第2話「忘れない友達」
義之はトイレで何も付いていないトイレットペーパーの芯を回していた。
「れ……礼~!」
第2話「忘れない友達」
用の途中で外に出るのは至難の業だが、結局トイレットペーパーは義之が取りに行った。
「ごめんなさい……わからなくて」
家に慣れてないのか、トイレットペーパーのことまで忘れていたのかは不明だ。
「来たばかりなのに、いきなり頼んだ俺が悪かったんだ」
「ところで、どうやって取りに行ったの?」
「聞かないでくれ……」
トイレでの一件後、義之は礼と転校届けを書いていた。
「わからないから義之に任せるわ」
内容はほぼ義之の独断で進んでいく。肝心の礼は書類に目を通すことすらしない。得意科目の欄に義之は数学と書きこむが、一切根拠はない。
「いいのかなぁ……」
義之は罪悪感にも似た感情を持ちながら筆を進めた。それでもどうにか書き上がると、義之は再び頭を悩ませる。
「……礼って、何食べられるんだろう?」
もちろん、聞いた。
「……どうして聞くの?」
「いや……アレルギーとかあったら大変だろ?」
「……アレルギーって何?」
義之は肩を落とすも、既に話してわかっていることだが、礼はほぼ何もかも忘れているのだ。それがいかに恐ろしい状況なのか考えると、とてもではないが馬鹿にできないと義之は判断したのだろう。
「忘れていたり、知らないことがあったりしたら聞いてくれ。まず、アレルギーってのは……」
結局、材料が無かったこともあって昼食はカップラーメンになった。
「……醤油味がいい」
「どっちも醤油味だよ」
礼の前にカップラーメンが置かれると、礼は黙って湯気を見つめる。
「……火傷するぞ?」
言っても聞く礼ではないが、義之は何度か注意していた。
「じゃあ、食べるか」
義之は礼に警察から貰った箸を渡す。タダで義之の所に置くのは気が引けたのだろうか。ベッドや本棚、そして椅子などの必要最低限の家具まで送り付けられた。その量に義之は申し訳ない気持ちで一杯になったが、一つだけ感謝しても仕切れないものがある。
「これを食べたら学校に行くのよね?」
「あぁ、あれを着てな」
それは礼の制服だった。制服は高いとか、作ってもらうのに時間がかかるとかではない。礼の体の各部のデータを嫌でも知ってしまうからである。
「赤いわね……」
「えっ……!?」
義之は反射的に顔を隠すも、礼は理解できないのか首を傾げた。
「何してるの?」
どうやら赤いと言ったのは箸のようだ。
「……はぁ~」
よく味もわからないラーメンを食べ終え、義之も制服に腕を通す。
「それじゃあ、そろそろ行くぞ」
休日にも関わらず、二人は揃って制服姿で家を出た。まるで一足遅れた入学式のような雰囲気である。
「あれ……義之?」
丁度同じタイミングでお隣さんも外に出た。
「おう、奈波か」
奈波と義之が呼んだ子は幼馴染の白河奈波。小さい頃からずっと義之と同じクラスでとても仲が良い。
「あれ……義の後ろにいるの誰?」
「あぁ、礼だ」
「礼?」
珍しい名前だからか、奈波は首を傾げる。
「礼ちゃんの名字は?」
「……名字?」
礼が自分の名字を知っているかもしれないという可能性に賭け義之が視線を移すと、当の本人は首を傾げている。
「一条だよ」
やはり思い出せないと察し、義之が代わりに答えると礼は小さい声で呟く。
「……それが名字なのね」
「そ……そうなの?」
幸いにも奈波には聞こえなかったのか、それとも義之と同じ名字のことが気になるのか、礼が名字がわからないことへの深い追及はなかった。
「礼ちゃんはどこに住んでるの?」
「ここ」
「ここ? ここって……義之の家だよね?」
「そう、ここ」
奈波は途端に氷のような笑顔を浮かべ、義之の襟をつかみ家の庭へと引きずって行く。
「ま……待て、奈波! 訳ありなんだよ、訳あり!」
義之は弁解するも、聞く耳持たずと言う顔だ。
「どうして礼が義之の家にいるのかな?」
「だから、訳ありなんだって」
「どんな訳があるのかな?」
奈波の脅威を礼は強引に引きはがし、二人の間に立つ。
「私が説明するわ」
礼はまるで他人事のように冷静に、自分のことを話し始めた。気づいたらこの星陵丘にいたこと。発見された時、何も覚えていなかったこと。家族も友達もそばにいなかったこと。たくさんの大切なことを忘れてたのに、義之のことだけは覚えていたこと。
普通、こういった事情は隠したがるものではないのだろうか。礼が特別なのか、それとも何か思うことがあるのか、それは礼にしかわからない。奈波は黙って聞き終えると頷く。
「そうだったんだ……」
その内容は軽くはない。初対面の相手に話すべき内容ではないのだから、拒絶されても不思議ではない状況だ。
「でも、安心して」
それでも奈波はしっかりと礼を見る。
「私、あなたのこと忘れない。ずっとあなたのそばにいるよ。だって、もう友達でしょ?」
「……ありがと」
礼は奈波に背を向けて、それでもどこか嬉しそうにそう言った。




