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ヒロインシリーズ

ヒロインはチョロい「ハロルドは死んだ」

作者: 茶月ちゃこ

 私が()をハロルド・ナルル・トリーシャだと理解した時。

 無防備に動きを止めた私の体を対峙していた魔物(モンスター)の鋭い鉤爪が真正面の右肩から腹部にかけてを掻き抉っていた。

 痛い、だなんて感じる間もなく全身が炎に包まれたかのように熱くなり、噴き出す自分の赤い雨に命の終わりを予感する。

 下肢の力が抜けて崩れ落ちる私の視界の端に映ったのは、浅黒い肌の屈強そうな男が野性的に牙を剥き出してハロルドを害した魔物を真っ二つに割る場面。


 「何やってんだ、馬鹿野郎!」


 口汚い男は返り血をものともせずに断末魔をあげて闇に溶ける魔物の残骸を押し退けて、苔むした坑道の居心地の悪さに不快感を覚える()の体を抱き起こす。

 ヒュー、ヒューと肺雑音の混じる呼吸を繰り返す私の軽装の前を乱暴に開いた男は低く唸る。


 「だから防具を着ろっつっただろ…!」


 そんなに酷い傷なのだろうか、やはり私は死ぬのだろうか。()を取り戻した瞬間にこの世とおさらばだなんてなんたる喜劇なのだろう。

 死にたくないな、なんて思えるだけの自分を自覚はしていないけれど、きっとパーティーを組んでいたこの男には苦い思い出を残してしまうだろう。申し訳なさを伝えなくてはいけない。艶やかな鮮血に濡れる手を緩やかに持ち上げると、気が付いた男は汚れることも憚らずに握ってくれる。いい人だ、優しい人だ。男の名前も思い出せない癖に、他人の優しさに甘えることばかりは一人前以上のポテンシャルを発揮する。ああ、なんて私は傲慢なのだ。


 「ご、め…」


 言葉が雑音ばかりの呼吸に邪魔されて伝わらない。ごめんなさい、名も知らぬ貴方。謝罪すらまともに伝えられずに死に行く私を許して下さい。

 強烈な眠気に意識を流されて、目蓋が落ちる。耳に残ったのは男が私を呼ぶ怒号。ハロルドって、案外人望のあるキャラだったのかなぁと考えが過り、私は小さく笑って死んだ。




***




 死んだと思っていた私は目蓋を掠める柔らかな春風に擽られて意識の外側から自分を取り戻す。耳に入る声や街の生活音は、()だった頃のものとはかけ離れている。規則的に、定時に聞こえる電車の音ではない空に打ち上がる空砲。クラクションではなく食器をカチャカチャと忙しなく洗っている音。知らない音に鼻から息を深く吸い込むと、知らない空気か肺を脹らませた。花と、木炭で火を起こした時の臭い。()の日常からは程遠い臭いだ。

 知らない音、空気。正体の分からぬ空間に居る自分のことすら危うい立場に思えて、私は重たい目蓋を持ち上げた。

 ぼやける黒に近い木目調の天井は、()の部屋ではないものだった。あの部屋は陽の射し込まぬじめじめとした薄暗い灰色の天井だ。吊り下がる粗末な裸電球ひとつが、僅かな光源。こんな、眩しい光が幾筋も折り重なる明るい部屋は知らない。

 鈍い頭痛に突付かれて、頭が徐々に働き始めていくと、浸透して行く現実。()の名前は最早ここでは通じない。私は、ハロルド・ナルル・トリーシャとひとつになったのだ。

 別に、惜しむ程高尚な人物ではないはずだった。どちらかと言えば斜に構えたような可愛いげのなかった私。捻くれ者で、根暗な日陰者。

 だけれど確かに()だった。

 さようならと別れを告げるだけなら許されても良いだろう。静かにゆるりと目蓋を閉じると、人の気配のなかったはずの室内に男の声が響いた。


 「何で泣く?」


 泣いている?誰が?まさか、私が?

 目尻から耳に流れ落ちる温かな水滴に驚いた私は、その時初めて自分が泣いているのだと知った。


 「おい、」


 ガタンと何かが大袈裟な音をたて、仰向けの私の視界に男の姿が映り込む。ぼやける中でも見覚えのあるあの屈強そうな浅黒い肌の男。その男が、険しい表情で私の様子を伺っている。


 「どこか痛むのか」


 面倒そうに吐き出す言葉と裏腹に、伸ばす癖に決して触れようとしない指先のなんと繊細なことか。顔の上でさ迷う男のささくれだった指先は、やがて握り潰されて体の横に戻って行く。


 「ハロルド、答えろ」


 呼ばれた名前に感じる違和感。そう、そうだ。私はハロルド。ハロルド・ナルル・トリーシャは猛者達の集まる冒険者ギルドに所属する女戦士。間違っても、こんなか弱い涙を見せるような女ではない。


 「っ、でも、ない…!」


 ハロルドらしからぬ姿をこれ以上晒してはならない。首をゆるゆると横に動かし、腕を持ち上げ顔を隠そうとした。しかし、思うように両腕は動かせずに指先が痺れるだけだった。

