旅最終日
今日も朝から列車の移動で始まった。
スィッチバックも体験し、昨日よりも更に高地へ登る。
今日の下車駅は路線内で、一番標高がある駅だった。
少し分け入った日陰には、多くの雪が残っている。
家々の周りや道路に積った雪が人の手によって集められ、背丈以上になっていた。
それでも確実に季節は春へと向かっているようだ。
新雪は見られなかったし、あちらこちらからぽたぽたと水滴を垂らして、いくつもの水の筋を作っている。
お陰で歩く先々も少々ぬかるんでいる場所が多かった。
始めは迷いなく進んでいた先生だったが、何度か辺りを見回して、戻って逆方向へ進んだり、そこを更に取って返したりを何度か繰り返し、そしてついに足を止めてしまった。
「……先生」
「う~ん……」
「もしかしなくても、迷子ですか?」
「みたいだな、これは」
「うわっ! 先生でも道に迷ったりするのですねっ。地上では怖いものなしだと思ってました」
迷った事を不安に感じるよりも、意外な真実に驚く。
「いや、オレが迷子じゃなくて。今日会う奴がいなくなってる」
「……え」
「しょーがない奴だなぁ」
いや先生、肩を竦めないで下さい。
いるべき場所にいるはずのものがいないなんて、どう考えたってヤバイじゃないですか。
確かに精霊の周りに、逃げ出さないように檻を設置してあるわけじゃない。
だが、一昨日の精霊は先生が来るまでどこへも行かなかったし、昨日の精霊もあの洞窟は壊れてしまったが、またあの近辺で工事を始めるに違いない。
聖人ラツに放された場所にはどの精霊もきっと愛着があるはずで、それを捨てたという事はつまり……。
「魔物化、ですか?」
「それはない」
確かに魔物化は最悪の場合だが、その可能性はあるはずだ。
それなのにキッパリと言い切った先生が妙に引っ掛かる。
すると先生がすぐにその答えを続けた。
「もし魔物化してるなら、もっとオレの気が逸ってたはずだ」
非常に頼りになるような、ならないような言葉。
これを先生以外の他の誰かが言ったなら、十中八九信じなかったのではないかと思う。
けれども先生が言うからには仕方ない。
脳内で魔物化という文字の上に線を引いた。
それでもまだ引っ掛かりは消えない。
「この辺にはいないから、とりあえず駅まで戻るか……」
「分かりました」
「あ~ソルム? もしかしたら人間社会に不慣れで一悶着は起こしてるかもだが、大丈夫だから。あんま気にすんな。ちょい出遅れた」
「先生、それ全然大丈夫じゃないです……」
最悪の予想は免れた様だが、まだ安心は出来なさそうだ。
先生の後ろからついて行きながら、屋根の上にいた先生が、飛び降りたのでもなく、校内へ戻ったのでもなく、突然消えたのも思い出す。
このまま一人悶々として、先生と気まずくなるよりは、ズバッと引っ掛かりを聞いた方が良いとこの数日で学んだので聞く事にした。
「先生は一人だったら、自分の好きな場所へ一瞬で行く事が可能なのですか?」
「? 見知った場所なら、そうだな。だからって一人で迷子の奴を捕まえに行けなんて言うなよ?」
「今は言いません」
先生は聞いた事にちゃんと答えてくれる。
「そうすると遣り残しの精霊が居る場所へ、先生一人なら列車なんて使わなくてもすぐに行けちゃいますよね。
万が一、魔物化していても、暴走なしで力を使える先生なら、自分だけでその始末も出来る。実際そうした事もあったのでは?」
そして嘘がない。
これは精霊としての特性の様な気がする。
「ラツが死んでしばらく荒れた時期に、実は一人で行ってた」
「一人で行動した方が圧倒的に早いのに、どうして先生は神官を連れて行くようになったのですか?」
「あれこれ想像から実行までするのって、どうも面倒臭くて駄目なんだよな、オレ。誰かと一緒ならお偉方もちょっとは安心出来るだろ」
「それと絶対に危なくない遣り残しだけを選んで、神官を連れて来てますよね? 今回だけじゃなくて、毎回でしょう?」
