カザブの野望編 第16話
説明回です。ちょっとくどいかもしれません。
「どうしてわかったんですか?」
柔らかな灯りが辺りを照らす廊下で、アレクにそう問いかけられたマーガレットは彼を振り返った。
あの後、メグの大胆な計画ーーつまりアンを彼女が持っていた毒で仮死状態にし、故郷の村まで運んで偽の葬儀をあげ、夜の闇に乗じて彼女とその家族を他所へ移住させるーーを実行することにしたリチリア国メンバーとパトリシアとアンは、領主に全てを話し協力を仰ぐかどうかで意見が割れた。
アレクは領主がカザブの王宮側についている可能性から、あくまでも領主には言わずに実行するのが良いという意見を押した。
だがアンはそれに対しこう答えた。
「王宮から自分に直接きた指示なので領主様はご存知ないと思います」
パトリシアもまたアンの意見を後押しする。
「話しても大丈夫だと思います。ゲオルグは使用人をとても大切にする人です。使用人を脅して悪事に手を染めさせるような真似など例え王宮からの指示だとしても従わないでしょう」
二人の意見に加え、ゲオルグの協力がアンの今後の生活先を見つける上でも重要だと判断し、彼に全てを話し全面的に協力を仰ぐことにした。
結果はアンの言うとおりゲオルグはこの件について何も知らされておらず、パトリシアの言葉通り王宮が館の使用人を自分たちの悪事のために利用しようとしたことに強い憤りを見せ、アンと彼女の家族に別荘の一つの管理をまかせるという形で彼らがそこに住むことを許可したのだった。
マーガレットはゲオルグを見て、カザブ国内にもまともな貴族がいることを嬉しく思った。
そして夫に信頼を寄せるパトリシアを見て、彼女はホッと安堵した。
(ちゃんと幸せな結婚生活を送ってるんだね)
もしかして無理やり嫁がされて不幸せな結婚生活をしているのではないかと邪推してしまったが、そうではないらしいとマーガレットは二人を見ていて思った。
アレクに対する想いは本当にただの憧れだったのだろう。
領主であるゲオルグもわかっていて彼女を好きにさせていたにちがいない。
彼に寄り添うパトリシアと、彼女を優しく見つめるゲオルグはどこからどう見ても相思相愛の夫婦だった。
アレクやマーガレットたちの変装についても、領主は事情を理解しカザブの王宮には何も言わずにいてくれるとのことだった。
「王宮に脅されていたとは言え、我が館の侍女がしたことは許されることではありません。それを見逃して下さるというのなら、あなた方が姿を変えていたことを黙っていることぐらいお安いご用です」
ゲオルグはそう言って力強く請け負った。
そしてゲオルグと皆での話し合いを彼の書斎で終えた後、それぞれの部屋へ戻る途中でアレクはマーガレットに先ほどの質問をしたのだった。
「えっと、どうしてわかったっていうのは?」
マーガレットがそうアレクに聞き返すと、彼は言った。
「パトリシア嬢が私たちの正体を知っているとどうしてわかったのかということです」
「ああ。そのことですか」
マーガレットはにっこり笑ってアレクを見る。
「所長とパトリシア嬢が庭で密会するのを上から毎日見てたんですが」
マーガレットの言葉にアレクの顔が引きつる。
「その時パトリシアさんがした淑女の礼が、リチリア式のものだったんです」
「淑女の礼?」
「はい。カザブ式の礼とリチリア式の礼は違うんです。パトリシアさんは最初会った時はカザブ式の礼をしていましたが、所長と密会している時はリチリア式の礼をしていたんですよ」
”密会”のところをことさら強調してマーガレットが言うと、アレクは若干たじろぎながら言う。
「あれは別に密会をしていたわけでは・・・」
「へえ、婚約者へ一言もなしに他の女性と二人きりで会うことが密会じゃないと?」
マーガレットが冷ややかに言うと、アレクはタジタジになりながら答える。
「いやだからそれは口止めをされていてですね・・・」
