旅中日
神殿に一泊した後、一日に数本しかない列車に乗り込み、車窓から外を眺めていたら、しばらくすると平原と別れて山中へと入った。
急な曲線や勾配を繰り返し、いくつものトンネルを抜けて、ずんずん進む列車の側面に枝や葉がぶつかる。
時折木々の隙間から眼下の景色を見る事が出来た時、いつの間にやらだいぶ高地へ登っているのが分かった。
麓では春の花が咲き揃いつつあったというのに、線路脇にまだ解けきれない雪が残っている。
特急は走っていないし、そもそもこんな山中じゃ平原に比べるとスピードが出せない。
昨日の特急列車とは違って、二人座席ではなく、一座席に何人でも座れるような縦長だ。
ちょっと座席が固く列車の振動が腰にくる。
路線内には小さな集落が点在しており、そこに駅もある。
都や街近郊に比べて一駅区間が非常に広く、それらはほぼ無人駅だった。
さすがに昨日の臨時駅よりも、しっかりとした作りではあったが……。
今日はその無人駅の一つで、普通に降りた。
「はい、ソルム君。イメージタイム~ッ!」
突然先生から見世物の始まりの様に楽しそうに言われて、何事かと思う。
「は? ……え、もしかして?」
こちらがイメージすると先生が力を使うわけだから、近くに魔物でも出現したかと緊張したがそうではないらしい。
「このまま歩いて行くと大変だぞ。オレはへばったお前を抱えて行くのはごめんだからな」
「はぁ、じゃあ」
こんな使い方って有なのかと思いつつ、イメージしてみる。
まずは足に負担が掛らないようにする事が先決だろう。
大小の石や木の根がゴロゴロでこぼこしているよりも、ふわふわしている所を歩くのがいい。
ふわふわ? 雲……何の気なしに、空を見上げる。
「先生、空も飛べます?」
「どうかな? 力は力であり、地に拘らないと言えるお前なら可能かも知れないが、オレは飛びたくない」
先生にもちゃんと苦手なものがあるのだな、と思った。
弱味を握って嬉しくなるのは、マズイ性格だろうか?
「でも先生、屋根の上にいましたよね?」
「あそこはラツがぼ~っとしたい時とか、逆に色々考えたりしたい時に行ってた場所だったからな……」
懐かしそうにするかと思いきや、先生は不機嫌な表情を浮かべる。
どうやら偉大なるサンフォも関係しているらしい。
偉大なるサンフォが神官学校卒業当初、魔物を従える為に先生を作ったのだという妄想話は聞いた。
自我が芽生えたのが偶然にしろ何にしろ、もしかしたら先生は地精の王ではなく、魔物を従える魔王になっていたかも知れないのだ。
前者よりも後者の響きの方が素敵に聞こえるのはお年頃のせいか、それとも聖に対してだけではなく魔にも惹かれる人間の性か。
魔物を従え、周囲を睥睨する先生……なぜだろう? うっとり来る。
「……ソ~ル~ム~~」
先生の低い声がして、ハッとする。
「あっ、すみません。……というか。いいじゃありませんか、想像くらい」
「伝わって来るんだよ、あほッ。お前のイメージを自動変換実行すれば、オレは意識しないで済むんだろうけど、一応今はお前の体に対して力を使ってるからな」
途端に荷物と体が一気に重たくなり、固い地面に膝を付き掛けた。
「わわわ、先生。すみませんでしたっ。お気遣いありがとうございます!」
「馬鹿男二号のあほって呼ぶぞ、ソルム」
「ご勘弁を~」
そんな風に謝りつつも、先生との接続が切れているのをいい事に、全くその気がない先生に対してチッと思ったのは内緒だ。
機嫌を直してくれた先生に連れられて着いたのは、洞窟の入り口だった。
「……先生。出ますね、ここ」
「寄って来るんだろうな。昨日の奴の場合は視界に入った時点で即倒しに行って、下手したら地形ごと消し去る性格なんだが。
今日のは~こんな狭い場所に魔物を呼び込んで、最終的にはオレに倒させて、これだけ集めたの、偉いでしょって褒めて欲しい癖に自分も隠れてる。いや、見つけて欲しいのかな? という奴なんだよなぁ」
「……」
「中がどう通じてるのかは読み取りにくいが、居場所なら今日会いに来た奴も、奴が集めた魔物もだいたい分かる。……君なら必ずやれる! さぁ張り切って行ってみようッ!」
非常にありがちな言い回しを口にして、先生は中へと歩を進めてしまい、それに従うしかなかった。
洞窟が崩れないように力を調整しつつ、見つけるたびに魔物を丁重に消していった。
どんどん奥に進むのだが、洞窟はどこまで続くか分からない。
高い天井、底の見えない割れ目、開けた空間が続いたと思うと、その逆に一人がギリギリ抜けられる細い隙間が続いたりする。
荷物を入り口に置いて来て正解だった。
もう入り口の光は見えないから、灯りを消せばきっと真っ暗だ。
「あの~、先生」
「おう?」
「先生に見えてるここの情報、私も見たいです」
先生はこちらのイメージを自由に転用出来るが、こちらにそれが出来ないのは不公平だと思う。
これまで聖人ラツの遣り残しに付き合った神官達はどうだったのだろう。
知らなくていい事まで聞けてしまっている自分はまだ先生に色々言えているに違いないが、言えなければ言えないほど、一方的にイメージが奪われる事に不快感を覚えたのではないだろうか?
