緊急事態発生
八月下旬。夏休みももう終盤というこの時期。帰省していた多くの学生が学園に戻ってくる。静かな箱と化していた学園に活気が蘇ってきた。まあ、殆ど寮の外に出ないからあんま関係ないんだが。
俺はゼロに宣言した通り、お盆になっても帰省することはなかった。お盆の時期は花蓮も親父さんの実家に向かうため、本来なら知り合いが誰一人いない状態になるのだが、幸いなことにゼロがいたため暇はせずに済んだ。
ゼロと二人で一体何をやっていたのかというと、延々ゲームをやっていた。この間の射的で手に入れたゲーム機のソフトを適当に買い、それを二人でプレイしたのだ。某世界的に有名な赤い帽子を被ったキャラクターたちによるレースゲームである。そしたらなんかハマってしまって、今現在も二人でゲームしている。
「おいゼロ。赤甲羅やめろよ」
「そういうゲームだろう、これは」
ぶっちぎっていた俺を華麗に抜き去っていくゼロ。後を追おうとする俺だったがゼロが嫌がらせに残していった爆弾の爆破に巻き込まれた。そうこうしているうちにCPUにも抜かれてしまう。……クソ!
急いでアクセルをかけてアイテムを取る。出てきたのはトゲ甲羅だった。一位をピンポイントで狙うアイテムだ。ゼロの順位を見る。……一位だねぇ。おまけにトゲ甲羅を防御できるアイテムをあいつは所持していない。心の中で下卑た笑みを浮かべてトゲ甲羅を放つ。数秒後、ゼロから「むっ」と不機嫌そうな声を漏れた。
「コースマップを見ていたけど、今のは真紅郎かい?」
「さてどうなろうな。それに誰が撃とうがどうだっていいだろ? これはそういうゲームなんだからよ」
「言うね」
CPUをテクニックで抜いて二位につけた俺はもう一つのアイテム、赤甲羅でゼロを追撃する。甲羅に当たって動きがとまっていたゼロを華麗に抜き去る。
「やってくれるじゃないか真紅郎」
一位に舞い戻った俺をゼロがしかめっ面で讃える。これが最後のコース周回だし、ゴールも近い。このレースは俺が一位だろう。……と油断していたところでコースに設置されていたバナナを踏んでしまった。やばい……!
再びゼロに追い抜かれてしまった。急いで後を追う。まだあいつとはカート一台分くらいしか間隔が空いていない。ゴールが近いとはいえチャンスはある。ゼロのカートの後ろにくっついてスリップストリームで一気に加速して抜く!
というビジョンを立てるが、しかしそこは流石ゼロ。俺の意図をあらかじめ読んでいたようで、車体を小刻みに左右に振るう。これでは加速できない。
しつこくゼロの真後ろにつこうとする俺。俺にスリップストリームを決められないように蛇行運転するゼロ。果たして勝利の女神はどちらに微笑むのか。……そのとき! CPUが放ったトゲ甲羅が一位のゼロに被弾し、その爆発に俺も巻き込まれた。立ち往生する俺たちをCPUが颯爽と抜き去り、そのままゴールしてしまった。
俺とゼロの熱い戦いは何だったのか。コントローラーをベッドの上に放る。
「飯にするか」
俺がぽつりと呟くとゼロも徒労感を滲ませつつ、
「構わないよ」
と返事した。
俺はシンクの戸棚からカップラーメンを二つ取り出す。
「醤油と味噌、どっちがいい?」
「味噌かな」
「ほい」
味噌ラーメンをゼロに放る。ポットからお湯を注いで四分待つ間にゼロが話しかけてきた。
「CPU相手に戦うのも飽きてきたね。真紅郎くらいしか脅威にならない」
「確かにな。……ネット対戦がしたいのか?」
「できるならね。この寮のWi-Fi事情は知らないけれど」
「図書室とパソコン室にはあるけど、寮にWi-Fiは飛んでない」
ゼロはゲーム機に視線を向ける。
「君のスマホのテザリング機能を使えばできるんじゃないかい?」
ああ、その手があったか。
「それはいいけど、あのゲーム機ってテザリングに対応してんのか?」
