失われた記憶編 第2話
婚約式を無事に終えたマーガレットは次の日からまた研究所で魔法石の研究に没頭していた。
「ねえ、こんなところでのんきに魔法石作ってていいの?」
完全に通常運転のマーガレットに研究所の同僚のモニカが尋ねた。
結婚式まであと2ヶ月をきったのにのんびり仕事をしているマーガレットを見て心配しているらしい。
「いいのいいの、結婚式って言っても完全に王家主導だからドレスの採寸が終わった後は、時々ドレスのサイズ確認で試着する以外は正直何もすることがないのよ」
「そういうもの?」
「そうよ、モニカだって貴族と結婚したらきっと式の準備は旦那様の家任せで暇に決まってるわよ」
「へ、へえ、そうなんだ」
若干決まり悪そうに返事したモニカを不思議に思いつつ、マーガレットはまた研究に没頭しそうになったところにそういえば、とウィルの存在を思い出す。
「あれ、ウィルは?って、ええ!?」
部屋の隅を見たマーガレットはどんよりと自分の席に座っているウィルを見てギョッとした。
「ちょっとウィル、大丈夫?」
「・・・大丈夫じゃない」
「どうしちゃったの、一体」
「マーガレット・・・あなたがそれを聞いちゃダメよ」
「え?」
きょとんとするマーガレット。
「俺の方が、俺の方がいい男なのに!」
そう言って男泣きし始めたウィルをモニカが、まあまあとなだめる。
「権力も財力も見た目も能力も負けてるんだからもう諦めなさいよ」
「おま、何気に人の傷ごりごり容赦なくえぐってんじゃねーよ!」
「現実は見た方がいいよ」
「フォローになってねえ!」
マーガレットははて、と首をかしげつつ、まあ二人が楽しそうだからいいかと研究に戻っていった。
「マーガレット、いますか?」
研究に没頭して時間を忘れていたマーガレットはノックの音と所長の声ではっとした。
慌てて立ち上がると所長が研究室のドアから顔を覗かせている。
「そろそろ家まで送ります」
はい、と返事をしようとしたマーガレットだがウィルの声に遮られる。
「所長はお忙しいでしょうから俺が送りますよ」
「・・・あなたもたいがい諦めが悪いですね。けっこうです。私の婚約者は私が送りますから」
ぐうと机に突っ伏したウィルに、モニカを呆れたようにみる。
「いい加減にしないと馬に蹴られるわよ」
「えっと、じゃあ、二人ともお先に」
そうマーガレットが言うと、笑顔のモニカと机に突っ伏したままのウィルがひらひら手を振って見送ってくれた。
「いつもすみません、所長。そういえばもうカザブの件も解決したし、送っていただかなくても大丈夫ですよ」
夕暮れで赤く染まる研究所から家までの道のりを歩きながら、マーガレットはアレクに言った。
本当は二人で歩くこの時間がマーガレットは好きだったが、アレクが多忙な身であることもわかっていたのであえてそう言ったのだ。
「いいえ、あなたにくっつきたがる虫は山ほどいますからね。引き続き送り迎えはします」
「虫、ですか?」
確かに夏の終わりは虫が出やすいかも、とマーガレットは自分の手をさする。
でも所長がいると虫に刺されないのだろうか?マーガレットは首をかしげた。
「魅力的な花には虫がたくさん寄ってきますからね」
「・・・確かに」
なぜ突然虫や花の話になったのかわからないけれども、とりあえずその通りだと同調したマーガレットを見てくすりと笑うとアレクは彼女の頭をひとなでした。
そうこうしている間に、二人はマーガレットの家の門に着いた。
「ではまた明日」
「はい」
アレクの笑みに見惚れながらマーガレットは彼の背中が見えなくなるまで門の中から見送った。
***
結婚式まで2週間と迫ったある日、マーガレットはアレクに呼ばれて王宮に来ていた。
ウェディングドレスが仕上がったので試着をして欲しいとのことだった。
マーガレットが指定された部屋に到着するとそこには侍女とお針子がすでに待機していた。
「さあさ、こちらです」
そう言って通された衝立の向うにはマネキンに着せられたすばらしく美しい純白のウェディングドレスがあった。
前回の試着に着たのは確か1ヶ月前。
最後に来た時よりも数段きらびやかになっている。
シルクの総レースのドレスの要所要所にダイアモンドが惜しみなく刺繍されていた。
(一体おいくら・・・・)
公爵家の財力でもちょっと厳しいんじゃないかというほど豪華なウェディングドレスにマーガレットは言葉を失ってしまった。
「えっと、もう少しシンプルなドレスでもいいかなあ、なんて」
破いたり汚したりしたらどうしようと思ったマーガレットは駄目もとで聞いてみた。
「なにをおっしゃいます。こんなに素晴らしいドレスは他にございませんわ。さ、今着ているお召し物を脱いでくださいませ」
そしてさっさと着ていたものを剥かれ、お屋敷が1個建つんじゃないかというドレスを着せられてしまった。
「まあぁぁ、とってもよくお似合いですわ」
「本当に、女神様のようですわ」
アクセサリーやティアラ、靴、手袋なども一通り合わせられる。
(ああ、重い・・・)
この素晴らしく素敵で高価なドレスを台無しにしてはならないというプレッシャーが重い。
そしてそれを着ているのが錬金オタクである自分だという事実がとても残念である。
ドレスのサイズが合っていることと、他に問題がないかを確認し、元の仕事着へと着替えて部屋から出た時にはぐったりしていた。
(ああ、あれを着て結婚式だなんて・・・中身とドレスがあまりに釣り合ってない・・・招待客に笑われないといいけど)
そんなことをつらつらと考えながら職場へ戻る。
その日の夜、母親からマクラレン公爵家から茶会の招待状が届いていると告げられたマーガレットは首をかしげた。
(マクラレン公爵家のご令嬢って確かあのロザリアとかいう名前の所長に想いを寄せてるかもしれない人よね)
いったい何の用だろう、とマーガレットは思う。
まさか結婚をとりやめろとか脅されるのだろうか。
それともお茶に毒でもいれられるとか?