そんな普段滅多に見られないアレクを見て少し溜飲が下がったマーガレットは「それはさておき」と続ける。
話がそれたことにホッとするアレク。
「最初に違和感を感じたのはジョシュアが快方に向かった翌日の朝です」
それを聞いたアレクが顎に手をやり思い出すように宙を見る。
「パトリシア殿がジョシュアの部屋へ来た時ですよね。あの時不自然なことなんかありましたか?」
「あの時、パトリシアさんは一度もジョシュアを殿下と呼びませんでした。それに仮にも王子殿下が病床であるにもかかわらず彼を外して朝食の席を設けたこと、さらに所長に上座を用意していたこと。あの時には違和感の正体がわかりませんでしたが、パトリシアさんが所長の正体を知っていると考えればすべて辻褄があいます」
「なるほど。ではパトリシア殿が我々の変装に気づいていることを私が知っている、とわかったのも彼女が私に対してリチリア式の淑女の礼をしていたせいなんですね」
アレクの言葉にマーガレットは頷いた。
「その通りです。所長とパトリシアさんがお互いにリチリアの人間であると知っているからこそ、彼女は所長に対してリチリア式の礼をしたに違いないと思ったので。それに朝食の席であれだけ強引にしつらえていた所長の席が、その夜の晩餐であっさりなくなってましたし。何か二人の間で話し合いが行われたと思うのが自然ですよね」
マーガレットの言葉にアレクは唸った。
「確かに、私は彼女に自分の食事の席を設けるのをやめるように言いました」
アレクはマーガレットの話を聞いて舌を巻いた。
「すごい洞察力ですね」
「それほどでもないです」
マーガレットはアレクの率直な褒め言葉にちょっと照れた。
「それでは彼女があなたの正体を知っているとどうしてわかったんですか?」
「それは・・・」
マーガレットは指を顎に当てて首をかしげる。
「女の勘ってやつですかね」
そう言ってマーガレットはにっこりと微笑んだ。
マーガレット自身、パトリシアが自分の正体に気づいているかどうか100%確信が持てたわけではなかった。
ただ彼女がマーガレットに向ける眼差しの中にときおり”ある感情”が垣間見えたことが、マーガレットにもしかしたらと思わせたのだ。
その感情とは”羨望”だった。
パトリシアは遠い憧れの偶像を見るような目でときおりマーガレットを見ていた。
もし彼女がマーガレットを召使いのメグだと思っていたなら、一介の侍女に羨望の眼差しなど向けないだろう。
それに彼女の眼差しには嫉妬などといった感情は含まれていなかった。
もしかしたらあったのかもしれないが、少なくともマーガレットにはそれを感じることはできなかった。
それが毒を盛ったのはパトリシアではないとマーガレットに思わせた一番の理由だったのだ。
だがそんなマーガレットの内心を知らないアレクは、ニコニコと微笑むマーガレットを見て、すごい洞察力と観察力と、おまけに”女の勘”まで併せ持つ彼女に、隠し事だけは絶対すまいと心の中で誓ったのだった。
***
翌朝、カザブ入国以来久しぶりに元の髪色に戻したアレクとマーガレットは正式なリチリアの衣装に身を包みゲオルグの館の玄関に立っていた。
彼らの後ろには同じく髪色を元に戻し騎士服を身にまとったジョシュアと侍女服を着たメグ、いつもと変わらないフォルとエレナ、さらにリチリア国の騎士、荷を積んだ馬車がある。
そして彼らの前にはゲオルグとパトリシア、それに館の使用人たちが並んで立っていた。
「この度のご訪問誠にありがとうございました」
そう言って正式な礼をとるゲオルグに、アレクが答える。
「こちらこそ、我々の滞在を受け入れてくださったこと感謝いたします」
「もし何かありましたらぜひ我が家を頼ってください。いつでもあなた様のお力になりますので」
そのゲオルグの言葉にアレクは目を見開く。
そして力強くうなずくと、差し出されたゲオルグの手をしっかりと握り返した。
