飛行
走って、見覚えのある大きな深皿の中に滑り込んだ途端、ティズとラツは空を飛んでいた。
前回エミヒで鎮守様に入った時には、自分の中に確かにある、正しくない願望を突き付けられて嫌な気分になったが、今は逆でラツは空を飛んでいる事に高揚感を覚えていた。
「うっわ~~~~~~~~ッ!」
上から見ると、こうなのかッ!
王都神殿や王城、王都全体を高い所から見下ろしている。
もっと高く高く飛んで行け、そんなラツの思いが伝わっているわけではないだろうが、高度はどんどん上がり、王都の建物の形すら分からなくなっていく。
海や王都をあっという間に後にした事といい、鎮守様はラツがこれまで乗った物の何よりも早く進んでいるらしいのだが、あまりに眼下の景色が、そして全てが小さくなっていてその実感がない。
高い山に登ると寒くて息苦しく耳が痛くなるという話を聞いた事があったが、そんな事は全くなかった。
もし普通に外を歩いていたら少し強いかなと感じそうな服をはためかせる風が、今のラツには心地好い。
視界を遮る物のない青い空に、ずっとこうしていたいと思って、そこでラツはハッと我に返る。
そういえばこの空飛ぶ旅の行き先は神霊山だというのに、その理由を聞いていなかったとティズを見た。
「大丈夫か、ティズッ?」
「……」
ラツが思わず抱き寄せずにはいられないほど、ティズの顔面は蒼白だった。
そういえばタサクから王都へ向かう船に乗っている間のティズの顔も、今ほどではないが微妙に強張り気味だったと思い出す。
どうやら王都神殿へ行くのを嫌がっていただけではなかったらしい。
意外にもティズは地面に足を付けていないと不安になるたちのようだ。
「怖がってんのはティズだけか」
詰らないと言いたげにサンフォが現れて、同時にティズとラツの周囲の空が消え、風も吹かない床と壁が出来た。
「見えてた景色だけが本物で、あとは作り物だぞ、ラツ」
「そうだったのか」
「ティズ、お前ラツに心をしっかり合わせてみろ。それからラツはさっきのニヤケ面な」
「ニヤケって……」
口でそう返しつつも、高揚感の余韻がまだ残っていたから、ラツはすぐに空を思い出せた。
ティズも空にいる事を好きになってくれると嬉しいけど……
せめて一人で立っていられるくらいに……
本当はやっぱり空にいる心地好さを分かってほしい気も……
でもこればっかりは無理強い出来るものじゃ……
今日は晴れてるけど、もし雲の中に突っ込んでたらどうなったのかな?
いや、それじゃますますティズが怖がる。
……そうじゃなくて、まず今はその前にティズの気分が良くならなきゃ駄目だ!
空が云々はその後にしないと!
などと、あれこれラツは考えてしまう。
するとラツの腕の中のティズが小さくではあったが吹き出して笑った。
「いいよ、ラツがそんなに見たいなら、床と壁をさっきみたく透明にしても」
「お?」
少し体を離して見ると、ティズはもう大丈夫という表情をしていて、ラツは手を繋ぐだけにする。
「ところで何で神霊山に帰りたいって言ったんだ、ティズ?」
「……神霊山が襲われてるんだ」
「襲われてるって、……サンフォ!?」
イリーサと一緒に神霊山へ登った時、幻ではあったがサンフォの作った魔物に襲われたのを思い出し、ラツは疑いの眼差しを向ける。
「俺じゃない。魔物を従えて……なんて、愚痴交じりの夢物語りは止めにして、おとなしく神殿の檻へ帰るさ。
これからはラツが少しでも魔物と関わらないで済むように、退魔神官として張り切ってやろうじゃんか。どーだ嬉しいだろ、ラツ?」
「サンフォ、帰って来るのか! やったッ! え~と、じゃあ本物の魔物が?」
「違う。おい、馬鹿男。これが飛んでるのって、あの女二人の力を使ってるんだろ?」
「馬鹿男じゃないって、ティズ。サンフォだよ。それか、お父さん」
親子関係修復を目指し思わずラツが口を挟むと、ティズに何と呼ばれようが気にならないらしいサンフォから冷静な指摘を受ける。
「ティズの察し通り、フェシーとリマの力で飛んでる。ラツ、話が脱線するからお父さんは止めとけ」
「む」
「ラツには見せた方が早いかもな」