「さあ? けど、スマホ隆盛のご時世だ。それくらい対応してそうなものだけどね。取説を見ればいい」
「それもそうだな」
何というかすっかり俺たち、ゲーム廃人になり果ててしまった感じがする。外にも出ずに一日中クーラーの効いた部屋でひたすらゲームしてるなんて。もっとも、本当のゲーム廃人はこんなものじゃないんだろうけれど。
四分経ち、俺たちはカップラーメンの蓋を開け、麺をほぐすとスープを投入してよく混ぜた。
「なあゼロよ」
「なんだい?」
「前々から思ってたんだが、お前毎日こんな簡素な飯ばっかで飽きねえのか?」
部屋に籠もりきっているこいつに食わせてあげられるものは限られている。パンとかおにぎりとか、インスタント食品やレトルト食品ばかりだ。栄養が偏らないように野菜とか身体によさそうなジュースも与えているけれど、代わり映えはしない。
ゼロはラーメンをすすると、けろりとした表情で言う。
「全然オーケーさ。僕はこういうジャンクフードが好物だからね」
「そうなのか? イメージ的には小粋なフランス料理が好きそうだけど」
「小粋なフランス料理は食べすぎて飽きたね。花蓮ちゃんが聞いたら怒りそうな話だけど、高級料理はもう食べたくないんだ。飽きた」
「そんなに食べてたのか? お前の家って、やっぱり名家なんだな」
この間聞いた話では、名家は名家でもよくわからない名家なようだけれど。
ゼロは肩をすくめ、
「世界中を飛び回ってたから、その度に本場の味を味わわされたよ。イタリアにいったときは最悪だった。殆どの料理にトマトが使われてたからね」
「トマト嫌いなんだな」
トマト嫌いの人はたまに見かけるけど、トマトを嫌う人の心理がわからねえ。嫌いになる要素があるのだろうか。それからグリンピースを嫌う人もいるけど、あんなちっこいもののどこを嫌えばいいのかわからない。人間っていうのは変わっている。……誰目線なんだこれは。
ラーメンを食べ終えた俺はゲーム機の取説を読もうと箱から引っ張り出した。果たして、テザリングのことまで書いてあるだろうか。書いてなくても普通にできそうな気はしている。
取説の目次を確認していると、ゼロがふと気づいたように呟いた。
「そういえばちょっと暑くないかい?」
「ラーメン食ったからだろ」
「いや、それにしても、という感じでね」
確かに、さっきと比べて部屋全体が暑くなってきている気がする。
「真紅郎。これ、エアコンがとまってるのかもしれない」
「まじか? リモコンに触った記憶はないけどな」
訝りながらエアコンの前に立つけれど冷風がこない。どうやらゼロの読みは正しかったようだ。
俺は枕の横に置いておいたリモコンを手に取り、エアコンへ向けようとする。が、一つおかしなことに気がついた。リモコンにはエアコンが稼働中であるというマークが表示されているのだ。嫌な予感がしてきた。
意を決してリモコンの電源ボタンを押す。エアコンは何も反応しなかった。他にも色んなボタンを押した。しかし、エアコンはそのどれにも反応しない。事態の重要性を察知したゼロが椅子を天井付近にあるエアコンの下へ持っていき、それを踏み台にしてエアコンの電源ボタンを直接押した。……反応、なし。テレビは点いてるから停電ではない。故障したか……。
八月下旬とはいえ、まだ夏は終わってない。外は非常に蒸し暑い。何が言いたいのかというと、エアコンなしじゃ生きていけないということだ。
「ゼロ。お前なら壊れたエアコンをちょいちょいっといじくって直すくらい、無理ないよな?」
「無茶言わないでくれよ。どうやら真紅郎は僕のことを青い猫型ロボットみたいなものだと思っているようだね」
ゼロが呆れたように言った。俺は首を振り、
「青い猫型ロボットじゃなくてもいい。黄色い猫型ロボットでも構わねえよ」