 目を瞑り男の視線から逃げる為に顔を逸らすが、全く意味のない反抗だった。さっきは躊躇した男のひび割れた指先は、容赦なく私を捕まえる。


 「逃げるな、言え」


 端的に告げる言葉は高圧的。それなのに不器用に私の頬を挟んだ指先は、臆病に震えている。何なのだこの男。どうしてこの男はこんなにも真逆に私を責め立てる。


 「さ、わ…るな…」


 わざと傷付けるような言葉を吐いても物怖じしない男は、私の表情の僅かな揺らぎも見逃しはしないと見詰め続ける。

 嫌だ、私はハロルドなのだ。

 見るな、お願いだから私を見ないで。

 掻き混ざる心情を察したのか、それともただの当てずっぽうかは分からない。だけれど男は私の目を見て言葉を落とした。


 「お前…誰だ…」


 嗚呼、そんなこと私にだって分からないのに。

 男から逃げたい、そればかりに支配された声帯が震えた。響くのは悲鳴。起き抜けの掠れた女の恐怖を煽る、悲鳴だった。

 悲鳴に駆け付けた年配の女性が男を部屋から追い出した後も、私は壊れた玩具のように、ただただ、悲鳴が枯れて意識を落とすまで狂っていた。




***




 『ハロルド・ナルル・トリーシャは、大して難しくもない古坑道での魔物(モンスター)掃討で失態を冒した。魔物の鉤爪に致命傷を負い、ランクAの冒険者としての誇りを失った。風切り羽を手放した彼女の輝かしい栄光はこのまま記憶の彼方に消え去りいつしか思い出と色褪せていくのだろうか』


 そんな風に風刺されたギルド月報の紙の色が変わり始めた。

 あの目覚めから2ヶ月。私はやっぱりハロルドだった。

 ハロルド・ナルル・トリーシャは、このギルド月報の予見通りにギルドから足を洗った。冒険者の肩書きを無くした当初は冷やかしや罵りのからかいをよく受けたが、ハロルドらしからぬ私の生気を持たぬ視線は彼等の戦意や意欲を葬るには効果があったらしい。皆、一様に気味悪がって私を避けるようになった。


 (当たり前だわ。私はハロルドにはなれなかったんだもの)


 ハロルドではない()は、しかし己がハロルドであることを(ようや)く自然に受け入れるようになった。

 私は、ハロルド。()の世界の男性向け恋愛シュミレーションゲームに出てくる攻略対象(ヒロイン)の一人。女だてらに武器を振り回し、序盤の弱い主人公を煽る姉御肌なキャラクターだ。ハロルドのルートは主人公を強く鍛え上げ、秋に行われる武道大会で主人公が彼女を破ると一気に落ちるという王道の流れ。自分よりも強い男に惚れやすいハロルドは、武道大会での勝敗の有無で逆プロポーズをするかとことん嫌い見下し貶すかの二択しか用意されていない。以降、ハロルド関連のイベントは発生しないという仕様は個々のエンディングではなくハーレムエンドを目指す上での最大の難関になる曲者ルートだ。


 (嗚呼、でももう武道大会なんて出れないわ)


 別にアニマルドール本編を(なぞら)える必要なんてない。私はこの世界があのゲームによく似た別物であることをよく知っている。もし、ここで主人公が登場したとしても、それはただただ、面倒なだけなのだ。

 武器を持たなくなって2ヶ月弱。武器を握り皮の厚かったハロルドの手は、現在ペンを握っていた。あの目覚めの時世話になった宿屋の老婦人から紹介を受け、私は城下の教会区で暮らしていた。病院代わりの役割を担っていた教会の一角で、怪我人の個人情報を纏める事務職に就いている。

 今や、私をハロルドと見分ける人は居ないのかもしれない。武器を置いた私の体は戦う為の武装(ちから)を捨てた。多少人間の中では浮くだろうが、長身も、男に負けぬよう鮮やかに染色していた鶏冠(とさか)も伸ばした髪の毛の一部に溶けて目立たない。

 晴れてその他大勢(モブキャラ)に降格した私は、この世界でもひっそりと息を潜めて、静かに生きようとしていた。


 (いくら派手(ハロルド)な外見をしてたって、結局中身はは()寄りなのよね)


 敬虔(けいけん)な訳ではないけれど、はみ出した私を受け入れてくれた教会は懐が大きい。その為の感謝の祈りを捧げることが、夜も明けぬ早朝から夕暮れまで働いた私の唯一の日課になっていた。

 人の気配も疎らになった、夕暮れの淡い光が射し込む教会はとても荘厳で美しい。その中に身を置いては、私はこの世界の隅で生きる許しを乞う。

 清廉なこの教会での私の日課には、時折邪魔が入る。それは、毎日のようでもあったし、はたまた数日置きでもあった。

 武装厳禁の教会内に来る為、わざわざ依頼帰りの草臥れた姿でも防具をどこかで外してくるらしい。どうしてそんな面倒なことをするのかは、疑問に思っても口には出さない。彼は、私の座る長椅子の端の対極に座り、離れた場所から祈るハロルドをただ無言で見詰めるのだ。

