ー 平成初期
ガサリ、と音立てカラン、コロン。
「カラコロ」
ガサリ、と音立てカラコロン。
「カラコロ」
「・・・」
決してカラーテレビのことでもコンロの事でもなく、家主である木崎 仁がゴミ袋の中へ空き缶を投げ入れる音に、紅葉という名の幼児が反応しているだけである。
秋の風が冷たく、外で待たせるのも悪い気がしたので、玄関から廊下へと上がりって居間へと2人を案内させた後、散らかっているゴミを片付けているのだ。
「汚くて、すみません・・・座布団敷きますんで」
「いえ、お気になさらず。失礼ですが、お一人で暮らしてるのですか?」
「そんなところです。客なんて呼んだ事も来なかったし」
「ああー、一人暮らしは大変ですよねー・・・」
などと、笑顔で無難な回答こそしてくれてるが、この高橋という女性。眉が汚ねえ部屋とでも言いたげに歪んでいるのがバレバレである。
廊下では出し忘れたゴミ袋が列を組んで出迎えられて、居間の扉をスライドさせれば積み重なった新聞紙に妨害され、どうにか座って足を伸ばしたら床に置かれたビールの空き缶を蹴飛ばす始末。
そんな部屋に案内されて眉を顰めずに歩める者がいるのなら見てみたい。
「おそうじ」
「あー・・・そう、お掃除。はい、座布団です」
「ありがとうございます。紅葉ちゃん、危ないからこっちね」
「おそうじ」
「・・・」
3日前で放送されていた“水曜どうでしょう”で粗大ゴミを使って家を作り始める、などと今までにないような内容には眠気が起きるほど退屈だったが、それが今はやけに高尚な企画だったのかもしれない。
危ないとまで言わしめてみせた成人男性一人暮らしの見本市は目の前の幼児にとって見応えがあるのだろう。
(にしたって、こいつが蓮葉と俺の子供?うっそでしょ・・・)
死んだ彼女が生まれ変わった・・・とまでは思わない。似ているかどうかと聞かれれば、肩まで伸びている子供特有の柔らかな黒い長髪がそれだろうか?
少なくともSF映画の機械照準の如くブレない視線で、じぃぃーーーーっと眺めてくるこの幼児は気味が悪い事だけは現在進行形で実感しているのは確かだ。
「あの、お茶あったと思うんで、取ってきます」
「はい、お待ちしてます」
机を囲めれば及第点だろう。多分。
とにかく子供の視線から逃れるために、居間から台所へと続く襖障子を開けて、お湯ポットのところまで急いで向かう。
台所を空っぽのカップ麺の容器でデコレーションをする男に気の利いた茶葉の用意が出来るのかという疑問が残るが、運が良い。
(ハーブティーの香りが良いだとか、紅茶が好きだとか、女受けがいいから口に出して言ってるだけだってのが相場なんだけどなぁ)
新宿で中国茶、台湾茶に紅茶などを専門にしている茶カフェが先月開店したのだが、その店を気に入った以前の職場の同僚からプレゼントされたティーセットが残っているのだ。もちろん興味がないからティーポットは傷一つ無いし、茶葉のパックも封を開いていない新品同様だ。
ポットにお湯を注いですぐにティーパックをぶち込んで、待ってられないのでスプーンで突っついては急いでお湯に急いで滲ませる。これが自己流、美味しい入れ方とは絶対違うだろう。
コップは1、2、の2人分を用意して入れれば完了。熱気と同時に漂う香りの良悪はともかく、埃の乗った御盆を水洗いで綺麗にし、なけなしの持て成しは完了だ。
「どうぞ。以前勤めてた会社で評判だったんですけど」
「あ、この香り!チャユーに出てませんでしたか!?」
「あー・・・そんなお店でしたね」
「私、ジャスミン好きなんですよ!最近はペットボトルでもお茶が飲めますけれど、やっぱ本場ですよねぇ」
「喜んでくれて良かったです。こんな汚い部屋じゃ、せめて出すものくらいしっかりしないと、ですもんね」
「気を使わせてしまってすみません。ありがたく頂きます」
テーブルに2人分のコップを置いてから、開口一番にそう言う高橋の声のトーンは妙に高い。彼女にとってはゴミという名の闇の中から現れた光を見つけたとでも言いたげに、仮面ではない素の笑顔になっていた。
(あのカラオケでやたらデュエットを強制させる女の方、なんだっけ。アラジンのやつ)
匂いを嗅いだだけで茶葉の種類を言い当てた彼女と違って、木崎の頭の中はホール・ニュー・ワールドのメロディで埋め尽くされていた。
「じゅーす」
「・・・ん・・・ん??」
「じゅーす」
だが、2つ目のジャスミン茶を御盆から手に取って、寄越せと幼児が小さな両手を伸ばしてきた時に木崎の思考が止まる。
ハーブティーなどと小洒落た飲み物をコップ2つに注いだのは高橋という女性もう1人、紅葉という幼児も来ているのが理由なわけで、自分が飲むためでは決してないが、ここで疑問が1つ浮かび上がったのだ。
床に座るとテーブルから頭しか飛び出さない子供が約80℃のハーブティーが飲めるのか?香りを楽しめるのか?そもそも持つことができるのか?
「はい、紅葉ちゃんもジュースですね〜」
「じゅーす」
「こっちは木崎さんの。お手手がアッチアッチしちゃうから、触っちゃダメ」
例えば、子供の目線に並ぶコップが倒れ、顔面に熱湯が飛び跳ねるような事態になったらどうなるか?
(え・・・子供って熱いのダメっぽい?)
