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「愛され―たくーて吠えて、愛され―ることーにおびーえて」


 居酒屋を出てからというもの、優華はずっと小声で口ずさんでいた。


 日和は何の歌だろうかと思った。きっと、両面性や両価性に満ちた自分に終止符を打つべく、社会に向けて放った一枚の音楽だろう。暗いビルとビルの隙間に落ちている明かりを遠目で眺め、そんな気がした。


 帰り道も人々は歩行者天国を歩くようだった。月が照らす光に気が付かず、麓で光るLEDが足元を綾なす。きっとそこを歩く人も、そこで立っている人も、誰かと話している人も行き交う人々も、皆、ちゃんと揺れているのだ。ジレンマから這い出そうとしている。それを隠すように仕事に明け暮れている。居酒屋に飛び込んでアルコールを入れて、顔をしかめながら忘れようとする。煙草で、一時忘れようとする。


「隣の芝生は赤い」

「何それ。それを言うなら、隣の花は赤いでしょ?」優華は日和の顔を見上げた。

「みんな同じような気がしてきた」


 今歩いているここの居心地の良さは、妬みがなかったからだ。そういう環境だからだ。自分と他人を同等の人間として見ていられるからだ。


 歩きながら、日和の左手と優華の右手の甲が当たった。歩きながら、そっと彼女の手を探してみる。また、当たった。ざらつきのない真っ白な肌を想像させる。


 手を繋いでいた。


 途端に、何かが変わった感覚に襲われる。懐かしい感覚とも呼べたそれは、きっと、ずっと、昔の景観だ。おそらく椎菜だ。さっき優華と面影を重ねたからだろうか。椎菜とはよく手を繋いでいた。群青と買い出しに行ってくるというと、「椎菜も行く!」と言ってついてきた。日和よりも半分背丈がない椎菜の見上げる顔。まん丸い純白な目。家に一人置いていくだなんて、一瞬でも思った自分を悔いた。


 外に出るときはいつも三人一緒だった。買い出しのコンビニも、河川敷で駆け回るときも、いつも一緒だった。


 そんな情景が一気に頭に垂れ流れてくるようだった。まるで、津波が陸地を襲ってくるようにも、上下に振った炭酸飲料のペットボトルの口を開けたら一斉に噴き出す泡のようにも思えた。だが、同時にこうも思うのだ。ひどく自分の今進んでいる道も自分自身も、穢れてしまった、劣ってしまった、と浮かんで比較される。おまけに罪悪感さえ腹の底から湧き上がろうとする。死んでいった椎菜への懺悔。悔恨の意。


 それは全て、今、日和と繋がれている手の持ち主のせいだ。こんなことを思い出させるなんて、夕夏は今の俺を昔の俺に舞い戻そうとしてやがる。邪道から正道へと戻し、「今のままだったら、後悔することになる。誰かを悲しませることになる。悲しむ人の顔があなたは浮かぶ?」そんなことを言われている気がした。


 ――いないよそんな奴――


 愛されたいけど、愛されることに怯えている。


 守るものがあると人は弱くなる。誰に言われた言葉だったか忘れたが、守るものができると人は強くなるとは到底思えなかった。


 それでも、とは思うが、世の中は甘くない。天は二物など与えない。安寧を手に入れたければ、欲を捨てなければならない。二つとも手に入れようだなんて烏滸(おこ)がましく、そして愛した人を守り切れるほど、日和の環境は安寧でもなければ甘くもなかったのだ。


「ねえ、優華。俺は一つだけミスを犯したよ」

「何?」優華との手はまだ繋がれたままだった。日和の顔を見上げた優華。見えた横顔。顎のラインは、少し上を向く。


 繋がれている掌に、じんわりと意識が行く。


「あの日、あの路地裏にいたのが優華だったこと」


 それこそが、日和にとって最大のミスだった。


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