File:24 不足
今年は梅雨があったとは思えない程、雨は降らず、気温ばかりが高くなってゆき、何とも季節感が乏しい気がします。
とは言え、明日が来る事に変わりはないので、熱中症などには十分留意して皆様はしっかりと休んで下さいませ。
そんな皆様の休日の一時に楽しんで頂ければ幸いです。
扉が開く。
社は後ろに何かがいる事が分かった。
確認は出来ない。
それは熱も出さず、音も出さず、存在した。
振り向く事も、動く事も、許されていなかった。
社の自由は奪われた。
拘束された。
硬直。
それは恐怖によるものであった。
それは絶対的な恐怖であった。
それは強制された恐怖であった。
それは恐怖を体現した様な存在であった。
それは恐怖する事を決定付けられているかの様であった。
正面に座る2人の様子を見る限り社は彼女らも同様なのだろう。
それは近付く。
恐怖は近付く。
それは社が座る椅子の後ろで止まる。
地鳴りの様な低い音が鳴る。
『ふむ、そうか』
そう言ってそれは社の瞳を覗く。
見透かされたいる様な感覚に社は不快感を、嘔吐感を覚える。
『知は見た、勇を見せよ』
不和に重なる音階が3者の鼓膜を打つ。
体がそれに促され、勝手に動く。
社の手は自身の意志とは関係無く、手を伸ばしていく。
それは熟れた赤、鮮やかな赤、一般的周知は聖書においての知恵の実であった。
少女も林檎を手に取っていた。
清は社と少女が手に取ったものを確認してから伸ばした手を引き戻した。
それは自然に、当然の様に口へと運ばれた。
意識が暗転する。
感じられるのは程良い温かさの中を漂う様な感覚。
音が鳴る。
その音は複数の音階が奇妙に重なり、混ざり、到底人、人間、人類には理解出来る筈もないそれが耳に付き、脳内を反芻する。
『知ある者よ。その知があれを食する勇が、実を結ぶ事を我を望んでいる』
◆◇◆◇◆
『現在のイベント参加者人数12537人。
内、現在のイベント失敗者人数761人。
イベントのクリア者が1名出ました。
情報公開などは一切ありませんので悪しからず』
広間のウィンドウ。
参加者人数と失敗者人数ばかりが加算されてゆく。
その様な事が、それだけがイベント非参加者達が見ていたウィンドウに齎される変化であった。
しかし、それが変わる、それに終止符が打たれる。
クリア者1名の表記。
興るは歓喜、興るは叫び、興るは切望、興るは絶望。
それは漸くクリア者が出たと言う声、歓喜。
それは自身がそうであるならばと言う声、叫び。
それは開示されない情報を欲する声、切望。
それはそれらを参加せずに思う事しかしない自身への絶望。
しかし、自身がそうなれずとも、その他者がどのような人物であるか知らずとも想像し、話題に、肴に出来ると言うのだから気楽にやってゆく事だろう。
喧騒、騒ぎ、他者の事であるにも関わらず、広間の一部で祝杯とまでは言えないがどんちゃんと始める。
そして盛り上がるは誰が第一クリア者であるのかを議論するスレであった。
公開されないのだから本人しか分からないのにも関わらず、尽きないものである。
◆◇◆◇◆
社は目覚める。
そこは白ではなかった。
程良く手入れされた柔らかな卵色の天井を視界に収めながら社は目覚めた。
肌に触れるのはしっとりとした感覚。
鼻腔を擽るのは甘い匂い。
しかし、感じられるのは違和感。
それは普段とは似て非なる目覚め。
それは時刻が夕方である事。
それは隣で寝ている人物が1人から2人に増えている事。
何より借り部屋の扉が開き、声を掛けられた事。
「社会様、社会様はいらっしゃいますでしょうか」
社は目覚めたばかりの脳を廻す。
はてこの声の主は誰だろうか?
