ー ストレス
今、俺と紅葉は一階にある面談室兼スタッフルームへと案内されて、ソファの上に座って高橋が来るのを待っていた
「木崎さん、先程は本当に申し訳ございませんでした・・・あの子にはキツく言っておきますので」
「いっすよ。ムカッとは来たけど・・・どうせ別の場所に移るんでしょ?」
「ええ、まあ・・・」
「これから会うこともないんならどうでもいいです」
コトン、と湯呑み茶碗が置かれた音と共に頭を下げて謝ってくる高橋にはそう言うが、小さなイライラがまだ残っている。
思いつくだけの暴言を言うだけ言って、リョウというガキは、高橋から逃げるように二階へと登ったきり戻ってはこないのがさらにイライラさせられる
「ここにいる子供ってのは全員あんなんじゃないですよね?失礼すぎでしょ・・・そりゃぁ」
「・・・」
施設行きにもなるわ。
危うく出そうになる口を用意されたお茶を飲んで喉の奥へと押し込んだ。流石に八つ当たりが過ぎて、カッコ悪い。
イライラをどう誤魔化そうか。
そう考えているとスゥっと芳しい香りを感じ、俺の口と湯呑み茶碗から漂ってきていていることに気がついた。
「・・・これ。前に来た時に俺が渡したやつですよね」
「あ!気づきましたか?早速頂いたハーブティーを使わせていただいたのですが、どうでしょうか?」
高橋が紅葉を連れて帰るときに、もう使わないし捨てるのもなんだからと箱ごと渡したことを忘れていた。
・・・もう一度、香りを堪能してから 今度は舌に乗せるようにゆっくりと味わってみる。
「・・・美味い。マジか」
「ありがとうございます」
正直、驚いた。こんなに味が変わる物なのかと。
というより、俺のやり方が雑だったとも思えるが、それでも美味い。
褒められた事に少しだけ笑顔を見せてくれた高橋もまさか、渡した当人が何のハーブだったかすら忘れているとは思うまい。アラジンのヒロインの名前なんだっけ?
「じゅーす」
「んぁ?これは俺んだ。ってか、さっき飲んでたろ」
「ない」
「じゃあ次は俺の番。順番は大事だよな」
「だいじ」
「おう」
コイツはもしかして、人が飲んでたら自分も飲むものだとでも思ってるのだろうか?
適当な理由を付けている内に飲み干してしたところで高橋が俺たちの座るソファから机を挟んだ反対側のソファに音を立てないように座り出す。
「ジャスミンの香りってストレスやイライラを抑えてくれるみたいですよ」
「へぇ、初耳。緑茶とは違うのか」
「はい。ティーパックだからまだ良かったですけれど、茶葉の場合は袋を揺らしたり、入れる前にお湯でポットを温めないといけないですから」
「え?・・・あ」
なるほど、と俺は理解する。
(適当に入れたのバレてら)
ポットに氷をガッツリぶち込んだ緑茶をぶち込む事しかしてなかった俺とハーブティーの相性は悪かったと言うことだ。バレるとは思わなかった。
「やっぱり知らなかったんですね。ちゃんと美味しい入れ方があるんですから」
「いや、まあー・・・すんません」
「私も嗜む程度ですけれど、アレはないですね・・・っふふふ」
「笑うことないじゃないですか」
「すみません。っふふ」
そういえば、と思い出す。
あれは大学に通っていた時だったか。
同じサークルの先輩から歓迎会も兼ねた飲み会に誘われたわけだが、カルピスサワーは酒ではないと嘘を信じて飲まされた事があったのを思い出した。
自分が酔っている自覚のない未成年の俺は、少し調子がおかしくなって来たからトイレに行って戻ってくると、優しい先輩は烏龍茶を頼んでくれていたのでこれを飲む。もちろんこれはウーロンハイである。
おかげさまで積み重なったアルコールによって俺はばたんきゅ〜してしまい、優しいと思っていた悪魔のような女の先輩に逆お持ち帰りをされるオチとなったわけだ。
なんで今そのことを思い出すのかって、相手が無知だと知るとこうして遠回しに揶揄ってくる連中と高橋が似ているからなのと、もう一つ。
「気持ちがどうしようもない時は・・・よくハーブティーで誤魔化してるんです。こんな仕事ですから」
「・・・そうっすか」
時々悪戯をかまして来る女の大体が心に闇を抱えていることを知っているからだ。
(というよりは・・・周りが問題だらけなんだろうよ)
この施設自体はそこまで大きくない。スタッフルームには事務机は3つ、俺が座っているソファと机を退かせば5つか6つは置けそうな広さだ。
頭が横領で捕まったのも大問題だが・・・どうもそれだけじゃないような気もする。
「家政婦が2人だっけ?もう1人の職員もどっかにいるの?」
「いえ、今は席を外しています。内藤さんという女性職員の方でして、警察の事情聴取に向かわれています」
「事情聴取?取調べってこと?」
「はい。えっと・・・元園長の横領が発覚したのが6日の夜、帳簿に改竄をしているところを目撃したのが内藤さんなんです」
「ふーん・・・?」
「向かったのは確か・・・お昼の12時前には出るとだけ聞いてます」
室内を見渡して壁に掛けられていた時計に目をやると、時刻は5時半を回っている。
こっちは慣れない市役所の手続き、高橋からの説明、ハンコの押し間違いで書き直したり、忙しい1日も終わりを迎えて戻って来ているのに、その内藤という人が今はいないのは養護施設としていいのだろうか?