サンフォが言うと、一枚の動く絵が三人の前に現れる。
「神霊山は今こうなってる。始めは元々の結界で防いでいたが、どこぞの巫女姫が手を抜いたらしいな。一日も持たずで、カミッシュ神殿の奴らが頑張ってるのが現状だ」
神霊山には雷が降り注いでいた。
一本ではなく幾筋も、そしてまるで生きているかのごとく、時に曲がりくねり跳ねまわっている。
元々の結界が壊れた後、その雷が神霊山の山頂を打ったらしく、ティズとラツが片づけた術具は粉砕され、あちらこちら地面が抉れていた。
これ以上神霊山を壊させないように奮闘している神官達の中にはイリーサと、その側にアイもいて、同期生や、そしてお偉方及び顔見知りがちらちらと見える。
雷を落としているのは船の形をしていて、神霊山上空をせわしなく飛んでいた。
「……あれに誰かが乗ってるのか? それであの空飛ぶ船の中にも精霊がいる?」
「オレが見てる物しか映ってないから、あの船の中がどうなってるのかは分からないけど、たぶん人と雷の精霊が乗ってる」
「かなり無駄な動き方をしてるから、俺のように使いこなせてはないな」
「何で神霊山を攻撃してるんだ? それに使いこなせてないとなると、力を調節出来なくて、アイの先生が言ってたみたく、世界と一緒に消えるとか……何かやばくないか?」
もしその消え方が、雷の主人と精霊を中心に広範囲に広がってしまったら、とラツは最悪の想像をしてしまう。
「うん。だから早くラツと帰りたかったのに、この馬鹿男が邪魔しやがって」
「カミッシュまで普通に帰ったら何日掛ると思ってんだ? むしろこうして連れてってやってんだから、感謝しろよ」
「ラツの反応が良かったからだろ。そうじゃなかったら放ってたくせして偉そうにすんなよ。だいたいラツが望んでくれさえすれば、神霊山にはオレの抜け殻がまだ残ってるんだし、すぐに行けた」
「粉々なのがだろう。それでもお前は大丈夫だろうが、ラツは人間だからそうはいかない。二人で空間を越えるだなんて出来るかも分からない事を望ませて、着くどころかラツまで粉々にならなきゃいいけどな」
「……オレが見てなきゃ、お前なんか神霊山の異変に気付きもしなかったじゃんか」
サンフォとティズの雰囲気が一気に悪化したのを見たラツは慌てて仲裁に割って入る。
「まぁまぁ、二人とも。緊急事態で険悪になるのも分かるけど、落ち着いて? な?」
「「……」」
それで一旦口を噤んだサンフォが厳かに口を開いた。
「昔々。力ある者はない者を従えようとし、力ない者は武器を持って、何とかそれに抵抗しようとしたが敵わず、力ある者の奴隷にされていった。
世界は数百年を掛け、精霊の力も借り、この空飛ぶ船を始め、高度に発展していった」
ミーシアでイリーサに追い祓われた魔物と、同じような出だしでサンフォの昔話が始まった。
大小、形様々な船。
王城よりも高くそびえ、連立する建物。
そもそもラツには何に使うのか見当も付かない物達が、動く絵の中でまるで紙芝居のように次々と変わっていく。
「奴隷とされつつも力のない者達は自由を求め、隙を見ては力ある者へ抵抗を続けていた。
そして力の有無や強弱によって起こる格差に対し、不満や疑問を感じる者。国内外の利害関係。様々な理由から力ある者達の一部も、そんな力ない者達に協力した。
そして主人以外でも精霊の力を込めた武器ならば、力ない者でも扱えると分かると、一気に激化した」
「アイの持ってる小刀のようなのか?」
「始めはそれくらいだっただろうが、最終的には村一つを蒸発させられるような代物だ」
「村一つ」
「そんな武器を盾に、力ない者だけの国も成立したらしい」
武器の持つ、殺傷能力の規模が違う。
先程眼下に見た景色を消してしまえる武器なんて、ラツにはやはり想像出来なかった。
「世界各地で起こる戦いで、地は焦げ、水は腐り、火は穢れ、風は濁り、雷も乱れて、暗が淀んだ。始めに狂ったのは人間の血や死を一番多く受けていた地で、狂った地精の王は風精の王を閉じ込めた。
地と風、地と水の関係上、次は我が身と思った水精の女王リマは閉じ込められる前に、火精の女王フェシーと一緒に自ら身を隠した。
