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 蛍光色で溢れる繁華街を左に逸れると、光を灯さない地味な建物が並んでいた。道の広さは変わらないのに、建物の大きさもこちらの方が大きいはずなのに、光が消えたというだけで途端に地味な印象を帯びる。


 どこにでもありそうな雑居ビルの一階だった。入ってすぐ奥に、無頓着なエレベーターがあった。その横に廃れた洋風の螺旋階段。長髪女はエレベーターのボタンは押さずに、螺旋階段へと歩を進めた。それに続くように日和も階段を登った。階を重ねても、それらしき入口は見当たらない。非常階段と似ていて、華やかな入口は見当たらず、踊り場に出ても灰色の防火扉のようなものがあるだけだった。


 五周ぐらいしたところだった。五回目に見た防火扉の前で長髪女は歩みを止める。スーツのポケットから鍵を取り出し、ガチャガチャと音を響かせた。その姿を後ろから眺めていた日和は、防火扉の隣にインターホンがあることに気がつく。何とも滑稽な、と思った。防火扉の隣にインターホン。自分の思い描いている、家、とは程遠かったからだ。加えて、無知加減を恥じることはしないにせよ、家、という事物を自分の辞書だけでしか考えていなかったことに気づき、気を引き締めなくてはと頭で言い聞かせた。


「入って」長髪女は、日和の顔を見ずに言って、室内へと入っていった。


 閉じかけた防火扉を引く。



 部屋は暗い雰囲気を漂わせていた。どこかにあるだろう窓は認識できず、黒基調の壁を白熱電球が照らしていた。赤い絨毯、対面式に置かれた黒いソファ。その間に置かれた一本脚のダイニングテーブル。ラウンジのような日常的ではないその空気に気圧されたことだろう。先程防火扉の前で気を引き締めていなかったならばの話だが。


 長髪女はソファへと腰を下ろした。どうぞ、とでも言うように向かい側のソファへと顎をしゃくり、日和はそこへ促されるように腰を下ろした。彼女は半日常化したとでも言えそうなくらい滑らかに煙草を取り出し、咥え、火をつける。散霧していく煙が消え、隠れていた顔が(あらわ)になった。


 遠くから見ていたのと全く変わりのない表情。少し輪郭が濃く見えるようになっただろうか。長く、電球の光を煌びやかに反射させた長髪の先は、彼女の膝の上に横たわっている。その隙間から真っ白い表情が顔を出していて、世の中にはこんなに人を惹きつけるような風貌の人もいるのだなと思う。俺も髪を女みたいに長くして、化粧をして、名前も女風にすれば、そこらの男が近寄ってくるだろうか。そういう類のものでないことは、以前から知っていた。


「さて」女は、火をつけたばかりの煙草をアルミ製の灰皿の上で消した。「あんた目がいいね?」と聞かれる。先程の、あんたいい目しているね、という言葉はビジュアルのことを言っていた訳ではないようだった。


「視力を測ったことはありませんが、数十メートル先ぐらいなら小さな動きでもわかります。逆に言えば、近いものを見るときは目が疲れるんですけどね。なぜ俺の視力が高いとわかったんですか?」

「勘だ」


 淡々と話す姿は、自在不羈(じざいふき)を象徴するかのようだった。口調が女らしくないという点もその一つだ。千里眼を使うかのように女の分析を始めた日和は、「で、弟とは?」と分析と会話を並行して進める。


「いわば私の手下だな。私が弟と呼んでいるだけで身分的には私の手下。若しくは部下とか一緒に仕事するって意味では同僚? でもいいかな」

「あなたは何の仕事をしているんですか」


 日和の口調が問い質すような口調に聞こえたようで、「尋問みたいだな」と女はケッケと笑う。


「まあそんなに先を急ぐなって。急がば回れとか、慌てる乞食は貰いが少ないって言うだろう? そんなんじゃ何も成し遂げられないぞ」


 成し遂げる前提ですか。大層な人格だ。


 まずは自己紹介でもしようじゃないか、と長い髪を肩の後ろに放り出して、女は脚を組んだ。


 長髪女は、(あや)と呼ばれているようだった。おそらく偽名だが、「弟たちは、彩さん、って呼んでくれる。お前もそう呼べばいい」と口を軽くしていた。


 日和は、自分の名を伝えた。「加賀美(かがみ)、ってのもなんかしっくりこないな。日和でいいかい?」そう聞かれ、日和は黙って頷いた。


 ちなみにさっきのいきった金髪が(ひいらぎ)、もう一人の金髪が(たく)()、黒髪が(りょう)()という名前のようだった。


「あいつら根はいい奴らだけに、少し熱くなると歯止めが効かなくてねえ。悪い奴らじゃないんだよ? どこかで誰かが被る不正をいくら悲しんでも慣れることはない。ゲバラもそんなこと言ってただろう?」

