旅初日 後
そのまま眠り続け、先生に名前を呼ばれ、更に揺さぶられてもまだしばらくの間ぼんやりとしていた。
ここどこだっけ? 何をしてるんだっけ? 状態。
「とりあえず、歩け。一番後ろの車両の扉から降りる。そこの扉しか開かないし、オレ達が降りたら列車はすぐに出発してしまう。……結構段差があるから足元に気を付けろよ」
先生の解説に促され、一段だけ組まれた一両分の長さすらない短い石の駅に、先生と二人で立ち尽くしていた。
「まだここにいていい。ホント悪かったな、ソルム。お前が一見大丈夫に見えてたのは、どうもデンが酔い止め薬的な役割を果たしてくれてたかららしい」
「先生。デンって名前を呼んでいますね。私が寝ている間に何かありましたか?」
「何も事情を知らせず、お前から退かせたからな。謝っといた」
段々本格的に覚醒してくると、この駅と呼ばれる場所には家どころか店すらないのが分かった。
改札口もなければ、駅員もいない。
臨時と書かれた駅名表札板の文字は今にも消えそう、且つ何かの拍子に折れてしまいそうだ。
「……殺風景ですねぇ」
「列車や線路は国営、この臨時駅周辺も国有地になっていて、何も建ててはいけない事になっている。王国内でも人が住んでいない所に奴らを放したからな~」
「先生」
日々便利な世の中に慣れてしまった身に、この荒野は厳しい場所であると悟り、これは気を改めねばならないなぁと思う。
民家がない場所での実践訓練も受けたが、都会育ちの自分に野外生活の経験は乏しく、極力そんな時間は少ない方がいいに決まっていた。
「おう。やるか?」
「はい」
「よし、じゃあともかく駅から離れよう。……まず駅と線路を外して、ここ一帯に広範囲の結界を貼る」
「はい」
「中心はあそこの奴……というか、側に誰かいるな」
「はい?」
最初は分からなかったのだが、近付くにつれて見えたのは筋骨隆々の精霊と、その精霊を真似するように横に座っている人間の少年が見えた。
ここは関係者以外立ち入り禁止の臨時駅とかいう前に、列車が通っているとはいえ、両隣の駅まで徒歩で一日半は掛るし、近くの村までだってそれなりの距離があるはずだ。
人がいること自体がおかしい。
しかも。
「……あの、先生。精霊の方から思いっ切り睨まれていますが?」
「だな。ちょ~不機嫌だな。いい時に来た、さすがオレ」
先生にはあの精霊の機嫌がどうして悪いのかが分かっているようだ、一人したり顔でニヤニヤしている。
そして今それを教えてくれる気はなさそうだった。
それはズルイとゴネて見せようかと思ったのだが、先生がその先手を打つように言って来る。
「ほら、イメージ寄越せっ」
「……」
先生の力、あの強烈な光を見た時に思った。
確かに先生の属性は地だけど、力は力であって、地という外形をとらせる必要はないと。
すると先生が感心したように笑った。
「ソルム。お前いいよ、凄くいい」
「ありがとうございます。……本当に?」
先生が嘘を付くとも思っていないし、褒められた事がやけに嬉しかったのだが、地精の王としての尊厳を傷付けていやしないだろうかと、つい確認を入れてしまった。
「一緒に来たのがお前で良かった。イメージも明瞭で、やりやすい。今回のアイツは荒れるぞ。土の壁なんてあったら、きっとかえって邪魔だったな。
……あとは体当たりで行く。自分の身と、どっから沸いたか分からんアレの分の結界も忘れるなよ?」
「体当たり……って、大丈夫ですか先生?」
先生、見た目かなり弱そうな……。
あんな筋骨隆々相手じゃ、一撃で吹っ飛ばされてENDの予感。
「先生のいうアレと私が一緒にいればいいのだし、大小の結界二つと、先生の補助を同時並行くらい出来ますが……?」
「そりゃそうしてもらえればかなり楽だろうが、それこそ大丈夫か? お前がイメージを浮かべ損ねると同時に結界も消えるんだぞ?」
心配する先生に対し、心外さをおどけ調子に返す。
「先生。ゆーしゅーな私をしっかり使ってもらわなくては困ります」
「そっか? じゃあまぁ適当に頼む」
あまり当てにされていないのが丸分かりな答えだったが、気にしない。
「はい、お任せ下さい」
先生が視線を戻して、精霊へと呼び掛ける。
「よう、来たぞ」
「ああ、よく参った。……小童。邪魔だ、退け」
そんな風に呼ばれるほど子供じゃないと思うのは、彼と自分が同年代っぽいからだろうか?
