【最終部 赤い瞳】〜シンの行動〜
短剣の柄を使い、ヒロの後頭部を殴って気絶させた。ヒロは意識を失い、俺に寄りかかってきた。ヒロを左腕で支えながら、持っていた短剣を鞘にしまった。すると、家の影からおばさんが駆け寄ってきた。
「シンくん!……あなたどうしてヒロにそんなことをしたの!」
ヒロとのやり取りを見ていたらしかった。駆け寄ってきたおばさんはヒロの顔を心配そうにのぞきこんだ。
「……ヒロには黙っておきたかったんです。きっと……事実を言えばヒロは傷ついてしまうから」
おばさんは首をかしげ、理解できていないようだった。だが、今説明をしている暇はない。
「……おばさんにお願いがあります」
「え、なにかしら?」
「村人全員を……村長の家の前に集めてほしいんです」
「村の人……全員?」
おばさんは目を見開き、驚きの声をあげた。
「一体どうして!」
「……とにかく今は説明している時間がないんです!できるだけ早く……お願いします!」
「わ、わかったわ」
おばさんは村の入り口に近い家へと走っていった。俺はヒロを村から離すため、ヒロを背負い村長の家へと向かった。
村長の玄関のドアを叩いた。すると、中から村長夫人の声が聞こえた。
「はぁい。今開けますわ」
ドアを開けた瞬間、夫人の表情が一変した。
「シ、シン君!あなた一体どうしたの?!」
「……俺は大丈夫です。それよりも……聞きたいことがあるんですが」
「大丈夫って……あなた……!」
「一体どうしたのだ?」
部屋の奥から、村長が姿を現した。村長も俺を見るなり驚いた表情をした。
「シン!血だらけではないか!……ヒロになにかあったのか?」
背負っていたヒロに気づき、村長が夫人の前に出てきた。ヒロの頬を触り、心配そうだった。
「ヒロは気を失っているだけで、大きな怪我はしていません。……それより、この前ヒロが山篭りで使った小屋があると思うのですが……場所を教えていただけませんか?」
「山篭りで使った小屋……?あぁ、それなら村を出てすぐ近くにある山の中腹辺りにあるが……。そんなことを聞いてどうするんだ?それよりも手当てをしないと……出血がひどいじゃないか!」
村長夫婦が心配そうに俺を見てくる。しかし、手当てを受けている時間などない。太陽を見ればかなり傾き、山に少し隠れていた。
「俺は大丈夫です!それより、村人を全員、村長の家の前に集めてください。今、俺の近所のおばさんがやってくれています。それを手伝ってください。わけはあとから説明します。今は一刻の猶予もないんです」
村長夫婦にそう告げると、ぐるりと向きを変え、歩を進める。
「……シン、お前はどこへ行くのだ?!」
後ろから村長の叫び声が聞こえた。顔だけ向け答えた。
「……小屋へ行くんです!すぐに帰ってきますから!村人たちを頼みましたよ!」
村の近くの山。曖昧な説明だったが、俺にはすぐに理解できた。丘がある山だ。丘はその山の山頂付近にある。山頂といってもさほど高い山ではない。中腹ということは、丘へ行く反対の道におそらくあるのだろう。
少しだけ急な登り道を一歩一歩進んでいく。だが、狼に噛み付かれた右腕が思ったように力が入らず何度かヒロがずり落ちそうになった。そのため左腕でしっかりとヒロを支え右腕はただ添えるだけで、ヒロが落ちないように低い体勢を維持した。ヒロは重くはなかったが足腰に疲労が蓄積しているため、一歩進むごとにおもりを引きずっているような感覚になった。噛まれた傷口からは鮮血が出ているようで、もはや包帯は意味を成していない。赤く染まった包帯からは絶え間なく血が滴り落ちていた。
登り道をやっとのことで登りきると、少しひらけた場所に着いた。短い草があちこちに生えているなか、廃れた小屋が一軒建っていた。息を切らしながらも、小屋の戸を開けた。
小屋の中は特に何もなかった。ただ家の造りが俺と一緒のようで、土間に囲炉裏が一つというシンプルなものだった。奥を見ると、綺麗にたたまれた大きな布団が一枚あった。おそらくヒロが来たときに使ったものだろう。慎重にヒロを囲炉裏の前に寝かせ、その布団を掛けた。
ひざまずき、間近でヒロを見た。ヒロの寝顔をこんなにじっと眺めたのは初めてだ。艶やかな長髪、少し痩せた頬、潤んだ唇。そして、閉じている赤い瞳。ヒロは俺の気持ちを聞いてどんな風に思っただろう。今からでも揺り起こして気持ちを確認したくなる。
「……必ず守るから。全てが終わるまでゆっくり眠っていてくれ」
そんな気持ちをぐっと堪え、起こさないようにそっと左手でヒロの髪を撫で、静かに誓った。立ち上がり、王に見つからないように祈りつつ小屋の戸を閉めた。ヒロがもし早く目覚めてしまったときのことを考え、落ちていた木の枝を引き戸の溝に挟み、開かないようにした。
そして、ヒロが眠る小屋に背を向け、山を下りていった。