 面倒そうに大きな溜め息を吐く日もあった。舌打ちをしている日もあった。咳払いをする日もあった。体調を危惧したシスターに声を掛けられては、無愛想にあしらう日もあった。だけれど、私の姿を見ては声も掛けずに帰って行く大柄な冒険者の男。

 ()がハロルドに溶けた時、血塗れの私を助けた恩人。同時に、ハロルドではなくなった私を見破ったただ一人の男。


 (ファルグート・ヤト)


 ファル、とハロルドは呼んでいた冒険者の仲間の男。彼は元来、粗暴だが気のいい男だった。間違っても、こんな焦れったいやり取りとも言えぬコミュニケーションは得意なはずがない。

 ハロルドと声を交わしたいのだろう。それはいくら人の機微に疎い()でも何となく分かる。けれどお互いに機会を逃したかのようで、拗らせたままだった。


 「あのお知り合いの方と、お話しされないのですか?」


 ある日、渡りに船とも言えるシスターからの穏やかな言葉は、教会内の静けさの琴線を僅かに震わせた。ファルグートが帰った後の、祈りの形を崩し俯いた私への優しい言葉は、出来ることなら聞きたくない言葉であった。どうしてかって?そんなの決まっている。シスターに問われたら答えねばという気にさせられるからだ。


 「そう…ですね…」


 ぎこちない笑みを貼り付けて顔を上げると、ハロルドよりも若い少女と言っていいシスターが立っていた。


 「ごめんなさい、こんなことを聞いてはならないと思っていたのだけれども…」


 きっと、随分とやきもきしながら見守ってくれていたのだろう。焦れた私とファルグートの距離に業を煮やしたようだった。それもそうだ。私は日課で毎日祈るし、彼も頻繁に教会に足を運んでいるのだから。どうしたって元冒険者と現役冒険者の姿は教会では悪目立ちする。


 「あの…何か。ええと、彼には来るなと言った方がよろしいですか?教会内の風紀が乱れる、とか…」


 「まあまあ、違いますわハロルドさん。いいえ、違うのですよ。彼はとても丁寧に教会で過ごして下さっていますのに、そんなこと!」


 私の言葉に少々声を荒げたシスターは慌てて口に指先を当て謝って、音量を落とした声でひそひそとこんな風に教えてくれた。


 「ファルグートさんは、貴方とお話したいだけのようですよ。彼は後悔を、感じているようです。ハロルドさん、教会は皆に平等に手を差し伸べますが…彼は、貴方からの手しか取らないおつもりなのかもしれませんよ?」


 「え…?」


 シスターの言葉に目を見開くと、やはりにこやかな笑みで、組んだままの私の手に温かな柔らかい手が添えられた。よく働く少女の、少しあかぎれた手だ。


 「きっと、ちょっぴり歯車が食い違ってしまっただけです。会いたい人も、言葉を交わしたい人もこんなに近くに居てくれるのに、明日には伝えられないこともあるんです。ハロルドさん、貴方は後悔されませんか」


 「そんな…別に私は後悔だなんて、」


 シスターの言葉にチクリと細い針が胸に刺さって、私はどうしてそんな気分になるのか自分が分からなかった。


 「ふふ、そうですか?ならばこれ以上は出過ぎた真似は致しません」


 「え、ええ…」


 最後までにこやかに言葉を残し別れを告げたシスターを見送って、濃紺と混ざる空に気が付くまで私はぼんやりと胸の痛みの意味を考えていた。


 (後悔、だなんて…)


 そんなもの、溢れ返るばかりだった()の人生。今更、おいそれと簡単に生き方は変えられない。


 (切っ掛けは…あった…けど…)


 ()がハロルドになったあの時のことを思い出して、気まずい心を見ない振りをして帰路に着いた。




***




 ファルグートとかち合いたくなくて、勤務時間を夜に変更してもらってからまた数ヵ月。季節は残暑厳しい熱した空気に茹で愚図る。来週には武道大会が開催される、そんなことを思い出したのは、夜勤のシスターに武道大会での怪我人の看護補助の手伝いを打診された時だった。


 「私、看護なんて出来ませんよ」


 「お手伝いをお願いしたいのはあくまで補助ですよ。当日はとにかく人手を必要とするのです。」


 開催会場の裏手に用意された救護室から出ることはないと念を押されて、気が付けば補助を了承していた。あの大会には冒険者ギルドの面々がお祭り騒ぎではしゃぎ回る。救護室でハロルドと顔を合わせれば気まずい気分になることはほぼ確定であろう。可能な限り、シスターの影で気配を消すしかない。地味な女に落ち着いた現在の私の正体が、バレないように努力しよう。

