地精の王
「案の定か……」
サンフォの呟きに、今どこを飛んでいるか見たいと出してもらった動く絵へラツが目をやると、小さく不自然に幾筋も落ちる雷光が見えた。
雷が落ちる方向へ近づくにつれ、雷光の周囲を黒い靄が取り囲んでいるのが分かった。
やがて靄は個々の点となり、徐々にその一つ一つが魔物だと明らかになる。
雷光は城のような大きな建物を守るように動いているが、雷精の王と雷の姫がエイラルに来ている間、城に避難しているのであろう人々を守っていただろう結界は褪せて、ところどころ破れていた。
そしてその城から少し離れた見張り塔に、二つの人影がある。
「雷の姫と、雷精の王……?」
「だな」
「暑っ苦しい」
「……それ本人に言うなよ~、ティズ」
太い手足、分厚い胸の巨漢の姿をした雷精の王は髪や髭だけに止まらず、腕から胸から足から金色の剛毛をもじゃもじゃに生やしていた。
どうやら雷精の王は雷の姫を支えるというより、無理やり立たせる為に、獣型から人型へと姿を変えたらしい。
「傍観してる場合じゃないな。まずは結界からか……」
「って、またいきなりかサンフォ~ッ!」
降りるとも一言もなしに、またも空に放り出され、たまらずラツは声を上げた。
同時にティズもラツにしがみ付いて来る。
火と水による最高峰の加護があるから大丈夫だとは思うのだが、断りなく空に放り出されたティズとラツの狼狽を他所に、無事に城の見張り塔に降り立った。
城の結界は輝く水のベールで補強され、破れから入ろうとしていた魔物が凍りついた。
更に炎が辺りに降り注ぎ、見えるものから次々に魔物を焼き消していく。
「文句ばっか言ってねぇで、お前もちょっとは働けよ、ラツ」
「ぐ」
キッチリやる事はやっているサンフォに、ラツは返す言葉がない。
見張り塔に降り立ったサンフォ・ティズ・ラツ、そしてフェシーとリマに、雷の姫が目を見開いていた。
どうしてここへ? と雷の姫から息絶え絶えに問われたようだったので、サンフォに任せておけば出番はなさそうなラツは答える。
「余計なお世話と思いましたが、助太刀に来ました。主にサンフォがですけど」
「礼は言わんぞ」
「はい、勝手にやっちゃってます。サンフォが」
「……ふんっ」
唐突に雷精の王が人から獣へと戻り、それにつられる形で崩れ落ちた雷の姫が金色の剛毛に半ば横たわった。
どうやら全面的に任せてくれるらしい。
言葉とは裏腹にラツは雷精の王から信頼されているのを感じた。
「巫女姫も連れてくりゃ良かったな」
「サンフォがイリーサの事を口に出すなんて珍しい」
「あれだよ。あれ」
「うわ……」
サンフォの視線の先を見ると、ミーシアの時のように魔物に憑かれていると思しき人々の姿が所々にあった。
「人に魔物が憑いてたのか……」
「ミーシアと一緒だよ……」
「仕方ない。憑かれた奴が悪いって事で、全部焼くか」
「おい待て、サンフォ!」
「じゃあ、ラツ。お前、担当な」
サラッと物騒な内容を耳にして、ラツは慌ててサンフォを制止したが、どうやら墓穴を掘っただけらしい。
「……やっぱ僕もやらなきゃ駄目か」
「当たり前だろ」
「大丈夫か、ティズ?」
「うん。こんな機会でもなきゃ、ラツはオレを使ってくれないだろうし、精霊の力があるなら補充も出来るから大丈夫。心配いらない」
「頼む」
王都神殿でティズの力を整理整頓したいと思った時、神霊山を守る術具の力とは、こんな感じだろうかとラツは想像した事があった。
例えば覆う様な網、重たく阻む壁、押し返す槌、落ちて来る鋭い罠、強烈な目暗まし。
神官学校の講義で、術具の発現について質問したり、売店で耳にした話を、思いっきり拡大して空想したのだ。
その想像を現実のものにしなくてはいけないのだと、ラツはティズを見る。
「……ティズ、手を繋いでもいいかな?」
「オレ頑張るよッ」