「カストロはいくらか知ってますが、ゲバラは名前ぐらいしか知りませんね」

「それならいろいろ学んだ方がいいぞ。すべてを肯定するわけではないが、彼の生き方や思想は面白い。特にな、毎日を大切に生きることの重要さについて彼は誰よりも気づいているところだ。『明日死ぬとして、本当にお前の生き方は変わるのか? 今のお前の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんだ?』って、迷ったときはいつも心の中で、彼の写真を思い浮かべながら反芻する。そうすることで、要点や動機をはっきりさせられるんだ。紙に文章化などしなくともな。ほら、よく聞くだろう? 目標を紙に書いて、トイレのドアにでも貼っておいて意識化させるってやつ。ありゃ嫌いだったな、私」


 彩の経歴など日和は知らないが、以前の彩を見ているかのような笑い方だな、と思った。彼女自身も、以前の自分を思い出しながら笑っていたに違いない。友人の家に赴き、トイレを借りた際に見える張り紙を見て、眉間に皺を寄せる。滑稽だ、と笑みが零れる。そしてそれが傲慢という言葉では括れず、罵倒を許さない実力が伴っている。そんな昔の自分を思い出して笑っていたかのような。


「さて」と、彩は切り出した。「わかりやすい言葉で言えば、私たちは殺し屋だ」


「わかりやすすぎですね。もっと遠回しに言ってくださいよ」

「遠回しにして何の意味がある。私たちの実態は虚像でも客観でもない限り一つしかないし、あらゆる答えは二択でしかないんだ。嘘か本当か。申し訳ないが、私は曖昧という言葉が嫌いでね」


 日和もそれは同感だった。曖昧にしたところで、何も本質は解決されない。ただ流されて行って、多少の疑念を浮かべるだけの安寧の地。自分が我慢すればいいやと疑念を暴こうとしなくなる。そうなったらもう意義など感じられない。意義さえはっきりしていれば、多少流されていても大丈夫なのだ。どうでもいいことには熱を注がないということになるのだから。

 まあ時間の無駄ではあるが。


「それは同感ですね。殺し屋っていうのは誰かに依頼されるんですか?」

「依頼される殺し屋もいるが、うちは違う。自発的に殺しに行く。癇に障った奴らは皆殺しだな」

「ばれないんですか?」

「ばれないようにやるのがプロの仕事よ。ケツ持ちのとこは、警察に金を払っている。いつ踏み込まれるかはわからないが、そっちの方はそろそろ手を引こうかと思っている」

「誰を殺すんですか」


 日和は、彩の発言そっちのけで自分の知りたいことを発言していた。すると、彩は腕を組みながら、「革命だ」とそっけなく言う。日和が首を傾げると、真顔で「すまん、言ってみたかっただけだ」と言う。


「まあそんな大層なものでもないが、大層なものだと意識すれば、いくらか格好がつくだろう」と彩は弁解する。


「今も昔もさほど変わらないんだ。戦争をしようがしなかろうが、人は毎日息絶えている。病死然り、自殺然り、交通事故だってそうだ。交通事故を不遇と美化したのは誰だ? どう考えたって殺人だろう。私から言わせてみれば、車に乗る人間は皆、殺人予備群だ。犯罪に手を染める一歩を踏み出しているといっても過言ではないと思っている。自殺にしてみたって、なんかしらの原因があるからだろう。昔のことは知らないが、戦国時代に自ら死ぬような真似をした奴がいると思うか? いたとしても、原因はいじめでも孤独でもないだろう」


 彩は煙草を灰皿の上で揉み消した。ボックスから二本目の煙草を取り出し、火をつける。吐き出された煙は、電球の下で不規則に渦を巻いている。


「切腹はよく聞きますけどね」

「それは忠誠心と文化だ。今の時代に、上司にこの会社のために死ねと言われて喜んで死ぬ奴がいるか? 自殺を肯定する文化があるか?」


 確かにない、と日和は思った。虚実がどうかは別としても、彼女の発言には説得力がある。今目の前に彩がいて、口を開くだけですべて自分は彼女の思い通りに操られてしまうのではないか、と思ってしまうぐらいには、姿勢や眼力をひっくるめた、空間の使い方作り方、支配力。圧力が強かった。


