夏祭りへいこう!
期末試験が終わり蓮修学園にも夏休みが訪れていた。多くの学生は実家に帰るため学園内は物寂しい雰囲気になっていた。今学園内に残っている生徒もお盆が近づけばみんな帰省し、教師も休みに入り、学園がただの空箱になる。一年のとき見たが、この大きな敷地に人が誰もいなくなる光景はなかなか面白い。
とはいえ、人がいなくなるということは仲の良い連中もいなくなるということでもある。竹丸も立川も買橋もみんな帰省してしまった。要は暇ということだ。花蓮は近くに年中いるけど、中学生女子と夏休みに遊びまくるというのはいかがなものか。
夏休みの宿題、三日で終わらせるんじゃなかったな……。テスト勉強の反省として、夏休み後半でわめきながら宿題をするのではなく、余裕を持って取り組もうと思ったのだ。夏休みをかけてじっくりやっていけばよかったと後悔している。
よく考えてみりゃ、夏休みなんて宿題以外することないってのに。じゃあ夏休みの宿題じゃなくて次のテストやこれまでの復習、センター試験に向けた勉強をすればいいんじゃないかという話になるが、そんなことはしない。人間の本質はそう簡単に変わるものじゃない。俺は勉強が嫌いなんだ。
俺はテレビのリモコンでチャンネルを変えていく。けれど、平日の昼間に高校二年生を満足させるような内容の番組はやっていなかった。どこもかしこも情報番組ばっかりだ。俺はテレビを切ってベッドに寝転がった。
「暇だなあ」
「実家に帰ればいいじゃないか」
ゼロが新聞のクロスワードパズルを埋めながら言った。
「帰ったところでやることがあるわけじゃねえよ。第一、帰ったらお前一人になるぞ。外に出れないお前は生活できない」
「花蓮ちゃんからご飯をお裾分けしてもらえばいい」
「花蓮なら断らないだろうけど、迷惑この上ねえな。そもそも、不審者を部屋にほったらかしにできねえよ」
ゼロはけらけらと笑った。
「そりゃそうだ。でもそれだと、君はお盆にも帰れないんじゃないかい?」
「そうなるな。ま、もともと帰る気はねえけどな」
「どうして?」
「面倒だから」
ゼロは呆れたような表情になる。
「なんだいその理由は……。実家はどこにあるんだい?」
「ぎ……名古屋」
ゼロは天井を仰ぎ、
「名古屋か……。名古屋で下条というと、やっぱり真紅郎の家は自動車産業で有名な『シモジョー』なのかな?」
「まあ一応な」
「『シモジョー』には大変美人で優秀なご令嬢がいると聞いたことがある。お姉さんかい?」
「ああ。ここの卒業生だ。よく知ってるな」
何気ない風に尋ねるとゼロは胸を張って答えた。
「僕の家もそれなりの名家だからね。その手の情報はそこそこ耳に入ってくるんだ」
へぇ、それは意外だ。意外というのはゼロの家が名家だと知ったからではない。家出して家から追っ手が放たれるくらいには良家だというのは知っている。俺が意外に思ったのは、ゼロが自分の家の話をしたところだ。今まで自分のことなど話もしなかったというのに。
「どんな家なんだ?」
この調子ならゼロのことを聞き出せるかもしれない。
「どんな家と訊かれると困るな。言ってもたぶん信じないだろうから」
「どんな名家だよ」
「名家は名家だけど、普通の人間が考えるような名家じゃないんだよね」
「意味わからん。有名なんだよな?」
「世界中の極一部の人たちに有名だね」
「余計意味わからん。陰陽師とかエクソシストの一族だったりすんのか?」
「そんなわけないじゃないか」
ゼロが失笑しながら言う。お前がはっきりしないからだろうが。微妙な苛立ちを覚えていると、突然鍵が解除され部屋の扉が開いた。
「おっはよー! 真紅郎くん! ゼロくん!」
「おはよう花蓮ちゃん。まあ、もう昼だけどね」
唐突に現れた花蓮にもまったく動じずゼロが返事をした。かくいう俺もそれほど驚いたりしない。よくあることだからだ。しかし言っておきたい。
「花蓮。合い鍵あるからって勝手に開けて入ってくんじゃねえよ。ノックすりゃ開けるから」
「別にいいんじゃん。私と真紅郎くんの仲でしょ?」
「仲は良いけどそういう系統の仲の良さじゃねえだろ」
「それはそれとして――」
無理やり会話を切り返すな。
「今日の夕方、夏祭りにいこうよ」
「夏祭り?」
久方ぶり聞いたその単語を思わず反芻してしまう。花蓮はゼロの隣に腰掛け、
「毎年やってるやつだよ。去年もあったじゃん」
「そうだったか?」
「そうだよ」
俺は腕を組んで記憶をほじくり返すけれど、特に思い出せなかった。こいつなら去年も誘ってきそうなものだが……。
どうやら自信満々に言っていた花蓮の記憶にも俺を誘った事実はないらしく、あれ、という具合に首を傾げていた。何だ何だ? いきなりSFの香りがしてきたぞ。俺と花蓮が夏祭りにいったのは別の世界線、もしくは別の時間軸だったりしたのか? 誰かタイムベントとか使ったのか?
