亜麻色の髪の男編 第7話
「おい、起きろ。出発の時間だ」
誰かが自分の肩をゆする感覚で目をさます。
「ん・・・出発?」
「お前よくこの状況でぐーぐー寝れるよな。感心するぜ」
マーガレットが眠たい目をこすりながら身を起こすと、昨日食事を持ってきた亜麻色の髪の男がマーガレットをあきれたように見下ろしていた。
「神経の太さが唯一の取り柄なの」
マーガレットは自分で言いながら、本当にそうかもしれないと思う。
「まあいい。今はちょうど昼過ぎだ。ここからまた2日ほどかけて移動する。そしてあんたとはそこでお別れだ」
「え?」
「悪く思わないでくれよ。これも仕事なんでね」
そういうが早いか男は再びマーガレットの頭に布をかぶせる。
「ちょ、ちょっと待って!私お腹が空いてるの!」
「あ?おいおい、起きたばっかだろ。もう腹が空いてるのか?」
「そうなの!私こう見えて大食いで・・・」
「ちっ、しょうがねえな。ちょっと待ってな」
そういうと男は部屋を出て行った。
もちろん鍵をかけることを忘れずに。
マーガレットはとりあえず、はじめにするべきこととしてトイレに駆け込む。
そしてトイレから出るとうろうろと部屋を歩き回った。
(まずいわ。もう移動するだなんて)
マーガレットは彼女なりに今自分がどの辺りにいるのか検討をつけていた。
昨日の夜暗闇の中で見たこの屋敷の広大な土地。
よほどの田舎でなければ屋敷にこれだけの土地を割くことは無理だ。
さらにだいたいの移動距離とお腹の空き具合からして馬車で移動したのはおよそ1日。
それを考え合わせると国境付近まで来ているかもしれない、とマーガレットは漠然と考えていた。
そして先ほどの”あんたとはそこでお別れだ”という男の言葉。
これらを考え合わせた結果、マーガレットには最悪の結論しか思い浮かばなかった。
つまり。
(隣国に引き渡される)
マーガレットの顔から血の気が音を立てて引いていく。
隣国へ引き渡されてしまうとさすがにマーガレットの父親であろうともおいそれと手が出せなくなる。
つまり助けがこない。
(その前になんとしてでも逃げ出さなくちゃ)
律儀に食事を持ってきた男はマーガレットが食べ終わるのを待つと、再び彼女の頭に覆いをかぶせた。
そして来た時と同じように両手首を縛ろうとする。
が、男はマーガレットの手首に縄でできた傷を見つけると、チッと舌打ちし自分の服のポケットをまさぐり始めた。
そしてポケットから取り出した布をマーガレットの手首に巻くと、その上から縄で縛る。
「あ・・・りがとう?」
彼女は自分を縛る目の前の男の奇妙な優しさになんとも言えない表情になった。
マーガレットは外へ連れ出されると今度はそのまま馬車の座席に押し込められた。
そのまま亜麻色の髪の男も乗り込んでくる。
今回は普通に座って移動できるらしい。
助かった、とマーガレットは思った。
ガタガタと馬車が移動を始める。
しばらくすると男がマーガレットの顔にかぶせてある覆いをとった。
そして男は腕を組みそのまま目を閉じる。
馬車の中は隙間から差し込んでくる光以外はほぼ真っ暗だった。
窓にも外側から木がしっかりと打ち付けてあって開きそうもない。
マーガレットはどことなく品のある男の横顔をちらりと見ると寝ていることを確認し、その建て付けの隙間からなんとか外を覗き見て逃げ出すチャンスをうかがった。
(開けた場所で逃げ出しても捕まるだけ。何か隠れる場所がなくちゃ・・・)
男はそんなマーガレットの様子をちらりと見るが彼女は気づかない。
マーガレットは目を凝らして外を伺いながら機会を待つ。
そしてついにその時が来た。
馬車が森の中へと入ったのだ。
マーガレットはポケットを握りしめ、小声で唱える。
「風よ、我の声を聞き、我に力を与え給え。ウィンドブラスト!」
男はその声にマーガレットを見るがその瞬間ものすごい突風に巻き込まれ馬車の外へと吹き飛ばされる。
マーガレットを中心に半径5メートルほどの巨大な竜巻が起こった。
粉々に吹き飛んだ馬車の破片や、周りを馬で並走していた男たちも軒並み竜巻に巻き込まれ空高く吹き飛ばされる。
マーガレットは自分が巻き込まれないよう竜巻がおさまるのを待ってから、地面に散らばる馬車の破片を乗り越え一目散に駆け出した。
意外に紳士的に接してくれた男にちょっと申し訳ないとは思ったが、彼は自分の近くにいたので被害はそんなに受けていないだろうと判断し、振り返らず駆けていく。
***
「はあっ、はあっ」
肩で息をしながらマーガレットは木にもたれてズルズルと座り込んだ。
(ここまでくれば大丈夫かしら・・・)
座り込んだまま息を整える。
(うまく逃げ出したのはいいけど、これからどうしよう)
荒野を徒歩で移動するには目立ちすぎる。
かといって、マーガレットには一番得意な風系統以外には火と水の魔法ぐらいしか使えないので、魔法で移動することなどもちろんできない。
そして先ほど風の魔法を使ったせいで持っていた魔法石は砕けてしまったので、もし追っ手に見つかると今度こそ身を守る手段がない。
なぜならマーガレットは自分の開発した魔法石なしでは、生活用程度の威力の魔法しか使えないからだ。
(どうか見つかりませんように)
縛られたままの手を組み合わせて額に押し当てる。
