亜麻色の髪の男編 第6話
もう夜もずいぶん深まったころ。
アレクはある件に関する調べ物を王立魔法研究所の所長室にてしていた。
彼がこの時間に研究所にいることは実は珍しくない。
それは昼間に行うことのできないある調査をしているからである。
それは重臣たちですら知らない、いやむしろ知られてはならないことに関する調査であり、この調査を人目に触れずできることがアレクがこの研究所の所長についている理由のひとつでもあった。
その所長室のドアがノックもなしに荒々しく開け放たれる。
「失礼する、所長殿」
勇み足で入ってきたのはこの国の宰相であり、マーガレットの父親でもあるヴォルグ・フォンテイン・ル・クレツィアだ。
常に冷静、怜悧、冷徹と評判のこの男の顔は、珍しく焦燥に歪んでいる。
所長であるアレクはそのただならぬ雰囲気に椅子から立ち上がった。
「何事ですか、宰相殿」
何か火急の用だと踏み、アレクも普段はするであろう礼を省略する。
「マーガレットがいなくなりました」
その言葉に、アレクは大きく目を見開く。
「至急貴殿の力をお借りしたい」
そう言うとヴォルグは深く頭を下げた。
***
「今街の警備隊を総動員して彼女を捜索しています」
「マーガレット嬢の足取りは?」
アレクは宰相と彼の護衛と共に足早に王宮の外へと向かっていた。
「彼女の侍女の話によると今朝街に買い物に行くと言って出かけて行ったらしいのです。いつもなら夕食前には戻ってくるのですが、このような夜更けまで姿が見えないため何かあったのではないかと」
アレクは頷くのをみてヴォルグは続けた。
「家のものをやってさがさせたところ、露店の店主とカフェの店員が彼女を覚えていました」
「彼女がよく行く魔石店には行ってみましたか?」
ヴォルグは頷いた。
「ええ、ですがマーガレットは今日は来ていないとのことです」
アレクは思考を巡らせる。
「とりあえず街の警備隊の詰所までいったんご同行願えますか?何か新しい情報がわかったかもしれません」
ヴォルグがそう言うと、アレクは頷いた。
「もちろんです」
三人は王宮の外に出ると街の警備隊の詰所までかけつけた。
***
「これをご覧ください」
警備隊の隊長はヴォルグに丁寧に畳まれた布を手渡した。
ヴォルグがそれを開くとそこには、オレンジ色の石がついたネックレスが収められていた。
「これはマーガレットが普段身につけている・・・」
「お嬢様のもので間違いありませんか?」
「ああ、間違いない・・・我々が彼女の成人の誕生日に贈ったネックレスだ」
ヴォルグはそのレックレスを手に取り、じっと見つめた。
「ちぎれている」
「はい。何かにぶつかって切れたような跡があります」
「つまり、娘は何かの事故か事件に巻き込まれたと?」
「・・・その線が最有力かと思われます」
隊長が言いづらそうに返した言葉にヴォルグは手の中の鎖をぎりっと握り締め、燃え上がるような怒りをその瞳にが浮かび上がらせた。
***
マーガレットは床の硬さと揺れる感覚で目を覚ました。
辺りは真っ暗で所々裂け目のようなところから薄明かりが差し込んでいる。
(馬車?)
マーガレットがいる場所はひどく狭く、彼女は身を起こすことができなかった。
おそらく馬車の荷台か何かに押し込められているのだろう。
(あたた・・・お尻が痛い)
マーガレットはかろうじて寝返りを打つことができた。
(縛られた手首も痛い。はぁ・・・)
マーガレットは体の前で縛られた手首をもぞもぞと動かし、ため息をついた。
ふとアレクの顔が浮かぶ。
(所長・・・今頃なにしてるのかな。私のこと探してくれて・・・はないよね。)
あのいかにも運動音痴っぽいアレクが自分を助けに来るところは想像できない。
(大丈夫。お父様がきっと私を見つけてくれる)
マーガレットはそう自分に言い聞かせてぎゅっと目をつむり、恐怖と不安で決壊しそうになる涙腺をなんとかたもった。
(泣くのは助かったあとよ、マーガレット。ピンチに弱気は禁物だわ)
そう考えて、マーガレットはポケットの中のものをにぎりしめた。
***
がたんという音とともに、差し込むような光がマーガレットを照らし、彼女はその眩しさに縛られた腕で目をかばった。
誰かが彼女を閉じ込めていた場所の蓋を開け、ランタンのようなもので彼女を照らしているようだ。
眩む目を縛られた腕でかばっていると、その腕を掴まれ引きずり出される。
ずっと立っていなかったため足に力が入らず、マーガレットはその場にへたり込んでしまった。
彼女が掴まれた腕の痛みに呻いていると、この場には不似合いに穏やかな声が聞こえてきた。
「こらこら、手荒に扱うんじゃない。彼女は重要な客人なのだから」
地面に這いつくばるマーガレットの前に男が跪く。
「こんばんは、マーガレット嬢。お会いするのは二度目ですな」
