ひと夏の輪廻
遠くに風鈴の玲瓏たる音楽と油蝉の幾重にも重なる華麗な音源が聞こえて、陽炎の微薫を皮膚細胞ひとつひとつで感じながら僕はとある夏の日の午前八時起床した。蜂蜜入りの麦茶を飲みほしてテレビをつけたなら甲子園高校野球の実況中継が始まっていて、でも応援するところなんてないので夢うつつのまま音量を上げて耳を傾けるにとどめていた。カットバセーカットバセー唾を飛ばして応援する応援団はそれはそれで滑稽だったし、汗だくになって投げて打って走って捕まえる高校球児たちもまたしても陽炎に塗れて繰り返し繰り返し投げて打って走って捕まえている。赤茶けた細かな砂が舞って燦々降り注ぐ陽光で半分熱射病になりながら身体の至るところの筋肉が弾んでいる彼らは何を想っているのだろうか。どうせ空気を激しく求め過呼吸になりながら優勝を願い筋書きのないドラマの役者となって刹那の八月を過ぎていくだけだ。それは逃げ出した猫が交差点で大型トラックに轢かれ引き摺られて粉々肉骨ミンチになるほど愚かな悲喜劇ではないのだろうか。ジージーわめいて腹這って果てていく蝉の命とさほど変わりはないし、ざーざーわめいている人の命も切実に短い。それだからこその有終の美、散ってきえゆく可憐な花だ。先ほど飲みほした味の薄い蜂蜜入りの麦茶は喉を過ぎ去り胃袋でどろどろに溶けている。冷蔵庫に収めてあった大型の器からもう一杯コップに注いだ麦茶は半透明の液体でキンキンに冷えているのでとてもおいしそうに感じられる。実際飲んでみるとかなりの美味であり、身体の奥底から熱を下げてくれてありがたかった。点けっぱなしの野球を窃み見ながら僕は寝巻からカジュアルすぎる半そでジーパンに着替えて外出する準備をする。真っ盛りの夏では服を着ることすら億劫でクールビズだかスーパークールビズだか知らないがもはや全人類裸になって外出しなければいいじゃないか、誰がこんな暑いのにスーツを着て頑張るのだろうか、頭のいかれた薄給サラリーマンだろうか、と思ってしまう。カットバセーカットバセー攻撃的な響きが画面の向こう側からブラウン管を通して遠く辺境のこの地へ聞こえてくる。泣いて笑って怒って悔しんで汗だくになっている彼らは蝉のようにザワザワジージー騒いでいる。ザワザワジージーと鳴く蝉と同じくらいの甲子園球児の寿命は短くやはり夏のあいだだけその姿を見ることができて、むしろ彼らは夏だからこそ暑いからこそその四肢をばたばたもがいて紫外線に塗れて楽しんでいるのだ。ああ、窓から高圧鉄線と給水塔の残像が陽炎にゆらゆら揺らめいて劈くサイレンが鼓膜を震わせ、先ほどまで見ていた夢の欠片が抹消していった。先ほど見ていた夢はなんだったかな、ひたすらどこまでも深海に落ち続ける夢だったか、それとも壊れたラジオからノイズ塗れのラジオ体操第一が流れていた夢だっただろうか。もはや散らばった夢の残滓をかき集めても結局その夢を修復することができないし、そんな夢を反芻して味わおうなんて思わないさ。銀河団太陽系地球星日本国ができて夏は幾度やってきたのだろうとふと脳髄の端っこの方で思いついた。何千何万何億何兆何京も繰り返した夏はもはや擦りきれて本来の適した機能を果たしていないのではないか。夏季自然現象の消えかかった事実の根源として人間様が地球を壊しているに違いないだろうし人間様の下らない機械文明が夏を殺しその灼熱の地獄をあたかも夏の蝉くらいに鬱陶しく思っているに違いない。だからこそ地球君はもっともっと人間を殺すために人間様を攻撃するために暑く熱く暑く熱く灼熱の光を吸収しているのだと思う。