 そんな密かな決意は虚しく、武道大会当日の私は一人の男に捕まってしまった。


 「やっと見付けた!」


 驚く私の腕をギリギリと骨が軋む程力強く掴むのは、見覚えなんてない顔だった。顔、と表現するしかないのだが、へのへのもへじの棒人間が唾を飛ばして必死さだけは伝わる形相で詰め寄ってくる。腕のみが人と同じの異形と評するべきその男の声は、苛立ちと嫌悪を最大限に私にぶつける。


 「ギルドで探しても居ないと思ったら、こんな所に居やがった。ったく、ほら、行くぞ」


 「は、離して下さい!止めて、」


 「はあ?何言ってんの、お前ハロルドだろ?」


 「ハロルドですけど、違います!」


 「はいはい意味不明意味不明。さっさとお前に勝ってハーレムエンド開拓しときたいんだからさぁ、俺、忙しいからあんま苛つかせないでくれる?」


 「っ…、」


 棒人間の正体に気が付いて、私は言葉を失った。この男は、主人公だ。アニマルドールというゲームの主人公なのだ。

 引き摺るように私を会場袖まで連れて来て、棒人間は司会者に耳打ちして私の姿を顎で指す。不躾に舐め回すように這う好奇心は居心地が悪いだけで、救護要員用の白い制服の上から下までを確認される。試合に熱狂する人々の歓声で彼等の会話の内容は聞き取れない。けれど、刃の潰れた大斧を無理矢理手に持たされれば悪い予感しか感じない。


 「私は一般人です!大会にエントリーしていない!」


 私の精一杯の拒否の声は、無惨にも棒人間に軽くあしらわれた。


 「じゃあ、黙って俺に倒されればいいじゃん」


 嗚呼、これは夢だと誰か言って。

 このままでは大衆の面前でこの男と試合をせねばならなくなる。慌てた私が囚われたままだった腕を振り払って逃げるように駆け出すと、伸ばしていた長い髪を掴まれて呆気なく逃亡は失敗に終わる。


 「いっ、た…はな、離して!」


 「なあ、あんま苛つかせないでってさっき言ったよね?俺、言ったよね?」


 「ひ…やめ…!」


 棒人間の声の後、私の後頭部を勢い良く何かが通った。直後、ガクンと体の力が抜けてへたり込む。まさか、そんな、嘘だと、この男のした所業に信じられず頭を被う。


 「ねえ、鶏冠を切ると鳥獣人は力が出ないって本当?」


 「や…あああ…!」


 なんてこと!

 鳥獣人にとっての鶏冠は、髪の毛の一部だが身体のバランスを取る為の三半規管の役割を担う器官だ。これを無理に切られれば感覚が狂ってしまう。

 ぐしゃり、きっと面白いように私は地面に突っ伏したのだろう。無様な姿を見た男は楽しそうに笑い声をあげた。


 「よし、そこで大人しくしといてね」


 ご満悦らしい棒人間は、興味の失せた私の鶏冠を地面に捨てた。

 司会者の男は、さすがにやり過ぎだと思ったのかもしれない。見違えたハロルドの姿を値踏みしていた時は棒人間に加担しようとしていたけれど、鶏冠を切り落とされた私の様子に動揺していたようだった。しかし、棒人間の機嫌を損ねるようなことは言えないらしい。結局、今行われている試合の勝敗が決した所でこの場から逃げるように出て行った。


 「さ、次は俺達だよ」


 獣人の利点のひとつに、適応力の高さがある。早くも短い鶏冠に適応し始めていたことは救いだったのだろうか。自力で起き上がることが出来るようになっていた私の腕を乱暴に引き上げられ、再び引き摺られるように棒人間の隣に立った。

 拒否をする意志なんて、鶏冠と共に()がれてしまったみたいだった。ただ、早く終わることを願った。

 司会者の声がイレギュラーな試合の開始を説明する。途端、ざわつき始めた会場の歓声。冒険者ギルド内でも数える程しか在籍しなかった高ランクの女冒険者、ハロルド・ナルル・トリーシャの名前は未だ有名なようだった。引退は公然の事実だったから、観客達はこの場でハロルドが復帰すると考えたのだろう。皆、ハロルドの名を呼ぶ。

 私はと言えば、呼ばれるままに覚束無い足取りで、気付けば試合の舞台上に立っていた。

 手に持った大斧は、ハロルドにとってこんなに重たかっただろうか。手入れのされていない持ち手の古びたグリップは、数々の冒険者達の潰れた血豆で赤黒い。今の私の手のひらには、ひとつもない冒険者の勲章だ。

 私の姿の異様な雰囲気に、観客達の声はまたどよめく。非現実的にふわふわとしたスポンジの上に立たされた気分だ。体勢が狂う、このままでは目の前の()に喰われてしまう。今度は死んでしまうかもしれない。助けてくれるファルグートは傍に居ないのだから。

 いつの間にか開始の合図は落とされた。夢見心地だった私には届かなかった声だったけれど。だけれど棒人間の気配は読み易い初心者のものだった。いくら引退したと言っても、数ヵ月しかブランクのないハロルドには刃は届かぬ素人の剣戟(けんげき)。無意識の内に、大斧を扱ってはその攻撃を弾いて応戦していたが、狂わされた平衡感覚に足元は崩れる。素人からの攻撃だとしても、試合展開は一方的に棒人間が有利だ。そして、武器を置いた私の両手は、グリップを握り続けるだけの握力が無くなっていた。


