亜麻色の髪の男編 第8話
マーガレットが恐る恐る目を開けると、そこは自分の家の応接室で、彼女の母や兄や弟、家令や侍女やコックに至るまで父親を除く全ての人が顔を揃えていた。
「マーガレット!」
魔術師の腕の中から降ろしてもらうと、母親が涙を流しながら抱きついてきた。
そして兄と、弟も駆け寄ってくる。
「ああ、無事でよかったわ!」
マーガレットの母は抱擁をとくと彼女の頬を両手で挟む。
「こんなにボロボロになってかわいそうに。さぞかしつらかったでしょう。さ、こちらに来てお座りなさい。メグ、マーガレットに温かいお茶をいれてあげて」
「はい!今すぐに」
マーガレットの侍女であるメグはにじむ涙をぬぐいながら食堂へと駆けて行った。
よく見ると家族以外の見知らぬ人が何人かいる。
彼らは魔術師に何事かをささやくと部屋から出て行った。
「リリアンヌ様」
自分の母親を呼ぶ声にマーガレットが振り向くと、マーガレットを連れてきてくれた魔術師が腰を折っていた。
「まあ、ごめんなさい。アレックス様。私ったら娘の無事な姿を見てつい我を忘れて」
リリアンヌと呼ばれたマーガレットの母親はそういって立ち上がると、深々と頭を下げた。
「娘を助けてくださって本当にありがとうございました。この感謝の気持ちはどんなに言葉にしても言い尽くせませんわ」
「いえ、マーガレット嬢が無事だったのはひとえに彼女の勇敢さによるものです。礼ならば彼女自身に」
「まあ、どういうことですの?」
魔術師はマーガレットを見て意味深に笑うと言った。
「私が到着した時にはすでに馬車は粉々。暴漢どものほとんどは動ける状態ではありませんでした」
「まあ!マーガレット、一体あなた何をしたの?」
驚く母に話を振られてマーガレットは曖昧に笑った。
部屋中から突き刺さる視線が痛い。
「えっと、それはまあ、その、自分の錬成した魔法石を使ったっていうか・・・」
「あら、そうなの。なんだかすごいものを造ったのね、あなた」
マーガレットの母は娘の婿探し以外にはあまり興味がないので、マーガレットが普段何をしているかよく知らない。
(そういえば、私魔術師様にまだお礼言ってない!)
マーガレットは慌てて立ち上がると、母がしたのと同じように深々と頭を下げた。
「危ないところを助けていただき本当にありがとうございました」
「このお礼は必ずさせていただきますわ」
お礼を言ったマーガレットに続いてリリアンヌがそう言うと、魔術師は困ったように眉を下げた。
「いえ、それには及びませんよ。マーガレット嬢にはいつも職場でお世話になっていますしね」
その言葉にマーガレットは頭を上げる。
「えっ・・と?」
マーガレットが頭上に無数のハテナマークが飛び交う。
それを見た魔術師はクスリと笑った。
「まだわかりませんか?」
魔術師はおもむろにローブの下からメガネを取り出しかける。
「え?そのメガネ、その顔・・・あー!!!」
「やっとわかってもらえましたか」
「しょ、しょ、しょ、所長!?」
「そうですよ。ほぼ毎日会ってるのに気づかないなんて、あなたもつれない人ですね」
「え、でも、だって、ほら、見た目が!雰囲気が!」
今目の前にいる魔術師は野暮ったさなど欠片もない、洗練された雰囲気を漂わせていた。
さらさらの銀の髪、切れ長の目にすみれ色の瞳、涼しげな口元には微笑を浮かべ、上質な深紫色のローブを羽織っている。
(確かに言われてみると声が同じだけど・・・)
マーガレットは気づかなかった自分にがっくり肩を落とす。
見かねた母が横から口をはさんだ。
「ま〜この子は今のいままで気づいてなかったの?本当にその鈍さは一体誰に似たのかしらね。魔術師様、ご不快な思いをさせて本当に申し訳ありません。この子にはよく言って聞かせますので」
「いえ、すみません。私も悪のりしすぎました。お嬢様をからかうとつい楽しくて」
「まあ、ホホホ。そう言っていただけると心が軽くなりますわ」
(なごんでいる!)