ティズが嬉しそうに答えたのを見てから、ラツはミーシアでイリーサが見せてくれた退魔を思い出そうとした。
「イリーサって、どうやって術を使っていたっけ……」
そこでラツは止まってしまった。
イリーサはいとも簡単に、人から魔物の追い出しを言葉と共にやっていたように見えたが、ラツには分からなかった。
「こんな感じだったよな」
「こうじゃなかったっけ?」
イリーサの格好を二人で真似してみるものの、一向に退魔の力は発動しない。
全然発動しない力に焦りを覚えると同時に、怖い未来予想をラツは思い浮かべてしまった。
初めに退魔術を発動するなら、丁寧に確実に一つずつ、人から魔族を弾き飛ばして片づけるのを実行するのだと思う。
けれど退魔術が続けて成功したなら、ラツにも魔物の敵意が向けられるに違いない。
一つ、二つ、三つ、周囲全ての魔物に。
雷精の王の寝込みを襲うだけだったはずが、火と水精の女王まで現れた事で、魔物達は浮足立つどころか血気にはやっている印象を受ける。
自分を襲って来る魔物の数が増えるたびに、自然とそれ以上の力で対応しようと、いつの間にかラツはティズを気遣う事を止めてしまうかも知れない。
それに魔物を追い出そうとして、もしその人まで一緒に吹き飛ばしてしまったら……そう思うと、ラツにはとても出来そうになかった。
「……サンフォ、ごめん無理」
「ここまで来といて、それかよラツ。お前、本当は力なんていらないだろ?」
「いやそんな事は……う~ん、そうなのか? とにかく退魔はサンフォに任せたッ!」
「……しょーがねーなぁ。……ティズ、俺に力を貸せ」
それを聞いたティズはガ~ッと吠える。
「はぁッ? 誰がお前なんかにッ。嫌に決まってるだろッ!」
「ラツを守る為だ」
サンフォは一体いくつの力を同時に扱えるのだろうかと、ラツは関心してしまった。
だが、そう思っていられるもの束の間、ラツの躊躇に気が付いた魔物が攻め所だと突進して来る。
始めの魔物はサンフォがフェシーの力で焼き尽くしたが、その一体では終わりそうになかった。
「ラツの為にならいいだろ。使わせてもらうぞ、ティズ」
ティズは頷きさえしなかったものの、神霊山を守っていた結界を小規模にしたものが、ティズとラツ、それから雷精の王と雷の姫の周囲に出来上がった。
その結界は襲って来る魔物を次から次へと退けていく。
いくつもの魔物が消えていく様を目前に見ながら、ラツはそれら全部が元々は狂っているとはいえ精霊なのだと思い、そして狂った原因が人間のせいだとの思考が走る。
更に今は自分を含む人間を守る為に、こうして消されているのだと思うと、物凄く申し訳ない気になる。
そんなラツの心に、実際に目で見ている光景とは別のものが映り出した。
様々な色合いが浮かんでおり、その一つずつが消え、次第にその消えてなくなる速度が速くなっていく。
「これって……」
最後に残った一色は、瑠璃色をしている。
消えていった色が何だったのか、ラツはようやく気が付いた。
「サンフォ、駄目だッ! ティズの力をこれ以上使うなッッ」
これまで何度か覗いた時のように冷や汗も掻かず、グチャグチャでもなかったから分からなかったが、これはティズの力の色だ。
それが減っていくのを、ラツは意識せずに見ていたのだ。
しかもグチャグチャが取り払われて、ティズの瑠璃色からは別の色、というよりも光が漏れ出ている。
その光は強く輝き、今までの色とは違って儚く消えていきそうに見えない。
「まさか、地精の王……?」
ほぼ確信を持ってラツが問い掛けると、その輝きがより強くなり、ティズの瑠璃色まで光を帯び始める。
「ラツの為に力を使い果たしたいって思ってたから別にいい。これが本望だよ」
ティズはサバサバとしている。
が、納得がいかないラツは思わず膝を折って、ティズを間近で覗き込んだ。
「そんな事言うなッ! 僕はそんなの嫌だぞッ! 待って下さい、地精の王ッ! ここで目覚めたら、ティズがッッ」
