出会い
登り切った山頂は、意外なほどぽっかりと開けていた。
麓からでは分からなかったのだが、木が一本も……それどころか下草さえ生えていない。
それなのに、誰が見ても決してただの広場には見えないだろう。
なぜなら結界の修復に使ったと思われる術具が、ちくしょうこれでもかッという具合に、散らばり重ねられているからである。
色とりどりの術具の形は様々で、石そのものだったり、石という材質に限らず彫り物を施してあったり、一見装飾品のようなものまである。
中には風雨に晒されて、原形を保っていないものもあった。
ここが神霊山の頂上。
エイラルを守護している力の源。
何かを感じ取れるわけでもないのに、何となくラツは畏敬の念を覚えてしまった。
巫女姫であるイリーサなら、更に感じているだろうと見れば、躊躇することなく術具の上を進んでいる。
「え、いいのか……っ?」
ラツは戸惑い、声を掛けた。
「ここにある術具は見事なくらい力を使い果たしていますもの。また力を込め直さない限り、いきなり爆発するかもだなんて心配、なさらなくても大丈夫ですわよ」
更に、本当に山頂で待っていたサンフォまでが、ラツに声を張り上げる。
「早くここまで来いよ、ラツ! 大声で話すのも何だからなッ!」
こんな風に言われてしまえば仕方ない。
ラツは意を決し、けれど恐る恐る術具の上を通って、サンフォに近付いた。
「ようやく来たな。さーてと……おい、いつまでも術具の中に隠れて嫌がる気なら、強制的に従えてやってもいいんだぞッッ」
「えッ? うわ……ッ!」
サンフォが屈んで手を伸ばし、術具の一つを摘み上げようとした瞬間。
「触るなッ、オレに触んなよッッ」
「……サンフォ、それ?」
「やっぱ力のないラツでも見えるんだな」
「また力を込めに来やがったんだなッ? そのままオレに全部押し付けて、あいつらの相手をさせる気だろッ? あいつらを追い払う為の術に利用されるのは、もうウンザリだッ!」
オレと言うからには、男なのだろう。
イリーサよりも幼い印象を受ける、拒絶の声が辺りに響いた。
金、銀、赤、橙、黄、群青、茶、黒。
それらの色がグジャグジャに混ざり合い、揺れ動くものが、音もなくぬぅ~っと浮かび上がり、サンフォに体当たりをかまし始めた。
けれど触れられないらしい。
ラツの背丈の半分よりも低く、頭や手足らしきものはあるのだが、人間の姿はしていない。
そして足元には、卵型で艶のある、瑠璃色をした拳大の石が転がっていた。
とはいえ……サンフォは従えると言っていたが、別に魔物というわけでもなさそうだ。
驚きはしたものの、ラツの肌に鳥肌は立っていない。
側にいたイリーサまでが首を傾げる。
「何ですの、これは?」
「俺も始めて見るものだから断言は出来ないが、術具に宿った自我だろうな。神霊山の結界を解いて、出て来た魔物を従えるには、今よりもっと強い力が必要だ。そこでその力を得る為に、術具に蓄積されてた力を集めたら……こうなった」
「「……」」
イリーサが頂上に転がっている数々の術具から、綺麗サッパリ力を感じ取れなかったのは、サンフォのせいだったのである。
イリーサとラツは絶句して、サンフォを見た。
「あくまでも術具だから、この自我の意思に関係なく力は引っ張り出せっけど。こいつの扱いはお前に任せる。いつものように手懐けてくれよ」
サンフォはヒョイッと瑠璃色の石を拾い上げ、ラツに投げ渡した。
投げ渡された石は、見た目よりもずっしりと重たかった。
「割れたらどうするんだ、馬鹿ッ! だいたい無責任だぞッ! つまりサンフォが生みの親って事だろうがッッ。……そうじゃなくて、神霊山の結界を解くって、何でッ?」
サンフォは神殿の敵……登っている途中で、イリーサが出鱈目に言った言葉が本当になるのか?