それともまさか誘拐されてそのまま人知れず抹殺・・・
(なーんて、そんなわけないわよね)
マーガレットは自分の思考に苦笑した。
彼女だって自分のお茶会に招待したマーガレットに何かあったりしたら真っ先に疑われるのは自分だとわかっているだろう。
いくら憎き恋敵とはいえ、由緒ある公爵家の令嬢がそんな浅慮に走るとは思えない。
(でもまあ一応所長には一言伝えておいたほうがいいかしらね)
次の日、研究所に出勤したマーガレットは所長室にいるアレクの元を訪ねた。
「ロザリアが君を茶会に招待したんですか?」
「はい、昨日招待状が届いたので一応お知らせしておこうと思いまして」
そう言うと、マーガレットの向かいのソファに座ったアレクはしばし何かを考えている様子だった。
「出席するのですか?」
「ええ、そのつもりです。格上の公爵家からの招待ですので無下にはできませんし」
アレクは短く息をつくといった。
「あなたには一応お話ししておいたほうがいいかもしれませんね。ロザリアは第一王子である兄の婚約者候補だった人です」
「第一王子殿下の、ですか?」
マーガレットは目を瞬いた。
てっきりアレクの婚約者候補だったのだろうと思っていたからだ。
「ええ、しかし兄が不治の病いだとわかってから兄の結婚話はたち消えました。彼女は兄の有力な婚約者候補だったことから厳しいお妃教育を幼少時より受けていました。自分がこの国の王妃になることを疑っていなかったのでしょう。兄がダメなら次点の王位継承者である僕の婚約者になればいいと思ったようです」
「なるほど。そうだったんですね」
確かに、長年厳しいお妃教育に耐えてきたのなら、王族に嫁ぐことを諦めきれないというのもわかる気がする。
(私だっていきなり今までがんばって勉強してきた錬金術をやめなければならなくなったらすごくいやだもの)
マーガレットはアレクの言葉にうんうん、と頷いた。
「私はなんども彼女と結婚するつもりはないと彼女本人に告げました。しかし彼女は納得がいかなかったようです。まさか婚約式後にあなたに接触してくるとは思いませんでしたが」
そう言ってアレクは渋い顔をした。
「彼女の立場を考えてもがあなたに何かするとは思えませんが、一応十分に気をつけておいてください」
マーガレットはその言葉に神妙に頷いたのだった。
***
そしてお茶会当日、マクラレン公爵家を訪れたマーガレットは敷地内のバラ園にある東屋へと案内された。
そこには相変わらずの金髪の巻き髪がゴージャスなロザリア嬢がいた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
マーガレットが緊張しつつ礼をとるとロザリア嬢も礼を返した。
「お越しいただきありがとうございます、マーガレット様。および立てしてごめんなさいね」
「いえ、ロザリア様にお茶会にご招待いただけるなんて光栄ですわ」
「さ、お座りになって。今日はバラにちなんでローズティをいれましたの。お口に合うとよろしいのですけど」
にっこり笑って席をすすめるロザリアにマーガレットは笑顔でうなずいて席に着いた。
「わたくしぜひマーガレット様とお近づきになりたいの。アレクと結婚するのならわたくしとも親戚になるようなものでしょう?」
ロザリアは王妹を母に持ち、アレクとはいとこ同士なのでそのように言ったのだろう、とマーガレットは思った。
それからしばらく他愛のない世間話が続く。
表情は取り繕いつつもはじめは何をされるかと内心で戦々恐々としていたマーガレットも、ロザリアの友好的な態度に次第に緊張をといていった。
(やっぱりロザリア様が何かするかもなんんて考えすぎだったのね)
ふぅと小さく息をついたマーガレット。
「あら、マーガレット様、肩に虫が」
「え、本当ですか?」
マーガレットは自分の肩を見るが虫は見当たらない。
「もう少し後ろですわ。わたくしが払ってさしあげます」
ロザリアが立ち上がりマーガレットの後ろに回る。
その直後、プチっという音とともにマーガレットの頭皮に痛みが走った。
「いっ・・・」
思わず声をあげそうになったところをすんででこらえる。
「あら、ごめんなさい。虫を払った時に髪が指に絡まってしまったみたい。痛かったでしょう?本当にごめんなさいね」
心底申し訳なさそうにあやまるロザリアに、マーガレットも苦笑しつつ首を横に振った。
「いいえ、たいしたことありませんでした。お気になさらず」
その後は、また世間話をして穏やかな時間が流れるままお茶会は終了したのだった。