考えているとゼロが口を開いた。
「真紅郎が夏風邪でもひいてたから、花蓮ちゃんが誘わなかったんじゃないかい? だから真紅郎は知らなかったとか」
「あ、それだ」
俺は指ぱっちんを鳴らした。思い出した。そういや去年のこの時期、俺は夏風邪をひいて三日間くらい寝込んでた気がする。
花蓮も思い出したようで納得したように首肯していた。
「真紅郎くんも風邪ひいてて、雨も降ってたからいかなかったんだ。花火も上がりそうもなかったし。流石はゼロくん。良い勘してるね」
「お褒めに預かり光栄だよ。にしても、花火も上がるんだね」
ゼロが関心したように呟いた。しかし花蓮はやや肩をすくめ、
「まあ大した花火じゃないけどね。けど、年に一度のイベントだし人はかなり集まるよ。ゼロくんもいこうよ」
花蓮の最後の言葉に俺は反射的に顔をしかめてしまった。
「おい無茶言うな。どうやってゼロを学外に出すんだよ。制服と学生証が必要なんだぞ? んなもん用意できねえだろ」
俺の反対意見に花蓮はふっふっふっと笑みを浮かべた。
「真紅郎くん、やっぱり知らないみたいだね。夏休み中は私服で外出してもいいんだよ?」
あまりの衝撃に俺の中で雷が轟いた。口がぽかんと開いてしまう。……そ、そうだったのか。外に出る度にいちいち制服に着替えていた俺は何だったんだ。凄え真面目な学生みたいになっちまってるじゃねえか。実際は部屋に不審者を匿っているという、この学園随一の不真面目な生徒なのに。
「服はいいとして、学生証はどうすんだ?」
「真紅郎くん……まさかこの私が、学生証ごとき入手できないとお思い?」
「おい……まじか? それは流石にやばいだろ。よくわからねえけど、刑法を犯してそうなことじゃねえか?」
胸に不安が募る。が、幸運なことに花蓮はあっけらかんとした口調で、
「うん。まあ流石の私でも本物の学生証を入手するのは無理だったから、自作したよ。ほら」
花蓮はポケットからプラスチックのカードを取り出した。そのカードには蓮修学園の学生証と似た文字、更にはゼロの顔写真まで印刷されている。そういえば、前に花蓮がゼロの写真を撮っていたような気がする。このために撮ったのか。
「どうしたんだ、これ?」
「だから、自作したんだよ。今日までの夏休み、これを作るのに費やしてたの。まあ、大分ちゃちい出来だけどね」
「まあ、近くでよく見れば一発でばれるね」
プラスチックカードを受け取ったゼロが言う。
「そうなんだよねぇ。けど財布に入れて素早く見せるくらいなら大丈夫だと思うよ」
「大丈夫か?」
花蓮の楽観的すぎる考えに疑問を呈する。しかし花蓮は予想済みとばかりに笑みを浮かべた。
「これ見せて学園に入るのならともかく、外に出る分には問題ないと思うよ。もとから中にいたんだから、在学生にしか思われないだろうし。一応、未だに不審者が潜伏してる可能性があることになってるけど、真面目に不審者のことを考えてる人なんていないから。……お母さんはまだ警戒してるっぽいけど」
「駄目じゃねえか」
理事長は夏休みにも関わらず毎日校門の監視カメラをチェックしているらしい。
花蓮は軽くっても右手を左右に振り、
「大丈夫だって。流石のお母さんも学園の誰が残ってて誰がどんな格好してるのかは把握してないから。帽子被ればばれないよ」
「そういうもんかねぇ」
個人的には滅茶苦茶不安なのだが……。まあ俺の都合ばかり言ってもしょうがない。俺は当人に尋ねることにした。
「ゼロ。お前はどうしたい?」
「僕? 別にいっても構わないよ。せっかく二人と出会えたんだし、思い出の一つくらい作っておきたいからね」
「さっすがゼロくん! わかってるぅ!」
花蓮が拍手しながら言った。
まあゼロならいくと言うだろうなと思った。こいつ、妙に楽観的なところがあるからな。本人曰わく、余裕の表れ、らしいけれど。
「じゃ、夕方にこっちくるからねー」
花蓮は楽しそうにははしゃぎながら部屋から出ていった。
その様子を見ていたゼロはプラスチックカードを枕に置き、
「花蓮ちゃんって、真紅郎や僕以外に親しい人がいないのかい?」
「ああ。汚れ仕事してるからな」
「そうか……。何というか、彼女も大変なんだね」
「だと思うぞ」
自分の母親が理事長とはいえ、抜き打ち寮監なんて多数の生徒から嫌がられることは普通の人間にはできない。