 「おおっと、ハロルド!大斧から手を離してしまったー!」


 司会者の男の声に遠くに飛ばされた大斧は舞台から滑り落ちていく。もういい、十分だ。これで試合の決着は着いた。舞台の石造りの床に両手を付いた私の頭上で、剣が振り上げられる音がする。


 「ハロルドルート、完了っ!」


 嬉々として響く声に悪意はない。棒人間はその剣を振り下ろすだろう。当り所が悪くなければいいのだけれど、なんて久々に激しく体を動かして呼吸が荒い私は他人事のように目蓋を閉じた。


 (いっそのこと、このまま死んでみたらいいのかもしれない)


 諦めの境地を拗らせた私の体は、いくら待っても傷付かない。振り上げられたままの剣の気配は感じるから、何が起きたのかと落とした目蓋を震わせて持ち上げる。足元しか見えていない視界には、棒人間とは違う大きな革のブーツ。土埃に汚れたその靴の持ち主を、私はよく知っている。


 (どうして…)


 どうして、また助けてくれるのだろうか。

 この、ファルグート・ヤトという男は。


 「運営!」


 低く唸る猛獣のように、ファルグートが叫ぶ。ざわついていた会場が、水を打たれたように静まり返る。皆、ファルグートの一挙一様に目を奪われているのだ。


 「大会にエントリーしてねえ一般人(・・・)に武器持たせるなんてどういう了見だ!」


 その言葉は、会場に大きな動揺を走らせる。

 大会運営側が控えている方向を睨むファルグートだが、慌てふためくだけで役立たずな人々に面倒そうに溜め息を吐いて再び声を張り上げる。


 「ギルマス!」


 ただ、その一言だ。その一言で、混乱は収束する。


 「この件は冒険者ギルドのマスター、ディアールが預からせていただきます」


 それだけ告げたディアールの言葉の後に、会場内に響く大会を一時中断するアナウンス。私は、このままベッドに飛び込んで泥のように眠ってしまいたい疲労感に急かされるが、ファルグートに対し棒人間が不満をぶつけているようだった。


 「邪魔するなよ!せっかくあと一撃でハロルドに勝てたのに!」


 「黙れ」


 「ハーレムエンドに出来なくなっちゃうじゃないか!ああもう、クソっ!」


 「黙れと言った」


 「もう一度試合をやり直さないと…いや、でもこの大会を逃したらハロルドのイベントは起きない…セーブもロードも出来ないとか、本当にクソゲー…」


 「黙れっつったのも分からねえのか、ガキ」


 刃の潰れた剣を、ファルグートは片手で握り折る。短く漏れた棒人間の悲鳴に被せて獣のような男が唸る。


 「流れがでしゃばってんじゃねえよ。死にてえのか」


 「な、何だよ!」


 ファルグートの威圧に声が裏返る棒人間だが、害されるはずがないと思っているのだろう。気圧されながら反抗する意志に私は慌てて二人の間に割って入る。


 「ファル、駄目」


 たったそれだけの言葉だけれど、ファルグートを制するには十分だった。舌打ちをした彼が私の傍に膝を付く。


 「何だってお前は…」


 小さく呟いたその先は聞き取れず、私はファルグートに抱え上げられた。堅牢を連想させる胸板に頭を預け、もう口を開かない彼の表情を窺おうとしたが降り注ぐ夏の終わりを惜しむ太陽の光に眩んで分からなかった。

 それなのに何故だろう。

 彼の近くはとても居心地が良かった。




***





 「申し訳なかった」


 日中の残暑厳しい気温との朝晩の寒暖の差は、着実に季節の変遷を私に教えてくれていた。

 事務作業とはいっても、いつもは奉仕する側の立場の私が教会内の病室の一部屋の中のベッドの上で、冒険者ギルドのマスターの謝罪に困惑していた。


 「止めてください、そんな、謝罪だなんて」


 「今回のことは完全に大会運営側の落ち度だ。君の矜持を傷付け、大衆の面前で辱しめた愚の骨頂だ。言い訳のしようがない」


 「ギルマス、声を抑えて!ここは病室です」


 そのまま放置していたら床にめり込むような土下座をしそうなギルマスの様子に、私はギョッとして声を掛けた。これがかの有名人、冷徹のディアールの姿と知られればイメージ戦略的にアウトである。


 「別に私は…気にしていないとは言えませんが、今回のことは水に流せる程度のことと思っています。ですから、頭を上げて下さい。じゃないと気が気じゃなくてまともに会話出来そうにありません」