そして不快感を抱かれた事に、先生は当然気が付く。
これまでの神官達と先生の関係は、非友好的な場合が多かったのではないだろうか。
先生が最初に言ったクソジジイ。
口に出されずとも内心では、自分の何代か前に本当にあった話なのかもしれない。
「悪かったな、ほら」
そんな考え事を断ち切るように、先生が洞窟のイメージを寄越してくれた。
「……先生。何だか、面倒臭くなってきました」
何なんだ、この魔物の数。
しかも、何だこの洞窟の複雑怪奇さ。
それにこれまでの神官達と先生の関係を考える事も、……面倒だ。
「ん~? 気持ちは分かるが昨日も色々考えながらやってくれただろ、ソルムは。今日も任せるから、な?」
「任されるのはいいのですが……。……とりあえず邪魔者は排除で」
位置だけ見えている魔物達ではなく、入り口に置いてきた荷物と、それから精霊の方を結界で取り囲む。
精霊は暴れているらしく、小刻みに動いているが出さない。
そこで大人しくしてろ。
「こうしといて、何をするんだ?」
不思議そうな先生に、答えた。
「先生、しましょう」
「は? おいまさか……?」
「話が早くて助かります。どうぞ御遠慮なさらずに~。たまには先生も発散しないとっ」
「いや待て、いらん気遣いしなくていい」
イメージを送信ついでに、先生の瑠璃の目をじっと見つめる。
「……決めましたから、絶対」
「……ッ」
根負けした先生が仕方なくな調子で動き始めた。
「先生、もっと……っ」
拒否権を持つ先生に焦れる。
すると先生が躊躇を捨てて、なおかつ誘いを掛けて来た。
「そういうお前がそのもっとを寄越せ、ソルム」
「そうこなくっちゃ……、くッ」
唐突に先生の力の中に放り込まれた錯覚に陥って、息を詰める。
先生の力を見るのはこれで二回目だ。
「ほら、ソルム。どーする? どうしたいんだ、オレを?」
だが、これに飲まれるわけにはいかない。
昨日の精霊に先生は「力を発散したくなったら相手になってやる」と言っていた。
ならば当の先生はどうなのだろう?
聖人ラツと偉大なるサンフォが亡くなってから、相手の事ばかりで自らは貯め込んでいるのではないだろうか? そう思ったのだ。
するとデンが足の裾を必死になって銜えているのが見えた。
力の波に飲み込まれない為の、碇……大丈夫だ。
いける、そう確信した。
「こうします、よッ」
力を周囲に巻き散らかす。
いや一気に放出して、大規模爆発を起こさせるのがいい。
そうして先生は魔物も洞窟も関係なく、周囲一帯を山ごと吹っ飛ばした。
「……あ、ヤベ。調子に乗り過ぎた」
「でも気持ち良かったでしょ、先生」
「う。まぁそうではあるんだが~」
残ったのは塵と化し損ねた岩や木の残骸、そして今日のお目当てである精霊だった。
「王様の馬鹿ああああああッ!」
結界が消えるや否や、うわ~んという泣き声を響かせつつ遠ざかって行く。
「悪かったよッ! お~いッッ」
先生は泣き声が去って行った方へ、叫んだ。
「馬鹿馬鹿馬鹿~王様なんて、王様なんてッ!」
するとあれこそが童というべき精霊が遠くから隠れつつ、こちらを見て立ち止まる。
その愛らしい姿とは対照的に、大きな工具を何本も担いでいた。
洞窟は自然のものだけではなく、どうやら手も加えてあったらしい。
「……。……でもまた来てよッッ」
「おう、またなッ!」
「その人間は連れて来ないでッ、もう二度とだからねええええッッ」
今度こそ本当に走り去ってしまい、見えなくなってしまった。
予定よりも一本早い列車に乗り込み、その日はのびのび温泉に浸かって寝床に入った。
「先生、もう寝てます?」
「……ん?」
衝撃をかなり和らげていたとはいえ、歩いた事には変わりない。
なので目を閉じればすぐに眠れるかと思っていたが、どうも日中山を吹き飛ばした先生の力に当てられたらしい。
思うように睡眠へ切り替えられなかった。
「ラツの真の願いですけど……」
旅二日目の終わりにして、早くも敬称略で言ったが、先生から不快気な反応は返って来なかった。
それをいい事に、さっき列車の中で聞いた昔話で気になった事をそのまま続ける。
「ほら。先生が王都神殿で体を乗っ取られた時に、サンフォが言ってたじゃありませんか。先生の力を安定させるよりも、真の主人を見つける事よりも、ラツには本当の願いがあるはずだって」
「あぁ。……何だと思う? 言ってみろ、ソルム」
もう先生は既に分かっているのかも知れないと思った。
でも客観的な第三者の意見を聞いてみたいと思っている風にも受け取れたので、答える。
「先生が幸せでありますように、……じゃないですか?」
「そうだな」
やはり当たりらしい。
この一言で終わるかと思われた先生の言葉には続きがあった。
「オレにとってはラツと一緒にいる自体、幸せだったけどな」
「……私も。先生といると楽しいです」
かなり本気の本心だったので、内心また面白がられるだけだったらどうしようと、ドキドキしながら言ってみたのだが、先生の思考はスッカリ過去に飛んでいるらしい。
「そっか」
と、今度こそ短い返事のみだった。
先生は三件寄り道すると言っていたから、次の場所で終わりなのかと思うと、余計に寂しくなった。




