精霊の王と女王
非常にゆっくりと、少しの衝撃も受ける事なく、ふわりとラツは神霊山の山頂に降り立った。
もちろんティズとは手を繋いだままだ。
目の前に展開する空前絶後の光景に、一言も発せられない人間にお構いなく、精霊の王達は話を始める。
「随分と派手な登場だの、火に水よ」
「綺麗だっただろ、雷精の王。久しぶりだが、人の姿になるつもりはなさそうなところが相変わらずだ」
「風精の王とも、お久しぶりね。雷と風の間に割って入るのだから、これくらいはしなくっちゃ」
「ど~もど~も。割って入るって物騒な。まだ何もしちゃいませんよ~。あとは地だけど……どうなったの、あいつ?」
「……静かにして下さいませ」
膝下まで広がる濡れ羽色の髪、消炭の瞳で、けだるそうな暗精の女王が他の精霊王に問い掛ける。
「大勢揃って、何事です? あまりに騒々しいので、悪い夢かとつい追い払おうとしてしまったではありませんか」
「何が、つい、じゃ。主が寝ぼけて力を使ったせいで、辺り一面、真っ暗になっとったではないか。……まあいい、エイラジャールを出してもらおう。儂の姫が会いたいと望んどる」
すると金の剛毛にしがみついていた雷精の王の姫が雷精の王の背から降りて、何かを訴え出した。
雷の姫はカミッシュの神官達以上に濃い疲労を漂わせており、その様子に暗精の女王が眉を顰める。
「短気を起こして主人を潰してはなりませんよ、雷精の王」
「見所のある人間を儂が鍛えてやっとるのだ」
「そんな風だから、人に奉られついでに、敬遠されてしまうのではありませんか?」
「儂の力に見合う人間が単におらなんだだけの事よ。話を逸らそうとしてもそうはいかんぞ。早くエイラジャールを出さんか。さもなければ出て来るまで再び儂の力を示すまで」
暗精の女王は小さく首を横に振った。
「エイラジャールは亡くなりました」
「何だと、奴め。ちょいと寝てる間に死におったのか。いつ死んだ? 寿命か?」
雷精の王も、雷の姫も、暗精の女王の言葉に茫然としている。
エイラジャールの名前が出たのには気付いたが、それ以外雷の姫が何と言ったのかラツには分からなかった。
けれど精霊の王達の言葉は雷の姫も理解出来ているようだ。
今までどう会話しているかなどラツはまるで考えなかったが、精霊の言葉はそれぞれの人が分かる言葉で自動的に伝わって来るものらしい。
「もうとうの昔の話です。眠っていらした貴方は幸いでしたよ、雷精の王。あの狂った世界を見ずに済んだのですから。
人に狂わされた世界によって、狂ってしまった精霊達。その狂気は力の強弱に関わらず、全ての精霊を襲い、王や女王と呼ばれる私共でさえ例外ではなかった。
それをもっとも強く感じていた地精の王は、せめて王や女王と呼ばれるものだけでも救おうと、まず風精の王、貴方を閉じ込めました」
「なんだよそれ~ほとぼりが冷めるまで、どっか隠れとけ~とか言ってくれればいいものを~。問答無用だったぞ~、あいつ」
「許してあげて下さい、風精の王。地精の王は自身も狂いつつある恐怖と闘っていたのです。その焦りもあって、貴方がすぐに納得するとは考えられなかったのでしょう。
そして火精と水精の女王、貴女方は自ら最良の選択をしてくれました。お二人ご一緒ならば、きっと大丈夫と安心いたしましたよ」
「……アタシ達は風みたいに閉じ込められるくらいならっていうだけさ。地は完全に狂いやがったと思ってたよ」
「ええ、そうよねぇ。……では地精の王の力の暴走もなかったのかしら? 全てを飲み込んだあれは何だったの?」
「地精の王もエイラジャールの存在と私の暗の力で、何とか眠りに誘う事が叶いました。けれどくしくもその時、いえもしかすると精霊王と女王が存在を隠した故かもしれませんね。
狂った精霊達は一斉に暴走し、姿形を変え、仕舞いには大きな一つの塊になった。そうして瞬く間に世界の全て、星全体を覆い尽くしたのです」
狂った地精の王がエイラジャールに望ませた結果、過去の文明が滅んだのではないと分かったものの、人の戦いのせいで精霊と世界が狂ったというのは変わらない。
最後まで地精の力を使わなかった事に、遠い存在であったエイラジャールをラツは少し身近に感じていた。
「ですから雷の姫君、エイラジャールが世界を創ったわけではないのですよ。雷精の王、貴方も彼がただの人であったと知っているではありませんか」
「説明するなど面倒臭いわ。会えば一目瞭然、百聞一見に如かず。ついでに儂も久々に遠く遠く飛びたい気になったもんでな」
すると再び雷の姫が必死に言い募った。
