治癒士の僕、強敵に遭遇する
本来、夜の森というのは危険で、無理をして挑むものではありません。
木の影はただでさえ暗い夜の闇をより深くするし、そこを灯りをつけて動けば闇を苦にしない夜行性のモンスターからは格好の的にされます。
幸い今日は満月に近いし、地図に書かれた集落の場所はひらけた場所なので目が暗闇に慣れればまだましでした。
そこは多くの死体が、まあゴブリンの死体ですが、転がっていました。ゴブリンキングらしき姿は見当たりません。かなりの量の死体があるところを見ると、冒険者パーティたちも相当に奮戦したのでしょう。
「カイン!生きてたら返事してください!」
あまり大声を出すものではないのですが、周囲に呼びかけると、転がっている死体の中に、カインが倒れていないか、探し始めました。
「カイン!」
僕の声に反応したのか、木の根元で動く気配がしました。灯りを向けてみると、血を流して倒れているカインです。
駆け寄って状態を確認します。まだ生きてはいますが、傷は深くすぐに治療が必要です。
「……ソラ……か……?」
「助けに来ました。すぐに治療します」
意識が戻ったのでしょう。カインは薄目を開けて僕の名を口にしました。
「……俺のことは……いい……すぐに……逃げるんだ……」
「アイラに頼まれたんです。そうはいきません。それに僕だって、幼馴染が死ぬのはごめんです」
2/360
〈命の瞳〉でカインを視ます。その数字から瀕死の状態を確認して、まずは重すぎる怪我の状態を緩和する〈蘇生〉の魔法をかけます。
10/360
命の残量が一ケタなら〈蘇生〉。それが10まで戻れば回復魔法。
続けて回復魔法を唱えようとすると、カインが僕の腕をつかんで止めました。
「……奴に……見つかる前に……速く……!」
「ゴブリンキングなら周囲にはいません。一緒に来た、仲間、も警戒してくれています」
「……違う……キングじゃない……さらに……上位……『ゴブリンの皇帝』だ……!」
ゴブリンの皇帝。
ゴブリンキングがさらに進化したとされる上位の個体で、複数のゴブリンの部族や時にはゴブリンキングすらも配下に従える強者です。めったに生まれてくることはないのですが、生まれるとまさにゴブリンの大群が1つの意志の元に動くことになり、局地的な災害として指定されることもあります。
その脅威度はゴブリンキングを越える最高ランクのA。
そうです。僕もカインもアイラも元はBランクの冒険者パーティ。そのカインがいてゴブリンキングに後れを取るなんてことはそうなかったはずです。ならカインとアイラのパーティが危機に陥った状況で、ゴブリンキング以上の脅威を冒険者として予想すべきでした。
「エステル!」
周囲を警戒しているだろう彼女の名を呼びました。
色んな冒険者としての基本事項が壊滅的な彼女ですが、ただ一つだけ恐ろしく優れていること、それは気配や殺気で敵となる相手を見つけることです。【狂戦士】としての戦闘能力の一環なのでしょう。
ただ、その優れた索敵能力が結果、誰よりも速く敵に突撃することにしか使われないのが問題ですが。
「周囲に気をつけて!」
敵がいたら知らせて、と言おうとしましたが、一歩遅かったようです。
戦斧を手に、彼女は走り出していました。
◇◆◇◆◇◆
森の奥の影から現れたそいつは間違いなくただのゴブリンではありませんでした。
普通は人間の子供程度の大きさのゴブリンが、同世代で体格のいいカインよりさらに頭1つ背が高い大きさにまでなっています。筋肉がはちきれんばかりに盛り上がっているのがわかり、恐ろしいパワーの持ち主であることが見ただけでわかります。普通の冒険者なら両手で振り回すのがやっとというような両手剣を片手で担いでいます。
あれが、脅威度ランクA。ゴブリン最上位種、ゴブリンエンペラー。
彼女が斧を振りかぶって叩きつけますが、軽々と片手に持った剣で受け止めるとそのままカウンターで斬り返します。
彼女の体が斜めにバッサリと斬られ、血が吹き出ます。
11/150
まずい。
〈命の瞳〉で視えた彼女の命の残りはほぼ致命傷。元は無傷だったところからたった一撃で瀕死一歩手前までの重傷を負わされました。
「我は唱える、〈高治癒〉!」
今、自分で使える最強の回復魔法。魔力は使うが、しかたがありません。
150/150
彼女は傷もその痛みもなかったように戦斧を振り回し攻め立てますが、避け、いなされ、受けられて有効な一撃を加えられません。
逆に攻め手が緩んだ隙をつかれ、横なぎの一撃を受けてしまいます。腹が裂け、血があふれます。
14/150
命の残量を確認し、すぐに回復魔法を使い、傷をふさぎ癒します。
150/150
まずい。
彼女が斬られる。
12/150
回復魔法を使う。
150/150
まずい。完全に戦況は袋小路に陥っています。
ゴブリンエンペラーの一撃は強力です。彼女はぎりぎりで死にはしませんが、万全の状態で一撃にやっと耐えられるという状態です。