「元々ラツの願いに反応して、自分から飛び込んで来た奴らばっかりだから、今更魔物に逆戻りはしないし危なくない。それに将来有望な若人を危険に晒せないしさ~」
先生の事だから、偽りない気持ちなのだろうが……。
「先生、もう少し真面目に答えると?」
「……やっぱ寂しいからなぁ、一人でいるのは。それでラツみたいに笑ってくれる奴がいないもんかなと、教室へも行ってみる」
これも本当に本当なのだろう。
でもこれだけなら、きっとこんなに引っ掛かりはしなかった。
「もっと打算的な答えではどうです? 例えば連れて来る神官を、精霊の主人にさせようとしているのではないか、というのは深読みし過ぎでしょうか?」
「そんな事まで知りたいのか、ソルムは」
「ぜひ」
「力ある神官が主人になってくれれば、それに越した事はないよなぁ。だが残念ながら現実は難しいもんだ」
そこで一度ちらりと先生がこちらを振り向く。
話そうか話すまいか迷っている風でもあるが、結局先生は話してくれた。
「オレは行く先々で精霊から王って呼ばれるんだよ。それも王っていう単語が名前であるみたく、普通に呼ばれる。別に威張った覚えはないし、その逆に敬われた事もない。
でもラツがいなくなってから特に、王と呼ばれるからには何か出来ないもんかなと考える様になった」
「自分から仕事を背負い込まなくても」
「全くだな。それでまぁ……まずは主人になったからって、精霊は簡単に使い捨ててもいい道具じゃないって事を、出世コースへ行く人間に気付いてほしかった」
「デンもですが、精霊なら神殿内にいますよ?」
「精霊が生きている事、ちゃんと個性だってある事を知ってもらいと思ったんだ。例えオレに不快感を持ったとしても、三ヶ所くらい回れば嫌でも分かるだろ?」
教室での先生で十分に個性爆発だったが、話が脱線しそうなので口にはしなかった。
「神殿内にいる精霊達は、最終的には主人に絶対服従の奴ばっかりだから、そうじゃない変な精霊もいるってとこを見せたかった。
お前はどうも元々デンが消えそうな状態なせいか、精霊に無茶な要求をするような性質じゃないらしいから、その点じゃ今回の旅は必要なかったかもなぁ」
「……。屋根の上で見抜かれなくて良かったです」
見抜かれていたら、こんな楽しい旅には出られなかった。
こんな楽しい先生にも会えなかった。
「ん~」
何を悩んでいるのだろう?
話して貰えるだろうかと先生を見ていると、もう一度、先生がこちらを振り向いてくれた。
「よし、ソルムにはでっかい話もしとくかなッ!」
「お?」
何だろう? ドキドキする。
「極端な話、大昔の文明は精霊を道具扱いし過ぎたせいで滅んだと思うんだよな。今は力ある者ない者ごちゃ混ぜだし、馬鹿男の話じゃないが人類共通の敵もいる。
だから精霊を狂わせる方向へ進まなければ、大昔のような文明に追い付くと思うんだ」
「……ふむふむ?」
「もし滅びを防げるんなら、この星の寿命が来るまで人の営みは続き、もしかしたら空を越えて他の星々にまで飛び出して、更に広がって続くかも……なんてな」
「また随分と壮大ですねっ」
「まぁ星に飛び出して、どーすんだ。どーなんだっていうのは別にないんだが。精霊としては人間が好きだしな。好きなものにはずっと存在してて欲しいわけだ」
前を歩いているので先生の表情は見えないが、きっと照れているに違いない。
急に話題が現実へと戻った。
「さて! 今日の奴が誰かについて行っただけなら、それでいいんだけどな~」
自分にとって今、迷子の精霊なんてどうでもいい。
先生の打算的な部分に引っ掛かりを覚えていたのだが、想像以上の話を聞けて、あっという間に霧散する。
空飛ぶ船ですら夢のまた夢のご時世に、星へ行くなんて妄想過ぎだ。
それなのにその妄想を浪漫と捉えた心が勝手に高揚する。
それこそ仕事を増やす事なのに、自分も何かしたい、役立てないかという思いがどこからともなく沸いて来た。
きっと先生と一緒なら向上心を忘れずにいられる。
ずっと先生の妄想に乗っかっていたい。
命尽きるまで、どっかしらでワクワクしていられるなんて最高じゃないか?