そんな雷の姫の様子を見て、全く悪びれない雷精の王に代わって申し訳ないという表情で、暗精の女王が応じる。
「そうですね。たまにこの地へ……神霊山と呼ばれているようですが、訪れては祈る人々によると、この国でもエイラジャールは魔物から人々を守るとされているようです。
しかし神霊山にはエイラジャールの亡骸はおろか、魂すら残っておりません」
それなのになぜエイラジャールが神と呼ばれるか、そして魔物と精霊の関係を先程サンフォから聞いた仮説と同じ内容で、暗精の女王は雷の姫に語った。
自説が当たり、自慢そうにサンフォがラツを見る。
どうやら雷の姫も、なぜ神は魔物を放置しておくのかという、サンフォと同じ疑問にぶち当たり、それを尋ねにエイラジャールに会いに神霊山まで来たらしい。
そして暗精の女王の話にはサンフォの仮説に付け加えがあった。
「魔へと変容してしまった精霊達を庇うようですが……。王と女王だけが一緒に眠り、自分達はエイラジャールに見殺しにされたという思い込みによる悲しみが、憎しみを濃くしてしまったのやも。
そして見殺しにされても仕方ないと思いながらも、絶望感は拭いようもなく、精霊達は一斉に魔へと変容したのやもしれません」
「……」
「エイラジャールならきっとそう願うと考えて、時折目覚めた私共は蓄えられた力で、そんな彼らや覆っていた狂気の塊を消しつつ、世界の蘇りを祈っていました。もっともそれらを完全に消し去るのは叶いませんでしたが」
更に何事か雷の姫が暗精の女王に言い募っているが、暗精の女王のみならず、その場にいた精霊の王、女王は首を横に振った。
「申し訳ありません、雷の姫。……今も世界の為にというよりも人自体が幸せであるように、力ある人々も力ない人々も少しでも争いなく過ごせるよう祈っています」
地精の王と暗精の女王が世界の為に祈っている発信源だから、神霊山の周囲では魔物の出現率が低く、退魔術の効力も高いのかと、ラツは納得した。
同時にそんな王と女王を目障りに思って、カミッシュの神官達が結界を張る前、神霊山にちょくちょく魔物が現れていたのだろう。
「いつしかこの地に、魔物を弾く結界が人の手によって張られるようになり、地精の王はただ起きたくないだけかもしれませんが、その頃からずっと眠っています。
近頃は夢でも見ているのか、笑ったり怒ったり困ったりと表情を浮かべておりますけれど、きっとその夢が醒めるまでは起きはしないでしょう」
そうして暗精の女王の話は終わり、雷の姫は見るからに肩を落とした。
そのまま心身ともに崩れるかと思いきや、雷の姫はぼそりと傍らに向かって何か言い、それを聞いた雷精の王が鋭く大きな牙を口から覗かせて笑う。
「そうだな、これまでもこれからも他力本願など儂も好まん。さすがは儂が見込んだ姫よな。
いつの間にそんなに偉くなったと、エイラジャールの奴めを冷やかしてやるつもりが、とんだ無駄足だ。……そうと決まれば、おらおら乗れッ!」
その言葉に雷精の王もまた驚くだけではなく、エイラジャールが亡くなっていた事を惜しんでいるのだと気付かされる。
どうやら雷精の王と雷の姫は自国へ帰る事にしたらしいと分かって、ラツはここに来て初めて慌てた声を上げた。
「あッ! 待ったッ!」
呼び止められたのが分かったのだろう、雷精の王と雷の姫が振り向く。
「え、と! これからも仲良くしようッ?」
「……おい小僧。儂の目の前でナンパか? 行くぞ、姫ッ!」
「えッ? これからも行き来があるかもしれないし? せっかくこうして会えたわけだしさぁ? と思うんですけれども……」
それが果たして伝わったか、伝わっていないか、そもそも雷の姫には言葉が通じていないのだ。
雷の姫はラツに困った様子でちょこっと笑うと、慌てて雷精の王の背に登った。
そのまま雷精の王と雷の姫は空飛ぶ船の中へ消えていく。
「それでは皆様、ごきげんよう。ああ、そうでした。よろしければこれまで通りここの結界を張り直して頂けると、私共としては大変助かります」
そして暗精の女王も静かに消え、気が付けばフェシーとリマまで姿が見えなくなっている。
「じゃあ、わたしもか~えろっと」
「帰るって、先生ッ?」
先生はアイの一族の里クミナの岩山へ帰るつもりらしい。
それを聞きつけてアイは止めようとしたが、既にいなくなってしまっていた。
せっかくこんな遠くまで来て、観光もせず、休憩すら入れずに帰って行った、雷精の王と雷の姫……遠ざかる空飛ぶ船を見ながら、ラツは急に不安に駆られた。