それでもフェシーとリマは密かに地精の王の様子を窺っていた。リマを見つけられなかった地精の王は今まで戦いから遠ざけさせ、ただひたすら守っていた主人エイラジャールに、始めて何かを願って望ませた」
「エイラジャールッ?」
「そ。エイラジャールは実は力のない、ただの人間だったんだ。だから完全無欠じゃないのが当然で、ラツの答えもあながちハズレじゃない。
……ともかくその時側には暗精の女王もいたが、止めなかったのか止められなかったのか、それは定かじゃないが、狂った地精の王に望みを叶えられるわけもなく、力は暴走した。
神霊山を中心に人も、狂った精霊も、全てが飲み込まれた。もしかすると力の暴走ではなく、結果そうなる事こそが地精の王の望みだったかも知れない」
きっと風精の王であるアイの先生も、封じ込められながらそれを見ていたのだろう。
だから先生はラツに消えると言い、フェシーとリマも力ある者を主人に求めた。
「全て、は正しくないな。俺らの先祖になるわけだが……フェシーとリマ同様、戦いから身を隠し、遠い未来に狂った世界が再び蘇るまで、眠りにつく事を選んだ人々がいた。
世界が蘇るまでどれくらいの時が流れたのか、過去の遺物は残っていても、精霊のいない世界で世代を重ねて、下手をしたら数千年は経っていそうだな。
……とまぁ、ここまでがフェシーとリマから聞いた話だ」
「……」
「おい。呆けてんじゃねぇぞ、ラツ。まだ続きがある」
「……おおう?」
もうとことん聞こうじゃありませんかという感じで、ラツは先を促した。
「数千年という時を経ているにも関わらず、エイラジャールの名前が残っているのはなぜか?」
「そういわれると、そうかも? でも遺跡や地図だって残っているくらいだし?」
「その可能性も否定出来ない。地図は記憶が完全に時間に消える前に記録した物だとして。あくまで俺の仮説だが、魔物から出た名前っていうのはどうだ?」
「へ? 魔物? そういえば昔話に魔物は出て来なかったな?」
「魔物は目覚めた後の世界からのモノだ。地精の王の主人なら、エイラジャールの名前は精霊の間ではかなり知られた名前だったはず。
魔物はエイラジャールの命で暴走した地精の王に飲み込まれた精霊の成れの果てなんじゃないか」
「魔物が元精霊!?」
「ああ、自分達を飲み込ませた地精の王の主人であるエイラジャールを魔物は憎み、昔々世界を狂わした人間を食って消そうとする。
自分達を襲う魔物が忌み嫌って口に出す名前だから、現時点でエイラジャールは人から神と呼ばれている。
魔物のようになってはならないと無意識に思うから、フェシーとリマ、風精の王、それに生まれて来る精霊も、魔物を本能的に嫌悪する。それからティズ、お前。精霊が混じってねぇか?」
「オレに? じゃあもし力を使っても、誰かに補充を頼まなくてもいいんじゃ?」
「さあ?」
「さあってサンフォ、曖昧な~。神霊山で何か感じなかったのかよ?」
「力を手当たり次第に集めたからな」
ラツはサンフォの答えにガックリと肩を落とす。
「おいおい……。……って、ティズも。サンフォの話を聞いてたろ? 力が暴走したら世界が滅ぶんだって」
「だって、オレ。ラツがいいからッ」
ティズの答えで一瞬言葉を窮したラツに、サンフォが追い打ちを掛けるように言って来る。
「ティズの力を使う時の基本は、さっきティズの気分が良くなったようにラツの望みにティズが心を合わせる、そんな感じだ。
ティズは狂ってないし、サクッと調子が良くなった所を見ると、ちょっとくらい力を使ったって大丈夫だろ」
「なッ! 試したのか、サンフォッ?」
「万が一の保険だ。神霊山を攻撃してる雷の精霊は、今までの流れからすると雷精の王だろうからな。予期しない流れ弾までは防げないかもしれない。しっかり御守りの役目を果たせよ、ティズ」
「言われなくっても分かってる」
サンフォに反発する感じではなく、いつになく真剣な様子で頷いたティズを見て、ラツはそれほど危険な場所へ行くのだと今更ながら思った。
動く絵を見ただけのラツよりも、ティズの方がより鮮明に神霊山の状況を感じているのだろう。