地精の王の力にティズが飲み込まれているように見えて、ラツは抗議するが、輝きの勢いは止まらなかった。
それどころかティズの中でそれは広がり、色が消えていった部分をも一気に埋め満たしていく。
減っていく色がティズの力だと早く気が付いていれば、そしてサンフォに任せていれば大丈夫だと、安心しきっていた自分をラツは大馬鹿者に思う。
「ティズ~~~ッッッ」
消えないでくれッ! ラツはぎゅうっとティズを抱きしめた。
地精の王にティズを奪われてなるものかと、そればかり考えていたので、ラツは次に聞こえて来たティズの言葉をすぐに信じる事が出来なかった。
「……。……大丈夫だった」
「……ティズ?」
「大丈夫、ラツ。オレのままだよ」
「ティズなのか? ホントにッ?」
瑠璃の瞳、濃い茶色の髪、たぶんラツの小さい頃と同じ顔立ちで、声も外見も普通に聞こえたり見えたりする部分は何も変わっていない。
けれど……。
なかなか信じられないラツの心に、もう一つの声が聞こえて来る。
「大丈夫だ、消えはしない」
その声は聞き覚えのないものだったが、それが誰なのかラツはすぐに分かった。
「本当なんですね、地精の王。そうなのか……。良かった……ホントに、良かった……」
ティズが消えてしまわなくて良かったと、ラツはもう半泣き状態だ。
少し掛って完全に安心出来た時、ラツの中で疑問が沸く。
「目覚めた貴方どうなるんです?」
「どうにもならないさ。ティズ、君は私の力が欲しいだろう?」
ラツの心の中へ、次から次へと光景が流れて来た。
エイラジャールは力ある者達から、その受け入れ領域の広さに目を付けられ、どれだけ詰め込めるかの実験体だった。
その実験過程で知り合った地精の王と逃亡し、神霊山で守られ、籠っていた。
実験台にされ、憎んでいいはずの人間なのに、守られて暮らしているうちに力のあるなしに関わらず、全ての人間が幸せならいいのにと、祈り始めたエイラジャールを地精の王は呆れていた。
地精の王が主人にした人間を見ようと、他の王や女王を始めとした精霊達が神霊山へ訪れ、そして惹かれた精霊達はエイラジャールを愚痴の聞かせ役にするほど懐いていた。
そんな中、戦いに塗れた精霊達が狂い始めている事に、エイラジャールは気が付いた。
神霊山に訪れる精霊達の中には人間を主人に持つものもおり、エイラジャールは手紙を持たせて誰彼構わず警告を送った。
それがいけなかった。
戦いの最中、力のあるなしに限らず、地精の王の主人であるエイラジャールは味方にすれば力強いが、敵に回せば脅威となる。
そんな風にしか考えられず、どこかの陣営に取り込まれるのを恐れて、エイラジャールは暗殺された。
主人の命令には逆らえない、けれど……という直接手に掛けた精霊の躊躇と、そして死んでも死にきれないという意思で、エイラジャールは致命傷を負いながらも瞬死せず、
人間と精霊の行く末を心配し、精霊の王と女王を一度眠りに訪う事で狂った世界から隔離し、そして目覚めた後、狂った精霊達の排除を願い、世界の幸せを祈った。
その最期を地精の王と暗精の女王は看取った。
自分を殺した人間の為になぜ? と狂いそうになるのを堪え、エイラジャールの最期の願いだったから、地精の王は暗精の女王と一緒にそれを叶え続けた。
「私が地精の王と呼ばれる存在であったせいで、エイラジャールは殺された。もう二度と主人を持たないつもりだったし、人間に力を貸す気になどなかった。
……だが不本意ながら、いつしか私も人の為に祈っていたよ。そしてエイラジャールに似ているラツを見捨てるのも忍びない。
だからティズ、君が私の主人となれ。君がラツの願いを叶える事に、私は口出ししない。ラツの思いを君が固定し、私の力で発動。現実化する。分かるな、ティズ?」
「分かった」
ティズが勢いよく頷いた。
