12
日和が彩に命じられた仕事は、子どもを殺すことだった。有能な政界、経済界の人間の子ども。彼らに罪はないし、いや罪がある者もいるが恨みはない。彼らの子どもを殺して、自分の愚かさに気づいたときにどう反応するだろうか。そんなことを考えた顛末だった。
最初こその有能な人間だけを殺していけばいいのではないかと企てていた。有能な政界、経済界の人間を殺していく。そこで気づくのだ。愚民は生きていけないことに。頭の善し悪しにかかわらず、総理大臣になろうとする者がいなければ国は破綻する。革新的なアイデアをツールにする優秀な人材がいなければ、人々は世の中への不満が募る。今までが上出来すぎたのだ。飽きる余裕も与えずに新しい娯楽が次々に現れる。それが途絶えたとき、人々はきっと傲慢になってすることが無くなって戯け始める。
簡単に言えば、消防士がいなければ自分で火を消さなくてはならないし、病院がなければ処方箋をもらえず薬も飲めない。だから火事を起こさないよう注意し、風邪をひかないようにと心がける。
人間は過ちを犯してからでないと事の重要さに気づけない。それどころか、過ちを犯すことによってさらに事の価値が跳ね上がってしまう。
だから思う存分後悔させてやりたかった。後悔することが一番の学びだと彩は言った。過ちを犯す前に犯した後の自分や身辺について想像ができない者は、何かを失わせ、身をもってそのすでに失われた事の重大さを味わわせる。失われた事や物が二度と手に入らなかったり、元には戻らないものだったとしても、それこそが学びだと。
だってそうじゃないかと。尊敬どころか認めてすらいないどこかの大人に上からものを言われたところで、いけ好かない現代人の心が動くだろうか。行動が変わるだろうか。日本が変わるだろうか。悲しみが消えるだろうか。
消えるはずがない。届くはずがない。「人を殺してはいけないのだよ」と知りもしない大人に言われて、はいそうですか、と従う人間、逆に殺そうとする人間、なぜ? と問いを立てる人間。
誰が一番立派ですか。
従順な問題意識のかけた愚民、好奇心に満ち溢れた殺人鬼、誰かの決めた枠に嵌まりたくない孤高の少女。
人が何かに気づくとき、自身のどこかで細胞が組み変わる。
誰もが持っている感情を吐き出さずに大人になった。
吐き出した奴は「普通じゃない」「変わり者」と嘲られ、吐き出さず誰かの声に続いて笑った奴は、今も心のどこかに蟠りがこびりついている。
真っ当な人間なら。
まだ早いはずだ。
あのとき笑った自分が酷く滑稽に見える。
あのとき笑われていた変わり者が、酷く羨ましく見える。
あのとき肖って彼らの隣に居たら、きっと人生も少しは変わっていたのかもしれない。
あのときから問われていたいくつもの問題の選択を間違えて、少しずつ、少しずつ、ずれて、逸れて、でもまっすぐ進んでいた。嫌われるのが怖くて、面と向かって対峙するのが面倒で恥ずかしくて、後回しにしていたらいつの間にか大人になっていた。
子どものままでいたら恥ずかしいですか。
あのとき吐き出さなかったことを後悔してほしい。普通じゃない変わり者たちが正しかった、自分の感情は間違っていなかった、あのとき嫌われてでも、面倒でも恥ずかしくても吐き出しておくべきだったんだ。そう後悔するがいい。
そんな理屈っぽい行いも、なんだか単純なように思えた。普通に人を殺しても仕方がない。殺す寸前で人生を後悔して命乞いされても嬉しくも興奮もしない。もっと捻りが欲しかった。何か違うこと。面白いこと。自分自身が有能な人間にでもなったように、新しいことを作ろうとしていた。
「大事なものを奪おう」
人間は感情豊かな生き物だ。大概の人間が命を丁重に扱う。命に重きを置き、そして同じ血筋、血縁関係というだけの他人の命の重みもまた、同様に重い。子ども、恋人、愛人、家族。どれでもよかった。誰でもよかった。大事なものが自分の不徳の行いによって目前で奪われる感覚。これを与えたいと思った。
そして、その感情を抱かせた後に、当の本人も殺されるのだ。後悔させることは肯定しておきながら、更生させることは許さない。彩らしい考えだった。「はい、死んで終わり! なんだから拷問させられないだけましでしょ?」と言っていたのを思い出し、鳥肌が立った。これは美しくない。
なんだかなあと思っていた。すでに何人もの家には訪れていた。医者に官僚にプログラマー。彼らの家に入るたびに脳裏に蘇ってくる異物。実家の排泄臭、異臭。群青、椎菜の顔、幼い風貌。頭の隅から隅にはそれがひたひたに浸かっていて、いつも追いやるのが鬱陶しかった。
自分は今、日本の医療や政治、経済を担う彼らの未来を奪おうとしている。彩の指示とはいえ、彩や自分の欲望のために他人の人生を奪う。彼らからしてみれば、恨みもない、会ったこともない、いわばどうでもいい奴からいきなり子どもを奪われ、怒り狂っている本人も殺されるのだ。とんだとばっちりである。
一仕事終えた日和は、そんなことを思いながら車を運転していた。トランクの中に眠らせた子どもを入れ、運んでいる最中だった。この間その子と繋いだ手の温もりが、ハンドルから伝わってきたような気がする。手をハンドルから離し、一寸、目を落とす。
この仕事はいつまで続くのだろう。彩さんは、本当は何がしたいのだろうか。そんなことを考えた。普通じゃなかった。普通の人なら真っ当な道で頂点に立とうとする。だが彩は違った。きっとあれだろうなと思った。真っ当な道だとみんな綺麗事に騙されるから、本当に正しいことはこっちだとでも言うように荒療治で泣く泣くこっち側に回った。
そうだと思いたい。
いくら覚悟を持っていたとしてもこれは――。
日和の心臓がドクドクと鳴っている限り、多分そうやってありもしない可能性に縋って生きていくのだろう。希望が見えている限りは。