やっぱり先生とまだまだ一緒にいたいと思った。
そんな思いを膨らませて歩いている内に、今日の下車駅へと戻っていた。
「ちょっと待ってな」
「はい」
電車の事だと思っていたのだが違っていたらしい。
先生が続けて聞いて来た。
「あぁ、そうだった。お前も見るか?」
「見たいです」
何の事か分からなかったが、先生の微妙な駄洒落を聞いた時ほど後悔する代物ではないだろう。
「ここがこの駅」
頭の中に極小さな長方形が出て来たと思った瞬間、一本の線が両方向へとゆっくり曲がりながら下へと伸びていく。
そしてその線に付き従うかのように、のっぺらな凹凸が展開した。
集落の道や建物、並び立っている森の木々などを一切無視した、必要とあればどこまでも広げられる地図。
「線路を基点ならぬ基線として、地図を広げた状態だ。川があっても線路の続く限り見えるから便利なんだよな」
「へぇ~。さすが先生」
「かなり省略してるけど、奴の位置が分かればそれでいい」
一度話すのを止め、地図に集中している先生の顔が次第に険しくなっていった。
そして先生は自分に言い聞かせるように呟く。
「ボケた奴ではあったけど、魔物にやられる程やわじゃない。絶対に何も伝わって来なかった」
「もっと遠くでは?」
「そこまで離れてはいない気がするんだよな。……それとも歳でオレの勘が鈍ってるのか」
少々先生が弱気だ。
これは頭の中の地図をぼさっと見ている場合じゃないと気付いて、脳を働かせ始める。
洞窟内でああも簡単に精霊と魔物の位置を把握出来た先生が、迷子の精霊を探す為だけに広げられた地図で、その存在が感知されないなど、どう考えてもおかしい。
しかも地図の作り主は地精の王なのだ。
「あ」
地精の王って事は、もしかして。
「ずっと浮かんでいるか、もしくは水の中という事は?」
「……。……ナイス、ソルム」
先生が目から鱗、という表情を浮かべる。
「ふふふ」
役に立ったみたいですっごく嬉しい。
「たぶん水の方だ。さっきの場所の雪解け水が流れ込んでるのは……」
「あっ、先生。待って下さいッ!」
早速地図で見当を付けたのだろう、走り出した先生を慌てて追い掛ける。
さすがに網の目の様に広がる側溝は見ずに、大人二人が悠々並んで歩ける幅があり、深さも背丈の半分ほどある用水路まで来て、その流れと同じ方向へ辿り始めた。
普段どんな状態かは知らないが水量は多く、流れも早く見える。
「さすがにここまで近ければ、水の中にいても分かるはずなんだが」
頭の中で用水路近くを拡大してある地図の水の流れは細い空白部分だった。
後少しで更に広い空白、つまり川へと合流しようという場所に近づいた時、雪の重みで折れたらしい、かなり大きく太い枝が、流れを半ば堰止めて周りに水を溢れさせているのが目に写った。
用水路から溢れた水も、これまでの方向を失わず、川の方へと流れて行っているのだが、周囲は完全に水浸しだ。
しかし先生は足元を濡らしながら豪快に突進し、大きな枝を掴み上げた。
それと同時に水から何かが飛び出して来て、先生の首に巻き付いたように見えた。
「先生ッ!」
咄嗟に声を上げたのだが、心配はいらなかったらしい。
のほほんとした嬉しそうな声が聞こえて来る。
「わ~い、地の王様だ~っ」
「こんなとこで何してんだ、お前はっ」
それに構わず、先生はずるずると枝を引き抜いて、用水路の脇に捨てた。
「えっとね? 水に触ってみたら、とっても冷たくてうっとりなの」
飛び出して来たのは本日の精霊、姿は聖画に描かれていそうな水の乙女で、そして先生の首に巻き付いたのはその白い両腕だった。
なのだが、どうも言動は幼い。
「重い、痛い。降りてくれ」
「む~。はぁ~い」
渋々返事をして、精霊は先生の首からぶら下がり状態を止める。
「それでね、お日様に当たるとキラキラってキレイでね。水の中に寝っ転がって、ゆらゆら揺れてね。たまにシュ~って滑ったり。楽しいよ~、地の王様もする?」
「いや、遠慮しとく。でもお前には気持ちいいんだな?」
「うんっ」
「そのまま川に出てみたらそうだ?」
途端に精霊は体を固くした。
「行かない、ここにいる。だってあの方が選んで下さった場所だものっ」
あの方とは当然、聖人ラツの事だろう。
