カザブの野望編 第21話
ポロン・・・ポロン・・・
何かの優しい音色に誘われ、じわりと意識が覚醒したマーガレットは重たい瞼をゆっくりと開いた。
なぜ自分がベッドに横たわっているのか思い出せずしばらくぼんやりとしていた彼女はしかし、数秒ののちに自分の身に起こったことを思い出すとガバッと体を起こした。
その直後ひどい頭痛に襲われ、頭を抱えてうずくまる。
「ったたた」
じっと頭痛をやり過ごすマーガレットの耳に、先ほど耳にした弦楽器の音が、しっとりとした歌声と共に不思議な旋律に乗って聞こえてきた。
しばらくして頭痛のおさまったマーガレットは、その声に誘われるようにベッドから降りて音のする方へと歩いていく。
開け放たれたドアから中庭へと出ると、そこにはベンチに腰掛けた男がリチリアでは見たことのない弦楽器を奏でながら、どこか切ない、そして優しい歌っていた。
「あなたは・・・」
マーガレットの声を耳にして男が顔を上げる。
「目が覚めたのか」
その問いにマーガレットは答えない。
「なぜあなたがわたしを・・・?」
そう聞いたマーガレットに男は弦楽器をベンチに置いて立ち上がるとゆっくりと歩み寄ってきた。
男の目が彼女を捉える。
マーガレットは無意識に後ろへ後ずさった。
じわじわと距離を詰めてくる男から距離をとるために後ろに下がっていたマーガレットは、足に何かが当たる感触にボスンと腰を下ろした。
見るとマーガレットは先程出たはずのベッドに逆戻りしていた。
思わず顔を強張らせたマーガレットを見た男は、彼女のすぐ側に立ちクスリと笑うと自分を見上げる彼女の頬をなでた。
「大丈夫だ。とって食いやしない」
そう言うと彼女の顔から手を離し、部屋の反対側にあるソファへと行き腰掛ける。
「あんたに話がある」
男はそう言うとマーガレットを正面から見据えた。
***
「マーガレットが消えました」
アレクのその言葉に、ジョシュアとフォルは驚きに目を見開いた。
「消えたって・・・どういうことだ?」
ジョシュアが怪訝な顔でアレクに聞き返す。
「文字通り、何の痕跡もなく消えました」
あの後アレクはマーガレットがいたであろう付近をを探しどこにもいないことを確認すると、空間転移しマーガレットの部屋へと飛んだ。
そしてメグに彼女が戻ってきていないことを確認すると、自分の部屋へ戻りジョシュアとフォルを呼び集めたのだ。
メグにはマーガレットが帰ってきたときのために彼女の部屋に残ってもらった。
アレクは怪訝な顔をするジョシュアとフォルに事情を説明した。
パーティーの後、部屋に戻る途中で他国の貴族の女性が話しかけてきたこと。
その間マーガレットは中庭を背に、開けた場所の柱のそばで待っていたこと。
パーティーから帰る人々でその場はごった返していたにも関わらず、一切の騒ぎが起こることなく彼女が忽然と姿を消したことなど。
「知り合いに声をかけられてついて行ったとか?」
ジョシュアの言葉にアレクは首を横に振る。
「決して一人にならないようにと言い聞かせていました。もし場所を移動するのであれば必ず声をかけてきたと思います」
「じゃあ昏倒させられたとか?」
それにもアレクは首を横に振る。
「あそこで意識のない彼女をかついで移動したら相当な騒ぎになったでしょう」
三人の間に沈黙が落ちる。
あの人ごみの中でいったいなぜ、どのようにして誰にも見咎められることなくマーガレットが消えてしまったのだろうか。
考え込む三人に覆いかぶさる静けさを破ったのはフォルだった。
「空間転移」
その言葉にアレクとジョシュアはフォルを見る。
「その人物がアレクと同じように空間転移が使えるとしたら?」
フォルの言葉に二人は顔を見合わせた。
