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本当に最後だったら、きっと抱き着いたりしなかった。一緒に飯を食いに行って、群青だけが酔っ払って、手をつなぎながらシャッターの降りた商店街を歩き、一つ先の駅まで二人の時間を過ごす。数メートルおきに立っている電柱の街灯の明かりが永遠と続いていくような気がして、時間は長く感じられる。駅近くの路地裏のベンチに二人で腰を下ろして、二人して膝を抱えながらたわいもない話をする。
一瞬よぎるのだ。ここでなら、このタイミングでなら、抱き着いてもキスをしても彼女なら許してくれるのではないだろうかと。
でも最後じゃないような気もしたから。電柱の街灯が連なるように、この人との時間だけは永遠に続くのだろうと感じられてしまったから。触れていた掌の感触が、一時間後も、二時間後も、明日も明後日も、ふとした瞬間に蘇ってきて自分の頭の中から消えない。心に棲みついて消えないような気がした。まだこの世界のどこかにあなたがいるような気がした。
多分それはそこにいたのが葵だったからだ。明日がない、もう要らないと希望を捨てて覚悟した自殺志願者でも、こんな時間だけはまだ続くような気がして、明日死のうと決めていたことを忘れて、無意識にいつかまた、って未来に期待を残す。
またね、って歯切れ悪く期待を残してしまうのだ。
「それは初恋だ」と、そんな啓示めいた妄想が教えてくれていることに、当人は気づくはずもなかった。
今日もどこかで人が死んでいる。不幸が起きている。その上にのさばる幸福者。その幸福者に人の死も不幸も見えていない。夢にも思っていないだろう。当然だ。それが幸福者である条件なのだから。
群青の初恋は、初恋になることはなかった。群青は夢にも思っていないだろう。自分が葵に恋をしているだなんて。