内藤
パシンッ、と乾いた音が廊下に響くと同時に騒がしかった廊下が静まり返る。
「うぇええええぇえんっっ!!!」
「ああ!内藤さん!やめてください!」
「ふんっ!これくらいやったって聞きやしないんだからいいのよ」
帰ってきた内藤とやらがギャーギャー騒がしいガキ共に平手で制裁し、木崎がそれを庇った事が扉越しにでも分かってしまった。
昔であれば普通であった事だろうと、平成の時代では叩くだけで暴力だ、虐待だ、と報道されてしまう世の中なわけで、こうした現場を前にするのはドラマ以外で久しぶりだ。
ジャイアンツの始球式で投球していたアイドルの露出している太ももと腰回りくらい気になってしょうがない。
「内藤さん、今は紅葉ちゃんの保護者になってくださる方が来ていまして、今日は、その・・・」
「なっ!?なんでそれを早く言わないの・・・!」
「すみません・・・」
「ほんっと!鈍臭いったらありゃしない!」
コツコツと上履きの音が近づいて、ガラリと扉が開かれる。
一体どんな面をしているのかと気になって、座りながら振り向けば、明るい茶髪のお団子で纏められた頭が目に付いた。
「すみませぇ〜ん、大変お騒がせいたしましたぁ」
「あー・・・あーー」
部屋に入るなり鼻につく香水。
機能性の悪そうなルイヴィトンっぽい小さいバッグ。
首、指、手首、耳と、至る所にキラキラな安っぽいアクセサリー。
そんなセレブっぽさを匂わせる女が媚びるような猫撫で声で俺に話しかけて来た時、俺は発作を起こしてしまう。
[いえ!子供というのはホラ、元気なのが魅力ですし、気にしないで]
「へ・・・?」
そんな台詞を吐く俺に対して、いや、顔かもしれない。高橋が未知の存在でも見たような顔で見てくるのは無視をする。
「おなかすいた」
さっきジュースはどうした。今はコイツも無視だ。
「やだ!すっごいイケメンじゃない!」
[いえ、そんな!初対面でそんなこと言われちゃうと・・・少し自信がついちゃいますね!]
「あらやだもーう!高橋さんったら連れてくるんだったら早く言ってよもーぅ」
「え!?え、えぇっと」
ホストという職業柄、お客には特別優しくしなければならない。当然やってくる客を選べるわけが無く、おかめ納豆のパッケージみたいな女や、ゲゲゲの鬼太郎の敵キャラみたいな女を接待し続けて来たわけだ。
その結果、俺はある種の女と対面した時、発作で100%のスマイルで持て成してしまうほどに[]ってしまうわけで。
(こいつっ・・・くさい。常連くさい)
俺のカンが、この内藤が男慣れもしくはホスト通であると囁いている。
相当ストレスが溜まるんだな、児童養護施設ってのは。高橋を見習ってハーブティーでも飲んでろよ。
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「・・・ということでして、木崎さんは紅葉ちゃんのお父さんとして認知していただいておりますので・・・」
俺と紅葉について高橋が一連の説明をしてくれた。
・・・が。
「あらぁ!こんなお若いのに勿体無い!ご結婚もしていないし、もしかして無理矢理勧められたんじゃなくて?」
[いえ!そんなことはありませんよ!]
「あらー!そうなの?ご実家に住んでらっしゃるのかしら?」
[自宅で一人暮らしです]
「あらそうなの!?今度私もお邪魔しちゃおうかしら!私たちはこんな場所にいるもんだから男っ気が全然なくてねぇ」
[そうだったんですか?そんなにお綺麗なのに意外です]
「やっだぁ!?そう見える?でもホントよホ・ン・ト!出逢いとかもなくて、やる事といったら少し渋谷でうろつくくらいでフリーなんですよぉ」
[そうなんですか!中々良い人とは巡り会えないものですよね]
「もしかして!木崎さんと出逢えたのも運命だったりして!?」
[あははは]
(うぜぇええええええええええ!!!)
話が進まねぇ。そう本音を大にして言いたい。
高橋が説明している間も聞いているのか不安になるレベルで自分の話ばかり。
それと、出逢い厨はまずい。
男に依存しやすいこのタイプの女は金は落としてくれやすいから風俗店では良い客ではあるが、プライベートだと最も会いたくないタイプの女だ。例えるのなら、出会い頭に 自爆してきやがる野生のイシツブテとゴローンくらい会いたくない。奴等を捕まえるたびにその手の女の名前を付けては逃す遊びを何度したことか。
などと考えている内に、高橋が動く。
「あのー・・・内藤さん。木崎さんと紅葉ちゃんとの父子関係成立の為に書いてもらいたいものが」
「あーそうね。早く持ってきなさい。あんたの仕事なんだから」
「はい・・・」
「というか、養子縁組じゃないの?面倒なこと勧めるわねぇ」
「いえ、それだと遺族年金が出ないと以前お話を」
「そんな細かいこと忘れたわよ!早く持ってきなさい!!」
「・・・はい」
典型的で嫌な上下関係を目の当たりにした俺は、さっきまで口にしていたハーブティーのマグカップを見てふと思い出す。流れというのもあるけれど、俺が認知すると言った時に涙を流していた事を。
(・・・気分が悪いな)
俺は認知することにメリットなんてものがないことを高橋に言い捨てるように論してはいたが、今思い返してみれば、俺よりも高橋の方がずっと分かっている筈だ。それでも住所を割ってまで来たわけで、それは確かに面倒だ・・・高橋が。
何よりも、内藤が高橋に怒鳴るように話し出してからおかしな事が起きている。
ギュっと柔らかいものに掴まれた俺は右腕に眼をやると、紅葉がいつの間にか寄ってきていたのだ。
(こいつ・・・ビビってんのか?)
もしかしたら・・・いや、そんな痣は無いけれど。お腹空いたとばかり言ってた子供の体が、少し震えていることが気になってしょうがない。