負傷したまま戦っていたら間違いなく一撃を受けたら死んでしまう。
しかし、その状態では【狂戦士】の強化は得られません。素の彼女では、Aランクモンスターのゴブリンエンペラー相手では勝負にならない。
魔法だって有限ではありません。僕の魔力を使います。しかも彼女を完全に回復させるために、威力の高い魔法を使っています。いずれ、魔力がつきかねません。
このままいけば、僕の魔力が減って行くだけで、いずれ僕の魔力がつきて、彼女が殺されて終わります。
この状況を打開する方法、それがあるとするならば。
◇◆◇◆◇◆
「すみません、カイン、ライ。もう1回お願いします」
体を動かすのも億劫な疲労感を抑えて、僕は立ち上がりました。
今回の模擬戦に付き合ってくれているカインとライはあきれた顔をして僕を見ています。
「いやあ、ソラ。はっきり言うけど……無理じゃね?」
槍を担いだライが言います。
「そうだな。あまりに無理で無茶すぎる。ソラがそこまですることはないだろうし、非効率すぎるだろう」
盾を手にしたライも同じように言います。
「いえ……僕はほぼ回復魔法しか使えませんからね。今の主流の【治癒士】と同じことがやろうと思ったら、これくらいができないと」
僕は構えました。
「じゃあ始めてください」
やれやれと言った感じで再びライとカインが構えました。
ライが攻撃し、カインが盾で防ぐ。それを真剣でやり、僕はカインにひたすら回復魔法をかける。ただひたすらそれの繰り返しです。
「休みの日に男3人集まって何してるの?」
アイラがやってきたのは魔法の使い過ぎで疲労困憊になってぶっ倒れた時でした。
「……僕の魔法の練習に、ライとカインに付き合ってもらっていたんですよ」
呼吸を整えながら、僕は答えました。
「ソラは魔法の盾が使えないからな。『怪我をするのと同時にそれを癒せる回復魔法をかけられるようになればいい』んだと。その練習」
「……それ、何の意味があるの?」
ライの言葉にアイラが眉をひそめます。
「意味がないことはなかったよ。ようは怪我の痛みを感じる間もなく治してしまう、てことだからな。実際、さっきの模擬戦ならライから受けた攻撃はほとんど痛みを感じなかったしな」
カインが倒れて寝転がっている僕を見下ろしました。
「魔法の盾が使えないソラなりの『怪我を防ぐ』手段なんだろう。ただ、あまりにも無駄が多い、とは言ってるんだがな」
「当たり前じゃない。どれだけ魔力無駄にする気?それに、そんなの実戦でできるわけないじゃない」
「できるわけないじゃない、じゃなくて、やるんです」
倒れたままの僕の頭の上で話をしている3人に、僕は言いました。
「他の【治癒士】はそれと同じことが、魔法の盾でできるんですから」
「どっちにしても今日はここまでだな。それ以上はソラも無理だろう。なに、次の休みはまたつきあってやるさ」
カインが笑って、僕に手を差し伸べます。そのまま手を掴んだ僕を引っ張り起こしました。
「怪我を防げないなら、怪我を受けたと同時に回復させてしまえばいい」という、「旧式」の【治癒士】である僕の弱点を解決しようという安直な計画は、結局実現しませんでした。
1対1の模擬戦ではそれなりに上手くいきました。けれど、実戦では仲間はカイン、ライ、アイラの3人いました。いくら盾役がカインだと言ってもカインだけが戦闘中に怪我を負うわけではありません。敵だって複数います。そんな敵味方が入り乱れて戦う状況で、味方がいつ、どれだけの怪我を負ったかを正確に把握し、怪我を負った瞬間に回復魔法を絶妙のタイミングでかける、というのは僕の処理能力を超えていたのです。
◇◆◇◆◇◆
僕は、かつて挫折した自分の計画のことを思い出していました。
現在、仲間は彼女1人。敵はゴブリンエンペラー1体。1対1です。
彼女を瀕死の重傷一歩手前の状態で戦わせて、彼女が攻撃を受けるタイミングを見極めて、その直前に回復魔法で傷を全て癒し、攻撃を受けて耐えさせることができれば。
「エステル!」
彼女が、ゴブリンエンペラーの攻撃を受けます。そのたびにかけていた回復魔法を、僕はかけません。
「君の命を借ります。僕を信じてください」
聞こえているか、聞いているかはわかりませんが、僕は彼女に声をかけました。
僕が一歩間違えれば、彼女は回復魔法が間に合わずにゴブリンエンペラーの一撃で、死ぬ。
彼女にかけた僕の言葉は、どちらかというと僕自身が覚悟を決めるためのもの。
「だから、そのまま───」
〈命の瞳〉で視える、彼女の命は。
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僕の意図が伝わったのか、彼女が、もう1本の戦斧を手にし、2本の戦斧を構えます。
「───行けぇーーーっ!」
今までとは比べ物にならないスピードで、彼女がゴブリンエンペラーに襲いかかりました。