「妹の方じゃないか。猫型ロボットから離れてくれ」
まあ漫才はこのくらいにして……エアコン、どうしたものか。
椅子から降りたゼロが尋ねてくる。
「こういう場合、この寮ではどういう処置を取ってるんだい?」
「寮監を経由して提携してる業者さんにきてもらうわけなんだが、その前に寮監にエアコンが本当に壊れてるのか確認してもらう必要がある」
「それはつまり、寮監さんをこの部屋に入れる必要がある、ということかな?」
頷いて答えた。ゼロは肩をすくめ、
「厄介なことになったね」
と呟いた。同感である。
もはや俺の日常に自然と溶け込んでいるけれど、ゼロは言い逃れのできない完全無欠の不審者だ。住所不定無職。本名不明。学園へ不当に侵入してきた誤魔化しようもない不審人物である。その不審者がいる部屋に学園の職員を上げるというのは大変危険だ。というかやばい。
「いつも門限に寮監さんがくるときみたいに、トイレに隠れるだけじゃ不十分そうだね」
「ああ。寮監がトイレを使用することになったらアウトだ。実際、トイレにエロ本を隠してた奴がそれで終わった」
「トイレに隠しているというのが妙に生々しいね」
「どうでもいいとこに反応すんな」
俺は一つため息を吐き、
「そいつは退学とまではいかなかったけど、厳しい処罰を受けた。仮にエロ本がお前だったら退学になってただろうな。で、お前は警察送りだ」
「まあ、そうなるだろうね」
自分で言ってて改めて思い知らされた。とんでもない爆弾抱えちまっているということに。何で俺、こいつを匿ってるんだ? 花火の日にゼロが部屋にいても構わないと思った傍からそんなことを考える俺は人でなしだろうか。
まあ匿ったものはしょうがないと割り切ろう。匿った俺も悪いし、侵入してきたゼロも悪い。そして一番悪いのは壊れたエアコンだ。エアコンめ、許せん。
俺は部屋を見回す。
「どこに隠れりゃいいんだ、これ?」
「浴室とかどうだい?」
「浴室か」
視線を浴室に向ける。薄暗いし、気配も殺しやすいかもしれない。だが……。
「たぶん無理だ」
「どうして?」
「俺って花蓮と仲がいいだろ?」
突然出てきた花蓮の名前にゼロは一瞬きょとんとしたが、流石の頭の回転の早さか、すぐに俺の言いたいことを理解したようだ。ゼロは頷いた。
「そうだね。兄妹っぽさを感じる」
「花蓮は抜き打ち寮監として色んな部屋をチェックしてて、過去に花蓮によって暴かれた学生の隠し事も多い。その事実と、理事長の娘ということもあって、職員からもそれなりに信頼されている。けど――」
「仲の良い真紅郎には甘いかもしれない、と」
「そういうことだ。俺と花蓮の仲が良いことくらい、寮監なら気づいててもおかしくない」
現に、こんなことがあった。ゼロと遭遇する少し前、洗濯機が不調になったため寮監を読んで見てもらったのだが、そのとき寮監は躓いたように見せかけてベッドの下を覗いたり、トイレを使ってきた。それとなく部屋を探索していたということだ。
「何か理由をつけて浴室を見てくる可能性がある。危険だ」
ゼロは腕を組んで部屋を見回す。
「その話をふまえるならベッドの下は論外だね。わかりやすすぎる。他に隠れられそうなところはクローゼットかな?」
「入れるか?」
俺はクローゼットの扉を開ける。クローゼット自体はゼロの背丈より高いが、下部が引き出しになっているため服をかけるスペースはゼロの背丈よりも低くなっている。しゃがめば問題なさそうだが……。
「服が多いね」
「そりゃクローゼットだからな」
冬服も夏服も制服もジャージも全部ここに入れてある。とても人が入れる状態ではない。
「もう一つのクローゼットは?」
ゼロは別のクローゼットに視線を移した。この部屋は本来なら二人部屋なため、クローゼットも二つある。しかしそちらも、
「こっちは完全に物置か」