「その際はどうかよろしくお願いいたします」
そして固く握手を交わした二人が分かれると、パトリシアが前に進み出た。
「この度のこと、王子殿下ならびに皆様の寛大な御心配りに感謝いたします。館の者一同、このご恩は一生忘れません」
そう言うと彼女は深々と頭を下げた。
彼女にならいゲオルグを始め、館の者も皆そろって頭をさげる。
本来ならアレクたちはカザブの王宮に謝罪と賠償、それに関わった人間の処分を訴え出てもおかしくないほどの出来事だった。
そしてもし彼らがそう訴え出ていたら、カザブの王宮は自分たちがアンを脅したことなどおくびにも出さず、彼女と雇い主であるゲオルグに全ての罪を押し付け、平気で彼らの家をとり潰しただろう。
元より失敗して王子の怒りを王宮が買った場合には、はなからアンやゲオルグたちを切り捨てるつもりだったに違いない。
だがアレクたちは王宮に訴え出ることをせず、あまつさえアンと彼女の家族を救うために力を貸した。
パトリシアやゲオルグを始めとする館の者はそのことを心から感謝しているのだった。
「いえ、礼には及びません。当然のことをしたまでです」
アレクはそう言うと背を向けて歩き出そうとした。
「それと!貴方様へのご無礼の数々・・・」
パトリシアは去ろうとするアレクに慌てて言い募った。
アレクはそんな彼女を見ると微笑んで言った。
「謝罪は無用です。どうかゲオルグ殿や館の者たちとお幸せに」
そう言うアレクにパトリシアは涙ぐむ目を隠すように再び深く頭を下げた。
マーガレット、アレク、フォルが同じ馬車へと乗り込む。
侍女たちも自分たちの馬車に乗り込み、騎士たちは馬にまたがった。
そして一行はガラガラと動き出した馬車に合わせて歩を進め館を後にする。
「パトリシアさんとってもかわいい人でしたね。彼女が結婚してて残念でしたね、所長」
マーガレットがからかい半分で隣に座るアレクを見ると、彼はニコリと綺麗に微笑んで言った。
「あなたよりかわいい人なんていませんよ」
その言葉に「うっ」と言葉に詰まり赤くなるマーガレット。
「それに私が本当に残念がっているのは何かわかりますか?」
彼女はアレクの綺麗な薄紫の瞳に縫い止められて動けなくなる。
「えっ・・・と」
所長をちょっとからかって終わりだと思っていたマーガレットは思わぬ展開についていけず口をつぐむ。
「・・・わかりません」
そうそうに白旗をあげるマーガレットの耳にアレクは口を寄せるとささやいた。
「今回の滞在ではあなたと二人きりで過ごす時間がなかったことですよ」
その言葉にマーガレットは耳まで真っ赤に染める。
アレクはそんな彼女の顎に指を添えて上を向かせるとゆっくり顔を近づけた。
あと少しで二人の柔らかなそれが重なり合うその時。
「ケンカ売ってるなら買いますが」
向かいの席から冷たい声が響いた。
見るとフォルが窓の外に目をやりながら絶対零度のオーラを醸し出している。
ハッと我に返り今度は羞恥で真っ赤になるマーガレット。
(そうだ。フォルがいたんだった)
慌てて火照った頬に手をやりながら窓の外に視線を向ける。
そんな彼女とは対照的に、アレクから不穏なオーラが溢れ出す。
「こういう時に見て見ぬ振りをするのも優秀な部下の役目では?」
アレクは笑ってない笑顔でフォルを睨むと言った。
フォルはそんなアレクに向かってフッと不敵に笑う。
「独り身の部下を気遣うのも優秀な上司の役目では?」
バチッと二人の視線の間で火花が散る。
ーーそれから数時間後。
(あ〜ふ)
マーガレットは口に手をやりあくびをかみ殺す。
最初はマーガレットも恥ずかしさに身の置き所がないと思っていたが、いまだに続く男二人の応酬に段々退屈してきていた。
カザブも手が尽きたのか、何も仕掛けてくる様子はない。
やがて旅と続く緊張感からの疲れが相まって、マーガレットは彼らの声を子守唄代わりに心地よい眠りへと誘われていったのだった。




