打ちで刺してくるんだろうな。
「……じゃあ愛で」
「ええ~嬉しいわぁ。うちも大好きやで♡ とーくん♡」
「あーはいはい。とっても嬉しいよー」
変わらず閉じた瞳のまま、微塵の本気さを感じさせぬ声色。
けれど心が単純構造な俺では、そんな言葉だけの告白でもドキッと胸が高鳴ってしまう。
きっとこれが冗談でなかったのなら、すぐにでも頷いてしまう。そして呆気なく振られ、気まずくなって徐々に疎遠になってしまうことだろう。
だから俺はいつも通りにその場を凌ぐ。小さい頃から変わりなく、彼女にとっての幼馴染でいれるように言葉を選んで返すのだ。
「むー。さては素直に受け取ってへんなー? いけずやわー」
「別にそんなこと──」
「ま、ええわ。クラス違うて一年遅れてもうたけど、こっからが本番だしね」
表情を崩さずに笑みを浮かべながら、何やら意味深なことを口に出してくる楓。
うーん実に胡散臭い。今の口調も相まって、いつもの三割増しで怪しさ醸してるわ。
「ねえとーくん?」
「ん?」
「今年は楽しみにしていてね?」
……楽しみに、か。……何を?
「じゃあ帰ろっか! あんまり遅いと怒られちゃうしね?」
「……ああ、そうだな」
懐から携帯を取りだし、こんな時間かと席を立つ楓。
さっきまで彼女の皿にはケーキが残っていたはずだが、いつの間に食べ終わっていたのやら。
俺も自分の携帯の画面を付ければ、そこに書かれていた時間は十八時とちょっとすぎ。……成程、どうやら俺が思うより話していたらしいな。
「ほら、早く帰ろ? ほらほら~?」
「へいへい。今立つからちょっと待てよ」
彼女の声に急かされながら席を立ち、歩きながら財布を取り出そうと鞄に手を突っ込む。
さて、果たしていくら入っていたか。確かお札の二枚や三枚あったはずだし、多分大丈夫……ん?
「そういや、もう京都弁は終わりか?」
「若干疲れるし見たいものは見れたからね。……もしや、ずっとそのままの方がいい?」
「……いや別に。ありのままが一番だよ」
「そう? えへへっ、じゃあ当分はそうしよっかな?」
隣を歩く楓は、にこやかな笑顔でこちらを向いてくる。
相変わらず気まぐれなやつ。まあちょっとだけ勿体ない気もするが、まあこっちの方が自然で落ち着くし別に良いか。
会計を済ませ店を出て、二人で街を歩きながら帰路につく。
何を考えているかをこれっぽちも読めない楓。瞳の色すら記憶にない、割と近くてどうしようもないほど遠い初恋の人。
そんな彼女に恋した俺にとって、今年は過去最大のチャンスに他ならない。
どうか少しでもきっかけがあればと。
夜空に流れず留まる星々にそう願いながら、今日も彼女の側で情けなく踏みとどまるのだ。