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アパートの階段を上る際の足音。床はアスファルト。手すりは鈍い音を響かせそうな錆びた鉄製。手すりを触った方が響いてしまいそうだと思うのだが、アスファルトに足裏が触れたときの方が音が響く。
以前は、音を響かせながら部屋までの階段を上っていた。最近では裸足で歩くように爪先から接地し、音を最小限に抑えることが出来ている。いわば、このアパートの階段を上ることで、自分のスキルが落ちていないか確認しているのだ。
鍵をひねって自室に入る。手前の部屋に、セパレートの風呂、トイレ、進んでキッチン、さらに進んで畳のワンルームと続く。
日和は部屋に入ると、畳の上に寝転がった。電気の消えたままの一室。天井に映る薄明かり。自然と窓へと視線が行った。白いレースカーテンの隙間から、ガラスの透明さが見える。
日和は、大そう贅沢な暮らしをするようになったな、と自分の人生を振り返った。窓ガラスが透き通っていて、向こう側が確認できるほどの薄さ。壁にシミはない。模様もない。そして、排泄臭。これがないのだ。
今こうしてそれなりの、最低限度の生活をしていると、昔のことがおかしく思えてくる。当時はそんなこと微塵も考えていなかった。学校へは行かず、ただ遊んで、近所を駆け回って、コンビニで買い物が出来るということに幸福感さえ抱いていたと思う。しかし、いつ頃からだったろうか。成長するにつれて不信感が轟々と胸の奥にさざめいてきた。なんかおかしくないか。俺はちゃんと生きられているのか。母親はなぜ帰ってこない。でも、月四万の雑費食費はしっかり銀行に入っている。口座に振り込む母親の姿を想像すると、見捨てられてはいないと改めて確認できる。
そんな思春期の反抗期。母親に当たることが出来なかった日和は、自分の胸の中に思いを隠していた。群青や椎菜にその思いをぶつけていた可能性だってあったはずだ。なのに、なぜかその対象は、いつも社会へと向いていた。そして、その社会へ向いた矛先ですら、言語化して幼い妹の椎菜はおろか、兄の群青にさえ伝えることはなかった。
人間が生きていく上で比較することは絶えない。今こうして、実家のアパートと、現在一人で暮らしているアパートを比較している。比較して、贅沢になったなと思う。自ずとやはり昔の自分たちは普通ではなかったのだと知る。
安堵、など零れ落ちもしなかった。怒りでいっぱいになった。その感情を、いつかの反抗期と同じように自分の中に閉じ込める。自然と怒りは、所謂普遍的な怒りにならずに治まった。
家賃四万円の建築年数が高いこのアパート。暮らしていく分には不自由などさほどなかった。食費も、月に二万いくかどうか。一万でも暮らせる。でも、日和の現在の口座にはカンマが三つ並ぶ。
金ほどくだらないものはないな、そう思った。金がないときには金を乞い、金が十分にあるときはまた別のものを乞う。今の自分に金は必要ないな、電気の消えた一室、畳の上でそう思う日和だった。