ラツが問い掛けると、サンフォは状況を面白がるような表情を浮かべた。
「登って来たのが、その巫女姫だけなら遠慮なくやってたけど予定が狂った。……なぁ、ラツ。前に俺が屋根の上で言った事、覚えてるか?」
「覚えてるよ。今だって、それを考えながら来た」
「ふ~ん。じゃあ巫女姫なんかにかまけてないで、もうちょっと考えてろ。じゃーな、ラツ」
「おい、コラ……って、また消えやがって~、チクショ~~ッ!」
ラツはサンフォが先程まで立っていた場所に叫ぶ。
サンフォが既に居ないのは分かっていたが気分が収まらず、更にラツが叫び続けようとすると。
「オレは好きで結界を張ってたんじゃないッ! 気付けばそうなってたんだッッ。だからもう……あっち行け、こっち来んな~ッッ!」
サンフォから受け取った石の自我が、ラツに体当たりをかまして来た。
ラツを限定にしていないのだろうが、言われているのは自分である。
ラツはサンフォに対する文句をぐっと飲み込んだ。
更にイリーサがため息を突いて、ラツをじっと見上げて来る。
その表情はサンフォに対して、好戦的な感じを残しており、そして眼差しは、一緒に石の自我を何とかしましょうというものではなかった。
「実際結界の修復で、力を込めに来たワタクシが何を言っても逆効果でしょうし、ここはラツにお任せしますわ」
「いっ、イリーサまでッ!」
術具の自我の扱いなんて知らないぞ。
助けて欲しいと見つめ返したが、イリーサはさっさと神霊山の結界の張り直しに向かってしまい、ラツはスッカリ途方に暮れた。
自分はどうしてこうなんだろう?
こんな自分じゃなくて、もっと別の自分があったはずなのに……。
しかしいつまでも、ぼやいていたって仕方がない。
ラツはしゃがみ込んで、そぅっと石を地面に戻し、生まれたばかりの自我と向き合った。
「え~、僕は退魔能力ゼロだし、強引に力を込めたりも出来ないから、そんなに警戒しなくてもいいので……え~と?」
言葉に迷いながら、かなり引き攣った笑みをラツは浮かべ、
「とりあえず……始めまして、どうぞよろしく」
自我の何となく手らしき部分を握る。
握ったという感触は全くないのだが、それでもまずは形からだ。
そしてセオリー通りに自己紹介へと続く。
「僕はラツっていう。お前……いや、え~と君は? 名前、あるんだろ?」
一応、頭に目鼻らしき個所もあるのだが、そこも絶えずゆらゆらと動いているので……ちょっと怖い。
予想通りというか、それとも先程怒り過ぎて少々お疲れ気味なのか、自我からはなかなか返事が返って来なかった。
「僕じゃ話にならないかな? 術者相手の方が話しやすいとか?」
男みたいだし、やっぱり女の子に話し掛けられた方が嬉しいはず。
手懐けるだなんて、とても出来そうにない役割から、罷免してくれるといいな~という願望を九割ぐらい内に込めつつ、ラツは尋ねた。
「話す気なんかないッ。言いたい事は全部言ったッ!」
「……う、う~ん」
確かにそうかも……それを聞いて、ラツは妙に納得してしまう。
だが、せっかく口を開いてくれたわけだからと、ラツはふと頭に浮かんだ疑問を自我に投げ掛けた。
「あのさ~、君はサンフォが集めた力から生まれたんだろ? その力が尽きた時、どうなるんだ?」
「力なんて早く尽きた方がいいッ。ずっと利用され続けるくらいなら、サッサと消えちゃえる方がいいッ!」
「……」
もしかしなくても自分の対応に、この自我の生き死にが掛かってる……?
これはえらい事だと、ラツは空気が肩へと一気にのし掛かって来るのを感じた。
あれ、でもちょっと待てよ?