 ここまで言い切ると、ギルマスは下げたままの頭を上げてくれた。良かった、これ以上彼の二つあるつむじを見続けずに済む。


 「水に流せる程度のことと、君は思うのかい」


 「はい、そうです」


 先程とは打って変わった静かな声色の確認に、私は大きく頷いた。


 「この病室で掛かる費用はギルドで負担して下さったと聞きました。私にはそれたけで十分な慰謝料ですよ。これ以上何かをギルドに望もうとは思いません。私が冒険者だった事実は変えられませんし、今回のようなことを繰り返さぬようより注意を払って生きれば良いだけです」


 暗に、そっとしておいて欲しいと告げれば聡明なギルマスは複雑そうに笑みを浮かべた。


 「実は…件の彼は流れの冒険者でね。どこかにコネがあったらしいんだ。一介のギルマス程度では太刀打ち出来ない圧力が掛かった」


 「はい」


 それはきっと、主人公補正(チート)というやつだろう。彼もその恩恵を受けたに過ぎない。


 「効果的なペナルティは課せなかった。本当に、申し訳無い」


 「謝らないで下さい、それでいいんです」


 ゆるゆると首を振った私の姿に、ひとつ咳払いを落としたギルマスがこう提案をしてきた。


 「ハロルド、君のその鶏冠が元の長さに戻るまでの間、君を護衛した方がいいのではないかとギルド内で意見が出たんだ」


 「そんな、大袈裟な…」


 私は、ギルマスの浮かべる意地悪な笑みに困ったように眉を下げた。ギルマスが私の病室を訪ねて来た時からずっと、病室の外の廊下に立つ人物の影があることに気付いていたからだ。


 「どうだろう、こちらとしては君にそのつもりがあるならば護衛を派遣することに異存はないんだ。喜んで君を守ると誓おう」


 ゆるりと廊下の人物の影を見て、私は目蓋を閉じて首を振った。


 「いいえ、必要ありません」


 「そう…」


 私の答えに、ギルマスの気落ちした声が一瞬だけ囁く声色に変わる。


 「一日だけでも、お願いしたいんだけど」


 その言葉の意味は図り兼ねたけれど、世話になったギルマスの頼みは断り難い。そして私には、その一日に誰が派遣されてくるのか分かってしまった。


 「い、一日…だけなら…」


 意図せずそう答えてしまって、思い通りの返答に満足したギルマスは嬉しそうに口角を上げた。ギルドに所属する冒険者達は、この不思議な説得力に押し流されるまでが一人前になる為に必須なのである。




***





 冒険者ギルドに前以て指定していた日の朝。朝日に目覚める教会の中でいつもと同じ席で祈りを捧げていた私の対極に、ドカリと大きな音がして誰かが座った。

 まだ誰も礼拝に訪れて居ない教会の中に、たった二人だけでも呼吸音はひどく目立つ。


 「何で病室に居ない」


 苛立ちを隠さないファルグートの声に、祈りを終えた私は顔を上げて朝日に煌めくステンドグラスを見詰めた。


 「外出許可を取ったから」


 「だったらそう伝達しろ」


 「それは…悪かったわ…」


 短い言葉の応酬に、そう言えば久し振りにファルグートと会話していることに気が付いた。以前は確か、よくパーティを組んでいたからこんな風にぎこちない会話をすることはなかった。あの頃は、魔物の討伐作戦を練る為に夜通し語り合う日もあった。


 「アンタと…話すのは久し振りね」


 ハロルドは私なのに、()が溶けてからは面と向かってこうして話すのは初めてだ。どうしても初対面の人間との会話の気分にさせられる。


 「ハロルド」


 ファルグートの言葉の節に尚早を感じて、私は漸く彼を見た。


 「待って、言わないで。ちゃんと話すから」


 だからもう少し待って欲しい。

 ハロルドらしからぬぎこちない笑顔の()の願いは、優しい男の口を止められたらしい。優しさに浸け込んでごめん、なんて言葉も飲み込んだ。


 「髪の毛を切りたいの。まだ朝早いし、店が開く時間まで街を歩きましょう。食堂開いてるかしら。私、朝ごはんまだ食べてないのよ。ねえファル、アンタ最近のお薦めの店はないの?」


 「俺が知ってんのは飲み屋しかねえよ」


 「あっそ。なら適当に行きましょ」


 急に饒舌に変わる私に驚いた様子のファルグートだったけれど、寧ろハロルドらしい喋り方に困惑しつつも笑ってくれた。

 付かず離れず、伸ばせば手も繋げるような距離でも遠い私とファルグート。

 冒険者を辞めてからあまり外出もしなかった私は、自らの足で教会区から久し振りに出た。

 時々、まだ慣れない平衡感覚によろけたけれど、その時はすかさずファルグートの手が私の肩を支えてくれた。


 「ありがと、ファル」


 何でもないようケラケラと笑って彼の手から逃れれば、文句のひとつも言えない男の視線が突き刺さる。だけれど余計な言葉も出ない。そんなやり取りをしながら私達は、街の中を進んで行った。

