密室のぬいぐるみ
竹丸から放たれた言葉に花蓮は訝るように首を傾げた。
「事件が起こったとき密室のはずだったって、ちょっと変な言い方ですけど、どういうことですか?」
確かにおかしな言い方である。密室だった、ではなくはずだったとは?
竹丸は窓に視線を向け、
「えっとね、ぬいぐるみが盗まれたのは昨日僕たち手芸部員が帰ってから、さっき僕と桐雄くんがくるまでの間なんだけど……昨日帰るとき、扉の鍵も窓の鍵も全部閉めたはずなんだ。でも――」
空見原が竹丸の言葉を継ぎ、
「お二人が部室にきたとき、あの窓の鍵が開いていたんです」
彼女が指差したのは愛川さんの最高傑作のぬいぐるみが置かれていた本棚の奥の窓だった。
俺はその窓に近づくと、手前に居座ってクレセント錠を隠していたうさぎのぬいぐるみをどかして鍵の状態を確認する。あれ、レバー上がってるじゃねえか。鍵かかってないか、これ?
「真紅郎くん。部室棟のクレセント錠はレバーを下げて施錠するタイプだからね」
やや困惑していると花蓮が補足してくれた。下げて施錠するということは、レバーが上がっているこの窓は鍵がかかっていない状態ってわけだ。
他の窓も見てみる限り、ちゃんとレバーが下がっており施錠されている。
というかこの教室の窓、なんか違和感があると思ってたけど、本棚が高すぎて窓の四分の一くらいが隠れてたからか。その上にぬいぐるみが乗っているから更に外の景色が見えづらくなっている。……これが事件に関係あるかと言われると、なさそうだ。事件の話に戻るか。
「犯人は鍵を開けることはできたけど、閉めることはできなかったって考えるのが妥当か」
呟くと、花蓮が指を一本立てた。
「犯人はずっとこの教室に潜んでいて、みんなが帰ったのを期に窓から出ていったんじゃない?」
誰もが思いつきそうな推理である。それと同時に割と無理のありそうな推理でもある。事実、愛川さんに否定された。
「それはないわね。昨日に限らず鍵はずっとかけてあるから。鍵がかかってないのは私たちがここにいるときだけね」
「何らかの手段を用いて鍵を開けたんですよ」
「そんな手段があるなら部屋に潜んどく必要ないけどな」
花蓮のトンチンカンな推理につっこみを入れておく。
俺は腕を組んで部屋を見回し、愛川さんに尋ねる。
「盗まれたぬいぐるみはどういうものでした?」
「私の最高傑作の熊のぬいぐるみ。竹丸君の牛のぬいぐるみ」
「名前はモー之助って言うよ」
竹丸の謎の補足を挟みつつ、
「それから依子ちゃんの作った日本人形」
「そんなのあったんですね」
昨日見た記憶はなかった。白城は口元を押さえてうふふと笑う。
「ソファの影に潜ませてましたから。因みに名前は貞美って言います」
「何でそんな怖いことすんだよ」
「サプライズみたいなもん……ものです」
嫌なサプライズだな。
愛川さんは苦笑しながら続ける。
「で、ミィちゃんのウサギのぬいぐるみ。最後は千山の羊毛フェルトで作ったイグアナ」
「何でイグアナなんて作ったんだよ?」
思わず千山に尋ねてしまう。
「いいじゃねえかイグアナ。格好いいだろ? 恐竜みたいで」
「まあ……格好いい、か?」
白城がくすくす笑った。
「格好いい言うても……じゃなくて、格好いいって言っても千山さんの作ったイグアナはご多分に漏れず間の抜けた顔してましたけどね」
「いちいち標準語に戻してディスんなよ。どうせディスられるなら方言の方がなんかいい」
「気持ち悪いですね」
ストレートな悪口。……駄目だ。この二人の会話に反応していては事件が一向に進展しない。
俺は咳払いをして愛川さんに視線を向けた。
「そのぬいぐるみたちに共通点とかありました?」
「何にもないと思うわよ」
「そうですか。じゃあ、ぬいぐるみが盗まれたことに対して心当たりとかは?」
「ないわ」
俺は他の部員たちにも視線を向けるが、全員が首を振った。
「私たち、部室とか自分の部屋で普通にぬいぐるみを作ってるだけでしたから」
空見原が目を伏せて残念そうに肩を落とした。
