現場検証
俺と花蓮は空になったプリンのカップをじっくりと観察した。カップの材質はガラスで『ステファニー』のロゴが入っている。プラスチックじゃないところに高級さを感じるな。店名を聞いたときはてっきりローマ字なのかと思ったが、普通にカタカナだった。
プリンはカップの側面や底にちょっとだけこびりついているだけで、完全に食されてしまっている。カラメルの残りがカップの底を微妙に茶色に染めていた。
花蓮から悔しそうな声が漏れる。
「くっ……! 酷いよ、こんなの! 何でプリンがこんな目に!」
「そりゃプリンだからな。食われてなんぼだろ」
軽くスルーしてカップを再び観察するが特に変わったことは何もない。
他にどこを調べればいいだろうか。プリンを食べるには冷蔵庫を開けて……そうだ。スプーンがいるか。シンク周辺にスプーンは見当たらない。洗って食器棚に戻したのだろう。水道から思い切り水を出せば流石に俺たちが気づくが、ちょろちょろくらいの水量ならたぶん気づかない。
食器棚の引き出しに手をかけ引っ張った。
「あれ、開かねえ」
「あ、その食器棚の引き出し、思い切り引っ張らないと開かないよ。良い言い方をするとアンティーク物。悪い言い方をするとボロいから」
花蓮のアドバイスに則って思い切り引いてみた。ガタンと音がして、引き出しが開いた。中にあった箸やフォーク、スプーンが衝撃で揺れる。そういえばさっき、花蓮がプリンを食べるといってキッチンに向かった直後にこんな風に大きな音が鳴っていた。
俺はスプーンを一本ずつ調べていく。水滴や水気がある物はなかった。まあハンカチとか布巾とかで拭けばそもそもそんな証拠残らないんだけど。念のためフォークや端も確認してみたが、特に変わったところはない。
「特に有益な情報はなさそうだな」
若干の徒労感を覚えたが先ほどから神妙な表情を浮かべていた花蓮がポンと手を叩いた。
「そうだ」
「どうした?」
「有益そうな情報を見つけたんだよ。私たち、三人がキッチンにいるとき、その引き出しが開く音を聞いてないよね?」
「言われてみれば……」
引き出しは結構大きな音が鳴る。おまけに開けた衝撃で中のフォークやスプーンから金属音も響く。そこまで勉強に集中していなかった俺たちだったら、絶対に気づくはずだ。
「音を立たせずに引き出しを開けることはできるか?」
「無理だと思うよ。結構力入れなきゃいけないから。弱い力でゆっくり……みたいなのはできない」
断言する花蓮を余所に、俺はものは試しとばかりに引き出しをゆっくり静かに引っ張ってみた。が、微動だにしない。
「駄目だな」
「そう言ったじゃん」
「スプーンの代替品になりそうな物はないのか?」
「うーん、ないね。お玉とかじゃカップに入らないし」
俺は腕を組む。
「じゃあ犯人は一体どうやってプリンを食べたんだろうな。素手とかか?」
「それはないんじゃないかな。カラメルとかも割と綺麗に食べてあるし」
花蓮はプリンのカップを手に取り、
「それにいくつものプリン並びにカップに入っているスイーツを食べてきた私にはわかる。このカップの食べ跡は絶対何かで掬って食べたときの物だ、とね」
花蓮の言葉には凄まじい自信が宿っていた。けど確かに、よく見ればカップの側面を何かでなぞったような軌跡ができている。これは側面に付着しているプリンの細かい残骸をスプーンで掬ったときにできた物だろう。人間の指でもできるかもしれないが、それならもっと綺麗に残骸を食べれるはずだ。それに花蓮の言うとおり、指だけでカラメルをここまで食べるのは時間的に厳しい。
「ってことは、犯人はあらかじめスプーンを抜き取っておいて、それを使ったのかもな」