廻す、廻す。
「いらっしゃらないのですか?」
聞こえるは足音。
恐る恐ると言った様子のしどろもどろな音であった。
「申し訳ありません、今向かいますので少しお待ちを」
社は寝具から起き、声の元へと歩を向ける。
「ぁ、いらっしゃいましたか、社会様」
寝起きで少しばかり乱れている衣服を整える。
「遅くなりました、それでご用件は?」
「いえ、こちらこそ急に押しかけて来ているのですから遅くだなんて思いませんよ。
それで、用件はと言いますと実はこの街郊外に多くのモンスターが集まって来ているそうなのです。
理由は未だ分からないのですが、このままでは大変な事になってしまいます。
ですので、社会様の御力を見込み御頼み申し上げます。
どうか、どうかこの街を御守り頂けませんか?」
女主人の弱い声。
それは普段の女主人からは考えられない程の声音。
せめては、と肩は抱いていないが震えている。
社に断られればどの様にこの街が、と想像してしまったのだろうか。
それは定かではない憶測に過ぎない。
けれど、けれどそれらが想像される程にと言う事なのだろう。
黙考する、黙考する。
社は思考を廻す。
「それは可笑しくありませんか?
女将さん、何せこの街には多くの戦闘能力保有者が居るのですから、私単体などに依頼せずとも良いのではありませんか」
そう可笑しいではないか。
この世界には多くのプレイヤーが存在するのだから、直に社へ頼みに来る意味は無いに等しい。
集会所に依頼を出せば自身の実力と折り合いを付けて誰かが。
いや、今回の様な場合であれば集会所に屯している人や、まだ然程大きくないがβの人等が作ったギルドが加勢する筈である。
であるならば、一個人である社に頼みに来るのはどの様な場合であろうか。
「────し、失礼ながらその通りです。
しかし、今現在は本来であればという言葉が付きます」
女主人はゆっくりと言葉をどの様に言葉選べば良いのだろうかと、戸惑ったようだがきっぱりと言い切る。
「と、言いますと?」
「この街の兵はそれを観測して即座に戦闘に備え用意をし始めています。
しかし、それでは明らかに戦力が足りなかったので集会所に街の長から大型の依頼として加勢依頼が出されたのですが、人が集まらなかったのです。
街からの依頼とだけあって報酬は悪くない筈なのですが、どうしてか街に居た冒険者の方々が多く居なくなったのです。
ですのでこうして私の様に宿などを経営している人が、実力のある人に声を掛けて回っているのです」
人がいない?
人がいない。
イベント参加している為だろうか。
であるならば、人が少ないのも理解できる。
寧ろ当然の事であろう。
であるなら、何故今の様なタイミングで多量のモンスターが現れる様な事が起こっているのだろうか。
いや、このタイミングで敢えて運営はモンスターの大量発生が起こる様にしてのではないか。
表のイベントが白の部屋、と仮定するならばこれは裏のイベントであるとは考えられはしないか。
断定するには早い、が凪ぐ事も成らないか。
「そうですか、事情は理解できました。
それを受ける事は吝かではありません」
「で、ではっ」
「ですが、受けるにしても2日後ですね」
「─────────え!?
そ、それはどう言う事ですか?」
「私が考えるにモンスターの増加の多方が止まるのは2日後ですから。
それまでは受ける事はできません。
それに、この考察もまだ確証があるわけではありませんから、幾つか調べなければならない事があります」
「いえ、そう、そう言う事ではなくてですねぇ。
その様に悠長にしていては街がモンスター等によって襲われてしまいます」
女主人は自身の頼みは失敗してしまったのだと悲壮感を漂わせてゆく。
「襲われてしまう、それ即ち襲われてはいないという事でしょう。
ならば今のうちに原因を把握する事も一手だというものでありませんか」
「襲われてからでは遅いではありませんか」
「何が、遅いのですか?