答えは簡単、阿鼻叫喚の地獄絵図。目に浴びてしまえば今後、光を拝めなくなることにだってなりかねない。
危機感にようやく気づいた頭の中身とお盆から持ち上げた2つ目のコップはグルリと旋回し、恰も自分の分です、と誤魔化すように自分の座る位置へと移動させ、どうにか常識外れを回避。
「あ、ああーそうです。子供が飲めそうな物は置いてなくて・・・すみません」
「いえ!気を使わせてしまったようで申し訳ありません。この子の分は持ってきていますので」
高橋は自身の肩から腰に掛けている安っぽいセカンドバッグへ手を伸ばし、取り出したのは“みかん”と書かれた小さな紙パックジュース。紙パックへとストローを突き刺して、よだれでテカついている紅葉の口元へと運ぶとチューチューと音を立てながら飲み始める。
それで足りるのかと疑問を投げかけたくなるほど小さく思えた紙パックジュースは幼児の手にはちょうど良く、反対に激アツハーブティーの入ったコップが如何に幼児には不釣り合いであったことに木崎はようやく合点がいく。
さて・・・どんな話が飛んでくるのやら。
「改めまして、私は朝園という児童養護施設で勤めさせていただいております、高橋 明菜と申します」
「はい、どうも・・・それで、蓮葉が死んだって、どういう?」
何があって、いつ、どこで彼女は死んだのか?
俺とどんな関係があるのだろうか?
「私も話を伺っている段階なのですが、自宅の前で倒れていたところを発見されたのが今月の3日。倒れている大寺さんのそばに紅葉ちゃんがいるところを通りがかった主婦の方が見つけたようです」
「病気ですか?」
「詳しい疾患症状も含め、大まかに心不全という全身に血液が行き届かなくなっていた状態のようで・・・恐らく過労死だと」
「・・・マジすか」
「はい」
過労死。嫌な言葉だとは常々思う。
バブル崩壊が起きてからというもの、人員削減という名の放逐がされても仕事の総量が変わるわけでもなく、長時間労働やらサービス残業なんてどこの会社もやっているとは耳にしているし、実際そんな職場に当たってしまった時もある。
タイムカードを見てみたら、退勤から下の欄が手書きで全部、残業から定時上がりになっていて、危機感から仕事を辞めることだってあった。それも2回。
去年に起きた阪神・淡路大震災という関西地方で大地震が起きてからはまた酷い。兵庫県を中心に起きたこの地震の影響で就職難民が関東に流れてくるものだから、妙になまった丁寧語を話す従業員で枠が埋まるような店が少なくない。
「大寺さんには知人がほとんどおらず、紅葉ちゃんには身寄りが無かった為、搬送された病院から連絡を受けて一時的に預かる形になっています」
「ん・・・じゃあ、俺は?」
「失礼ながらご確認するのですが、ここ最近で保険会社からお電話を頂いたりはしておりませんでしょうか?」
「電話・・・ああ、実は電話線を抜いてたから」
「え?電話線を、ですか?」
部屋の隅に雑に置かれた家庭電話の線を掴み、ほら、とポカンとしている高橋へと見せつけるが、これには理由がもちろんある。
「前に働いてた同僚からネットワークビジネスをやらないかって言われて、親父も似たような仕事をしてたもんだから誘いを受けたらさ、掃除機を売りまくれだとか、ショボい香水を売りまくれだとか、ヤバいのなんの」
「いわゆる、マルチ商法とか言われてるアレですか?」
「そ。親父のは商品なんて使わなかったから大丈夫かと思ったら大ハズレ。売れないせいで在庫抱えて俺に売っ払おうとしてたわけ。でも、ウザくて会社を辞めても電話番号教えちゃったから、しつこいのなんの・・・」
「あー・・・」
「それで、今はケータイ電話が安く買えるんで、そっちで連絡とってます」
ネットワークビジネス、通称マルチ商法は会員を集って会員がさらに会員を集めて組織形成をする商法だ。
巷ではねずみ講などと呼ばれて評判は悪いどころか被害者にもなりかけてはいるが、マルチ商法自体は別に悪くない。例えば、新装オープンしたお店を3人しかいない会社と1000人もいる会社、どっちの方が宣伝効果が高いのか?
答えは後者。人数の多い会社はそれだけで強いのだ。大手の会社というのは人数が多いからこそ福利厚生とやらが充実しており、小さい店にはそれが無い。それからはポケベルやピッチから、どんどん加入料の下がってきているケータイ電話へと心機一転に乗り換えてから落ち着いてきたのが現状である。
ケータイ電話に乗り換えてからは必要な電話は此方にだけ届くようになり、持ち運びもできる為、まるで羽根が生えたように縛るものがない。
「実はですね・・・大寺さんの加入されていた生命保険の連帯保証人に木崎さんの連絡先と住所が記載されていたいたようで・・・ご存知でしょうか?」
「・・・え」
そう考えてはいたものの、連帯保証人という言葉を前には無力。
そういえば、仕事に就くために保険に加入しなければならなくなった蓮葉から頼まれた事があったっけ。今の今までそんなことを忘れてしまっていた。
「大寺さんが亡くなったことで、お勤め先のヤクルト社様から木崎さんへと連絡が取れるようにしてほしいと、紅葉ちゃんの事もあって、ご住所をお伺いしたのが経緯になります」
「ええっと・・・それで、俺はどうすれば?」
まさか、借金でもしたのだろうか?
昔の稼ぎがまだまだ残っていると言っても、急な出費は気が重くなるからやめてほしい。
「手続きや書類も代理で持ってきてはいるのですが、単刀直入に申し上げます」
「・・・はい」
「お子さんを、紅葉ちゃんを木崎仁さんのお子さんとして育ててはみませんか?」
・・・どうゆうこと?
「紅葉ちゃんを・・・認知をする気持ちがあるか、確認を取りたいのです」
「ふぁい?」
・・・そういうこと。