カザブの野望編 第13話
ジョシュアが襲撃されることを恐れたアレクの心配をよそに、一行は何事もなく朝を迎えることができた。
「昨日の今日なのにすごい食欲ね」
マーガレットはベッドに身を起こしながら朝食をがっつくジョシュアを見て半ば呆れながら言った。
「だって昨日の朝からほとんど何も食べてないんだぜ。自分の腹の虫の音で目がさめちまったよ」
いつも通りのジョシュア節に朝から彼の部屋に顔を揃えていた一行は顔を見合わせて笑いをこぼす。
どうやらジョシュアはもう大丈夫なようだ、と皆で頷き合った。
そこへノックの音が響いた。
エレナが返事をすると「パトリシアです」という声が聞こえる。
エレナはドアを開けてもいいかアレクに目で確認し、アレクが頷いたのを見てドアを開けた。
ドアの向こうには領主夫人のパトリシアが侍女を伴って立っていた。
「おはようございます。病床へ馳せ参じるご無礼をお許しください。お身体の調子はいかがか伺いに参りました」
パトリシアはそう言いながらドアの向こうで頭を垂れる。
ジョシュアはノックからパトリシアが姿を見せるまでの一瞬で、皿に残っていた食事を口いっぱいに頬張って飲み込み、口元を拭い、見事に王子然とした様子を取り繕っていた。
(なんだかよくわからないけど、ジョシュアってすごい…)
マーガレットは空になった皿とジョシュアを見比べて内心で舌を巻く。
「パトリシア殿。どうぞお入りください。おかげさまでだいぶ調子が良くなりました」
そう言ってジョシュアは優雅に微笑む。
「それを聞いて安心いたしました。心よりお喜び申し上げます」
パトリシアはジョシュアの部屋に入り丁寧に礼をとる。
そしてアレクに向き直ると言った。
「皆様には朝食の用意が整っております。どうぞ一階の食堂の方へお越しください」
そして侍女を連れて部屋を去っていった。
マーガレットは彼女の後ろ姿を見送りながら、何かひっかかる物を感じていたがそれがなんなのかはわからなかった。
***
ジョシュアと護衛の騎士を残し一行は食堂へと降りていった。
そこには朝からテーブルいっぱいに並べられた色とりどりの料理がおいしそうな湯気を立てている。
テーブルには上座からこの館の領主であるゲオルグ、そしてその妻であるパトリシア、そしてここでも本来騎士であり食事は別のはずのアレクがなぜか席を勧められ、しかも館の主であるゲオルグの次の上座、つまりパトリシアと同等の席が用意されていた。
マーガレットはまた妙な引っかかりを覚える。
一つ前に滞在したイライザの館でもアレクは席をすすめられていたが、あの時アレクはフォルよりも下座の席だった。
そしてそれは貴族の階級として当然だった。
なぜならフォルは伯爵家出身であり、本来のジョシュアの階級である子爵家は伯爵家よりも下だからだ。
それが今は王子不在で、リチリア国のメンバーの中では最も上座に席が置かれている。
侯爵家出身のマーガレットに扮するメグよりも上座である。
(何かおかしいわ。それともまたイライザの時みたいにただのアレクびいきなのかしら)
マーガレットは壁際で控えながら考える。
(でもパトリシアは結婚しているし、旦那様の前で堂々と他の男性の気をひこうとしたりするかしら)
結局アレクは用意された席にはつかず、マーガレットと同じように壁際で控えていた。
パトリシアは心なしか落胆したように見える。
マーガレットがちらりと横に立つアレクを盗み見ると、彼女の視線に気づいたアレクは彼女に向かっていつも通りの優しい微笑みを向けた。
彼女はそれがなんとなく照れ臭くて若干頬を染めて目をそらす。
それを虚ろな瞳で見ている人物がいることに誰も気づかなかった。
***
ジョシュアはその後無事に快方に向かっていたが、まだメグから安静にするように言われているためベッドの住人のままだった。
「あ〜、暇だ。暇すぎる。なあ、もうベッドから出てもいいだろ?」
「ダメです。今日一日は安静にしていてください。解毒剤の副作用があるかもしれませんので」
ベッドの横に座るメグに懇願するジョシュアと、それをすげなくぶった切るメグ。
マーガレットは部屋の中で窓際にある椅子に腰掛けながら、何度となく繰り返されるその攻防を見て思った。
「なんだか長年連れ添った老夫婦みたいね」
「はあ!?なんでこの人と夫婦なんです!?」
「老夫婦ってなんだ!俺らはまだ若いだろ!」
メグ、ジョシュアとほぼ同時にあがった抗議の声に、マーガレットはうっかり心の声が漏れてしまったことに気づいてヘラリと笑ってごまかす。
そして窓の外に何気なく目をやると、アレクが館の中庭を歩いていた。
咲き誇るクリーム色のバラがアレクの美貌をさらに引き立てている。
(バラを引き立て役にできる男ってなかなかいないわよね)
マーガレットは窓際に行儀悪く頬杖をついて、半目でアレクを見下ろす。
そこへ小さな影がアレクへと近づいた。
バラと同じクリーム色のドレスを身にまとったパトリシアだ。
そのドレスは彼女の華奢で可憐な雰囲気にとてもよく似合っていた。
パトリシアは何かしきりにアレクに話しかけている。
彼女の頬は上気してピンク色に染まっており、傍目から見ても彼女がアレクを好きであることは一目瞭然であった。
(やっぱりあの朝食の席は彼女のアレクびいきの結果だったのかしら)
マーガレットは胸に広がる正体不明の違和感に、言いようのない不安を覚える。
アレクとパトリシアはバラ園の中ほどで立ち止まり話をしていたが、やがてアレクがパトリシアを促すようにして二人はすぐそばにあった温室の中へと連れ立って姿を消した。
先ほどとは違ったモヤモヤがマーガレットの胸を支配する。
(不可抗力だってことはわかってますけど!)
