失われた記憶編 第1話
あたたかな日差しが降り注ぐ午後。
王宮のアレクの居室のテラスでマーガレットは彼の向かいに座っていた。
二人の前にはさきほど侍女が淹れたばかりの紅茶が湯気を立てている。
「今日はどうしたんですか?所長」
マーガレットたちがカザブからリチリアに帰ってきてから2週間ほど経った頃、研究所での仕事にも復帰しいつもなら研究所で仕事をしている時間にアレクから突然の呼び出しがあった。
「すみません、急に呼び出してしまって」
そう言って言葉を切るとアレクはにっこりと微笑んだ。
真正面から受け止めた美青年の完全無敵なスマイルにマーガレットは不覚にもときめいてしまう。
一瞬ぼーっとしてしまったマーガレットは、頭を振って体制を立て直し話の続きを聞くために再びアレクに向き直る。
「婚約式と結婚式の日取りが決まったのでそれをお知らせしようと思いまして」
マーガレットは、はて、と思う。
身近に結婚するようなカップルがいただろうか。
(まさかメグとジョシュア?でもメグから付き合っているとは聞いていないし)
仲の良さそうな(?)二人だが交際に発展しているような話は聞いていない。
考えてもわからないので聞くことにした。
「どなたのですか?」
「もちろん、私とあなたのですよ」
「ああ、なるほど・・・・って、ええ!?」
「カザブの件も片がつきましたので、正式に発表する頃合いかと思いまして」
そう言って、ニコニコしている。
(そっか、そいういえば私たちって正式に婚約してなかったっけ)
カザブとのゴタゴタですっかり忘れていた。
「婚約式は1ヶ月後、結婚式は3ヶ月後になります」
「えっ、結婚式が3ヶ月後?」
「ええ」
「準備が間に合わないんじゃ・・・」
「大丈夫です。間に合わせます」
「でも」
「間に合わせます」
「・・・はい」
王子バージョンのアレクが出てくるとマーガレットは逆らえない。
「そういうわけなのですみませんが至急ドレスをあつらえるための採寸を行っていただきたいのです」
マーガレットは頷いた。
1ヶ月後の婚約式に間に合うようドレスを作ろうと思ったら明日には採寸し、公爵家お抱えのお針子総出で作業に当たらないとだめだろう。
こうなったらもう覚悟を決めるしかない。
(全っ然心の準備はできてませんけどっ)
マーガレットは内心の動揺を押し隠し頷いた。
「わかりました。母に言って準備してもらいます」
「いえ、こちらの都合で急がせてしまうので準備はすべてこちらで手配します。すでに別室でお針子たちが待機してますので今からそちらに行っていただくだけで大丈夫です」
「えっ」
そしてあれよあれよという間に別室に押し込められ、王室お抱えのお針子に服をむかれ採寸されなぜかきゃーきゃー言われ、部屋から出てくる頃にはやつれてぐったりしていた。
「手際良すぎでしょ、所長」
ポツリとこぼしたマーガレットのつぶやきは誰にも拾われることなく静かな王宮の午後に消えていった。
***
そして準備に追われる中、あっという間に1ヶ月が経ち婚約式の日がやってきた。
第二王子であるアレクの婚約式は当然ながら王宮で行われる。
招待客は国内の主だった貴族たちだ。
「お嬢様、お綺麗です」
王宮の控えの間で、メグの言葉にマーガレットは引きつった笑みを浮かべた。
「ありがと」
今日のマーガレットはアレクの瞳の色に合わせた紫のグラデーションのマーメイドドレスを着ていた。
トップは淡い紫で、下にいくにつれて濃い紫色になっている。
オフショルダーで、すその方には宝石が散りばめられ歩くたびにキラキラと光を反射していた。
胸元と耳元には小さなダイヤモンドの粒で縁取られた大ぶりのアメジストが輝いている。
「はあ、緊張で胃が痛くなりそうだわ」
そもそも、マーガレットは派手な場所も、人の注目を浴びることも好きではなかった。
引きこもってただひたすら魔法石を錬成していたいのだ。
「大丈夫ですよ、お嬢様。みんな魔石だと思えばいいんです」
普通はかぼちゃというところだが、錬成好きなマーガレットのために魔石と言い換えるところはさすがマーガレット至上主義の侍女メグである。
「そっか、そうね。みんな魔石だと思えばいいんだわ」
魔石のことを考えて少し気分が浮上したマーガレット。
そこへ扉をノックする音が響いた。
メグが取り次ぐために扉をあけるとそこには正装のアレクが立っていた。
思わず自分の鼻を手で押さえる。
(やば。所長の正装姿が素敵すぎる!)