その上ラツは、自分だったら絶対にお断りだっていう考えに、辿り着いてしまった。
「つまり次に結界を修復する奴が来るまで、ずっと一人ぼっち? 嫌でも結界を張り続けて……力が尽きるまで、その繰り返し? それって良くないぞ。メチャメチャ悪いぞ」
気が強いはずのイリーサでさえ参ってしまった孤独。
しかも、ここ神霊山の頂上では誰の気配もしないのだ。
こんな所で一人ぼっちだなんて、一体どんな状態に陥ってしまうのか……考えるだけでも身震いものである。
「そんなの、こっちの勝手だろッ! 放っとけよッ!」
「そうは言うけどなッ。あ~う~、……じゃあッ! とにかくだ、麓まで遊びに来ればいい。日中なら、大抵神殿の売店に僕はいるし。ただの遊びだ遊び、……なッ?」
「……」
「遊びにって言葉が嫌なら、よくも扱き使ってくれた……じゃなくて現在進行形だから、くれてるなッ! て、今までと、これからの文句をぶちまけに来るだけでもいいから。少しは気が晴れるぞ、……たぶん」
散々並べ立て、でも……さすがに絶対こうだッとは確約出来ないので、ラツは語尾を濁した。
「とにかく抗議だよ、抗議。それならいいだろ?」
「……。……だけど、オレがここから離れたら結界はどうなるんだ? 平気なのか?」
「……へ?」
「利用されるのはウンザリなんだぞッ、ウンザリなんだからなッ! ただ、あいつらに近寄られるとゾワゾワするから、嫌なんだッ! だから結界がなくなって、あいつらに大量発生でもされたら……それが嫌なだけッッ」
「……そ、そっか~」
結局は責任感が強いんだな、こいつ。
生まれたばっかりなのに、自分から貧乏くじを引いている。
それを聞いて、ラツは内心ニヤッとしてしまった。
自分達が言い争っている間にでも、この自我は神霊山から離れようと思えば、とっくに可能だったのかも知れない。
ただ動こうにも動けなかったのだ。
いつの間にやら押し付けられた仕事が心配で、ただ一人きり留まる覚悟をしていたに違いない。
「よ~し、分かったッ! お前、一回結界の仕事を全部どっかに投げちまえ。本体っていうのか? 術具ごと麓へ行こう。何たって、イリーサがいる。結界も張り直せるし、平気だって」
だが自我は逆に弱々しく、狼狽を隠せないように返して来る。
「オレ。結界の術具じゃなくなったら、他に何をすればいいんだ……?」
誰かに必要とされたい。
どこかに属していたい。
自由を望み求めるのとは裏腹に、社会の一員としての自分を欲する。
世のしがらみに縛られていないと、落ち着かない。
嫌々ながらであっても、そんな状況が全くなくなってしまったら、まるで地面を失ってしまったような不安な気持ちになる。
自分は無用の存在なのか?
一回その考えに囚われて、ズ~ンッと落ち込んだら、もうトコトン沈んでしまう。
あ~、共感。
ラツはうんうんと頷いた。
「お前も何かやってないと、ソワソワするタイプか~。実は僕もなんだよなぁ。だからその気持ちはよ~く分かる。でも僕は夜になれば、ぐ~すか寝れるし。
その点、お前はここにいると、これからず~っと働き詰になっちゃうわけだろ? 自我がない時から、結界の一端になってたんだろうし、一度くらい休憩してもいいんじゃないか?」
「……」
迷っているのか、それとも拒絶が勝っているのか、自我は何も答えない。
表情さえ変わらない。
一応聞いてはいるはず……無理強いするのも何だと思うのだが、ラツは更に続けた。
「一度は投げ出してみればいいと僕は思う。何なら、仕事として魔物に関わるのは止めてもいいと思うし。それにだ。
こんな事を気安く僕が言うのは、本来駄目なんだろうけど……もし短命になるとしても、心の底から本望だと思うなら力を込められる誰かなんて、探さなくてもいいんじゃないかって気がする」
飲めば絶対に命が助かる薬をわざわざ拒否して、そのまま死を選ぶという事と同じ意味だけれど……。
「どうだ? 一緒に行かないか?」
もしこれで折れてくれなければ、今回の説得は諦めよう。
その代わり暇を見つけては、自分が許可をもらって神霊山まで登ってくればいいとラツは考えた。
だが、意を決したように自我は顔を向けて来る。
「オレ、ティズだ……。……名前、もう一回教えてくれ」
