9月7日 天候雷雨
「・・・豆島・・・豆島二等兵!」
中尉の言葉がどこか聞こえる。気付くと、目の前にリバースしたまま白目をむいた大田軍曹の死顔があった。
「豆島二等兵! ここにおります!」
僕は痛みに耐えながら、周囲の状況を確認する。あちらこちらで、嘔吐音とうめき声が聞こえる。「衛生兵! 衛生兵!」「ママー!」
敵の銃撃を避け、匍匐前進して中尉の下に近づこうとするが、ぴゅんぴゅんと音を立てながら、敵の目論見書が飛び交う。くそ、これは外資系運用会社の商品だ。
「豆島! マイクを握れ!」
軍曹の叫びに、僕は狼狽する。
「中尉どの! 自分は音痴でありまして!」
「ばか者! このメロディを忘れたか!」
僕ははっとする。これは、石川さゆり。しかも、津軽海峡冬景色だ。
「たとえ俺が死んでも、小隊の栄誉は守られねばならん! 豆島! 歌えるな?」
僕は目がかすんで、中尉の顔がよく見えなくなっていた。そっと、軍服で目を拭うと、中尉に敬礼をする。
言葉は必要なかった。
僕は元きた道を戻って、マイクを握りなおす。軍曹の死顔が見えたが、もう涙は流れなかった。
敵の信金営業工作小隊は、個人事業主を中心とするリテール・個人営業主複合部隊であったため、外資系運用会社の単発ノックイン投信の威力は絶大で、文字通り我々の小隊は壊滅状態となった。
ただ、敵もノックイン投信という禁じ手を使ったため、指数となるソフトバンク株の値下がりによる額面割れ誘爆を招き、少なからない損害を負ったようだ。遅ればせながら到着した、大隊付属の法人ヘリボーン部隊が敵の残存兵を掃討して、ようやくわが小隊は被害の全容を知ることになる。
「豆島。よくやったな」
中尉が、僕にBOSSブラック無糖のホット缶を差し出す。僕は敬礼して、その缶を飲む。二日酔いの頭にカフェインが染み渡る。
「ようやく、お前と壁がなくなったような気がするよ」
中尉は、そういって自分の缶コーヒーに口をつける。
「中尉どの。自分は・・・」
「豆島。大田軍曹のことは残念だった。だが、お前は小隊の名誉を守った。俺は、それだけで満足だ」
戦場に、静かな時間が流れた。法人ヘリボーン部隊の、三菱ミニカ(営業車)のエンジン音だけが、ただ響いていた。
「実はな。俺、来月の人事異動で本店に戻るんだ。隊は、大切なものを失ったが、代わりにお前という存在が生まれた。だから、俺がいなくなってもしっかりやれる。俺はそう信じているぞ」
「柴田三等兵、着任いたします!」
僕は、PC端末に向かって、悪態をつきながらNotesのワークフローの却下ボタンを押していた。最近の若いやつは、体裁もまともにできないのか。こんなので、敵の提案攻撃が防げるわけない。先が思いやられる。
着任したばかりの新兵は、目をきらきらさせながら、僕に敬礼をしている。事前に経歴を見ていたが、地方出身のMARCH卒らしい。相当鍛えないと、使い物になるとは思えない。
「歓迎するよ、柴田三等兵」
僕は立ち上がって無表情なまま、新兵に手を差し出す。
「よろしくお願いします!」
「手を握る前に、ひとつ言っておきたいことがある」
僕は、そう言って、最近すっかり贅肉がついてきた腹のベルトを締めなおす。
「俺の足を引っ張るのだけは勘弁してくれよ」




