エピローグ
職員室でこってり油を絞られ、泥まみれの制服からジャージに着替えさせられてから教室へ戻ると、既に昼休みになっていた。弁当を取り出そうと鞄に手を突っ込んだところ、すかさず雅芳が背に飛びついてくる。絶好のからかい対象が現れた、と喜んでいるのだろう。梓にやられた分、馨で気を晴らすつもりなのだ。
「女同伴で説教垂れられるなんて、噂になるぜ」
常なら「やめろよ」とうっとうしそうに振り解いた上「そういう冗談は嫌いだ」と返すのだが……無言を貫く。
「馨?」
雅芳が「怒ったのか?」と恐る恐る顔を覗きこんできた。馨は苦笑して「違うよ」と安心させる。
「嬉しいな、と思ってさ。小宮山さんと噂になるなんて」
開眼した馨は、いつもの「馨」ではなかった。
「へ」
雅芳が、組み立てに失敗したプラモデルみたいに顔の造詣を崩す。馨はおかしくて噴出した。ケラケラ笑ってから、乱心かと血の気を引かせている雅芳に告げる。
「これからはさ、もっと気楽にいくよ。お母さんにバレたらって必要以上に気にしたりしないで、バレたらバレたで、僕は僕だってお母さんに言うことにする。それが……お母さんのためになるかはわからないけど。決めたんだ」
雅芳は、意味を受け止めきれずに数秒押し黙ったが、理解するや否や瞠若した。
「マジ?」
「です」
即答すれば、雅芳は泣き笑いの顔になって
「おっしゃ、俺ん家からお前の服が消えるのも近いかもな。運ぶときは手伝ってやるよ」
銅鑼を打つみたいに強く、バシンッと背中を叩く。かなり痛かったが、この痛みこそが雅芳の友情の証だ。
「雅芳、それより先に今度の日曜、僕が遊ぶのにつきあってよ」
頼めば「おうっ、まかしとけ」とガッツポーズを取られる。
「お前の誕生日だったよな」
「うん。叔母さんが、女装しなくてもいいようにってプレゼントしてくれた日でもあるから、ここは男らしくゲームセンターとかで遊び倒そうかなって」
雅芳が、腹を抱えて笑い出す。
「あっはは、お前の男らしい遊びのイメージって、ゲーセンなのかよ。しかも略さずゲームセンター」
ひーっ、と引き笑いにまで発展したものだから、馨は情けなく眉尻を下げた。ハの字眉に円らな目は、何をするにも覚束ない生まれたての子犬を思わせる。
「変?」
訊ねると、雅芳はようやく笑いをおさめた。
「そーだな。けど、多少浮世離れしてんのはしょうがないさ。今までが今までだったんだから。よーし、俺が色々連れ回してやる!」
気合のヘッドロックに馨が「うわっ」となる。窓際の席で、彩香がくすくす笑っていた。
初めてのサボりに職員室への呼び出し、とんでもない日のはずなのに、今までで一番おだやかな日のような気がする。
「これっくらいにするとして。馨、早いトコ弁当食おうぜー」
「うん」
雅芳の前の席を借り、対面して包みを広げた。味にも彩りにも気を使われているこの弁当は、馨のために作られたものではないけれど、愛情がこもっていることは確かだ。
誰が悪いわけでもない。
誰を否定することもない。
少しずつ、元に戻していけばいいのだ。
スカートを履いていても、ズボンを履いていても、何も着ておらず裸でも、どんな姿でも「桐生馨」であることには変わりない。
こここそが
馨にとっての天国――住むべき場所――なのだから…………。
〈了〉
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