王都神殿
王都がある海岸線にはずらりと漁業と商いの家屋が並び、王城は一段高くて海からやや奥まった場所に構えられている。
王城の近くにあっても良さそうな王都神殿の方は、海からすぐの小山に建っていた。
元々小山の頂上に豊漁と航海の安全を祈る海の神の社があり、山全体に増築を重ねに重ねたのが王都神殿らしい。
王都までは陸路でも良かったが、ガイラ河を下って海へ出て、その後も海岸沿いに船で進んで行く事になった。
四人の中で精霊に関する知識を一番持っているのはアイだから、王都神殿へも付いて来て欲しいと頼み、タサクからそのまま向かう事になった。
とはいえ、タサクから王都まではかなり距離がある。
海は川の様に対岸が見えず、それはもう広くて果てしなく、波に陽光が反射してキラキラと美しい。
見たいと思っていた海に来れて、ラツは最大級に喜んでいたが、超お偉方と会うと決まっている王都神殿へ到着した今、完全に気分は低空飛行だ。
王都神殿前の船着き場で船から降りて、神殿に向かって小山を上る。
傾斜は急ではなく、しかもきちんと掃き清められており、苦にはならなかった。
四人は王都神殿の表ではなく、裏方へと向かい、そこでアイとイリーサ、そしてティズとラツでまず別々の場所に通された。
王都神殿で男女の区別で分けられるという話は聞いた事がないので、アイとイリーサは精霊の話を超お偉方の前でするのだろう。
まずティズとラツは部屋に通され、軽食が運ばれて来た。
軽食に手を付ける気にならず、出された飲み物だけ緊張しつつ飲んでいると、高位らしい王都神殿のお偉方二人が部屋に現れた。
そのお偉方の一人がティズに向かって言って来る。
「神霊山の子よ、貴方はこちらへ」
「何でだよ?」
ティズがつっけんどんに答えた。
その態度がラツには羨ましい。
「貴方は早々に真の主人を見つけなくてはならない」
どうやら王都神殿にいる有力株と、ティズの顔合わせをしたいらしい。
単刀直入でとても分かりやすいのだが、決め付けられて強制されると腹が立つものだ。
けれど本当の事なので、ラツもティズを送り出す為の言葉を添える。
「行っといで、ティズ」
「……分かった、行ってくる」
思いっ切り行きたくなさ気にじと~っとティズから見られたが、ラツに嫌なら止めておけば……と言えるはずもない。
それがお偉方の前なら尚更だ。
でも内心、あのお偉方が揃えた神官じゃ、ティズは余計に選び直そうとはしないんじゃないかと、意地の悪い事を考えながら見送る。
部屋にお偉方と二人残され、ラツの緊張度は一気に高まった。
「さて、ラツ神官」
その固く重たい声音で、これから始まる話が世間話や楽しいものではなく、説教が来るとラツは察して、何か悪い事をやらかしたっけかと、ますます身を委縮させる。
「ラツ神官はあの神霊山の子の仮の主人でしかない。いやそもそも主人と呼ぶ事が間違いだ。ただ神霊山で、サンフォ神官から預かっただけと言うべきか……」
「あの……」
お偉方に気になっていた事を出されて、思わずラツは口を挟んだ。
「サンフォはまだ神殿に属しているのでしょうか?」
「もちろんだ。彼は神官として、火と水の精霊の主人となった。神霊山の子の元来の主人もサンフォ神官なのだろう。
もしまたサンフォ神官と会う機会に恵まれたならば、一度こちらへ戻るように諭してもらいたい」
「……」
精霊の女王二人の主人となったサンフォの事を、神殿側としては留めておきたいのだろう。
まだサンフォは神霊山で言っていたように、魔物を従えてはいないから。
だが、もしサンフォが実際に魔物を従え行動を起こした時、サンフォは既に神殿から出奔した身だと答えるのが目に見えるようだ。
「ラツ神官。精霊の件でタサクへ使いを出した時、バウタ王国へ渡っていたそうだが。神霊山の子は神霊山を守り、引いては王国を守ってもらわねばならず、それゆえ他国の者を主人に選ばれては困る。
極力神殿に寄り、神霊山の子と力ある神官を対面させる。それがラツ神官の仕事だ。カミッシュで何を言われたか知らないが、遊びではない」
「はい」
ラツは短く答えた。
分かりました、と頷く事は出来なかった。
本当は嫌だと言ってしまいたかった。
お偉方を前にしている緊張は消えて、ラツは内心怒っていた。
情けない事に、その怒りを表には出せなかったけれども。
ティズの外見は幼児で、ラツもついつい子供扱いしてしまうのだが駄々を捏ねたりしないし、姿よりもずっと気を遣っている。
それは主にラツに対してだけに見えるが、きっと神殿とそれから王国に対しても気を遣っていて、神霊山の結界である自分を誰よりもティズは承知しているはずだ。
始めあんなに神霊山から離れるのを不安がったのだから。
だから神殿巡りをして力ある神官に会い、主人を決める範囲を、エイラル王国内に制限しなくたっていいのではないかとラツは思う。
緊張が解けて、神殿の身勝手な希望に内心腹を立て始めると、他の事に対しても自分が怒っていて、そしてその怒る理由が自分の感情なのに定まらず、ラツはムカムカともどかしくなった。
とにかくお偉方の話の要点はこれで終わりだろうし、このままムカつくお偉方の顔は見ていたくない。
もちろんこれ以上説教を続けられるのは嫌だ。
「……ティズとこちらの神官との対面、まだ時間が掛かりそうだと思うので、伝承部へ行って来て構わないでしょうか?