マーガレットはアレクが異常にモテることは身を持ってわかっている。
あの美貌、穏やかな物腰、それに純白の騎士服。
女なら惚れないほうがおかしい。
(だけど!割り切れないのが複雑な乙女心なんです!)
急に一人でプンスカ怒り出したマーガレットにメグとジョシュアは顔を見合わせて首をかしげたのだった。
***
「あれ?ドレスが破れてる?」
マーガレットはメグの晩餐の支度のためにクローゼットにかけてあったドレスを出したのだが、そのドレスの脇がざっくり破れていることに気づいた。
メグがそばに寄ってきてドレスを手に取る。
「これは・・・刃物で裂いてありますね」
「えっ!?刃物?」
マーガレットはメグの言葉に驚いて目を見開いた。
「ここを見てください。鋭利な刃物でなければこのようには裂けません」
メグの指差した箇所を見ると、確かに布が綺麗に切れていた。
「一体誰がこんなことを・・・」
マーガレットがつぶやくそばでメグが思案顔で考え込む。
「お嬢様を狙うカザブの王宮の手の者だとすればこんな子供のいたずらは無意味です。さっさとお嬢様本人を攫おうとするはず。そうなると、考えられるのはお嬢様に恨みを持つ人間か・・・」
そう言われてマーガレットは首をひねる。
(私誰かに恨みを買うようなことしたかしら。あ、もしかしてフォル!?アレクの仕事の時間を削りまくって恨みを買ってるかも。でもこんな小さいいたずらしそうな人に見えないし)
考え込むマーガレットにメグが言葉を続ける。
「または王子殿下に想いを寄せる人間か・・・」
それを聞いたマーガレットの頭にとっさにパトリシアの顔が浮かんだ。
マーガレットがメグを見ると、彼女も頷く。
どうやらメグもパトリシアがアレクに好意を寄せているのはわかっていたらしい。
(パトリシアさんが・・・まさか?)
マーガレットは手の中のドレスをぎゅっと握りしめた。
***
晩餐の席ではアレクの席は用意されていなかった。
代わりに今朝アレクに用意されていた席にはやっとベッドから出る許可のおりたジョシュアが座っており、その隣にメグ、フォルといつも通りの順で席が用意されていた。
マーガレットはメグの給仕をしながらちらりとパトリシアの様子を伺う。
彼女は王子に扮するジョシュアに話しかけながらも、時々ジョシュアの後ろに立つアレクにキラキラとした視線を送っていた。
(あからさますぎなんじゃ・・・)
自分の夫の前でああもわかりやすく他の男に視線を送るのはいかがなものか、とマーガレットは内心で呆れるやら感心するやら。
おそらく領主との結婚は政略結婚なのだろうが、だからといってここまで遠慮しないものなのだろうか。
マーガレットの両親は上位貴族には珍しく恋愛結婚なので、一般的な貴族の政略結婚がどのようなものなのか彼女にはよくわからなかった。
晩餐が終わりマーガレットとメグは部屋に戻ると湯浴みをするために準備をした。
そこでまとめられていたメグの髪をほどいて櫛を手に取ろうととしたマーガレットは、その櫛が半ばからぱっきりと折れていることに気づく。
「これは・・・所長に報告すべきかしら」
微妙なレベルのいたずらに、逆に対処に困るマーガレット。
「今の所、身の危険があるわけではありませんしねえ」
メグも困り顔だ。
「そうね。早ければあさってにはここを発つわけだし、わざわざ事を荒立てることもないわね」
そう結論を出し、二人はマーガレットが自分用に持っていた櫛を出すとメグの髪をとかして彼女を部屋付きの湯殿へと送り出した。
その次の日も朝食の後メグと一緒にジョシュアの部屋にいたマーガレットは、アレクとパトリシアが再び中庭で会うのを見た。
咲き誇るバラをバックに立つアレクと、彼に向かって優雅に淑女の礼をするパトリシアは大変絵になった。
アレクが自分に何も言わずにまたパトリシアと会っていることにムッとしながらも、マーガレットは今しがたパトリシアがした礼に何かひっかかるものを感じる。
(淑女の礼・・・)
そのなんの変哲もない見慣れた礼にマーガレットは目を見開く。
(まさか彼女は・・・)
マーガレットは今まで感じていた正体不明の違和感のパズルのピースが、音を立ててはまっていくのを感じた。




