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 ビルから出ると、人気がなくなるところまでしばらく歩いた。彩は、「車がある」と言ったきり歩くことをやめなかった。


 車乗るんだ――。


 豪雨のように人の影が止まない大通りをぐんぐんと進み、右を反れ、左に反れ、それを繰り返していくうちに、LEDの鮮やかな光は、電柱に張り付いた古臭い蛍光灯へと変わっていった。蛍光灯が作り出す影が、彩と日和だけになった頃、彩は目的地らしき場所へと入った。日和も後に続く。


 そこは一般的な公園だった。右前方に「こども動物園」と書かれた丸字体の看板が見える。


 大きさにして、学校の校庭一つ分。よく覗くと、右側にテニスコート二面、奥に野球のグラウンドがあった。テニスに野球に動物園。これらを併設させた公園のようだった。


「車はどうしたんですか」先程彩が「車」と言っただけに公園に来るとは思っていなかった。どこかに停車されている車に乗り、移動するのかと思っていた。


 彩は黙ったままだった。日和と対面することもなく、声を発するでもなかった。その時点で、日和は多くの疑念を頭に浮かべる。これから起こるだろう未来。その推測がいくつも頭に溢れ出していた。言われてみれば、さっき車を運転する人を犯罪者予備軍呼ばわりしていただけに、彩が運転するのもおかしな話だった。


 推測、疑念。やはり、と日和は思った。街灯が数本立っている狭い公園といえども、暗さは夜の観葉植物と同じくらい黒く、ある程度光が遮断されたところに潜んでいる影は、確かに見つけづらい。


 普通の人間ならば。


 日和は、「やっぱり馬鹿だ」と思った。暗いとはいえ街灯があることは彼らも知っているはず。それなのに鉄製のネックレスをぶら下げ、あろうことか左手に金の腕時計までしている。ありゃ高そうだな、と思ったときにはもう歩き出していた。


 観葉植物の陰から身を乗り出していた黒髪のネックレスと腕時計は、数少ない街灯の光に反射した。九時五十分。その一瞬を見極めるというよりは、身体が反応した。今までそう習慣づけて来ていたからだ。だが、その速度を緩める。その黒髪に見覚えがあったからだ。確か、良悟と言ったはず。


 咄嗟に振り返ったときには、すぐ目の前に金髪の男が右肩を振りかぶっていた。こいつは柊と言ったか。右手の先には一メートル程度の簡素な鉄筋が握られ、それで日和に殴りかかろうとしている。


 ありゃま、また街灯に反射してらあ、とその鉄筋を遠目で見るのだが、殴りかかられようとしている現状に反応しない身体ではなかった。すでに振りかぶりながら突進してくるなんて、まるでイノシシみてえじゃねえか。女が電話をしながら料理するのと同じようなもの。鉄筋と腕の長さから推測したぎりぎりの射程距離。入ったとたんに左へと身体を逸らした。


 金髪鉄筋男、柊は、目の前から日和が消えた、と思ったに違いない。それほど日和の動きは電光石火で、振りかぶっていた腕の力が緩んだ時間が一瞬だろうと、その隙は大きい。日和は柊の手首を内側に向けて大きく殴り、掌から離れかかった鉄筋を彼の胸の前に無理やり入れ、抱え込む。


「悪いな、彩さんには逆らえねえよ」

「無駄口叩いてる暇あるの?」


 柊はするりと下に抜けた。が、遅い。


 支えのない空中に浮かんだ鉄棒で逆上がりするかのように、頭を蹴り飛ばした。そして両手に握られた鉄筋を、力強く自分の頭の後ろへと逸らす。後ろにいた二人目の金髪、こいつは拓弥と言ったか。彼は漁夫の利を狙っていて、おそらくそんな攻撃が来るとは思ってもいなかっただろう。日和の肩甲骨は、異常に柔らかかった。鈍い音を響かせ、後ろをちらっと見た日和は、彼の頭に鉄筋が当たったことを理解する。


 さて。二人の男を始末した。あとはあのネックレス腕時計の男、良悟だけか。自分は隠れているつもりだろうが、金髪二人と交戦中も、彼の姿ははっきりと見えていた。観葉植物の陰を伝って、九十度右側へと逸れた。もう、一人しかいない以上、射程距離に入るのを待っているつもりもなかった。日和はぐんぐんと右の観葉植物へと近づいていく。鉄筋を床に何度か叩き、自分の居場所を知らせる。怯えた小動物は自棄にでもなったのかというくらいの形相で草陰から飛び出す。「ポケモンか!」と日和は叫んでしまった。それくらい日和には楽観的な光景だった。振りかぶる必要はない。みぞおちにこの鉄筋を突き刺せば終わり。