精霊はすっくと立ち上がり、先生だけを見つめて一歩一歩足を進めて来る。
それは先生の方も同じで、もうこちらを見ようとはしなかった。
既に二人とも戦闘態勢に入っていて、きっとすぐに始まる。
とりあえず任された以上は引き受けなくてはならないと、迂回して取り残された彼の側に近寄る。
幸いだったのはその彼が空気を察しているらしく、無闇に暴れたり説明を求めて来たりしなかった事だ。
おかげで先生の動きに集中出来た。
先生の体に沿うように膜を貼る。
この膜は防御の為だけにあるものじゃない。
やはりこちらへ視線は向けて来なかったが、それを先生が愉快に感じてくれたのが分かった。
直後、まるで示し合わせたかのように先生と精霊が同時に、お互い目指して一文字に走り出す。
体当たりという言葉が出たくらいだから当たり前なのだが、先生の動きは見掛け以上に速かった。
突き出され、繰り出される拳や蹴りには壁を、そして応酬には力を上乗せして。
ぶつかるたびに起こる衝撃。
瞬間的に空気が裂かれ、地面がへこむ程の凄まじい力が交わされている。
そして、これが主人を介さない精霊の力なのかと思っていた。
精霊の体は確かに先生の方を向いているのに、力だけがあらぬ方向へ飛んで行ったり、かと思うと範囲的に暴発したりと、咄嗟に防御に重点を置かねば危ない時もあった。
お互いに一体どこまで本気で、そしていつまでやるのかと、心配になる。
けれど、なぜだろう。
途中から演武でも眺めているような気分になっていた。
そんな時、精霊が口を開く。
「これこそ我が本領ッ。小童ごときめが、我が器となれるわけがないッッ」
それは先生に対して言った言葉ではなく、その事に隣に居る彼も気が付いたようだ。
負けず劣らずの声で叫び返す。
「そんなの始めっから分かってますッ。ただ師匠のお側にいたいだけでッッ」
「師匠などと呼ぶな、小童……ッ!」
「勝手に呼びます、師匠は師匠ですから……ッ!」
精霊の方は体を動かしたまま、彼の方は結界の中から、多少距離があるのでお互いに怒鳴り合っていた。
そこで先生が口を挟む。
「求められてんなら、行ってやれよ。別に主人っていう形体をとらなくてもいいだろ? そもそも器じゃない奴が風の主人だった事もある」
「貴殿がそれを言うのか、王よ」
余計な口出しをするなと、精霊が唸り返して来た。
「オレは主人をとっかえひっかえし過ぎかもな。だが確かにラツの中で、丸々全部受け入れてもらえてた状態は心地好かっただろうと想像がつく」
「当たり前だ!」
「でも精霊はきっと人間に対して、好きな部分があって一緒にいる。嫌いな部分があっても、何だかんだ一緒にいる。
大昔には狂って魔物になるほど、やっぱり人間が気になって仕方ない。そんな風に出来てんだよ。それに逆らって不機嫌になるくらいなら、行ってこい」
「知らん、そんなものは」
「例え新しい主人を見つけたって、ラツがどうでもいいと思うようになる事じゃない。オレなんかずっとラツ本人から、真の主人を見つけろって言われ続けたんだぞ。一緒にラツの中にいたんだから、何となく知ってるだろ?