「あなたは・・・」
マーガレットはその男の姿を凝視する。
がっしりとした体型で、目つきがするどく、威圧的な雰囲気。
「えっと・・・どちら様でした?」
男は柄にもなくガクッとこけそうになるのを堪えた。
「フッ・・・まあいい。そのほうが好都合だ。おい、お前ら。お嬢様を”特別室”へとご案内して差し上げろ」
男はそういうと立ち上がり、代わりに屈強な男がマーガレットの腕を掴みあげて立ち上がらせた。
「おら、歩け」
マーガレットが引っ立てられながらさりげなく周りを見回すと、そこはどこかの屋敷だということがわかる。
夜のため辺りは暗く、家の明かりと男が手に持つランタンが周りを照らしているのみだった。
屋敷に入る前にマーガレットは顔に袋を被せられた。
どういう経路で部屋まで行くかわからないようにするためらしい。
しばらく歩き、部屋のドアが開く音がすると中に押し込められ、手の縄を切られると、再びドアの閉まる音がした。続いて鍵のかかる音がする。
マーガレットは自由がきくようになった手で顔を覆っている袋をとった。
彼女は一面赤い絨毯で覆われた、わりと広い部屋にいた。
「あー、やっと手が自由になった」
マーガレットは痛む手首をさする。
縄ですれて皮が剥けていた。
「もう、乙女の柔肌になんてことしてくれるのよ!お嫁にいけなくなったらどうしてくれるの」
このセリフを両親が聞いたら「嫁に行く気なんてないだろ!」と突っ込んだことだろう。
とりあえずマーガレットは部屋にある唯一の家具であるベッドに腰掛ける。
部屋を見回すと、入ってきたであろうドアの他にもう一つドアがあった。
他には明かり取り用の小さな窓がはるか頭上にひとつ。しかも鉄格子つき。
「あそこから逃げるのは無理そうね」
マーガレットは立ち上がって、もうひとつのドアを開けてみる。
そこは風呂とトイレだった。
「風呂トイレつきとはありがたいわ」
そういってマーガレットはドアを閉めた。
そこにがちゃりともうひとつのドアが開く。
先ほどマーガレットが入ってきた外へとつながっているドアだ。
「飯だ」
男がお盆に載せた料理をベッドの上に置く。
しょうがない、テーブルがないのだから。
「あの・・・」
「質問はなしだ」
(取りつく島もないとはこのことね)
「ありがとうございます」
マーガレットは礼をいうと食事を受け取った。
そしてパクパク食べ始める。
「お前・・・もうちょっと警戒しろよ」
食事を持ってきた男が呆れたように言った。
マーガレットはその男をちらりと見る。
長身で屈強な体つきに亜麻色の髪をしていて、榛色の瞳は意外にも優しげだ。
しかも若く、マーガレットより数年上ぐらいの年齢に見えた。
マーガレットは彼の持つ色彩をどこかで見たことがあるような気がした。
「だってもし殺すなら馬車に乗せる前かここにくる途中にやってるでしょ?わざわざこんな遠方に連れてきて、屋敷に連れ込んで、そこで毒殺するなんて無意味。だから毒は入ってない。違う?」
マーガレットは男を観察しながら自分の考えを口にする。
男は軽く目を見張ると、ヒュ〜と口笛を吹く。
「どこぞのバカなお嬢様かと思えば意外と頭がまわるんだな」
「お褒めにあずかり光栄です」
(それにさっき首謀者らしき男は私のことを”客人”と言ってたしね)
「だが毒にもいろいろある」
扉にもたれて立っていた亜麻色の髪の男はマーガレットのそばに歩み寄ってくると、彼女の耳元で囁いた。
「殺す毒だけが毒じゃないんだぜ。例えば体の自由をじわじわ奪う毒とか、な」
それを聞いたマーガレットはぴたりと食事の手を止めた。
「くっくっく。安心しな。その食事にはなにも入ってねーよ」
男はおかしそうに笑うと、扉の方へと歩き出す。
「食べ終わったらドア近くの床にでも置いといてくれ。あとで回収に来る」
そう言い残すと出て行った。
そしてがちゃりと鍵の閉まる音がする。
「はぁ〜っ」
マーガレットは緊張がとけ、大きく息を吐き出した。
「びっくりした。本当に麻痺毒が入ってたらどうしようと思っちゃった。でもそうよね。殺す毒だけが毒じゃない。気をつけよう」
今度は少量食べて毒味をしてからにしようと心に誓ったマーガレットだった。
そしてハタと思う。
(もしかして、忠告してくれた?)
いや、悪事に手をかしている人間がそんなことするわけないかと思い直すマーガレット。
「ごちそうさまでした。意外とおいしかったわ」
誰もいない部屋に自分の声だけが響く。
スープとパンだけの質素な食事だったが空腹だったマーガレットには十分満足できた。
彼女はお盆をドアのそばに置くと湯浴みをしようか一瞬悩んだ。
だが湯浴みの途中で男が入ってきたらまずいと気づき、そのまま横になる。
(明日はどうなるのかしら)
マーガレットは横になるとすぐに眠りに落ちていった。