「じゃあ決まりな、ティズ! 僕はラツ。もしやっぱり結界張ってる方がいいやって決めたら、絶対にまた山を登って、ティズの本体をここに戻すから。これだけは約束する」
ようやく自我に名前を教えてもらう事が出来、ラツはもう一度握手をしようとティズに手を伸ばした。
「エイラジャールの名に掛けて、オレの本体をラツに預ける」
「大袈裟だな~……あれ、ティズ?」
柔らかい小さな手のぬくもり……その瞬間に術具は消え、もやもやから人の姿へと変化したティズは、五・六才の少年の姿を取っていた。
もし明かさなければ、誰もティズの正体が術具だとは考えないに違いない。
しかも瞳こそ瑠璃色であるものの、髪の毛はラツと同じ濃い茶色。
オマケにこの顔立ちは……。
ラツは自分の小さい頃の顔なんて全く覚えていないが、たぶんこんな感じだっただろう。
「ラツ! オレの主人として、よろしくなッ!」
「何だってぇ~~ッ?」
「何ですってッッ?」
ラツの声に、駆け戻って来たイリーサの声が重なる。
「何か問題あんのかよ?」
「あるッ! あるぞ、ティズッ! 利用されるのは嫌だって言ってたのに、よりによってどうして僕ッ? 本当に何の力もないんだぞッ? つまりは早死に決定なんだぞッ?」
「だって……オレ、ラツが気に入ったから」
「……気に入ったってな~」
だから何でティズまでが、怒らないで怒らないでオーラを会得済みなんだ?
もちろんラツは、年下からの怒らないで攻撃に弱い。
まるでそれを知っているかのような、ティズの態度だ。
「冗談ではありませんわッ! 早く契約を解消しなさいッッ」
「お前、ラツの何なんだよッ? お前なんかに、どうして口出しされなきゃならねーんだ?」
なぜかイリーサとティズの言い争いが始まって、サンフォはここにいないが、新たな火種が増えたのをラツは感じずにはいられなかった。
波風のない人生がラツの望み。
でも大なり小なり、事象は起こるもので……。
だいたいティズに対して、具体的に何をすればいいのかなんて見当も付かない。
でもまぁ。
いつかはティズも何かを見つけて、選び直すだろう。
どうせ主人なんていうのも、形だけだ。
ティズが決断して、お役御免になるその日まで。
懐いてくれている間は、こちらから拒絶するような真似はしないでいい。
「お偉方にどう説明すればいいんだかな~?」
どちらにせよ性分的に、ティズの事が気になって仕方ないに違いないのだから……そうラツは思い直して苦笑を浮かべた。
ともあれ、ティズとラツが無造作に置かれっ放しの術具を、何とか整頓しようと四苦八苦している間に、イリーサは結界の修復を無事に終えた。
そして三人でワイワイ神霊山を下って、神殿へと戻った。
イリーサの証言がなければ、到底信じてもらえなかっただろうティズの一件は、しばらく神殿内を騒がせた。
伝承部でもザッと調べてはみたが、複数の神官達が作った術具に残った力を、合わせて一つにするという前例は出て来ない。
前代未聞だという報告が上がってからは余計にだった。
渦中、ティズは何人もの力あるカミッシュの神官と引き合わされたが、結局誰の力も受け入れようとはせず、主人を選び直そうとしなかった。
ティズに何か吹き込んでいるのではと、ラツは疑われもした。
けれど多くの神官は、巫女姫であるイリーサでも駄目だったのだからと、自分を慰めたようだ。
なので直接話は来なかったが、ラツを営業部から退魔術部へ転部させてはどうかという話も実はあったのだが……流れた。
ティズがラツを守る為に魔物を倒すのはいいが、それで力を使い果たし、自我が消えてしまったら元も子もないという理由からだった。
そうしてラツは一見子連れ状態で、売店の仕事をこなす事になった。
ラツの同僚は神官としての力がほとんどか、全くない者達だったので、やがてティズをそこら辺の子供扱いし始めた。
それが全体に広がり、
「へ~、アレが……」
と、ティズを指差す者はいつしかいなくなった。
周りの熱狂が落ち着き、始終べったり引っ付いていなくても、ラツと引き剥がされたりしないと感じ取ったティズは、少しずつ行動範囲を広げていき、聞きたがりな子供になっていった。