 商業区の賑やかな大通りを抜けた裏通りで見付けた小さな食堂で食べた焼き立てのパンとスープは絶品で、切り盛りしている気の良い店主夫婦にまた訪れることを約束した。

 凝った装飾がクラシカルな雰囲気の美容室を見付けてファルグートの腕を引いて中に入れば、予約客のいない時間だったのか快く私の髪型を整えてくれた。バラバラに切り落とされていた私の髪は、冒険者の時からは考えられぬ程短く切り揃えられた。ついでだからと、ヒゲを伸ばしっぱなしで熊のような容貌のファルグートも整えてもらった。綺麗に剃られてさっぱりした口元に思わず、笑ってしまった。


 「アンタ、結構男前だったのね」


 「ほっとけ!」


 人間の癖に私よりも獣じみていたファルグートは、赤い頬を隠すヒゲを失い慌てて片手で目を覆っていた。

 新しい髪型に変えたならば、今度は新しい服が欲しくなるのが女の心情だ。渋るファルグートを嫌々ながらに付き合わせ、私は様々な服飾店の扉を叩いた。


 「お客様はスタイルもよろしいですから、こんな風に肩を出す服はきっとお似合いになりますよ」


 とある店で店員にお薦めされた服を手に取り、私は少々困ってしまった。冷やかしのつもりで入った高級志向の店に並んだ品々は、一着で私の一ヶ月分の給料が飛ぶ。やんわりと断りたいところだと考えていると、ファルグートの厳しい声色が店員に向いた。


 「駄目だ、肩を出す服なんて」


 その言葉を焼きもちと受け取ったのか、店員がにこやかに笑う。


 「あらあら、お熱いですわね」


 「え!ちがっ、違います!」


 店員の言葉の意味も、ファルグートの言葉の意味も同時に理解した私は慌てて服を店員に押し付けて店から逃げるように飛び出した。

 買い込んだ荷物を持たせていたファルグートは、外に出た私の後を追って来て言葉を落とす。


 「肩を出すような服は着るな」


 「き、着ないわよ!」


 人の往来のある場所でなんて会話をしているのだろう。行き交う人々が不思議そうに私達を見ている。


 「ハロルド」


 「分かってる、ファル。分かってるから大丈夫。そんな顔しないでってば」


 ファルグートは、気に病んでいるのだ。

 ()がハロルドになった時に追った傷の痕のことを。


 「それに、あの傷はアンタのせいじゃないわ。だからそんな顔しないで。せっかくいい気分で買い物してたのに白けちゃう」


 「ああ…」


 納得のいかない様子で表面上の肯定を見せたファルグートに、私は溜め息を吐いた。


 「ファル、私甘いものが欲しいわ」


 それは、ハロルドの口癖。

 疲れた時や依頼で街を離れた時にはよく呟く、ハロルドを象徴する一言だった。

 ()自身は甘いものは苦手な方だけれど、彼にハロルドを魅せる為には効果的な一言だったのだろう。ファルグートは、この主張に目に見えて表情を変えた。


 「ねえ、あそこのシェイク買って来てよ。私、ちょっと疲れちゃったわ」


 リクエストしたのは移動販売のトラックで売られている流行りの氷菓。小高い展望スペースが近くにある為、そこで休憩することにした。

 ファルグートが私に差し出したのは、生クリームたっぷりのバニラシェイク。ハロルドの好みを熟知しているこの男は、一体どんな顔でこのシェイクを買ったのだろう。以前ならばハロルドの我が儘なんて一蹴していた癖に。


 「ありがと、ファル」


 素直に感謝を伝えてそれを受け取ると、隣にファルグートが腰を下ろした。まだ溶けていない為、私はストローでぐりぐりと白い渦巻きを掻き混ぜる。

 下を向いていて気が付いた。随分と影が伸びている。もうじき、夕暮れになるのだろう。


 (もう、いいかしら)


 ()は、ハロルドではないことを伝えても。


 (まだ…駄目、なんて言えないわ)


 朝、一番に聞こうとしていた気の短いファルグートが、ここまで付き合ってくれたのだ。彼の時間をこれ以上は奪うべきではない。

 そう思った私は、黄昏色に染まる街並みを見下ろしながら口を開こうとして、遮られた。

 誰にって?そんなの、一人しか居ない。私の隣の、大きな男。


 「悪かった」


 はっきりとした、ファルグートらしい率直な言葉だった。思わず顔を向けると、先程の私と同じように街並みを見下ろす彼は再度口を開く。


 「悪かった。俺は…お前はを傷付けた」


 「ファル…?」


 「肩の傷もそうだが、言葉でも傷付けた。教会で祈るお前にさっさと謝れないばかりで、嫌われても恨まれても仕方無かった。見守ると決めたはずなのに、武道大会でまたお前が傷付くのを守れなかった」


 「何、どういう意味?」


 見守る?守る?