***
マーガレットがいなくなってから三日、アレクたちは再三カザブ側に問い合わせているが彼らの返事はいつも同じだった。
「何度も申し上げております通り、私どもは何も存じ上げておりません」
そしてしまいには、「先にお帰りになられたのでは?」などと言い出す始末だった。
アレクの機嫌はすでに地を這うほどに悪く、マーガレットの安否が気がかりなこともありリチリア一行の間で焦りが募る。
そこにメグがある噂を聞き及んできた。
「マーガレットがアラシド殿下と結婚?」
アレクの言葉に頷くメグ。
「はい。王宮の使用人たちの間で、熱烈な恋に落ちた二人が婚約するのだという噂が流れています」
その言葉にアレクが手のひらに爪が食い込むほどギリギリと握りしめる。
「アラシド殿下に取次を」
だが向こうが面会を拒否したため結局会うことはできなかった。
再び王宮側に噂の真相を問い詰めるも、知らぬ存ぜぬで相手にされない。
アレクはその夜も毎晩しているように、窓際で静かに目を閉じた。
そうしてマーガレットの気配を探る。
(マーガレット・・・どうか無事でいてください)
アレクは祈るような気持ちで夜空に浮かぶ満月を見上げた。
***
(きれいな月・・・)
中庭に出たマーガレットはベンチに腰掛けて夜空にぽっかりと浮かぶまん丸の月を見上げた。
(みんなどうしてるかな)
マーガレットはリチリアの皆の顔を思い浮かべた。
数日会っていないだけでずいぶん長い間会っていない気がする。
マーガレットがぼんやりとしているとザクリ、ザクリと砂利を踏みしめる足音が近づいてきた。
マーガレットが振り返ると、鍛え上げられた体にカザブ式の夜着を着た男が月光に照らされながら歩み寄ってくる。
「アラシド殿下」
マーガレットは男を見て呟いた。
「考え事か?」
「ええ、まあ」
マーガレットのそっけない返事に、アラシドは眉をあげると茶化したように言った。
「月の女神様の機嫌はまだお悪いらしい」
その言葉にマーガレットはプイっと横を向く。
「当たり前でしょう。軟禁されて喜ぶ人間がどこにいるんです。あと女神じゃありませんから」
「俺はあんたを軟禁した覚えはない。ただ約束を破った場合は取り引きは無効だと言っただけだ」
もっともらしい理屈をこねるアラシドをマーガレットはジトッと睨む。
「取り引きは無効だと脅して部屋から出られないようにすることは軟禁ではないと?」
その言葉にアラシドは肩をすくめるだけで答えない。
ーーーあの夜。
カザブ第二王女の結婚披露パーティーの夜、マーガレットが意識を失った状態で連れてこられたのはアラシドの部屋だった。
「あんたに話がある」
アラシドはそう言って目覚めたマーガレットに話を切り出した。
「俺の目的のために協力してもらいたい」
「・・・目的?」
マーガレットは来たと内心で思った。
「もし協力してくれるなら、あんたの探し物を引き渡そう」
(やっぱりね)
その言葉に、マーガレットはついにカザブが自分に魔法石の錬成や兵器の開発を手伝わせるために接触してきた、思った。
マーガレットは、あたかも彼の言葉に驚いたかのように言葉を返す。
「私の探し物ってもしかして・・・」
真剣な表情のマーガレットにアラシドはニヤリと笑うと胸元に下げられた紐を引っ張り出した。
紐の先には小さな袋が付いており、彼はその中から透明の珠を取り出す。
マーガレットの予想どおり、それは確かに彼女の錬成した魔法石に見えた。
「どこでそれを?」
「あんたの同僚から譲り受けた。名はなんといったか・・・」
彼女の質問に珠を片手で弄びながら中空を見据えるアラシド。
「そう、モニカだったか」
そこまで聞いてマーガレットはハッとする。
「もしかして深緑色のローブを着た男はあなただったの?」
「ご名答」
