2月15日 天候朝から雨
営業資料が詰まった雑嚢は重く、水を吸い込んで重くなった軍靴は確実に体力を奪っていた。時々、遭遇戦が発生することもあるが、名刺の撃ち合いで終わることも多く、それよりも我々の小隊は拠点を築くことに力を入れいてた。
幸いなことに、僕はこのひと月ほどでいくつかの新規を獲得していて、中隊の目標でもあるスイッチングノルマも危なげながらに達成していた。「ビギナーズラックだよ」と軍曹は月末の手数料確認で嫌味ったらしく釘を刺したが、そういう軍曹もノルマの倍という回転売買を達成して、中尉の賞賛を浴びていた。
年が明けると、戦況は悪化していった。敵の営業部隊は、われわれが団地での拠点作りを行っている間に、駅前を中心とした退職者宅を次々に攻略させ、われわれは周辺部で孤立することとなった。中隊からの指令で、急遽われわれは団地から駅前に転戦することとなり、狙撃兵に怯えながら敵の占領下にある住宅街を一軒一軒回る羽目になっている。
「今日はそろそろ宿営することにするか」
日はとっくに暮れ、残業に突入していた小隊の面々は、岡村中尉の言葉にほっとして、駅前のとある居酒屋の前で足を止めた。何しろ、連日の昼夜を問わない営業行軍で、隊員たちは疲れきっていた。それを察してか、中尉はいつもより1時間早く切り上げを宣言した。
「豆島二等兵はいるか?」
僕は、つかれきった足を多少もつれさせながらも、一方でなるべく必死に走っているように見せながら、中尉の下に駆け寄った。
「豆島二等兵参上しました!」
年が明けてすぐに、僕は二等兵に昇進していた。先任の二等兵に欠員ができたためで、大田軍曹によれば「仕方なし」に僕の昇進が決まったのだという。ただし、大隊からの補充はなく、小隊の中で使いっ走りになるのは、いつも僕であることには変わりなかったが。
「そこの居酒屋で宿営が可能か、聞いて来い!」
「豆島二等兵。居酒屋の予約に参ります!」
復唱して、僕は恐る恐る居酒屋に入った。席や割と空いていて、愛想のいい若い店員が「10名さまご案内でーす!」と声を上げた。
軍靴を脱いで、とりあえずのジョッキ飲み干すと、ようやく一息をついた気分になれた。軍曹も上機嫌で、「おい豆島! 先任に酌しないとは社会人としての常識がなってないぞ!」と笑いながら命令する。僕はそのたびに、箸を休め「ささ、先輩注ぐにはジョッキが空いてないですよ」とけしかけるが、すぐに一気飲みの逆襲が待っていた。
二次会はカラオケボックスで、中尉はミスチルを、軍曹は長渕を歌った。僕は「音痴なもので」と断ったが、どうせ洋楽など歌えば普段からKYと呼ばれているので、場が白けることは確実だった。
飲み物の注文取りと、曲の予約に一通り精を出した合間にトイレにいくと、僕は違和感を感じた。部屋を出る前と、なんら変わりがないように見えたが、隣で用を足した軍服姿の兵が鋭い視線で僕を見ていた。
僕はあわてて、部屋に駆け戻る。兵の胸には、敵の行章が光っていた。僕は力いっぱい叫ぶ。「敵襲! 敵襲! 信金の工作兵が・・・」
刹那、僕は文字通り吹っ飛んだ。宙を浮いて、ぼくはマイクの前に倒れこんだ。視界は、そこで暗転する。