「その時代にはその時代の生き方がある。ただ、それに嵌まっているようでは次の時代を切り開けない。同じ人間の支配し続けた世界などたかが知れている。人間は飽きる生き物だ。変化が必要なんだ。それが善であろうと悪であろうと関係ない。善であればいずれ飽きるし、悪であれば誰かがストライキでも起こすだろう。ただ、私はそういう他人任せが嫌いというだけさ」

「彩さんは嫌いなものが多いですね」

「こだわりと言ってくれ。それを否定する権利は万物に無い」彩は、「そういえば何も出してなかったな。茶でも飲むか?」と聞いて来た。日和は頷き、それに促されるように彼女は立ち上がった。奥にあるバーのようなカウンターテーブルへと移動した。水はあらかじめ入っていたようで、電気ポットのスイッチを入れた。


「生まれたときから人に任せるのが嫌いでね。自分でやらないと気が済まなかったのよ。他人を信用できないってのもあったが、それよりも、だったら自分でやればいいじゃないかっていう感情が強かったな。政治を批判するなら自分で政治家になればいいだろうって。政治家は皆キャリアを積んでそこの地位を確立しているんだ。嫌なら力ずくで勉強して、いい大学に入って、官僚になって、社会主義者にでもなればいい。まあ、もし仮にそいつが官僚になったとしても、批判していた政治家とさほど変わりないようになるのは目に見えているがな」


「弱いですもんね。人は」


 彩はこちらを一瞥して口角を上げた。


 お湯を沸かしながら、同時進行で日和との会話が進む。後ろの棚からグラスを取り出し、「紅茶でいいか? インスタントだが」と聞かれ、日和は「はい、それで結構です」と答えた。


 次第に電気ポットから蒸気の吹き出す音が聞こえ出し、カチッという音が鳴った。沸騰したようで、グラスにあけられたインスタントの粉の上に、蒸気を昇らせるお湯を注ぐ。


 彩はこちらに戻ってきて日和にグラスを渡す。テーブルの上を滑らせた。


「温かい紅茶って、グラスでもいいんでしたっけ?」

「知らんことだな。割れたらごめんな」


 数分しか話していないが、彩の性格はすでに出ているのだろうと思った。関心のないことにはとことん関心がない。自分の欲求だけを追い続け、どうでもいいことはおろか、生きるために働くことでさえ放棄してしまいそうな勢いだった。


 やはり似ている。


「人はやっぱり甘えてしまう生き物なのよ。田舎暮らしの人間が都会に出て都会に染まるってのもその一つ。一度自分を許してしまったら、まあいっかってずるずる引きずられて行く」


 日和は紅茶を啜る。茶っ葉のような後味が舌に残り、舌と上顎を擦っていた。


「プライドみたいなのはないんですか?」

「大そうなプライドはないな。自分の手にしたい感情だったり物事を成し遂げられるのなら、そんなもの喜んで捨てるな。それまでの過程だったり、やり方のこだわりのことを言っているんだったら、私にもプライドがあるのかもしれないとは思うが、でもそんなのは後天的なものだろう? 何かが起こった後に振り返ってこうだった、と定義しているだけであって、実際にいざ何かをしようと思ったら、態々竹藪の中など進まず、平野を選ぶだろうな。楽に手に入るに越したことはない」


「じゃあ、彩さんは何が欲しいんですか?」日和は躊躇(ためら)わずに聞いた。今までの質問には間隔を置かずに答えていた彩だったが、この質問には、口を濁した。


「そのうちわかるわ」そう言って、徐に彩は立ち上がった。「ちょっと来なさい」と言われたときは、この部屋のどこかに連れていかれるのかと思ったのだが、そう思っている間に、彩は防火扉の取っ手を握っていた。


「あ、グラスはそのままでいいわよ」防火扉を半開きにし、螺旋階段の踊り場に出た彩は、振り返って日和に言った。飲みかけの紅茶をテーブルの上に残し、早足で入口を抜ける。日和が出て、彩は扉の鍵を閉めた。身体を翻して階段を下る。日和も続く。


「グラス、割れなくてよかったわね」

「今頃無人の部屋で人知れず割れてるかも」


 脳内でパリン、と音が鳴る。散らばる破片とテーブルの上に広がった水溜まり。表面張力が崩れ、テーブルの淵からぽたっ、ぽたっ、と零れて赤い絨毯を黒くする。


 空想だ。救急車のサイレンを聞いて、その余韻が残って聴こえているのと同じ。


 階段の手すりに手を掛けながら、二人は下った。


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