犯人がぬいぐるみを盗む動機はなし、か。手芸部の文化祭での活動をとめたかった? ぬいぐるみを五つ盗んだくらいじゃ痛くも痒くもないだろう。本人たちの精神的ダメージは……竹丸と空見原は結構受けてるようだけど、他三人は余裕そうだ。千山と白城が至っては昨日と変わらぬ調子で口喧嘩に勤しんでいた。
この事件のキーポイント……それは、犯人は密室の部屋にどうやって侵入したのか、動機は何なのか、といったところだろう。
頭を悩ませていると、同じく腕を組んで唸っていた花蓮が口を開いた。
「竹丸さんは何か思いつきませんか?」
「え、どうして僕に訊くの?」
「いやあ、密室事件といえば竹丸さんじゃないですか」
竹丸は苦笑いを浮かべ、
「あれは咄嗟に思いついただけだから……。僕には何もわからないよ」
「そうですか……。うーん。犯人は一体どうやってぬいぐるみを盗んだんだろ」
「取っかかりになるような手掛かりが何もないんだよな」
この現場に変わったところはなく、盗まれたものにも変わったところらないらしい。花蓮が一番最初に言った、あらかじめ部室に潜んでいた説が一番しっくりくるほとだ。割とマジにいたんじゃねえか、誰か? けど、人が隠れられる場所なんてないしなあ。ロッカーにはギリギリ入れなさそうだし。
そんなことを考えていると、ふと空見原が呟いた。
「もしかしたら、人形たちが独りでに動いて外に出ていったのかも……なんて」
そんなファンタジックな……。しかし、その説を否定できる材料はない。今ある状況証拠だけならその可能性もあることはある。ないだろうが。
顎に手を添えた白城が窓際に近づく。
「確かに、クレセント錠がレバーを上げて鍵を開錠するタイプだから、部長のぬいぐるみなら開けれそう。この鍵、大分緩いし」
そう言って彼女はクレセント錠を上げ下げする。特に力は入れてなさそうだが、レバーはスムーズに動いている。というよりある程度までいくとレバーがオートで進んでいる方向へ動くようになっているようだ。
白城の言う通り、愛川さんの最高傑作のぬいぐるみはかなり大きかった。相対的に腕も長くなるから、クレセント錠にも届くだろう。レバーを下げて鍵を開けるタイプなら無理だったが、レバーを上げて鍵を開けるタイプのクレセント錠なのでワンチャンぬいぐるみにも開けられる。……何本気で考えてんだ俺は。そんなことあるわけねえだろ。
「いくら何でもファンタジーすぎるな。いや、ファンタジーを通り越してホラーだ。ぬいぐるみが自律して動くわけがねえ。殺人鬼の魂が秘術でぬいぐるみに入り込んでない限りはな」
全員に何じゃそりゃという顔をされた。おいおい、ゼロの趣味に付き合って見た映画の話、全然通じねえじゃねえか。どうすんだこの空気。顔を引きつらせていると千山がつっこんでくれた。
「下条、古いホラー映画のネタをこいつらが知ってるわけねえだろ。こいつらはどうせ、『13日の金曜日』の一作目をジェイソンが人を殺していく作品だと思ってるぜ」
「ネタバレになりかねないこと言うなよ」
「言っても言わなくても一生見ねえよこいつらは」
花蓮がため息を吐いた。
「チャッキーの話もパメラの話もいいから、事件の話に戻ろうよ。ぬいぐるみが動くわけないんだし、犯人が何かトリックを使ったに決まってるんだから」
お前……ネタがわかってるなら真っ先につっこんでくれよ。
頭を掻きつつ嘆息する。
「んなこと言ったって、手掛かりらしい手掛かりがないんだ。こんなんじゃ、ゼ……知り合いの名探偵にだって解決不可能だぜ?」
「まあそうなんだけどさ。ぽろっと解決の糸口になりそうなものが落ちてこないかなあ」
と、花蓮がぼやいたそのときだった、部室の扉がノックされた。愛川さんが返事をすると、何かモフモフしたものを抱えた高等部の女子生徒が入ってきた。
知り合いだったからか、その女子の顔を見た愛川さんが即座に反応した。
「あら、澄子じゃない。どうしたの……って、その抱えてるの!」
「あ、やっぱり手芸部のぬいぐるみだった?」
澄子さんというらしい女子生徒はけろりとした表情で言った。彼女が抱えていたのはぬいぐるみだったのだ。それも、全て盗まれたと思しきものである。
「どこにあったんですか、それ?」
竹丸が驚愕した表情のまま尋ねた。
「ん? あたしたちの寮の前に並んでたの。綺麗に四つ」
え、四つ?