どうやら精霊の中では地精の王よりも、聖人ラツの方が格上らしい。
言い回しが丁寧だ。
「あそこからだいぶ流されてるぞ、お前」
「えっ、そうなの~?」
今更キョロキョロと周囲を見渡した精霊に、先生は告げる。
「まだ用水路だったから見つけられたけど。正直、水の中だとオレは探せないから……焦った」
「ええ~っ。じゃあもう水には入らないもん。戻って、ずっとずっとあそこにいるっ」
「せっかく怖くも痛くもなくなったんだ。今のお前はもう水の誘惑には勝てない。水を我慢したら、それこそヤバくなる。反動で川どころか海にまで流れて行ったりな」
そしてまた先生は同じ約束を今日も口にするのだ。
「オレはこれっきりさよならだ、なんて言ってないぞ?」
「……。……うん。言われてなかった」
素直に頷く精霊の頭を、よしよしと先生は撫でる。
何だか覚えのある光景だと思った。
「あのな、この川は大きな河に通じてる。そこに今でもオレを見るなり、ラツを盗ったって言うヤツがいるんだ。
結局生まれた場所で主と化してて、そいつの周りにちょろちょろと集まって来てる連中もいる。そういう連中と一緒にいてくれれば、オレは安心だ」
「む~」
「もしオレが会いに行った時、たまたまお前がどこかへ遊びに行ってたとしても、近くなら呼び戻してもらえるぞ。少なくとも、お互い伝言は残せる」
「絶対、また会いに来てくれる?」
精霊は今にも泣き出しそうな表情をしている。
「おう。何ならオレとしてはヤツに会いたくないけど、そこまで送って行くぞ?」
「……地の王様と一緒は恥ずかしいから、一人で行く」
「そっか。……それがいいな」
しょんぼりして嫌だったら止めておけば……と口にしたくなる風情だったが、精霊は水へと入った。
そのまま流れて行ってしまうかと思いきや、まだ十分に判別可能な距離でひょこっと振り返ってきた。
「いってくるね~っ」
「あぁ、いってこいッ。気を付けてな~ッ!」
そうして今度こそ見えなくなった。
「……なぁ、ソルム」
何だか先生の方が取り残された様な寂しそうな声音だったので、なるべく優しく返事をする。
「はい。何ですか、先生?」
「オレってさぁ……、……一緒だと恥ずかしいか?」
その言葉に、悪いが遠慮なく吹き出させてもらった。
また列車に乗って二回乗り換え、王都へ着いた時にはもう空が暗くなっていた。
けれど腐ってもさすが王都と呼ぶべきか、王都内の列車はまだまだ走っており、無事に王都神殿前まで来る事が出来た。
夜になると応対する神官はいないが、王都だけに限らず神殿の門は一日中開かれている。
「お別れだな、ソルム」
そう言って先生が握手を求めて来た。
でも聖人ラツの遣り残し精霊の一人ではないから、ここでこの手を取ってしまったら、先生と生涯会えなくなるかも知れない。
「先生。私と魔王を目指してみませんか。王都神殿に入るより、よっぽど面白そうじゃありません?」
「……馬鹿男二号のあほ」
ちぇ~、駄目かぁ。
魔王な先生、カッコイイと思うんだけどなぁ。
「冗談はさておき、先生とずっと一緒にいたいと思うのですが」
「あのな、ソルム。確かにオレは一人でいるのが寂しいんだよ。でもしばらく誰かと一緒にいると、落ち着かなくなって来るんだ。我慢出来るのは数日間だな」
案の定な答えが返って来た。
「だからお前はオレに煙たがられるくらいの偉い奴になれよ」
更に体の中から先生が去ってしまった事に気付く。
体の接触の有無は単なる先生の気分だけで、一切関係がなかったのだ。
「先生……」
そうでなくとも全力で先生との縁が切れるのを拒否していたのに、こうも簡単に退けられたのが悔しい。
「デンも元気でな。付き合ってくれて、ありがとう」
ラツが遣り残した精霊達に出来なくて、現時点で自分に出来る事は何だろうかとフル回転で考えた。
「……先生。暇そうだし、呼んだら来てくれますよね? たまにはストレス発散も大事ですよっ」
「お前、何か……実は物騒な奴なのか? 洞窟一つで充分だろ」
「まぁまぁそう仰らず」
「じゃあな~」
先生はひらひらと後ろ手を振って消えた。
たぶんカミッシュへ帰ってしまったのだろう。
結局言質は取れなかったが、律儀な先生はきっと来てくれるに違いない。
同意するように、足元にいたデンがぴょんぴょん跳ねた。