手を出してしまえば早いも遅いもなく、この街は狙われます。
であるならば、遅くなる前に手立てを、策を練りましょう」
「ぅぐ、それは───私に言われましても困ります。
しかし、一理あります。
分かりました、その様に具申させて頂きます」
女主人は顔を少しばかり歪ませる。
「そうですか。
しかし、一つお忘れ無き様に。
私は受けない訳ではありません。
2日後までに事が動かず、私が確証を持てましたら、全力を持って当たらせてもらいます。
それだけは、念頭に置いて頂けましたら幸いです」
それは了承、幾らゲームと言えど社としては現在の拠点であるこの街が、壊されてしまうのは望むところではない。
寧ろ全力を持ってその原因と成りうるモノを排除しなければならない。
それは何故か、論ずるまでも無い、言葉にするまでも無い。
それは思考するまでも無い、社の社と言う人物の考える、自己の存在意義そのモノなのだから。
現在この場所は社にとっては会社であるのだ。
即ち、絶対遵守すべきは此処であり、職場である。
女主人は足を半歩引いた。
それは自然な行動であった。
それは動物の摂理であった。
NPCと言うプログラムである彼女に取ってもそれは何ら遜色の無いモノであった。
女主人が感じたのは、静寂であった。
それは本来であるならば現在時刻では訪れぬモノ。
未だ、夕刻。
外は多くの人々で賑わっている。
市場然り、イベント然り、酒盛り然り、情報交換然り、遊び声然り、然り、然り、然り、然り、然り────────
それを、それは聞こえる。
けれど、この部屋に感じられるのは静寂。
それは最早、世界が止まっているかの様な感覚。
その中心が社である。
先程まで何食わぬ様子で会話していた相手。
で、ある筈であった。
「そうです。
一つお願いしたい事があるのですが、宜しいでしょうか」
それは言葉と共に凪いだ。
恰もその様な事は無かったかのように。
「は、はい。
何でしょうか、社会様?」
余りの豹変振りに女主人は意図せず答える。
それは客商売のさがとも言える情景反射。
利益を嗅ぎ付ける嗅覚。
「いえ、特別何、と言う訳ではありませんが、人が1人増えましたので3人部屋を用意して頂けませんか?」
そう、白の部屋で出会った少女をどういう訳か連れて帰って来てしまったのである。
いや、社としてはその様な予感はしていた。
それを前提として事も伝えた。
であるならば、それは故意に連れて帰って来たも同然である。
ならば、最低限の責任を取る事は自身の責務であると社は考える。
それ故の発言である。
「ええ、それは勿論良いですよ。
寧ろ3人部屋と言わず全部屋貸し切って頂いても結構なのですよ。
ふふっふ、冗談ですよ。
社会様は良い御客様ですからこれからも宜しくお願いしますという意味合いです」
女主人は先程の顔は嘘かの様に温かな微笑みを浮かべ冗談めかした声音でそう言った。
「それは、それは冗談と種明かしを先にされて良かったです。
その様に言われては私と言えど全部屋借りてしまう所でした」
それは普段の社からすればとても稀な返答であっただろう。
「それは損な事をしてしまいましてね。
それじゃ、損を被ってしまった私の御願い事を聞いてくれませんか」
無邪気な馴れ合い。
「そうですね、私に出来る程の簡単なものであれば、と言わざるを得ないですね」
「何、簡単な事ですよ、子供でも出来ます」
「ほう、それは?」
促す。
「私の事を名前で呼んで下さいよ。
社会様が此処を借りる様になってからどれだけ時間が過ぎたと思っているのですか。
全く、嫌われいるのでは無いかと心配してしまいますよ」
それは女性ならではの怒っていますよ、憤慨です。
と、況や、アピールなのであろう。
「それは難しいですよ」
社は眉を顰める。
「ふへぇ、どうしてですか?」
女主人は思わぬ返答に素っ頓狂な息を付く。
「どうして、ですか。
幾ら胸元の名札に名前が書いていようとも、自己紹介をしてもいない女性の名前を勝手に呼んでしまっては『セクハラ』と、訴えられてしまいます」
社は呆気からんと言って返す。
「あら、社会様には私がその様な事をする女性に見えていたのですか?」
女主人は慎ましやかな胸部の前で腕を組み、そっぽを向いてそう言った。
「いえ、その様な事は決して。
しかし、態度には平等性が不可欠かと考えますので、その理念に則た行動を取っていたのです。
ですので、呼んでくれと頼まれれば心地が良い程ですよ、アリア―テさん」
「────────っ!!