「違うと思うよ。お母さんと風間さんが食器の数をちゃんと数えてるから。二人が共犯なら別だけど、それなら二人同時に入ってきてお互いの証人になればいいだけだし。そもそも――」
花蓮が食器棚の引き出しを開け、今までずっと握っていたスプーン――プリンを食べようとしたとき引き出しから取った物――を戻し、スプーンの本数を数えた。
「家にあるスプーンの数は全部で八本。ここに全部揃ってるから真紅郎くんの推理は間違ってるね。全部あるってことは犯人が使ったスプーンを戻したってこと。つまり引き出しを開けたってことになる。けど私たちは音を聞いてない」
俺は顔をしかめる。
「何か妙に冴えてんなお前」
「そりゃ『ステファニー』のプリンことだからね。頭もフル回転するってもんよ!」
「常にフル回転させとけよ。そうすれば成績よくなるぞ」
「それは無理」
即答すんな。テスト前しか集中力を発揮できない俺がつっこむのもおかしな話だが。
俺は顎に手を添え他の可能性を思案する。
「だったらこういうのはどうだ? 犯人はあらかじめこの家の物とは別のスプーンを持ち込んでたんだ。それでプリンを食ったってわけだ。いくら何でも計画的すぎる気はするけど」
自分で言ってて釈然としない。この推理通りだとしたら、犯人がプリンを食べることに全力を尽くしすぎている。流石にそこまでして行うことではないように思う。
花蓮も同じ考えだったようで首を振り、
「それだとさあ、犯人の想定してるシチュエーションがわからないんだよね。私は普段基本的に自分の部屋にいるわけで、今日も真紅郎くんを呼ばなかったら部屋にいたと思う」
「そういや、お前の部屋にいったことねえな」
思い出したかのように呟くと、花蓮はやれやれと肩をすくめた。
「いくら真紅郎くんと言えど、殿方をそう易々と自室に上げるわけにはいかないよ」
「お嬢様ぶんな」
殿方て……言ってる奴初めて見たわ。花蓮は頬を膨らませ、
「実際にお嬢様だもん」
「それもそうだな。じゃあ精神をお嬢様ぶんな」
「そう言われたら何も言えないけど……。本題に戻ろっか。とにかく私はリビングにいる時間よりも自室にいる時間が長いの。だからわざわざ私が近くにいる前提のそんな計画は、そもそも立てないんじゃないかなあって」
「なるほど。それに、計画的な犯行ならわざわざ花蓮のすぐ傍で食べるリスクを負わずに、プリンを一旦室外へ持ち出した上で食べればいいだけの話か。それをしなかったってことは、たぶん突発的な犯行……魔が差したみたいな感じだったのかもしれねえな」
「そういうことだね。とりあえず、わかってることをまとめてみようよ」
まず、犯人は理事長、風間さん、蓮香さんのうちの誰か。プリンはスプーンないしそれに近しい物で食べられている。犯人はスプーンなどが入っている食器棚の引き出しを開けていない。この家にスプーンの代わりになりそうな物はない。犯行は突発的なものだと思われる。
「こんなところか」
「だね。……まとめたはいいけど、何もわからないね」
花蓮ががっくりと肩を落とす。
「そうだな……。じゃあ次は関係ありそうなことを時系列順にまとめてみるか。確か、昨日の午前中にプリンを買ったんだよな?」
「うん。お一人様四つまでだったから四つ買って、冷蔵庫に隠して置いたの。今思うとタッパーの裏に隠すだけっていう杜撰な隠し方だったから、家の全員にばれてたかもしれない。今日のお昼に食べたとき、誰もプリンにつっこんでこなかったから」
「プリンを食べるの一日待ったんだな」
「うん。洋菓子店『スイミー』のロールケーキもあったからね。昨日そっちを食べ終えたってわけ」
太るぞ。と、つっこみたいが、喚かれそうなのでやめておく。
花蓮は話を続ける。