オレにとっては、それこそラツがオレの事なんてどうでもいいと思ってんじゃないかって、不安だったくらいにさ。こんな所に留まってるより、出掛けて行った方がラツなら絶対に喜ぶ。その時が来たと思え」
「……あぁ」
突然、力を抜いて精霊がどっかりと座り込む。
「なにゆえ我などが斯様に長く生き、彼の人の命はあれほど短かったのか」
「そうだな」
先生の呟きはとても重たく聞こえた。
笑っていたって、どこかで悼む。
例え相反する表情をしていても、悼む心が消えないのを知っているのに先生は笑う。
残されるのは大抵精霊の方だ。
故人に対する思い入れが強ければ強いほど、悲しみは深い。
寿命の長さからいって大抵の精霊がいずれ味合わなければならない、残されたものが抱く特有の感情。
一方人間はのっぴきならない場合は別として、精霊の命を使い切った時、後悔はしても悲しむ事は少ないのではないか?
ふとそう思いながら、結界を張るイメージを停止させた。
「力を発散したくなったら、これからもいくらだってオレが相手になってやる。……だから行ってこいよ、な?」
そして励ますように、先生はぽんぽんと精霊のごつい手を叩く。
さっきまで先生と戦っていた精霊がこちらを、正確には彼の方へと顔を向けて来た。
「小童ッ!」
「はい、師匠ッ?」
その声には先程までの悲しみが微塵も感じられず、関係ないはずなのに思わず背筋が伸びる。
「どこへ行きたい? どこへなりとも我は供しよう」
「自分が師匠にじゃなくて、師匠が自分に付いて来るんッスか? うわっ、どうしよう」
開き直って踏ん反り返っているかに見えるが、実は緊張でカチコチらしい精霊と、打って変ってアタフタする彼。
それでは当人同士でごゆっくり、お邪魔虫は消えますね~的な雰囲気に追い出される様に、先生と二人その場を後にした。
次の列車が来るまで、臨時駅で待つ事になった。
列車が止まってくれるか心配だったが、臨時駅に立っていれば周囲に視界を遮る障害物が何もない。
人間の運転手が遠目に気付いてくれるし、業務連絡でこちらが臨時駅から乗り込むかも知れないと伝わっていると、先生から聞いた。
それよりも早く、同乗している精霊の方が、地精の王を感知せずにはいられないものだそうだ。
「ソルム、お前ってホント優秀だな! 途中からお前のイメージ通りに動いてりゃいいやって、どう奴を丸め込むかばっかり考えてたぞオレ」
「ふふふ~。実感して頂けたようで、何よりです」
実に誇らしいが、面と向かって褒められたのが照れ臭くて話題を変える事にした。
「今、こうやって活動している精霊の王は先生だけですか?」
「だろうなぁ。ラツの時に一斉に目を覚まして、といっても暗はほんのちょっとだったけど。今もまだ思い出に浸ってるか、寝てるかしてるんじゃないか?」
「先生も聖人ラツのやり残しがなければ、ずっとそうしていたかった?」
「かもな~」
先生は一瞬だけ、遠い目をした。
「でも願いを現実化したのはオレなわけだし、ラツのせいだとは思ってない」
肩を竦めた先生へ、その言い方だとまるでと疑問に思った事をそのまま口にする。
「あれ……先生、もしかして主人の願いを拒否出来ます?」
「出来る。オレの場合は特殊なせいもあるだろうが、本当はどの精霊でも出来ると思うんだよな、そうしないだけで」
ちょっと待て!
自分が精霊について一般常識と教えられた事を木端微塵にしてくれたぞ、この先生!
このまま聞き続けるのはちょっとまずい気もしたが、怖いもの見たさについ尋ねてしまう。
「というと?」
「オレ自身だけでも暴走なく力を使って想像から現実化まで出来るけど、主人が一緒の時はイメージ通りにしか力を使わない事にしてる」
ひぇ~。
やっぱり聞かないほうが良かった。
「……その事、お偉方は?」
「さてな~ご存知かもしれないし、ご存知じゃないかもなぁ。こっちから言った事はないし、オレの特殊性は知ってるはずなのに確認された事もない。
何ならお前が報告書で上げとけば? 今日はここまでで、神殿に一泊すっから」
「先生。何か……仕事と私、どっちを選ぶのよ? って責められてる気分です」
「ふははっ。面白い事言うな、ソルムは」
先生は笑ったが、冗談なくそう思った。




