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 どんな門でも、くぐると身が引き締まる。門の向こう側はこっち側とは違う世界。隔たれた向こう側に入ってしまえば、そこはもう別世界。くそ広い世界なんて括りはできず、小さなくそ広い世界という括り。一種のテーマパークを想像させる。群青は、そんなくそ広い世界の中の一つの門をくぐっていた。


 名義としてはスクールカウンセラーだった。浅岡のつてでこの学校に木曜だけ来ることになった。仕事としては相談が主。しかし、話を聞く限りでは悩みがあって困っている人はそうそう来ないみたいだった。


 この学校に来ることが決まってから一度だけ挨拶に訪れていた。その際に聞いた限りでは、「まあそうそう相談に来る生徒もいませんがね」と教員に一蹴。適当に生徒と仲良くやってくださいと、他人事の様だった。自分のことで精一杯だ。そう言うかのように。


 群青は高校に通ったことがなかった。高校どころか学校自体馴染みがない。ガキの頃に公園で見かけた制服姿の少年少女は、皆明るく見えた。俺とは住む世界が違う。俺も学校に行ってみたい。そう思うこともなくはなかったが、別に本当に行きたいというほどでもなかった。だってどう足掻いたっていけないことはわかっていたから。俺は所謂(いわゆる)いるのにいない人、透明人間としてこの世界を生きているのだから。


 それでも新鮮だった。学校という建物。校舎。生徒が集う。そんな大きな囲いの中で育まれるものは、きっと自分が今まで経験してきたような過去からは想像できないものだろう。門をくぐればわかった。校舎に入ればわかった。オフィスビルとかショッピングモールとは違う、その独特の雰囲気に触れる。


 赴任当日の朝八時には、この矢代(やしろ)高校に来ていた。全校生徒を集めて集会をやるという。そこで群青のことを全校生徒に紹介するという。


 群青のデスクは、やはりというか相談室にあった。ここでこれから生徒の話を聞く。ここが自分の部屋。


 その相談室で待っていると、扉は開いた。「では」と教頭に連れられ体育館へと歩みを進めた。廊下。冷たい。部屋。広い、風情がある。オフィスの一室のような、真新しさが感じられない。独特だった。


 体育館はどうだろう。教頭の少し後ろを歩きながらそんなことを考えていた。きっと全校の生徒が集まる場所だ。すごく広いはず。そんな幼稚な想像を裏切るような景色がそこにはあった。


 踏み入れた途端にわかる混沌。誰かのくしゃみが響くような静けさと軍隊のようなピシッとした雰囲気を想像していただけに裏切られる。うるさい、という訳ではない。統一感がないのだ。そこで思い出すのだ。この学校に制服はなく、私服で登校する生徒が多いということを。


 横にラインの入ったスポーツブランドのジャージを履く生徒が多く見られた。ラインの色は様々。オレンジ、緑、ピンク。上もパーカーなど部屋着のような服装が多い。下はジャージで上はワイシャツとブレザーという奇妙な格好をした生徒も見られる。


 きっとこの服装のせいだ。統率感がないのは。でも逆に自分は自分でやるべきことに徹することができる。彼らはきっと群青のことに無頓着だ。学生生活を謳歌することに精一杯だろう。これから今、奥に見えるステージに乗って紹介され、一言二言述べたところで自分のことに見向きする者はいない。この会が終わってしまえばなかったことのようになる。きっとそうだ。それならばやりやすい。


 一瞬の静けさに鳥肌が立った。


 ステージに立って、教頭が話し出した。生徒の声が静まっていく。キーンというマイクのハウリングが事の始まりを合図している。


 統一感があった。


 合図によって生徒たちの私語が慎まれる。四方八方に向かれていた生徒たちの身体は、ステージに向かっていた


 これが学校か……。


 教頭の声が止んだ。マイクの前にと誘導される。マイクの前に立った。比較的多数の生徒が、群青に注目している。フッと漏れた軽い溜息をマイクが拾う。リアルだ。


「只今ご紹介に預かりました、加賀美群青と申します。毎週木曜だけですが、この学校の相談室にいることになります。そんな人がいるなあぐらいに思っていただいて構いませんので、これからお願いいたします」


 一礼してマイクを離れると、入れ替わるように教頭がマイクに向かって会の終わりをつげ、生徒たちはまた身体を崩していった。張りつめた空気は、教頭と群青がステージを降壇する前に消えてしまう。


「ということなので……」


 教頭のその言葉を聞き、体育館を出ると、群青はそこから一人の行動となった。


 相談室に戻るまでの間、ぞろぞろと教室に戻る生徒たちの後ろを歩いていた。この行列、渋谷や新宿で見るものとは違う。これが学校。そんな雰囲気に浸りつつあった。


 相談室に戻っても、これといってすることはなかった。授業中は当然生徒は授業を受けているのだ。来るはずもない。向かい合わせに置かれた黒いソファア。真ん中にベージュのテーブル。ソファーに座ってテーブルの上に鞄から取り出したノートを開いた。一ページ目には女子生徒の写真が貼ってあった。


「どうすっかな」


 どうもこうもない。するしかないのだ。ただ、するにしても順序やきっかけが必要。だなんて言ってる訳にもいかない。一年弱かけてここまで来たのだ。やっと手にした環境。もうちょっともうちょっとなんて言っていたら時が過ぎてしまう。やるのは早い方がいい。


 とは言っても彼女の学校での生活はほとんど知らない。知っているのは彼女の居場所がないということ。彼女の居場所はここではない。その程度のこと。


 どうやって話しかけようか。


 ソファーにもたれかかる。このソファーは柔らかい。群青がいつも寝ている敷布団よりも柔らかい。例えるなら人肌。人肌には劣るが、つい触れたくなるような、もたれかかって心地よくて寝てしまいそうになるような、そんな感触。


 いけない、と思い閉じかかった瞼を開ける。そうだ俺にはやることがあるんだ。そう自覚しなおして、ソファアから立ち、相談室のドアを開けた。


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