「動くな!」


 唐突に背後十一メートル程度の距離から声が聞こえた。


 いや、この状況で動くなと言われて止まれるような体術教わってる奴がいるか? 後ろから聞こえた声を半ば無視し、というよりは、身体が左側に逸れていた。おかげで、良悟の拳は空振りに終わり、その右腕を日和は掴む。するりと左手を彼の首の前に差し込み、動けなくなったことを確かめてから左腕を鉄筋とすり替えた。


 動くな、と言ったのは、彩だった。銃口をこちらに向けている。


「動くなと言っただろう」

「あの状況で動きを止めれば、この人に殴られてましたもの。名前、良悟でしたっけ。それにいきなり動くなと言われて振り返る人はいたとしても、そのまま動きを止められる奴なんていないと思いますが」


 日和が言い終えたところで、彩の銃口は地を向いた。


「日和、お前は私のことだけは視界から外していたな。まだ信用した訳ではないだろうに」

「ええ。ですが、彩さんがこいつらのことを弟のように慕っているのは信用しています。だから、あなたの動きを傍目で追うよりも、こいつらを人質にでも壁にでもすればいいかと思いまして」

「根拠がないじゃない」

「確かに。いや、でも、愛って宗教と同じ匂いがすると思いませんか? 根拠なんてどこにもなくて、ただ何となく一緒にいる時間が長いせいで心地がいいと感じたに過ぎない。それが別の異性だったとしても、自分が飢えていれば同じ感情を抱くのをそいつはわかっていない。宗教に入っている人が自分自身を疑わないのと同じで、恋愛をしている人も自分のことを疑おうとしないんですよ。この世界に、根拠のあることの方が少ないとは思いませんか? そしたら何を信じるんですか? 何を」


 彩は、フッと口角をあげる。またあれだ、と日和は思う。まるで自分をミラーリングしているかのような仕草。無意識なのか、意識的なのか。日和は彼女の何を見ているのか。


 表情ではないのだろう?


「合格だ」


 彩は腰に銃をしまった。彩の後ろから、先ほど痛めつけた、柊と拓弥も立ち上がっていた。


「こいつらにな、頼んでおいたんだ。日和に殺し屋の素質があるかどうかを試すためにな」

「で、素質はあったんですか?」

「ない。でも気に入った。私の弟になれ」


 ないのかい。


 彩は日和に近づいて手を差し出してきた。


 なんだこれは、と一瞬戸惑った。この手は何だ。彩の顔を見ると、ん? と表情と顔を少し傾けている。


 途端に溢れ出したのは、夜の寒さに負けぬくらいの生温かさ。手足は冷たいが、腹の底から溢れ出る何か。マンホールの蓋を下水が押し上げ、アスファルトでさえ壊して地上に出ようとする液状化現象。


 思い出した。


 今日は懐かしいことばかりだ。


 差し出された手が三つ増えていた。見れば、柊、拓弥、良悟が微笑んでいた。なんなんだこいつらは。何なのだこの感情は。信じていいのか。信じてはいけないのか。疑うべきなのか。そんなものを超越してしまえる人間の本性を、多分悟った。


『お前の生き方は、いつまで生きるための生き方なんだ?』


 ビルで言っていた彩の顔が浮かぶ。彼女は日和の前で足を組み、煙草を片手に、そう問うていた。

問われたことに、独り言のように応える。「二十五歳まで生きるための生き方です」


「ん?」彩はもう一度言ってみろと促す顔だった。日和は、その顔を気に入った。ずっとずっとその顔でいてくれ。そして二十五歳になったときに真意にやっと辿り着くのだ。


 未来を予知するなんて、人間のできる能力の範疇を越えている。後悔なんて憑き物だ。先のことばかりを考えて、いつの間にか現状を彷徨っていた、なんて死んでも御免だ。死んだら、転生した自分の魂を追っかけまわしてどこまでも呪ってやる。


 日和は両手で差し出された四人の手を包み込んだ。


「ごめんなさい。握手? したことないんですけどこれであってますか?」


 四人は顔を見合わせている。


「握手に方法なんかないわ」


 彩の言葉は、液状化を促した。


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