 ファルグートは一体何を話しているのだろう。


 「俺は、お前の傍に居たかった」


 そして、私とファルグートは視線を合わせた。


 「ハロルド、聞いてくれるか」


 「待って、待ってファル。違うわ」


 「朝から散々待たされた。もう待たない」


 「話を聞いて!」


 「まず、俺の話が先だ」


 「嫌よ、私の方が先だわ!」


 この流れは不穏過ぎる。私は慌ててファルグートの口を押さえ付けようと手を伸ばしてシェイクを落とす。ひんやりとした両手は、彼の口元を覆い二人の距離が近付いた。

 私の挙動に驚いたのか、ファルグートは固まっている。その瞳が真っ直ぐだから、逃げ場をなくした私は勢いに任せて告白をした。


 「私は、()は…ハロルドじゃない…貴方の知ってるハロルドじゃないの」


 それは、ハロルドの口から出すには残酷な事実だ。だけれど私は言わねばいけない。彼には嘘は、通用しない。


 「()は、ハロルドじゃないけれど…私とひ、ひとつになって…だから()はハロルドで…ごめ、上手く、言えない…」


 焦って紡いだせいで、下手くそな説明になってしまった。どう言えば伝わってくれるのだろう、ファルグートの視線はこんなにも一身に私に降り注ぐのに。

 押し付けていた手のひらを生暖かい何かになぞられて、私は驚いて手を引っ込めようとファルグートから離したが、すぐに大きな手に掴まれた。


 「悪い、舐めた」


 「な、舐め!?」


 「謝ったから許せ。ハロルド、聞いてくれ」


 平然と告げては私を見詰めるこの男。本当に彼はファルグート・ヤトなのだろうか。


 「俺は、お前を仲間の一人だとしか見ていなかった」


 ハロルドの記憶の中には居ない、こんな視線を寄越す男を私は知らない。


 「だけどあの時、泣いたお前に魅せられた。綺麗だと思った。あの涙を舐めたいと思った」


 「な…舐め…」


 「いや、違う。お前を食べたいと思っ…とにかく俺のものにしたいと思った」


 「た、ただの変態じゃない!」


 「そうだ、野郎なんか所詮そんなもんだ」


 「嘘でしょ…?」


 愕然とした私は致し方ないと思うのだ。だって、こんな情熱的に直接的に求愛なんかされたことがないのだから。だけれど何故だろう。逃げようなんて気は起きないのだった。


 「あの時、お前がハロルドじゃなくなったのは何となくだが分かった。それを危惧してんのも分かる。だけどお(・・)はお(・・)でハロルドなんだろう?」


 「ハロルド、だけど…」


 「それなら問題なんかねえよ。俺が知らないお前が居るならひとつずつ教えてくれよ。だからハロルド、お前を俺にくれよ」


 「ファル!」


 「否定は受け取らない、お前は俺のもんだ」


 獰猛な笑みに目を奪われていたら、噛み付くような口付けが落ちてきた。いや、本当に食べようとしていたのだろう。初めからがっつかれて口の中にマーキングされた。


 「し、舌!舌!」


 呼吸が乱れる程長く時間を掛けて(もてあそ)ばれて、私は涙を浮かべてファルグートの胸板を叩いた。信じられない、この男。

 もっと信じられないことに、ここは街中。小高い展望スペースと言えども人通りは少なくない。私達のやり取りの一部始終はきっちりと人々に目撃されていた。


 「や…!嘘でしょお…!」


 真っ赤になった顔が熱い。そんな私が涙の膜を目尻に浮かべると、獣のように獰猛な癖に優しい唇がその滴を吸い取った。それに上がる歓声に、我慢が出来ずファルグートの胸に隠れるように飛び込んだ。


 「アンタ、馬鹿なの!?」


 「ああ、馬鹿だね」


 この男の意外な一面に、私は観念するしかなくて。大人しく背中を擦る大きな手のひらに身を預けていた。




***




『ランクA冒険者ファルグート・ヤト、元冒険者ハロルド・ナルル・トリーシャと結婚!』


 こんな見出しのギルド月報が掲示板に飾られるのは、そう遠くない未来の話だ。


 「()、すごい捻くれてて可愛いげない性格なんだけど」


 職場をギルド会館の事務職に変更した私は、新たな口癖を彼にぶつけることが日課になっていた。


 「俺以外が可愛いと思ったら面倒だ。丁度いいじゃねえか」


 「く…」


 人間の癖に発情期の獣人以上に年中情熱的なファルグートの帰りを、今日も私はギルドで待つのだ。


 「ファル、気を付けて」


 「ああ、行ってくる」


 人前ではするなと騒いだのだけれど、ファルグートは依頼で街を発つ際には必ず私の肩の傷に口付けるのだ。この傷を愛おしいと言って。

 そんな彼に愛されてしまえば、ハロルドを生きるのも存外悪くはないのかもしれない。

 近頃の私は、結構チョロい女らしい。


 

ハロルドです(小声)

鳥さんです(多分)




ここまでお目通しいただきありがとうございます。お疲れ様でした。


(2015.04/07追記)

予想を超えるアクセス、pt投票、ご感想をいただきありがとうございます。とても恐縮しております。不躾ながら、この場での感謝で失礼致します。追記ついでの情報ですが、ユール編後書きにてネタバレになったら良かったのに!…程度のキャラクター紹介があります。役に立たぬものですが、フレーバーテキストになれたらいいなと思っております。なれてないんですけども。

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