だがそんな願いもむなしく、カサリカサリと木の葉を踏みしめる音が響いた。
その音を聞いた瞬間、マーガレットは立ち上がって後ろも振り返らずに走りだす。
だがあせって足がもつれて転んでしまう。
「やるじゃねえか、姉ちゃん」
転んで放り出されたマーガレットの両手のすぐそばの地面に剣が突き立てられた。
「ひっ」
聞こえてきた声は馬車に同乗していた男のものだった。
男は剣を突き立てたまま彼女を見下ろす。
「あれがあんたの開発した魔法石の威力か。どうりで権力者の奴らが目の色を変えるわけだぜ」
「?」
マーガレットは男が何を言っているのかわからず彼を見上げた。
彼は地面に刺した剣をどけると彼女の腕を掴み立ち上がらせる。
「さ、来いよ」
そういうとマーガレットの腕を引き歩き出した。
「ちょ・・・来いってどこへ」
「お前、どこって決まってんだろ」
男の榛色の瞳が不機嫌そうにマーガレットを睨む。
そして男の口が何かを言おうとした瞬間、男が何の前触れもなく後方に弾き飛ばされた。
「ぐあ!」
木に激突した男がうめき声をあげる。
その時、ふわり、とマーガレットの視界全体が濃い紫色に覆われた。
そしてさらりと流れ落ちる銀糸。
深紫色のローブをまとい、不可思議な紋様のきざまれた杖を手にした魔術師が突如マーガレットの目の前に現れた。
「っつ〜!」
弾き飛ばされた男は頭をさすりながら、剣を拾い上げ立ち上がる。
だが男は魔術師の顔を見た瞬間、背を向け走りだそうとする。
魔術師はちらりと見えた男の顔に、目を見開くと男の背中に向かって叫んだ。
「待ちなさい!あなたは・・・」
すると男は背を向けたまま立ち止まる。
「あんたと戦う気はない。作戦は失敗。そっちのお嬢さんは連れ帰るなり好きにしてくれ」
男はマーガレットをちらりと見て付け加える。
「言っとくが擦り傷以外は”完全に無傷”だからな」
男はそういうなり、身を翻して去っていった。
(擦り傷以外は完全に無傷?擦り傷があったら無傷とは言わないよね?)
マーガレットは頭にハテナマークを浮かべながら逃げていく男の後ろ姿を見送った。
は〜っと大きく息を吐く音がしたかと思うと、目の前に立つ魔術師が振り返った。
薄紫色の瞳がマーガレットを見つめる。
「無事でよかった」
そう言うと、彼は彼女をきつく抱きしめた。
さらりと彼の銀の髪が二人を覆う。
(えっ?えっ?)
突然抱きしめられたマーガレットは混乱した。
しばらくそうしていた魔術師は彼女を抱きしめていた腕をほどくと、彼女の両肩をつかみ彼女の目をのぞきこんだ。
マーガレットは心配そうに揺れる魔術師のすみれ色の瞳を困惑したまま見つめ返す。
「本当に”無傷”なんですよね?もしあの男が嘘をいったのであれば地の果てまでも追って行って八つ裂きにしますが」
魔術師は至極真面目な顔をしている。
が。
(何かすごく物騒な単語が聞こえたような・・・)
マーガレットはとまどいつつも、自分の体を確認し答えた。
「はい。手首の傷以外は無傷(?)です」
それを聞いた魔術師は安心したようにホッと息を吐く。
その時マーガレットはいつの間にか自分の手首を縛っていた縄が切れていることに気づいた。
(あれ?いつ切れたんだろ・・・)
ぱらり、と縄が手首から落ちる。
その下にある亜麻色の髪の男が手首に巻いてくれた布には血が滲んでいた。
マーガレットはその布を何とは無しに手に取る。
(あ、この布・・・)
「いたぞ!こっちだ!」
マーガレットはその声にはっと前方を見た。
なんとあの竜巻に巻き込まれたにもかかわらず動ける人がいたらしい。
骨の一本や二本は折れていると思ったのだが。
声がした後すぐに、腕をだらりと伸ばした男と、腹の辺りを押さえた男が現れた。
(痛いなら寝てなさいよ!)
意外にも職務に忠実な男たちにマーガレットは心の中で悪態をつく。
「あ?なんだお前は」
男たちはマーガレットのそばに見覚えのない男がいることに気づいた。
「悪いことは言わねえ。そっちの女を置いてとっとと去りな。その女にゃちょっと仕返しさせてもらわなきゃ気が済まねえ」
男のひとりはそういうと下卑た笑いを浮かべる。
「それとも、あんたも一緒に楽しむかい?綺麗な顔したニイちゃん」
そう言った瞬間、男の体が雷に打たれて弾け飛んだ。
見ると魔術師が男に向かって杖をかざしている。
隣にいたもう一人の男がそれを見て気色ばむ。
「てめえ!何しやがった!」
そう言ながら切りかかってくる。
魔術師が杖を横に一振りする。
男は真横に吹っ飛び、木に叩きつけられて崩れ落ちた。
(強い・・・)
呆然とするマーガレットをよそに、魔術師は振り返ると彼女をふわりと抱き上げた。
「あっ、えっ、あの!」
マーガレットは自分が抱き上げられたことに気づき、慌てて魔術師を仰ぎ見る。
「長居は無用です。行きましょう」
そういうなり魔術師がマーガレットを抱えたまま器用に杖で地面をひと突きすると、杖を中心に不可思議な紋様が地面に広がった。
次の瞬間とてつもない浮遊感がマーガレットを襲い、彼女は怖くなり目の前の魔術師にぎゅっとしがみつき目を瞑る。
頭上からクスリと笑う声と「すぐつきますよ」という言葉が聴こえてくる。
やがて浮遊感が消え、マーガレットが恐る恐る目を開けると、そこは自宅の応接室だった。