「帰ってくんの遅くね?」
「そう・・・なんでしょうか?私の時は1時間くらいだったんですけれど」
「あのリョウとかいうガ・・・お子様の他はどうなってるの」
「紅葉ちゃん以外の乳幼児は先に他の施設に順次移されていて、今ここにいるのは小学生の子が7人、リョウくんは今年で6年生になって1番の年長さんですね」
「ん?今日って平日ですよね」
「はい。靴は人数分ありましたので二階の部屋にいると思いますよ」
あと7人。一家庭からしてみたら大家族もいいとこだ。
つい会話の流れでそこまで聞いてしまったが、思えば自分とは関係無い事に随分と話し込んでしまったような気がしないでも無い。
「・・・それより、ここで書くものとかあるんですよね」
「あっ、すみません!今出しますね」
俺がここに来たのは蓮葉の遺品の相続人が3歳児とちんまいので、一時預かりとしてこの朝園が管理しているのだとか。
市役所で住民票も用意して来たし、ここで面倒な書き物を済ませば残る問題点は1つ。
(ああ、コイツの寝床とか・・・食い物ってファミレスに出てたのを真似すりゃいいけど・・・)
女の家には厄介になった時もあるし同棲する事だってあったが、実の所、自身の家には呼んだことすらない。
しかも今度は相手は3歳児という俺にとっては未確認生命体にも等しい存在なわけで、生活用品から何まで想像がつかないのだ。というか、さっき初めて会話のキャッチボールができたような間柄で、何を知ればいいのやらである。
(なんというか・・・電車通勤の中年のおっさんみてぇな座り方すんのな)
寛ぎ方は尋常ではない。
ソファに座るというよりは埋もれていると言った方が正しいくらいに小さな体がずり下がって来ており、それもそのはず。瞼が今にも閉じそうなくらいの眠気と今まさに戦っているらしいのだ。
その姿は酔い潰れて終点まで乗り過ごす係長の如しといったところか。
神奈川県の近くでトイザらスという玩具屋があるそうだが、そこで販売されているテディベアやバービー人形の方が姿勢が良いのかもしれない。
そんなことを考えていた時だった。
ドンッ!!!
「はぼ」
「ぅお」
スタッフルームの扉からと何かに叩かれたような音が鳴り、俺は驚いた。
理由は音ではなく、今にも閉じそうだったコイツの目がいきなり開いたからである。
(というか、はぼ、ってなんだよ。北海道にある“はぼろ号”かよ。乗ったことないけど)
音を鳴らした犯人は廊下の笑い声で容易に想像がつく。
それも1人ではなく複数。2階にいたらしい子供達だろう。
高橋も同じだったようで溜め息を吐きながらスリッパを擦るように足速に歩き、ガララと勢いよくスタッフルームの扉を開ける。
「こらっ!お客さんが来てるから静かになさい!」
「あっははは!いんきんたむしがうつるぞぉ〜!」
「「「いんきんたむし〜!」」」
「廊下は走らない!!もう!」
俺が小学校の時は、インフルだ!と騒がしかったが、コイツらの学校は白癬か水虫でも流行しているのかもしれない。インフルエンザは死んだ親父が若い頃に集団ワクチン接種が始まっていたらしいし、水虫が不治の病なんてのは大昔の話なのだから、問題を軽視しているクソガキ共が祭ごとのくだらない材料にするのは、ある意味で平和なのだろう。
要するに、どんなに時代が変わり、流行が変わり、医学がどんなに進歩しようと、馬鹿につける薬が完成する事がないわけだ。なんて生意気な。
「何をやっているんですか!?」
・・・
その瞬間、うるさいガキ共の声がシンと静まり返る。
今のは高橋の声ではない、別の女の声が空いた扉の向こうから聞こえてきたのだ。
「木崎さん、すみません。内藤さんが戻ってきたみたいです」
「ああ、もう1人の?女の人なんですね」
「ええ、まあ・・・」
「・・・どうしたんすか」
「すみません、ちょっと、待っててくださいね」
そう言って高橋はスタッフルームからそそくさと出て行き扉を閉めていった。
「あー・・・碌な奴じゃないわけね」
「おなかすいた」
「いや、起きて即行カビゴンかよ。寝てりゃいいのに」
園長は市税を横領はともかく、肝心の残った同僚に対しての高橋の歯切れの悪さから、この朝園という養護施設。
「ったく・・・なんなんだよ、この施設」
「なんなんだよ」
思ったよりも闇が深いのかもしれない。