第12話「思い出の日にした約束が叶う時」
義之が階段を駆け下りると、エンジンをかけたままのバイクに跨った隆次が待っていた。
「乗れ」
「助かる」
二人はそれだけ交わすと、夜の街をバイクで走り出す。
第12話「思い出の日にした約束が叶う時」
もうほとんど時間は無いが、無常にも赤信号に阻まれバイクは一時停止する。
「安心しろ、まだ間に合う」
隆次は落ち着き払った様子でアクセルを回す。路面が氷始めているというのに、ためらいなく急発進して先を急ぐ。
「なぁ、隆次。急ぎたいのは山々だが、危ないんじゃないのか?」
「何を拭抜けたこと言っているんだ? 奇跡を覆そうとしているんだぞ?」
「奇跡を……覆す?」
「そうだ、思い出せ。もう忘れてしまったかもしれないが、思い出の日にお前は約束をしただろう?」
義之が首を捻っている間にまた赤信号が見えてくる。ここで捕まっている余裕などないというのに。
「……さて、行くか」
あろうことか、隆次はブレーキではなく更に加速して交差点へ突っ込んで行く。
「ま、待て! 何で加速するんだよ!?」
横断歩道の前に引いてある停止線をバイクが超える。滑る路面のこともあって、もう絶対にブレーキは間に合わない。
「大丈夫だ、赤にはならない」
丁度交差点に差し掛かった時に信号機は青を照らし始めた。余りのタイミングの良さに義之は思わず後ろを振り返る。
「……どうせ奇跡が起きるなら、夢を叶える手助けくらいが丁度いいのさ」
次も、その次の信号も全て青にタイミングよく切り替わる。バイク以外に道を走る車も無く、まるで見えない何かが操っているかのようだ。
「直接関与しないと言ったがな、ここまで来たら俺は悪人になってもいい。義之、お前はある種の魔法のようなもので記憶を失っている」
「記憶を……?」
「そうだ。それは現実からの逃避のため。しかも一人で忘れるのは怖いという理由で中の良い女の子まで巻き込んだ」
「まさか……奈波のことか?」
「よく察したな。さて、どうしてお前はそんな道を選んだのか。……その答え、きっと思い出すといい」
午前零時数分前、この街で最も高い丘の前でバイクは止まる。
「ここからは体力勝負だ。決めて来い、義之」
義之はバイクを飛び降り、上り坂を一気に駆け上る。
「そう言えば……昔、こうしてここを走ったことがあったような……」
それは霞んでしまってよく見えない昔の記憶。約10年前、義之は確かにここを走っていた。そしてあの時と同じように叫ぶ。
「……礼!」
10年前と同じ待ち人が義之の声に肩を震わせ、ゆっくりと振り返る。
「よし……ゆき?」
まるで何かを期待するような目が義之を捉える。しかしまだ思い出せていない義之はその答えを告げられない。
「お前……何で勝手にいなくなったんだよ? 心配しただろうが」
だからせめて、今の義之にできる精一杯の言葉をかけた。礼は苦笑いし背を向ける。
「……みんなでしょ? 義之をここまで連れて来たの」
「そうだ。しかも情けないことに、俺はまだ何も思い出せていないらしい」
「そう……でしょうね。そう簡単に解けるようなものではないから」
礼の体が透き通り、月の光が地面を照らす。もともとここにいる礼はこの世に存在しないはずの存在だ。この地域に伝わる力で実体化した、礼の願いの結晶に過ぎない。
「おい……どこに行くんだよ?」
「そうね……天国かしら?」
「ふざけるな! そんな冗談なんかで……!」
「あながち冗談じゃないわ」
「たかが思い出で……そんな……」
「ふざけないで! 私が今までどんな思いでいたと思う? 大好きな人との約束を信じて、再会の日まで待っていたのに……当の本人は忘れていたのよ」
礼の体が震え、頬を涙が伝う。咄嗟に義之は手を伸ばすも、それは宙を掴むだけでもう何も届かない。
「やっぱり、思い出は思い出のままが一番ね。楽しかったわ、義之」
まだ言葉が続くような口調で礼の口が止まる。そしてありったけの涙を流しながら、礼は微笑んだ。
「……今まで、ありがとう」
それはまるで砂浜に作った波や風で崩れてしまうようなお城のように、記憶は風化して消えてしまう。どんなに強い感情を抱いても色あせて、新しい感情を持ってしまう。
かつて、義之は逃げた。再会しようとあの日に約束したのに、会えない辛さから逃れるために。
「都合のいい話かもしれないけどさ、俺は礼のこと好きなんだよ」
それでもまた礼のことを好きになった。忘れてしまっても、再会すればこんなにも礼のことを思うことができる。
「だから、今度こそ必ず会いに行く。日本のどこかにはいるんだろ?」
「無理よ。学校はどうするの? 奈波のことだって……」
「礼はどうなんだ?」
「……え?」
「俺のこと……どう思っているんだ?」
「……察せないの?」
「……今度は俺が会いに行く。時間がかかるかもしれないけど、必ず。だから答えはその時に……」
「待って! 義之……好き……大好きだからね? ずっと……待っているから!」
それだけ言い残して、礼はこの街から姿を消した。




