第9話「思い思われて」
奈波が義之と大切な話をしていた夜、天神神社の境内に二つの影があった。
とても仲の良い兄妹、そう周りから言われている。しかし、反発する磁石のように絶対に相容れないことが二人の間にある。
「それが、お兄ちゃんの答えなんだね?」
第9話「思い思われて」
娃の言葉に隆次は重々しく頷く。
「確かに俺は娃のことを大切に思っている。だがな、ここだけは譲れない」
「いつも平行線だね。でも、結局のところは私たちが選ぶ訳じゃない……そうでしょ?」
隆次は平静を装っているが、隠し切れない思いを拳に込めていた。
「そうだな、俺が正しいと言ってくれる人は今までいなかった。そう、今まではな」
「もう、この話は止めよう? 私、お兄ちゃんと喧嘩なんかしたくない」
それについては隆次も同意なのだろう。頷き神社の階段を下りて行く。
「……ちょっと、走って来る」
「はぁ……仕方ないなぁ、お兄ちゃんは。もう遅いから気を付けてね」
娃に見送られ、隆次はバイクを走らせる。行き先は礼が待つ義之の家。
「あら、どうかしたの?」
もう日付を回る頃だというのに、礼は隆次を出迎える。
「もう時間がない。それを伝えに来た」
「そ、ありがと」
「礼……お前、それでいいのか?」
「どうしようもないわ。私は義之を信じている。それだけで、いいの」
「そうか……そうだよな」
「ただ、勘違いしないで」
礼の目つきが鋭くなる。
「余計な手出しは要らないわ。義之が自分で思い出せないのなら、意味ないもの」
「わかっている。義之に直接手を出すことはない」
「ん……なら、いいわ。警告ありがとう。あ、お帰り義之」
丁度その時、奈波と別れた義之が帰宅した。なぜこんな時間に隆次がいるのかわからないのだろう。義之は首を傾げる。
「今日、学校に忘れ物したらしいの。隆次が届けてくれたわ」
「そ……そっか。でもなんでこんな時間に?」
「だってほら……これだもの」
礼は通学に使っている鞄を取り出す。
「礼……いくらなんでもそれは忘れるなよ」
「娃に引っ張られてたら、気が付いたらもう無かったのよ。隆次が神社で見つけてくれたらしいわ」
「なんだ……そうだったのか。ありがとう」
「あ……あぁ、まぁな。そ、そうだ! 娃が心配だからもう俺は帰る!」
隆次は急ぎバイクに飛び乗る。
「じゃあ……すまなかったな、こんな時間に」
「私こそ、ありがと。……さ、義之は早く中に入りなさい」
「そうだな……今日も寒いからな」
次の日、いつも通りに授業を受けた放課後の教室にて。
「ね、本当にそれでいいの?」
美緒が奈波に詰め寄る。
「後悔しないの? 自分のことなんだよ? もっと我がままになってもいいはずだよ?」
「……でも、それは私だけで決まるものじゃないから」
「それはそう……だけどさ。隆次から義之の事情……聞いたんでしょ?」
「……うん。それから、私も色々と思い出したよ」
「だったら……義之はきっと、奈波と一緒になるのが一番幸せだって!」
奈波は押し黙り俯く。それは義之のことをずっと好きだった奈波からすれば、悪魔のささやきも同然なのだから。
「でも……義之は礼のこと、大切に思っているでしょ? だからまた会った時……思い出したんだろうし」
「……じゃあさ、奈波は義之のこと、大切に思ってないの?」
「思っているよ! それだけは間違いない!」
「……確かに、義之は礼のことを大切に思ってるはず。でも、奈波のことも大切に思っているはずだよ! そうじゃなければ……奈波があの時、義之の隣にいるはずが……」
「わかってる。わかってるよ。だから私、この前まで義之のことが好きだって気持ち……忘れてたんだもん」
「だったら……っ!」
「でもね、それはフェアじゃないから。たぶん、十年前の私も同じように思ったんだよ」
「……好きって気持ちに、フェアとかズルとか……あるわけないじゃない!」
美緒は感情が高ぶり過ぎたのか、涙を長しながら奈波の胸倉を掴む。
「大体ね、奈波の方がずっとハンデ背負ってきたじゃない! ふざけないでよ! チャンスだったじゃない! それなのに……どうして……どうしてよぉ……」
「……お姉ちゃん、ありがとう」
「奈波のこと、応援してあげたいのに……私も、あいつのこと……好きだったから。絶対に幸せになって欲しいのに……」
「うん……ごめんね、でもありがとう、お姉ちゃん」
美緒はひとしきり涙を流した後、恥ずかしそうに顔を逸らす。
「……ごめん、私も……何だかどうにかしてた。そうだよね、どんな道を選ぶかは……結局のところ、あいつにしかない」
「お姉ちゃん、これだけは言わせて」
奈波はあえて泣き腫らした美緒の目をしっかりと見て、言い切った。
「私だって、義之を信じてる。礼に負けないくらい、私も義之のことが好きなんだから」
「うん、良く言った! さすが、私の妹だ!」
「あはは、私も、勉強以外は自慢の姉だよ」
「うぅ……痛いところを……」
二人は揃って空を見上げる。十年前のあの日と同じような空がそこにあった。