「サンフォも神霊山を守りに帰るのか?」
「まぁな。神殿に戻るなら手柄を立てるに越した事はないし、それに手土産も多い方がいいだろ」
「雷の主人にもなるつもりなのかよ、サンフォ?」
「それは、あわよくばだ。でも俺は中央じゃなく、カミッシュへ戻りたい。こっちの要求を通すなら、持つ力は強ければ強い方がいいからな。フェシーとリマで十分とは思うが」
これで本当に神殿の檻とやらに収まっていられるのだろうかと、ラツは心配になった。
けれどサンフォの気が変わって、今度こそ世界平和の為の敵役になられでもしたら困るので、懸命にも口には出さず、他の事を尋ねる。
「フェシーとリマとは上手くいってるのか?」
「上手くいってるから、こんな風に飛べる」
「そっかそっか。元気か? 会いたいなぁ」
「あの女二人の事なんか気にするなよ、ラツ!」
「必要ないだろ」
何気なくラツは言ったのだが、ティズからはぎゅうっと手を握られ、サンフォも実に素っ気ない。
「痛たたた、ティズ痛いって。ケチケチするなよ~、サンフォ。僕にも美女二人の眼福を分けてくれ~。別に取ったりしないし、というかフェシーとリマにしたら、僕なんて主人の選定外だしさぁ」
そうこうしている間にも鎮守様は飛行を続け、カミッシュに近づいていた。
「あ……」
「おっ」
「何だ何だ?」
ティズとサンフォが同時に声を上げ、ラツがそんな二人を訝ると、動く絵に再び神霊山が映った。
アイとイリーサのすぐ横に見た事もない男が立っている。
「先生、だよな? 風精の王」
アイが先生からもらったと言っていた小刀は折れて、地面に落ちていた。
雷光に輝く新雪の白髪、水色の瞳。
外見年齢はフェシーとリマより少々上といったところだろう。
先生が現れた事で、なぜか雷が鳴り止んでいる。
その事にイリーサを始め、周囲の神官達が先生の唐突な出現に驚愕しつつ、ホッとしていた。
非常用の術具は使っているものの、何の心構えもない状態で結界を張り続けていたせいだろう、イリーサを始め神官達に疲労が溜まって来ているのが窺える。
アイには精霊の受け入れ領域がないので、イリーサを主人にする気なのだろうか?
動く絵の中で、先生が仕方なく~な感じで何かをイリーサに言い、それに対しイリーサも思いっ切り渋い表情を浮かべていた。
神霊山の頂上にはイリーサと先生以外の声しかなく、再び雷の攻撃が始まるまで緊張感漂う静けさが支配するのではと、ラツは思っていた。
ところがカミッシュの神官達は結界を一時解き、更には水や食料を補充し始める。
「ほら、今のうちに水飲んどけ!」
「のどが潤う~助かった~!」
「こっちに飯、回って来てないぞ!」
「分かった! あと来てない奴はッ?」
そんな声まで聞こえて来そうだ。
バタバタと慌ただしい光景に、ラツは可笑しくなった。
「みんな想像以上に逞しいなぁ」
「山頂以外に雷が落ちてないからな、すぐ側に隠れて待機してたんだろ。雑用係の血が騒ぐか、ラツ?」
「かも」
「もうちょっとで嫌でも混ざれるから、安心しとけ」
サンフォの言葉でラツが更に笑ったその時、空飛ぶ船から大きな雷光の塊が山頂に落ちたように見えた。
太い足、分厚い胸、癖のある金の剛毛。
強力で濃い真紅の目をした雷獣の背に、誰かがしがみついている。
その様子をラツが視界に収めた途端、一瞬だけ動く絵が黒一色に染まった。
「あれ……?」
「神霊山一帯が真っ暗だ。どうやら暗精の女王もお出ましらしい。これを飛ばしつつ戦うのは厳しいから、俺達も降りるぞ」
「って、わああッ!」
悲鳴のような、感嘆のような、その両方のような、とにかくラツは声を上げた。
突然見えたカミッシュの町並みと、続く山脈、神殿と神霊山。
神霊山の山頂に浮かぶ空飛ぶ船。
そしてフェシーとリマに、小さな火花と水粒達が煌めき飛ぶ。
フェシーとリマの力で飛んでいるというより、空へ放り出されているようにラツは感じた。
きっと恐怖からだろう、先程のように痛くはなかったが、手を握って来るティズの力が強くなったのを感じて、ラツは同じように握り返した。