二人から置いてきぼりを食らったマーガレットはいまだに信じられない思いで目の前の魔術師を見ていた。
(そう、だよね。あの髪、あの目、あの口。所長に間違いない!でもどうしても信じられない・・・)
マーガレットは狐か何かに化かされたような気がしていた。
「では私は宰相殿にご報告に上がりますのでこれで」
「あらそうでしたわね。重ね重ねお手数をおかけして申し訳ありません」
「いえ、これも私の職務ですので。では」
そして魔術師もとい所長であるアレクはマーガレットを見ると薄紫色の目をいっそう優しくして微笑んだ。
「研究所にはしばらく休暇を申請しておきます。ゆっくりと体を休めてください」
「わ、わかりました。あの、助けていただいて本当にありがとうございました」
マーガレットは再び深々を頭を下げた。
母親や兄弟達、侯爵家に雇われている人たちも次々と頭をさげる。
「いえ、それではまた」
笑顔でそう言うと、アレクは杖で床をひと突きしその場から忽然と姿を消した。
マーガレットは彼のいた場所をしばらく名残惜しそうに見つめていた。
その後、早馬を飛ばして帰ってきた父親のきつい抱擁とその目に光るものをみて、マーガレットは心配をかけたことを心の底から申し訳なく思ったのだった。
***
その事件から1週間後、アレクはマーガレットの自宅の屋敷を訪れていた。
マーガレットがアレクを応接室に案内しようとすると、なぜか屋敷中の人間の連携プレーでこの東屋に彼を案内することになった。
マーガレットは不思議に思いながらもそこへ彼を案内し、彼はそこでこの事件の顛末を説明してくれた。
「犯人たちの目的はあなたの錬成した魔法石でした」
「え?」
思いもよらないことにマーガレットは驚く。
「私が錬成した魔法石を、なぜ?」
「戦争に使うためです」
マーガレットは大きく目を見開いた。
戦争。
確かに、彼女の開発した魔法石は戦場で多くの人の命を奪うのに、この上なくすごい威力を発揮するだろう。
現に彼女は身を持ってその力を体験している。
彼女自身が望むか望まざるかにかかわらず争いの中で使ったことによって。
「首謀者のルドルフ卿は自身の祖国であるこのリチリアを裏切って隣国カザブと手を結び、あなたをかの国へ送り届ける手配を整えていました。そして多額の謝礼金と、カザブが戦争に勝った暁には彼に重役のポストを与えることが約束されていたようです」
アレクはここで息をついた。
「舞踏会でルドルフ卿があなたに話しかけているのを見ました。きな臭い雰囲気の男だったので少し気になっていたのですが、あの時もう少し気をつけて手を打っていれば・・・」
マーガレットは落ち込んだ様子のアレクに慌てる。
「そんな!こんな事件が起こるなんて予測するのは不可能ですよ。所長は間一髪危ないところを助けてくださいました。私にはそれで十分です」
だがなおもアレクはやりきれないような表情でうつむいたままだ。
「しかしあなたに心の傷を負わせてしまった」
マーガレットはいつまでもうつむいたままのアレクに焦って彼の肩にそっと触れた。
「あの、本当に気にしないでください。私、心の傷なんて負ってません。ちょっとびっくりはしたけど大丈夫です」
マーガレットがアレクの顔を覗き込んでそう言うと、彼は泣きそうな顔をあげ彼女を見つめた。
マーガレットの心臓がどきりと跳ね上がる。
(なんて綺麗なの)
マーガレットは彼の持つ憂いを帯びた神秘的な美しさに、射抜かれたようにその場を動くことができなかった。
ふわりと彼女の背中に腕が回され、次の瞬間にはぎゅっと抱きしめられる。
「あ・・・」
マーガレットは突然のことにされるがまま抱きしめられていた。
「あなたが無事で本当に良かった」
「所長・・・」
マーガレットは彼の腕に包まれて言いようのない安心感を感じていた。
そして賊に捕らえられてからずっと我慢していた涙がこみ上げてくる。
「本当は・・・とても怖かったんです・・・」
彼の服をぎゅっと握りしめて言う。
心配をかけたくなくて、誰にも言えなかった気持ち。
「殺されたらどうしようって。誰も助けてくれなかったらって・・・」
マーガレットが涙声でそうつぶやくとアレクはいっそう強くマーガレットを抱きしめた。
「助けに行くのが遅くなって本当にすみませんでした」
マーガレットは首を横に振る。
そしてふと気づいた。