カットバセーカットバセー太陽の力を借りて地球君は甲子園で汗だくになって半分熱射病に罹りながらそれでも人間と闘うために投げて打って走って捕まえているんだ。人間が暑いならもちろん地球も暑いに決まっているのにそれをわからず文句ばかり言っている人間は結局ジージー喚いている蝉のような人間なのだ。冷房の人工の風がひらひらお手製の栞を飛ばす様子を真っ赤に耀く太陽がジッと睨み、呪言を嘆いて、批評家のようにうだうだ文句を吐いている。錆が湧いている電信柱のわざとらしい笑い声も聞こえ、僕の鼓膜はぐるぐるじーじー壊れかかっている途中に、夏風が夏草を運んでいるように思考のスピードが急激に早くなりそれこそ繁華街の雑踏のようにぐちゃぐちゃしてくる。もはや夏とは死の病で、死の舞踏で、死の赤色で、死の根なし草で、死の電気自動車で、死の曼陀羅で、死の感情で、死の猛り翳で、死の季節だ。だからこそ生が生まれくるのだ。夏の歯車は油ぎとぎとで、潤滑油すら通じないような錆ついた鉄の塊りで、滑らかに回っていないぎとぎとのジージーで、まるで苦しそうな高校球児のようじゃないか。けれどそれだから夏を生きようと思うのだ。一所懸命夏は過ぎていく。僕も夏を生きねばならない。僕は楕円の鏡に反射しているもう一人の僕の容姿を確認してどこにも皺や乱れがないかを綿密に見て、寝ぐせのついた髪を整えて、もう一杯蜂蜜入りの麦茶を胃袋に落して、右手にアイフォン、左手にバッグを持った。よし、外出の準備ばっちりだ。僕の薄着は冷房の風でひらひら揺れていた。遠く、遥か遠く、蚊取り線香の匂いと熱気が混ざり本格的な夏がやってきたことを僕は直感的に感じているのだ。入道雲が青空にもくもく垂れて雨も降らなさそうな天気の果てに画面の中の甲子園と繋がっていると思うと僕は胸がどきどき鼓動していつまでもいつまでもこの夏の出来事を予想した。夏に生きていく人の熱気を知ってこれ以上熱い夏を知らない夏を感じて環状線に乗ってくるくるくるくる回るのだ。まるで輪廻転生、それこそ四季が廻っていくように。夏はたったひとつの季節に過ぎない。この夏は次の夏に輪廻する。夏は巡り巡る。だからこそひと夏の思い出は大事なのである。それを咀嚼して味わって嚥下してこそ夏を楽しむのだ。多色塗りの現代美術もしくは極彩色の細密画のような夏こそ僕が望んでいるものなのだ。呼吸音が大きくなって奮起する鼓動の音は心臓を破る如くドクドクドクドク反響して玄関のドアを開けた。サンダルの下の砂礫が熱いのを感じる。向日葵の禍々しい花弁がいつもなら憂いを帯びているかのようにしか見えないのだが、今は、今だけは夏の純粋なシンボルと感じさせる。ザーザージージー普段なら耳を聾する五月蠅い蝉の音が美しく感ぜられる。ひたすら胸が疼く。紺碧の空は僕を包んで囁きかける。――夏は美しいものだ、君を楽しませてやる、だから今年の夏を忘れないでくれ、いつまでも今年の夏を忘れないでおくれ、ふとしたときでいいからこの夏があったことを思い出してくれ、夏は暑いけれど、それも夏は美しくてワクワクして綺麗なものだと、この風景をいつまでも君の心に残しておいてくれ……。いまから僕は外出する。冷房で冷えた室内から陽炎揺らめく世界へ足を伸ばす。暑い、燃えるようだ。グツグツ煮込まれた鍋のなかみたいだ。沸騰した湯に身体が溶けていく。だが夏は暑くなければならない。それこそ夏だ。もう夏の匂いがする。水色が似合う日本の夏よ。さあ、日本の夏よ、もっと熱くなってみせろ!