今日は光沢のある黒のスーツの胸元にマーガレットの瞳の色に合わせたのであろうオレンジ色のチーフを入れている。
なんとか鼻血を食い止めたマーガレットは立ち上がってアレクの元へと歩いて行った。
マーガレットが目の前で立ち止まってもアレクはほんのり頬を上気させた表情のままうっとりと彼女を見ていた。
その視線にマーガレットも気恥ずかしくなり俯いてしまう。
アレクはそっと彼女の両肩に手を添えると耳元に口を近づけて囁いた。
「このまま僕の部屋にさらっていってしまいたい」
それを聞いたマーガレットはボッとゆでダコのように真っ赤になってしまった。
「さ、いつまでもデレデレしてると遅れますよ。お二人とも」
二人の作り出した甘い雰囲気をメグの冷静かつ若干失礼な声がぶった切る。
「行きましょうか、お姫様」
マーガレットは熱くなった頬で手で扇ぎながら冷ましつつアレクの差し出した腕に手をからめ会場へと歩いて行った。
その後、婚約式が始まった後もダンスの時や他の貴族への挨拶の合間などアレクの甘い囁きはとどまることを知らなかった。
(ああ、脳が溶けそう)
マーガレットはともすればふわふわしてしまう頭を必死で回転させ貴族に対応していた。
そのおかげで緊張していたことすらすっかり忘れていた。
その時。
「ごきげんよう」
艶のある声が響いた。
マーガレットとアレクが振り返ると、そこには金髪をゴージャスに巻いて胸元の大きく開いたドレスを着た妖艶な美女が立っていた。
(あれ、この人どこかで・・・)
マーガレットは目の前の人物に見覚えがあるような気がして首をかしげる。
「ああ、ロザリア。紹介します。僕の婚約者のマーガレットです。マーガレット、こちらは僕のいとこのロザリアです」
「マーガレット・フォンテイン・ル・クラツィアと申します。以降、お見知り置きを」
「ロザリア・アムステル・ウル・マクラレンですわ」
ロザリアはカーテシーをして一瞬マーガレットを品定めするように上から下まで見た後、アレクに向き直った。
「アレク、この度はご婚約おめでとう」
「ありがとうございます、ロザリア」
マーガレットはそのとき小さな違和感を感じる。
(公の場で王子殿下を愛称呼び?)
普通プライベートで親しくても、公の場で王家の人間を愛称で呼ぶことは不敬にあたる。
だが目の前の女性は堂々とアレクを愛称で呼んでいた。
(そういうマナーを知らないような人には見えないけど・・・)
マクラレンと名乗っていたということは、マクラレン公爵家の令嬢だろう。
マーガレットと同じく公爵家としてマナーなどは厳しく仕込まれているはずである。
その不可解さに彼女の横顔をじっと見つめていると唐突に思い出した。
(あ、この人って前に研究所で所長と抱き合ってた人だ!)
マーガレットが魔法石の完成に浮かれてノックもせずに所長室のドアを開けてしまったあの日、所長は金髪の女性と抱擁していた。
そのときは後姿だけで顔まではわからなかったが、特徴的な金の巻き毛ははっきりと記憶に残っている。
それに研究所の渡り廊下で遠目だが顔も見ていた。
(このゴージャスな巻き毛といい妖艶な雰囲気といい間違いない、この人だ!)
マーガレットは思い出すことができてとてもすっきりした。
と同時に先ほどの違和感の理由に思い当たる。
(ということは、彼女は所長のことが好きなのか)
先ほどの愛称呼びはマーガレットに対する牽制に違いない。アレクとの仲を知らしめたかったのだろう。
でもこればっかりはマーガレットにはどうしようもない。
彼だけは譲ってくださいと言われても絶対に譲れない。
(申し訳ないけど・・・)
せめてくだらない女に捕まったと思われないように堂々としていよう、と思ったマーガレットは背筋をピンと伸ばして微笑んだ。
やがてロザリアはアレクとの話を終えたらしく、去り際にぎりっとマーガレットを睨みつけると去って行った。
(おおう、すごい眼力)
アレクはロザリアの好意に気づいているのかいないのか、先ほどとまったく変わらない様子で次々と話しかけてくる貴族の相手をしている。
もちろん、合間合間にマーガレットに甘い言葉をささやくことも忘れない。
アレクが終始そんな調子なので婚約式が終盤にさしかかるころにはマーガレットはすっかり腰がくだけてしまって、エスコートしてくれているアレクに寄りかからなければ立っていられないほどだった。
そんな二人を見て周りは微笑ましそうに言葉を交わし合う。
「まあ、本当に仲が睦まじいこと」
「絵になるお二人ねえ」
マーガレットはジト目でアレクを見る。
「・・・所長、まさか狙ってやってませんよね?」
「なんのことです?」
アレクは微笑みながらあざとく首をかしげた。
(くっ、あざとい!確信犯め!)
マーガレットは所長の腹黒さを垣間見たのだった。