ここでただ待つのも暇ですし、そこに神官学校の級友がいて、サンフォの件で手紙をもらいまして、仕事の合間にでも直接話を聞いておきたいのですが」
サンフォが王都神殿からいなくなった時に手紙をくれた級友、メイニ。
メイニは王都とカミッシュで場所は違うが、ラツと同じ伝承部で記述課に勤めている。
同期でカミッシュから王都神殿へ行ったのは、サンフォとメイニしかいない。
「サンフォ神官の件で、か……。級友相手なら、何か思い出す事もあるかも知れないな。部署の方では落ち着いて話も出来ないだろう。呼んで来るので、ここで待っていなさい」
「分かりました」
やっとお偉方が部屋を出て行って、その足音が完全に聞こえなくなってから、ラツは思いっ切り大きなため息を吐いた。
運ばれて来たはいいが、あまり食べる気になれずに放置していた軽食にラツは手を伸ばしてみる。
だが一口食べて結局またため息が出て、浮かない気分は変わらなかった。
暇つぶしに椅子にもたれて天井を仰ぎ見たり、必要以上にきょろきょろと部屋を歩き回ったりしていると、足音が聞こえて来て、ラツは慌てて座り直す。
「ごめんな~、仕事中に」
入って来たのはメイニ一人だったので、ラツはホッとした。
「何か肩こってないか? 大変そうだなぁ、職場」
神官学校の勉強において、例えばラツがコツコツで試験前には詰め込みしているならば、メイニは一度聞いた重要な事は忘れず、それを応用出来る。
まさに一を聞いて十を知り、試験などどこ吹く風だったから、きっとそれを仕事でも生かしているはず。
そんなメイニの事だから、たぶん仕事内容が大変というより、職場環境の方で緊張しているのだろう。
ラツは卒業時よりも雰囲気が険しくなったような、メイニの強張った両肩をポンポンと叩いた。
そして、
「あ、ごめんッ」
パッとラツは手を離し、謝る。
「今のはヤラシイ気持で触ったわけじゃないからッ。下心なし! なのでッ」
途端にメイニがプッと吹き出し、笑い出す。
「分かってるって、そんな唾飛ばして捲くし立てなくても、おっかしーッ」
「アッサリ頷かれるのも男として複雑なんですが……」
「そっかそっか。でもラツだしな~」
「あの~……」
メイニはひとしきり笑って、そして涙ぐんだと思ったら、本格的に泣き出した。
ラツは驚くやら焦るやら、かなり迷ったのだが何と言葉を掛ければいいのやらさっぱり分からず、恐る恐るメイニの頭を撫でていた。
「……。……良かった、ラツが変わってなくて」
しばらくして涙が止まり、しゃくり上げたりもしない声でメイニが言った。
「あーもう、どーせ僕だし。褒め言葉として受け取っておくよ」
そうおどけて見せれば、メイニが小さく笑う。
どうやら涙の嵐は去ったらしいと、ラツは安堵した。
「サンフォがいなくなったって、手紙出したでしょ? それでラツがカミッシュからすっ飛んで来るかなぁと思ってたのに、違ってて意外だったけど、私にとっては今の時にラツが来てくれてちょうど良かった」
「飛んでって、サンフォと僕、そんなべったりじゃなかったと思うけど」
「でもサンフォもラツにだったら、何か言ってから出て行った気がするな。……手紙にも書いたけど私さ、サンフォがいなくなった理由、分からないんだよね。
いなくなったのだって、同郷のよしみで何か知らないかって聞かれて、ようやく知ったくらいで。こっち来てから、一回も会ってないし」
「カミッシュに居残ってる連中ともそんなもんだよ。王都神殿は見るからに広いし、偶然ばったりもないだろうしな~。
せっかく王都神殿に来たわけだし、メイニと会いたいなぁとサンフォの事をダシに使っただけだから。そこは気にしないでOK」
「そう?」
「全っ然問題なし」
「言葉だけ聞いてると、これって口説かれてる? って思っちゃいそうだけど。言ってるのがラツじゃな~」
「……あの~」
またメイニはアハハと笑って、そして涙の訳を教えてくれる。