「そういえばどうして私の居場所がわかったんですか?」
抱きしめられたまま顔を上げると、すぐそばにアレクの綺麗な顔があった。
アレクは一瞬せつなげに瞳を揺らせた後、抱擁を解きマーガレットの両肩を掴んで彼女の身を起こさせると顔を背けて話した。
「あなたの魔力の痕跡を辿りました」
「魔力の痕跡?」
彼はマーガレットの疑問にうなずく。
「そうです」
そこでマーガレットは彼がすでに犯人の目星をつけていたことを知った。
「あなたが錬成した魔法石の報告書をあげたあと、大した時間も置かずにあなたがさらわれた。そこで私は犯人はあなたの魔法石が狙いなんじゃないかと考えました」
そこでマーガレットは、亜麻色の髪の男が”これがあんたの開発した魔法石か。権力者の連中が欲しがるわけだ”と言っていた言葉を思い出す。
「では、その魔法石が欲しいのは誰でしょう」
「戦争を起こしたい誰か・・・」
マーガレットの答えに、アレクはうなずく。
「そうです。そして隣国カザブは大陸きっての軍事大国。周辺諸国に対して虎視眈々と領土拡大のチャンスを今も狙っています」
マーガレットはブルリと震え両腕で自分の体を抱きしめる。
「今回の事件の首謀者であるルドルフ・ガング・ド・ノッキンガム伯爵はあなたが開発している魔法石の噂をどこかから聞きつけ、夜会であなたに探りをいれていたようですね」
そこでマーガレットはやっとあの首謀者の男のことを思い出した。
夜会でやたらマーガレットの魔法石について聞いてきた目つきの鋭い男。
魔法石の話ができると思って嬉々として話していたらこんな顛末になるとは・・・
自分の錬成バカもほどほどにしないと、とマーガレットは反省したのだった。
「この国と国境を接する国は3つありますが、2つは先の大戦で和平を結んでいてしかも国力が疲弊している。そうそう戦争を起こそうと考えるとは思えない。そこで戦後も着々と軍備強化を進めているかの国に目星をつけたのです」
「その国境を管理していたのがルドルフ・ガング・ド・ノッキンガム伯爵・・・」
マーガレットの言葉を受けてアレクがうなずく。
「そうです。そこであなたの行方がわからなくなったあと、伯爵の納める領土に捜索隊をやったのですが、隊が到着した時にはあなたはすでに何処かへ移動したあとでした。あの広大な土地でどこから隣国へ抜けるかあたりをつけるのは困難を極めます。そこで私は伯爵の屋敷から一定範囲内に自分の魔力を放ち監視することにしました」
「魔力を放ち監視する?」
「ええ。一定の範囲に自分の魔力を薄く広げるのです。そうすると、その範囲内で魔法の行使があった場合に位置が特定できます。もし私の知っている人物の魔力であれば、誰が魔法を放ったかもわかります」
(す、すごい・・・)
魔力は目の前の魔術師の規格外ぶりに驚いて目を見開いた。
「あなたが魔法を使ってくれたのは運が良かったです」
「あ、私が起こした竜巻・・・」
「あれのおかげであなたの居場所を知ることができました」
そういって彼は優しく目を細める。
「あれは・・・私も隣国へと連れ去られることはなんとなくわかったので、なんとしてもその前に逃げ出そうと思って・・・」
彼の優しいまなざしに照れたマーガレットは、うつむいて手をモジモジと動かす。
「あなたは聡明な人だ。そして勇敢で、美しい」
思わぬ美辞麗句に真っ赤になったマーガレットが慌てて否定しようと顔をあげると、アレクの薄紫色の真剣なまなざしと視線がぶつかった。
そしてゆっくりと彼の顔が近づいてくる。
マーガレットは突然の事に驚き固まってしまってどうしていいかわからず近づいてくるアレクの綺麗な顔を見つめていた。
その時。
ドサドサドサという音が背後から響いた。
びっくりしたマーガレットが振り返ると、そこには折り重なるようにして倒れている家人たちの姿が。
「ちょっ・・・、ジョセフにメグにお母様まで!?」
「わ、わたしは止めようとしたんです〜」
メグの悲痛な声に一行はにへらっと誤魔化すように笑うと、一目散にその場から逃げ出した。
「待ちなさい!こらー!」
彼らを追いかけて駆け出すマーガレットを目で追いながらアレクはほお杖をつきつぶやいた。
「これだけお膳立てしておいて最後の最後で邪魔しないでくださいよ」
その声にしっかり残念さがにじみ出ていたのは言うまでもない。