「え? エエッ?? もう地精の王の主人になるって決めたのか、ティズ?」
「決めた」
「……あのさ。僕、そんな出来た人間じゃないから、何があっても人間大好きとか無理だと……。だから僕の想像全部が実際に叶えられたら、怖い事になっちゃうような」
「うん、大丈夫。ラツが大丈夫」
「いやだから……」
ちっとも迷っていないティズの態度がラツは羨ましい。
しかもそんなラツを言い包める様に、地精の王まで言って来る。
「現実化するか否かは、あくまでもティズに決定権がある。それからラツの思いに、ティズが過敏に反応するのは魔物絡みに対してだけだから、安心しなさい」
「はぁ、そうなんですか……う~ん、でもですね」
「おいラツ、俺一人に全部やらせる気かッ?」
サンフォがせっついて来て、見えていた色や光がパッと消えた。
地精の王の声もそれっきりだった。
悩んでいたラツは慌てて、今ここの魔物をどうするかに必死で頭を切り替える。
どうせ力を使うなら、使わなくちゃいけないなら……。
「よし、やれるだけやってみよう。サンフォ、一時結界を張るだけにしておいてくれ」
「……全く、どこまで来てもラツだな」
やれやれとサンフォに呆れられても気にしない。
「駄目なら、サンフォに任せるからさ。……ティズ、いけるかな?」
「うん。ラツの思い、ちゃんと伝える」
ティズの返事が心強かった。
声が届く範囲ではなくて、見えている場所、地面が続く限りどこまでも、自分の言葉が届くようにラツは訴える。
「エイラジャールは遥か昔に逝ってしまいました。もう十分狂い続けいるんです、もうそろそろ狂う事を休んだっていいと思います」
ミーシアでほんの少しの間だけだが、魔物と話が出来た。
全部ではないだろうが、魔物には知恵もある。
魔物は、狂った精霊はもう元の姿に戻れないのだろうか?
サンフォが言っていたように無理やり従えるなら、それ以上の力が必要になるのだろうが、狂った精霊自らの意思ならばまた違うはずだ。
地精の王は主人であるエイラジャールの願いで眠りに付いて、狂気に囚われずに済んだ。
もしかしたら眠りに付けさえすれば、狂気から醒める事も可能かも知れないとラツは願い、更に呼び掛ける。
「精霊の王や女王は一時眠りにつく事で、狂気に囚われずに済みました。あなた方も一緒だと思うんです。僕に休む為の手助けをさせて下さい。どうかここへ来てくれませんか?」
ラツは自分の心をトントンと叩いた。
「眠りに付いて狂気が去ったら、再び精霊として生きてもよし、次々生まれて来る新たな精霊に力を譲ってもよし。
今は人を嫌いでたまらなくても、きっと狂う前は好きでいてくれたのでしょう。僕もあなた方の狂気が静まるように祈ります」
するといくつか小さな粒が飛んで来ては、ラツの中に溶け込んだ。
幸いラツは受け入れ領域が広いと、先生からのお墨付きがある。
ラツと通じているティズの中の地精の王の力が、いつの日か芽吹くまで眠る種を守る土となれればいい。
「……ラツ。あとは全部駄目だと思う」
「そっか……。もういいよ。ありがとう、ティズ」
そんなラツの声に応じてくれたのは、魔物の群れの中のほんの一握りに過ぎなくて、悲しくなる。
「儂は寝ていてどれくらいの時が経ったか知らんが、もうなぜどうして狂っているのかすら覚えておらんのだろう。完全に魔と化しておるのだ、気にする事はない」
慰めてくれたのだとラツが慌てて横を見ると、雷精の王は明後日の方向を見て、素知らぬふりを決め込んでいた。
「ありがとうございます」
「じゃあやるぞ、いいな?」
「サンフォも、任せてくれてありがとう」
その一握りがラツの中に溶け込んだのを見たせいで、今度こそ魔物達は落ち着きがなくなり、自ら逃げ出す魔物もいる。
そこへ再び火と水と雷と地の退魔の力を撃ち込まれ、雷の姫の国を襲った魔物の群れは消滅したのだった。