「で、今日のお昼に私はプリンを三つ食べた。この間にお姉ちゃんが買い物に出かけて、私がプリンを食べ終えた。お母さんと風間さんが食器を洗ってきっちりしっかり余すことなく食器棚に戻した。その後、お母さんは仕事に、風間さんは庭のお手入れをしに家から出た。それから真紅郎くんが家にきて……あ、そういえば私が自分の部屋から勉強道具を取りにいったとき、真紅郎くんリビングに一人になったよね」
「ああ」
「まさか真紅郎くんが……!?」
「違えよ。冷蔵庫にプリンがあることなんて知らねえし、お前がどのタイミングで戻ってくるかもわからない。食べるわけないだろ」
「冗談だよ。真紅郎くんがきてしばらくしてから、お母さん、風間さん、お姉ちゃんの順番でやってきた、と。こういう感じだね」
俺は唸り声を上げる。
「うーん……まとめたはいいけど、特に発覚した新事実みたいな物はねえな」
少しばかりの落胆を感じていると花蓮が首を振った。
「ううん。一つだけわかったことがあるよ」
「まじかよ。お前今日はほんと冴えてんな。それで、何がわかったんだ?」
「犯人の動機……の、おかしさ」
「動機? プリンを食べることじゃねえのか?」
「それはそうなんだけど、ただプリンを食べることとは違うってこと。だってさ、プリンを食べるだけなら自分で買えばいいだけの話でしょ? お母さんもお姉ちゃんもお金持ってるし、風間さんだって高い給料もらってるからプリンの一個や2個くらい買えるはずなんだよ」
納得して頷く。
「確かにそうだな」
「それに、もし食べることそのものが目的なら、昨日の私が留守の間とか寝てるときに食べればいいわけだし。プリンは隠してたけど、さっき言った通り杜撰な隠し方だったから、みんな気づいてたはずなんだよ。冷蔵庫の中を三秒くらい見つめれば絶対気づくくらいだったから」
「本当に杜撰だな、それ」
「うん。というかよくよく思い返してみれば私が『ステファニー』から帰ってきたとき、プリンの入っていた紙箱を全員に見られてたから、冷蔵庫に何か隠されてるのはバレバレだったと思う」
隠したことが何の意味も持っていないような気がする。まあそれはさておき、
「花蓮。今日の昼前はどうしてた?」
「自分の部屋にいたよ」
「ってことは、昼前なら犯人はいつでもプリンを食べることができたわけだ。つまり、犯人は昼から犯行に及ぶまでの間にお前のプリンを食べる必要に迫られてたってことになる」
「そうなるね。となると、ますます計画的な犯行とは思えないね。スプーンをあらかじめ用意しておくのは無理じゃないかな。……あれ? でも買い物にいったお姉ちゃんならスプーンを手に入れることができる。突発的な犯行だったからこそ、私がリビングにいてもプリンを食べれるように準備したって可能性もなくはないよね? あいつが犯人だったのか!」
「待てよ」
ヒートアップする花蓮を冷静にさせる。
「蓮香さんって確か車持ってたよな?」
「うん」
「車があれば近くのスーパーまで十分もかからずにいける。なのに蓮香さんは昼に出かけて三時ちょっと前に帰ってきたんだぞ? 徒歩でいったとしてもこんなに時間はかからない。お前がおやつにプリンを食べる可能性が高いのは目に見えてわかることだから、これは不自然だ。お前が三時ちょっきりにプリンを食べる確証はない。三時が近づけば食べるかもしれないわけだからな。だから、蓮香さんがあらかじめスプーンを買っていたということはない」
どうやら俺の脳も冴え渡ってきたようだ。
花蓮は納得いかないように首を傾げ、
「偶然スプーンを買ってたってことはないの?」
「可能性はあるけど、スプーンなんて買うか? 俺は生まれてこの方スプーンを買ったことなんてないぞ」
「私もないけど、可能性はゼロじゃないでしょ?」