な、名前を呼ばれて恥ずかしいと思ったのはこれが初めてです」
薄らと女主人は紅化粧をしてか細い声で言った。
「それは申し訳な事をしてしまった。
しかし、それは私にはどうしようも出来ませんね」
「いえ、御気に為さらず。
それで、3人部屋で御座いましたね、社会様」
女主人は未だ頬を染めながら社の目を覗き問うた。
「ええ、間違いありません」
社も端的に返した。
「では、ご案内いたしますので荷物が纏まり次第、受付までお越し下さいませ。
それでは、御待ちして居ります」
女主人はそう言って踵を返した。
扉を閉める。
「社会様、やけに楽しそうではありませんでしたか?
私、妬いてしまいます」
扉を閉めるなり、清が後ろから現れ社の服の袖を掴み言った。
・・― ―・――・ ―・―・- ・―
壁を叩く音が社の耳に届く。
端的な言葉、寝起きに騒がれれば誰しもが思う事であろう。
社とて思う事があるだろう。
しかし、今回ばかりはその意見を鵜呑みにする訳にはいかない。
何せ、2人部屋から3人部屋へと移るのだから。
とは言え、借りている部屋であるそう汚す事は当然しないとしても、いつかは出る事となる部屋である。
片すと言える程の物を出してはいない。
◆◇◆◇◆
30分程過ぎ、社は受付の前に立った。
「遅かったですね、社会様」
突き刺さるは女主人、アリア―テからのジト目であった。
「こちらから頼んでおきながら申し訳ない」
「御気に為さらないで下さい。
それでは、ご案内致します」
アリア―テはこちらですと言って、社たちを先導する。
連れられてやて来たのは三階であった。
そこには大部屋が二つあるだけであった。
そこの右側に案内される。
「こちらの部屋に成ります。
どうぞ、ごゆるりと」
そう言ってアリア―テは扉を開ける。
社は目を見張る。
これが本当に3人部屋であるのか、と。
社は振り返りアリア―テを見る。
しかし、何を考えているのか社には分からなかった。
何せ嬉しそうな顔をしていたのだから。
追求しようもない。
社が礼を言うとアリア―テは受付の方へと降りて行った。
中を確認してゆく。
キッチン、ダイニング、小さめの部屋と大きめの部屋が一つずつあった。
小さめの部屋には2段ベットが置いてあった。
大きめの部屋には現実で言うキングサイズのベットが中央に置いてった。
「大きいですね」
清は感心して様にベットや部屋内部を見て回る。
「これだけ大きければ2人で寝れますね」
「清、ベットが三つあるのですからそれぞれ別です」
「そ、そんなぁ。
社会様、あんまりです」
シクシクと清は口で言いながら、社の事を見る。
「何がですか、全く。
それよりもお腹が空きましたね、私だけでしょうか?」
社は少女がお腹をさすって空腹を我慢して居る事に気付きそう言った。
「そうですか、では少し早いですが夕飯にしましょう」
夕食は恙無く終了した。
分かった事はと言えば少女が小食であるという事くらいであろうか。
いや、その後結局、清に押し切られ3人でキングサイズのベットで寝る事となった事から、社がこの手の押しに弱い事もだろう。
社を真ん中に2人が両脇。
両手に花とでも言うべきなのであろうか。
清は仰向けで殆ど状態を動かす事無く朝を迎えるのだろう。
少女は非常に丸くなって寝ていた。
悪い夢でも見ているのだろうか。
少女は少しばかり振るえていた。
どうしてか眠れない社の腕に柔らかい感触が纏わり付いた。
少女は魘されていた。
「ママ、パパ。
わ──、───取れたよ。
─たし、ぃっぱぃ──────して──くなったんだよ。
でも、でも───────さみしいよ」
ここまで御付き合い下さり誠にありがとう存じます。