ゼロが呆れたように呟いた。こちらのクローゼットは漫画やらカバンやらダンボールやらが詰め込まれている。ゼロが入るスペースはない。
中身を出せば隠れられるだろうが、外に出したものを全部部屋に置いておくのはまずい。寮監は前に部屋にきているし、いつも部屋を見ている。いきなり大量の服や雑貨が部屋に現れたら不審がるだろう。
他に隠れられる場所は、どこだ? 洗濯機の中はいいんじゃなかろうか。……いや、駄目だ。この寮の洗濯機はドラム型で、丸まれば人も入りそうなのだが、この機種の運命か蓋の部分がガラスなため透過している。薄暗いとはいえ、流石に丸見えだろう。
机の下とか椅子の下は絶対見つかる。学生寮だけあって家具が少ない。故に隠れる場所もない。どうする? 風呂に寝転がって蓋をしておく……いや、どうして湯も張ってないのに蓋をするのかって話になる。
花蓮を頼るか? 無理だ。あいつは現在、姉の蓮香さんと旅行中だった。
ゼロの存在がばれるということは大袈裟に言ってしまえば人生が終わるということだ。ゼロも俺も。寮監が少しの疑念から鋭くゼロの存在を暴き立ててくる可能性もある。なるべく不審なポイントは作りたくない。
「寮監さんを部屋に招いている間、僕が真紅郎の制服を着て外に出ているというのは? 危険すぎる気はするけれど」
ゼロの提案に首を振る。
「自分で言ってるけど、危険すぎる。お前が俺の制服を着たらサイズが合わない。外に出ている間に見られた人間に不思議に思われる。職員に遭遇してそのことを追及されたらアウトだ」
「だったら私服で出歩けばいい。夏休み中は私服オーケーなんだろう?」
「それも駄目だ。不幸なことにお盆が終わって学園に戻ってきてる生徒も多い。お前は無駄に顔がいいから女子生徒の注目を集めかねん。というかそもそも、お前がここの生徒だったら絶対女子に顔を知られてる。それがないって時点で不審がる女子が出てくるかもしれねえ」
ゼロは肩をすくめ、
「いつになく慎重だね、真紅郎……。誰にも見られないように行動すればいいだけじゃないか」
「いくらお前でも真っ昼間からそれは無理だろ。どこに人の目、監視カメラの目があるかわからないんだぞ? 危険すぎる。ふとしたことがきっかけでお前が不審者だとばれる可能性も考慮すべきだ」
俺が力を込めて断言すると、ゼロは呆れたように言った。
「外で見つかる分には真紅郎は困らないんだから、別にいいじゃないか」
一瞬思考が停止した。……確かにそうだ。ゼロが俺の部屋で見つかったら言い訳のしようがないけれど、外で見つかったのならゼロが黙っている限り、俺とこいつの関係は最初からなかったことになる。そしておそらくゼロは俺との関係の口にしない。俺はゼロのことを何も知らないけれど、そこのところはわかる。というか信じている。俺はこいつを信頼してるのだ。……だったら、
「そういうわけにもいかんだろうが。何度も言うように不法侵入したお前も悪いけど、不審者を匿った俺だって悪いんだ。お前にだけリスクを背負わせるのはフェアじゃない」
俺は信頼してる人間を裏切るようなことをしたくない。例えゼロが俺をまったく信頼してなくとも、そこんところは揺るがない。
ゼロはため息を吐き、ふっと笑みを浮かべた。
「まあ、真紅郎ならそう言うと思ってたよ。そうだね……僕たちは負の運命共同体だ。極楽にいくのは一人でも、地獄に堕ちるときは二人一緒さ」
「嫌な関係だな」
つい苦笑してしまう。
「それはそれとしてゼロさんよ。二人でなんか格好いい空気を醸し出すのはいいとして、結局状況は何も変わってねえぞ。このままじゃ俺たち、熱中症で死んじまう」
ゼロは今一度、部屋をゆっくりと見回した。それから額に人差し指をあてがい、
「心配する必要はないさ。僕がこの状況、ゼロに戻してみせるよ」