澄子さんが丸テーブルの上にぬいぐるみを並べた。先ほど聞いたぬいぐるみの概要を思い返す。一つ足りない。
「あの、羊毛フェルトのイグアナはなかったんですか?」
「うん、そんなのはなかったよ。っていうか、涼。どうしてぬいぐるみが寮の前にあったわけ?」
涼、というのは愛川さんの下の名だったか。お互い下の名で呼び合ってるってことは二人はそれなりに親しい関係らしい。
愛川さんはバツが悪そうな顔になる。
「私たちにもよくわかってないんだよね……。とりあえず、届けてくれてありがとね」
「ルームメイトのよしみよ。そんなこと気にしないで。じゃ、あたしはこれで」
澄子さんは颯爽と去っていった。……さて、唐突に新たな手掛かりが現れたな。
「色々と疑問点があるな。犯人はどうして愛川さんの寮の前にぬいぐるみを置いていったのか。千山のイグアナだけないのはどうしてなのか」
「ゴミだと思って捨てたんじゃね?」
当の千山はどうでもよさげに自虐した。
「ゴミだと思ったんなら最初から盗まねえだろ」
「それもそうか」
花蓮が腕を組み、
「うーん……かさばるから一番小さい羊毛フェルトのだけを持っていった、とか? いや、それなら最初から大きいぬいぐるみなんて盗まないか」
「そうなんだよな。そもそも、こうしてぬいぐるみが返ってきた今、犯人が本当に盗むことが目的だったのかどうかも怪しくなってきた。一時的にぬいぐるみを必要としてただけかもしれない」
「それなら、勝手に持ち出すなんて方法は使わずに私たちに直接断りを入れて、その上で借りればよかったのでは?」
白城が首を傾げて反論してきた。俺は頷き、
「そうだな。けど、後ろ暗いことがあったんならそういうわけにもいかない」
「それもそうですね」
花蓮がぐしゃぐしゃと頭を掻く。
「あーもう! 犯人が何がしたかったのかもわからないし! どうやって侵入したのかもわからないよ!」
「ついでに俺のイグアナがどこにいったのかもな」
あくびをしながら千山が続いた。それに空見原が指を立て、
「もしかしたら犯人が気に入って、千山先輩のだけ手元に残したのかもしれませんね」
「そんなことあるか? 自分で言うのもあれだが、それほど良い出来じゃないぞ。あれが琴線に触れる人間の気が知れねえ」
本当に自分で言うのもあれだな。ちょっとは自信持てよ。
事件の状況をまとめてみるか。ぬいぐるみが盗まれたとき、窓の鍵が一ヶ所だけ開いていた。
「戸締まりはちゃんとしてたんですよね?」
愛川さんに改めて尋ねる。彼女はこくりと頷いた。白城も空見原もそれを肯定した。
やっぱり鍵が開いてました、というオチはないようだ。じゃあやはり犯人は密室をこじ開けたのだろう。どうやってかは知らない。目的もわからない。
そして、どうして密室を開けてまで盗んだぬいぐるみを愛川さんの寮の前に置くようなことをしたのか。これじゃあ手芸部にぬいぐるみを返すようなもんだ。あと千山の羊毛フェルトのイグアナの行方も謎である。それから地味に気になっているのは、盗まれたのが各部員のぬいぐるみ一つずつというのだ。意図してのことだったら、犯人は部の内情を知る者の仕業ということになるが……偶然そうなることもある。あまり決定打になりそうな情報ではないか。
これじゃあ、いくらゼロでも解決できないだろ。情報量があまりにも少ない。せめて密室トリックに結びつきそうな手掛かりが欲しい。
……そういえば、一つ聞いてないことがあった。愛川さんに訊く。
「教師が犯人って可能性はないんですか? 教師ならいつでも部室の鍵を職員室から持ってこれます」
「ああ、その可能性があったか」
ポンと手を叩く愛川さんだったが、花蓮が首を捻った。
「それはないよ。部室棟に教師なんてめったにこないから目立つもん」
「夜とか昼なら人気は少ないだろ」
「人気の話じゃなくて、監視カメラの話。部室棟の出入り口にちゃんとあるから。今回の件は一応盗難事件だから、手芸部のみなさんが教師に相談する可能性があるでしょ? そうなったら一番疑わしいのは鍵を持ち出せる教師だよ」
「そうだな……ってか、監視カメラあんのか。それ見りゃいいじゃねえか」
花蓮の顔がその手があったか、と言わんかのごとく硬直した。
「そっか……。そうだよね! その手があったよ!」
「けどまあ問題なのは、ぬいぐるみが戻ってきたから盗難じゃなくなったってところだな。千山のはなくなってるけど、そんなんで監視カメラを確認してくれるのか?」
「そこはほら、理事長の娘であるこの私が直々に理事長たるお母さんに頼めば一発よ」
解・決!