俺たちの間に沈黙訪れた。まあ確かにそうなんだけど……。このままスプーンを買っていた買わなかった問題を話していても埒があかない。俺は自分の推理を述べるべく指を一本立てた。
「俺の考えでは理事長は犯人じゃない」
「どうして?」
「一番最初に部屋にやってきたからだ。あのまま理事長しかこなかったら、犯人は理事長で確定してたろ? だから犯人は先に誰かがリビングに入ったことを知ってたから犯行に及んだと思うんだ」
なかなか上手い推理だと思ったが、花蓮は不満げな顔になる。
「プリン食べるだけなのにそこまで考えるかな? 真紅郎くんも言ってたけど、これって突発的な犯行だと思うんだよね」
「偶然目撃してたんだよ」
「偶然って言っても風間さんもお姉ちゃんも外にいたから誰かがリビングに入ったかなんて目撃できないよ」
「実は家の中にいたとか」
「玄関の靴でわかるよそんなの。お母さんも風間さんも外から家に入ってきたわけだから」
「そ、そうか」
それっきり、俺たちは黙り込んでしまった。
もうこれ以上は真相解明へ前進できる気がしない。そろそろ最終兵器を投入するときがきたようだ。
俺はスマホを取り出し、
「花蓮。俺の部屋の電話番号知ってるか?」
「え、うん、知ってるよ」
「教えてくれ。部屋に電話してゼロに出てもらう」
不審者たるゼロが部屋にかかってきた電話に出るとは思えないが、不自然なかけ方をすればあいつなら俺だと察してくれるはず。例えば、ワンコールで切る、という行為を三回繰り返した後にちゃんとかけるとか。
花蓮から部屋の番号を聞き――自分の部屋の電話番号など憶えてないのだ――、電話をかけた。容疑者の三人は部屋にいないので周囲をきにせず話せる。
ワンコール。切……ろうとしたら、
『もしもし下条です』
俺が出た。いや違う。俺の声真似をしたゼロだ。
「早い!」
『何がだい?』
「ワンコールで切るのを三回繰り返そうと思ってたんだよ。お前を不審がらせて電話を取らせるためにな」
『そんなことしなくても、受話器に表示される番号が携帯番号だから気づくよ』
「俺の番号を知ってたのか?」
『知らないよ。けど今まで部屋の電話が鳴ったことなんてがなかったし、表示されてた番号が明らかに携帯番号だった。真紅郎が僕に用があったのかと思ったんだよ。真紅郎に用がある人なら、真紅郎のスマホに連絡するだろうからね。まあ念のため君の声真似で出たけど』
「めっちゃ似てたよ。俺が出たかと思って一瞬びっくりしたわ。……いや、それはどうでもいい。お前に聞いてほしいことがあるんだ」
俺と花蓮は事件の発生、容疑者から聞いた話、二人で行った考察などを事細かにゼロに伝えた。
全てを聞き終えたゼロは呆れ混じりに、
『こんなことに頭を使うなら勉強にそのエネルギーを注ぎなよ。もったいない』
「うるせえ。勉強よりもこっちの方が楽なんだよ」
『普通の人はこんな推理ゲームみたいなのよりも勉強の方が楽だと思うよ』
「もう! そんなことどうでもいいから! 犯人を教えてよゼロくん!」
言い争う俺とゼロに花蓮が割って入ってきた。スマホからため息が聞こえてくる。
『花蓮ちゃん。聞きたいことがあるんだ』
「なあに?」
『君の買ったプリンのカップには蓋はあったかい?』
「え、うん、あったよ。プラスチックの取り外せるやつが」
『それは今もある?』
「あ、そういえばないね」
『そうか。じゃあもう一つ確認したい。キッチンのゴミ箱に蓋の中はどうなってる?』
俺はゴミ箱の前に立つ。
「ゴミ袋があるだけで空だな。風間さんがゴミ出ししたんだから当たり前だけど」
自分で言って気づいたことがあった。しかし、
「お前の言わんとすることはわかったけど、だからって犯人は――」
『わかるよ』
「え?」
予想外の返答に間抜けな声が出た。
『こんな謎、僕にとっては無に等しいね』