垂れ目がちな目尻を下げて綺麗に微笑んだアラシドは魔法石をポーンと空中に放ると違う方の手で受け止めて再び弄ぶ。
(彼があの深緑色のローブの男だったのね)
マーガレットの同僚のモニカが兄であるジョシュアのために、宿敵であったモンテール卿に復讐を果たそうとした事件はまだ記憶に新しい。
その時、モニカのそばに一人の男の影あった。
その男は深緑のローブを常に目深にかぶっており、モニカから魔法石を手に入れた後、事件終盤に忽然と姿を消してしまったので結局正体はわからずじまいだったのだ。
(まさかカザブ王家の人間が自ら乗り込んできてたとは・・・)
マーガレットはその大胆さに驚いた。
だが。
「それが本物だという証拠は?」
マーガレットは当然、アラシドが偽物の珠で彼女に言うことを聞かせようとしている可能性を考えた。
例えばモニカから譲り受けたという話は、実際に手に入れた人から聞いた話をさも彼が経験したかのように話しているかもしれない。
その上で偽物を提示すれば信憑性はかなり増す。
うっかり信じて実は本物ではなかったなら、マーガレットにとってはかなりの痛手だ。
彼女の真偽を探る言葉を聞いたアラシドは、ニッと笑うと目の前に珠を掲げる。
その珠が次第にぼんやりと淡い虹色の光を放ちだした。
「作成者:マーガレット・フォンテイン・ル・クラツィア。作成日時:687年ジュネ月15日。用途:魔力の増幅による魔法使用の効率化」
そこまで聞いてマーガレットは再び目を見開く。
「あなた・・・魔法が使えるのね」
「その通り」
「カザブには魔法を使える人間はほとんどいないと聞いたけど」
正確には魔法を使えるほど魔力を持つ人間がほとんどいないということだ。
だからこそカザブは少ない魔力でも魔法が使えるようになるマーガレットの開発した魔法石に執着しているのだと、彼女はそう理解していた。
マーガレットの開発した魔法石は一度魔法を発動すると壊れてしまうが、魔法を発動せずに魔力だけ流せば壊れはしない。
そして魔力を通じて魔法石に記録されている情報を読み取ることができる。
だが魔力だけを流すといった繊細な作業は、日頃から魔法を使っていない人間には感覚がつかめないためとても難しいのだ。
その作業をいとも簡単にやってのけたアラシドは魔力を豊富に持ち、相当魔法を使いなれているに違いない、と彼女は思った。
(それならあのモニカの事件の時、忽然と姿を消したのも頷けるわね)
マーガレットはいつの間にかいなくなっていた深緑色のローブの男のことを考えた。
きっと空間転移の魔法を使ったにちがいない。
そして、彼女をここへ連れてきた方法もおそらく同じだろう。
「あんたの言う通りカザブには魔法を使える人間はほとんどいない。だが俺はちょっと訳ありでね。協力してくれるならその辺もまとめて話そう」
アラシドはそう言うと妖艶とも言えるような笑みを浮かべた。
その笑顔を見たマーガレットは小さく息をつく。
「その魔法石が本物だということはわかりました。それで私に協力してほしいことって何ですか?」
まあ十中八九、魔法石の錬成かそれを利用した兵器の開発だろうとマーガレットは踏んでいた。
そしてそれこそ彼女には願ったり叶ったりだった。
なぜなら、マーガレットは元々カザブの兵器の開発に協力するフリをして魔法石を壊すつもりだったのだから。
だが、この時点で彼女は自分の考えの矛盾に気がついていなかった。
まず、魔法石を錬成させようとしている人間が、”魔法石を返す”と言っていることがすでにおかしいこと。
そして、カザブが本気なら取引などまどろっこしいことをせずに、彼女を攫った監禁なり拘束なりして無理やり錬成させてしまえばいいということ。
だがそれに気づかないマーガレットは、続くアラシドの言葉に驚き固まることになる。