白城が苦笑いを浮かべた。
「今まで考えてたのは何だったんですかね」
まったくだ。ブドウ糖無駄にしちまったぜ。
空見原は安心したようにふうっと息を吐き、愛川さんは納得しているのかしてないのか微妙な表情になっており、千山は相変わらずどうでもよさそうで、竹丸はさっきからずっと盗まれたぬいぐるみ……というより愛川さんの最高傑作を見つめていた。
「どうかしたのか、竹丸?」
「え、うん。……部長の最高傑作、なんか違う気がするんだよね」
「違うって、何が?」
「微妙に細いというか何というか……」
その言葉に反応して愛川さんと空見原が竹丸の両サイドからぬいぐるみを眺めた。
「そう? 別に変わらなくない?」
「うーん……特に違いはないと思いますけど」
白城も加わり、
「私にもわかりません。勘違いとちゃい……勘違いじゃないですか?」
「そうかなあ? 顔のラインがちょっとシュッとしてる気が……する、かも?」
どうやらだんだん自信がなくなってきたらしい。
昨日見たこのぬいぐるみを思い浮かべるけれど、ぱっと見違いはわからない。手に取って腕や足を動かしてみるが、機動感は昨日と大差ないように思う。……あれ?
ふと、おかしなことに気づいた。俺は愛川さんに目を向ける。
「あの、昨日俺と大神が帰った後、このぬいぐるみの手入れとかしました?」
「してないわよ、誰も。それがどうかしたの?」
「いえ……」
どうなってんだ? まあ、花蓮が理事長経由で監視カメラの情報を入手すれば解決だろう。
◇◆◇
「映ってなかった?」
夜。花蓮から連絡を受けた俺は思わずベッドから上半身を上げた。
『みたいだよ。昨日の夜から今日の夕方にかけて、部室棟に入った教師はいないってさ』
「じゃあ犯人はどうやって部室に入ったんだよ」
『知らないよ。それはさ、ほら、ゼロくんに頼るしかないんじゃない?』
まあ、そうなるのか。気になることもあるしな。俺はちらりと漫画を読みふけるゼロを見る。
直後に彼はパンと漫画を閉じた。
「事情はわからないけど、どうやら僕の力が必要なようだね」
ゼロがやれやれと肩をすくめながら俺に向き直った。
「実はだな――」
俺は事件のことを全て、細かいことから何から何までゼロに説明した。
「――と、まあこういうことだ。おかしな話だろ? まるでぬいぐるみが自律して動いたみたいな」
最後にこんな感想を踏まえて話をし終えた。するとゼロは真顔で、
「ふぅん。その通りなんじゃない?」
「は? その通りって?」
「いやだから、ぬいぐるみが自律して動いたんだよ。荒唐無稽な推理なんだけど、話を聞く限り不可能ではないよ」
いや不可能……というか不可解だわ。
しかしゼロはいつもの余裕な表情のまま笑みを浮かべた。
「まあまあ。とりあえず推理を聞いてくれ。こんな謎、僕にかかれば無に等しいね」