つまりそんな気分ではなく、そんな時間もない。
雷精の王と雷の姫がわざわざエイラジャールと呼ばれる存在に会いに来たのは、もしかして神の救いが必要なくらいの事態が、雷の姫の国で起きているのではないか。
そして慌てて帰って行ったのは、その事態が現在進行形だからではないか。
他力本願は好かないと言っていたが、雷精の王も助けを求めに、もしくは逆に助けましょうか? とエイラジャールが言い出すのを期待して、飛んで来たのではないか。
生前エイラジャールは地精の王の力を使わなかったらしいが、主人には違いないし、雷の姫の国の窮状を聞けば、放って置いたりはしない性格だったような気がする。
そう考えるとラツは居ても立ってもいられなくなって、お偉方の所へ行こうとしていたサンフォを引っ捕まえた。
「サンフォ! 空飛ぶ船を追い掛けようッ!」
「魔物絡みの厄介事に巻き込まれるかも知れないぞ、ラツ」
サンフォの言葉に、ラツは自然と声が低くなる。
「分かってて何で?」
「言葉も分からない遠い国の話だし、雷精の王からは何も言わなかったんだ。行くだけ損だろ?」
「確かに雷精の王と空飛ぶ船がなきゃ、会うどころか知る事も出来なかった人だけど、現実はその逆だったわけだし。それに面倒な事にサンフォを付き合わせて悪いと思う、けどさ……ッ」
雷精の王が操る空飛ぶ船の跡を追えるのは、火と水の精霊女王が操る鎮守様以外にはなく、それを動かせるのはサンフォしかいないのだ。
「お前さ、王都神殿へ行った時、ティズを国外へ連れて行くなって、もしかしなくても言われただろ? もしここで雷を追い掛けたら早速上の意向に背くんだぞ、そこんとこも分かってんのか、ラツ。俺はまだ神殿に戻ってない身だからいいけどな」
「う……。じゃあティズはお留守番……」
「やだ! ラツが行くなら、オレも行く!」
しっかり横で話を聞いていたティズが、さも当然のようにガシッとラツの腕を掴んだ。
「うう……」
ラツが悩んでいるこの瞬間にも、空飛ぶ船は進んで行ってしまっている。
「行く! 頼む、サンフォッ!」
「やっぱりそうなるか……。ラツだからな」
サンフォがやれやれと呆れ顔をした。
「お偉方に話しても止められるだけだろうから、許可なしでとっとと行くぞ。ラツ、もうちょっと俺に寄れ」
駆け寄って来るイリーサの姿に気が付いたが、何も伝えられないまま急に体が浮かび上がったかと思うと、サンフォとティズとラツは再び鎮守様の中にいた。
「追い付けるか、サンフォ?」
「それは無理だが、方向は分かる。さすがに自分の国へ帰るから、雷の船の方が迷いがない分早い」
問い掛けたラツに、まぁ大丈夫だろうという表情をサンフォが浮かべる。
「フェシーとリマの望みとも一致する。最大級に協力してくれるさ」
「頼む」
その点はサンフォに一任するより他なく、ラツはティズへ視線を移した。
「ティズに混じってる精霊の力って、地精の王の力なんだろうなぁ。サンフォも凄い力を吸収しちゃったもんだ」
「ラツが凄いと思うなら、凄いのかな?」
ティズに自我があるのも、そのせいかも知れないとラツは思った。
夢で地精の王はティズになっているのだろうか?
暗精の女王は夢から醒めるまで、地精の王は目覚めないだろうと言っていた。
けれど地精の王が夢から覚めた時、ティズはどうなってしまうのだろうかと、ラツの中で疑問が沸く。
だが精霊の王や女王達は、誰もティズを地精の王とは思わなかったし、それにいくら手当たり次第といっても地精の王ほどの力ならば、さすがにサンフォが気付いたに違いない。
だからきっと地精の王の夢そのものがティズの存在ではなくて、ティズの力にほんのちょっぴり混ざった力から、地精の王はティズに重なって、それを夢として見ているだけのはずだ。
そう思い直して、ラツは更なる不安を消そうとした。
「よし! サンフォ、台所を貸してくれ!」
「は? あぁ分かった分かった。ラツだもんな」
「どーせ僕だし。だけどメイニと同じ言い方で、非常に納得いかないんだが」
「まぁ気にするな。台所はこっちだ」
案内された台所は整っていて、そして食材も調味料も数は少ないが一通りあった。
「サンフォ、ちゃんと自炊してたんだな~。えらいえらい」
「……」
これっぽっちもそうは見えないが、これでも火や水の精霊女王に気を配っているというサンフォから、鎮守様についてアレコレ説明されつつ、その後も横から口を出されつつ、ラツはあり合わせ料理を完成させる。
それからちゃんと食べていなさそうな雷の姫用にも、お弁当を作っておいた。




