閑話 その小さな手の中に 後編
アレク視点はこれで最後になります。
三日後、僕は再び宰相の執務室を訪れた。
花束と小さな小箱を持って。
ノックをし来訪を告げると、ドアが勢い良く中に向かって開いた。
「こんにちは!」
キラキラと輝く満面の笑顔が僕の目に飛び込んでくる。
僕はぽかんとそれに見惚れた。
そんな僕にお構いなしに彼女は僕の手を取ると部屋の中へとグイグイ引っ張っていく。
「さあ、はいって!」
彼女はまるで自分の部屋であるかのように僕を宰相の執務室へと招き入れた。
それを見て宰相が苦笑している。
「とってもステキな花束ね。もしかして今日お誕生日なの?」
そうやって無邪気に聞いてくる彼女に、僕はハッと我にかえるとおずおずと持っていた花束を彼女に差し出した。
「これ、君に・・・」
顔が熱い。
女の子に贈り物をしたことなんて人生で初めてだ。
つぶやくようにそう言った僕に、彼女はぽかんと口を開ける。
「わたしに?本当?」
彼女は信じられないと言った風に僕と花束を見比べている。
「それとこれも・・・」
そう言って僕は綺麗に包装された小箱を差し出した。
「もらっていいの?」
彼女は僕が頷くのをみると、またパアッと顔を輝かせた。
「ありがとう!これわたしの好きなお花なの!とってもうれしい!」
そう言って、彼女の体の半分ほどを隠してしまう大きさの花束を受け取って抱きしめた。
オレンジ色の可憐な花に、少女の可憐な顔が埋もれている。
僕が宰相に彼女は自分と同じ名の花が好きだと聞いて用意したものだ。
明るく可憐なその花はまさに彼女そのもののようだと僕は思った。
「こっちもあけていい?」
マーガレットが小箱を手にワクワクした様子で聞いてくる。
僕は嬉しくなって微笑んで頷いた。
彼女がたどたどしい手つきで包装紙を取り箱の蓋を開ける。
「わあ!とってもきれい!」
マーガレットは箱の中身を手に取るとキラキラと瞳を輝かせた。
それは彼女が好きな花ーーマーガレットをかたどって宝石をはめ込んだネックレスだった。
彼女に合うように小さく作ってある。
横でその様子を見ていた宰相がそれを見て焦ったような声を出した。
「殿下、このような高価なものは・・・」
宰相は僕にマーガレットの花の好みを教えた。
それはつまり花束がいいと暗に僕に伝えていたのだろう。
だが命の恩人に対しそれはあまりにも割に合わないと僕は思った。
幸い僕は子供だが、僕にも割かれる予算があることを帝王学の授業で学んで知っている。
僕はその中から自分の出費を減らし、彼女の贈り物へとあてたのだった。
それを宰相に伝えると、宰相はわずかに目を見開いた後、仕方ないというふうに苦笑して引き下がった。
「ありがとう!アレックスさま!」
彼女はそう言うと僕に抱きついた。
柔らかな温もりが僕の体を包む。
僕は突然のことに驚き固まった。
長いこと忘れていた感覚が呼び起こされる。
優しくて、せつなくて、あたたかい。
込み上げてくるものに息が詰まる。
僕は滲みそうになる涙を堪えるため目をギュッと瞑った。
凍りついていた心がじわりと溶け出すのを感じる。
「僕を救ってくれてありがとう」
僕はそう言って彼女をそっと抱き返す。
そう彼女は救ってくれた。
さらわれそうだった僕を。
そして、砕け散りそうだった僕の心を。
「ね、お父さま!」
彼女は僕から離れると宰相を振り返る。
「これつけてください!」
そう言って手に持っていたネックレスを差し出す。
宰相はネックレスを受け取り彼女の背を自分に向けさせると、そのネックレスを彼女の首にかけた。
「似合う?」
マーガレットはそう言うとくるりと回って見せる。
彼女のクリーム色のドレスがふわりと舞った。
部屋に差し込む光を反射してきらめく橙の宝石が彼女の笑顔をいっそう輝かせる。
「とても、似合うよ」
僕は彼女の眩しさの前にそう言うのがやっとだった。
「あ、そうだ」
彼女はドレスのポケットをがさごそと探り出す。
「これ、アレックスさまに」
そう言って彼女が差し出したのはハンカチだった。
白い布地に”A”の文字が薄紫の糸でたどたどしく刺繍されている。
一生懸命刺繍したのだということが見ていて伝わってきた。
「もしかして君が刺繍を?」
僕がそう聞くとマーガレットは満面の笑みで頷く。
「そうなの!」
そしてニコニコとハンカチを差し出す彼女。
僕は彼女のその小さな手をじっと見つめた。
この小さな手の中に、一体どれほどの勇気と優しさが詰まっているのだろう。
見ず知らずの僕を気遣い、その僕を救うためにためらいなく悪漢に立ち向かっていった彼女。
傷ついた僕を見て自分のことのように泣いてくれた。
なんの打算もなく僕を励まし、輝くような笑顔を向けてくれた。
僕を抱きしめ、凍てついた心を溶かしてくれた。
目の前の小さな少女を見つめぐっと拳を握りしめる。
ーーー強くなりたい。
この小さな手に守られるのではなく、守ることができるように。
彼女の輝く笑顔が決して曇ることがないように。
体の底から今まで感じたことのない強い感情が湧き上がる。
「アレックスさま?」
僕は顔を上げると、マーガレットが黙ってしまった僕を不安そうに見ていた。
僕はハンカチごと彼女の手を包み込む。
「ありがとう。とてもうれしい。大切にするよ」
それを聞いた彼女は花がほころぶように微笑んだ。
***
それから僕は人が変わったように勉強に打ち込み、魔術の修練に励むようになった。
自分に媚を売ってきたり、やる気のない腑抜けた家庭教師や使用人は父王に言って変えてもらった。
そんな僕を見て父は満足げに微笑む。
「やっとやる気を出しおったか」
思えば父は何もかも知っていたのかもしれない。
その上で、僕がどう対処するのか見ていたのかもしれない。
これしきのことを自分の力で越えられないのなら王になる資格はないと。
そう言えばいつもタイミングよく護衛が現れていたけどもしかして・・・
僕は勉強していた手を止めるとクスリと笑いを漏らした。
絶望と孤独しかないと思っていた。
助けなどないと。
だが自分が求めさえすればそれは得られたんだ。
必要なことは自分から行動を起こすことだけだった。
そしてそれを教えてくれたのはーーー
僕は机の上に飾られた一輪の花を見た。
太陽のようなオレンジ色の花に、その花に負けないほど可憐な笑顔が重なる。
今はまだ無理だけど、いつかその手を取ることができたら。
きっと僕は君にふさわしい勇気と強さを身につけるから。
だからどうかその時は僕の隣にーーー
***
ーーーその頃。
刺繍入りハンカチをアレックスに渡して満足したマーガレットはまた次なるターゲットを探して王宮内を歩き回り、騎士団の稽古場の近くで亜麻色の髪の少年に出会う。
彼女は嬉々として彼に駆け寄り名前を聞き出すと、またイニシャルを刺繍したハンカチを手渡すのだった。
そしてこれは彼女が刺繍に飽きて他の趣味に没頭するまで続くことになる。
実はアレクもあの刺繍入りのハンカチをもらってました(笑)