「カミッシュでは神殿以外でも力のある人がチラホラいたでしょ。強い力を持つ人もいれば、それって力なの? それとも勘? みたいなのまで」
「だなぁ」
「でも王都は違う。神殿には力の強い神官ばっかりが集められて、それもカミッシュと違って、結界のような守護の力ではなくて、破魔の攻撃的な力を持ってる。だからなのかな、カミッシュにいた時より力のない事が不安になる。
王都神殿では力の有無と、それから強弱が全てで、力ある神官に抑え付けられて、仕えてるって感じがする。あるわけないのに、そこら中に力ある神官の目や耳があるんじゃないかって」
「……」
「でもあれだよね。王都神殿の神官が、何の権力もコネもない、私みたいな新人に力を使うなんて勿体ない事しないよね。冷静に考えたら、そのはずなんだけど」
メイニはそう付け加えたが、そんな風に感じてしまう何かが実際にあるのだろう。
そしてラツはそんなメイニの話を聞いて、どうして自分がお偉方の話であんなに腹が立ったのか分かった。
エイラル国中の神殿を巡るようにと、お偉方に行動範囲を制限されたような気がして……というだけじゃなくて、ティズが力としてしか扱われていないからだ。
確かにアイとイリーサとティズとの四人旅は、遊び気分が多いけれど、それを指摘されたからではなく、ティズがその力以外を必要とされていない感じがして嫌だった。
神霊山の子……イリーサと違って、ティズに対する呼び方は丁寧だし、扱いも丁重だ。
きっとイリーサのように言い合ったりしない。
それが大人の分別ある行動と言えば、そうなのだろう。
そして本当にティズの力が必要になった時、何の躊躇もなく使うのではないか。
例えティズが消えてしまうくらいの力が必要でも、イリーサだったら葛藤し、悩むだろう事なく。
そんな気がして、王都神殿の力ある神官がティズを力としか見ていないのなら、いや王都神殿に限らず、ティズをティズとして見ていないそんな相手を、ティズに主人として選んで欲しくない。
どうせ何も出来やしない、むしろお偉方が決めた事以外は何もしてくれるなと、全く期待されていないオマケだけれど、ティズを渡したくないなぁとラツは思う。
湧いて出た反骨精神まではいかないが、やっぱりティズには幸せになってほしいとラツは思った。
そんな時、物凄い速さで走って来る音が聞こえて、メイニとラツは顔を見合せ、扉の方を見た。
猛然と開かれたそこに立っていたのはティズだった。
メイニの事をちら見して、思いっきりぶーたれた声でティズは言う。
「誰だよ、その女ー?」
「誰って、その女って……ティズ。失礼な言い方するなよ。こちら、神官学校の同期で、メイニさんです」
「で? 二人だけで何の話してんだよ?」
「旧交を温めて……とはちょっと違う気もするけど、そんな感じ」
「ふーん。でもさ……」
「や、これはその。まぁ確かにメイニは泣いてたけど、何も疾しい話はしてないし、僕が泣かせたわけじゃ……」
「へぇ~」
「ほんとに違うって! 何だティズ、その目は~」
ティズとラツのやり取りを聞いていた、まだ涙の跡の見えるメイニが大笑いし始める。
「噂は聞いてるわ。ティズ君でしょ。メイニよ、よろしくね」
「……。……よろしく」
メイニに手を出されて、しぶしぶティズが握手を返した。
「ほんっとにラツに似てるね」
「だろ? 僕も自分の子供の頃にそっくりなんだろうなぁと思うよ」
「でしょうねぇ」
うんうんと、メイニが納得している。
「ティズ君、いい事教えてあげようか~」
「いい事?」
「あのね。アヤシ~なって思う人がいたら、僕のパパに近づくなって言って、追っ払うといいよ」
「ちょっ、メイニ。何を吹き込んでるんだよ。年齢がいくら何でも厳しいだろ」
「大丈夫。童顔の父親で通るって」
うふふ~っとメイニは悪戯っぽい笑いを浮かべる。
泣かれるより笑ってくれている方が断然嬉しいのだが、ラツは何やら複雑な心境だ。
このままメイニとティズを一緒にさせると、更にまずい事を吹き込まれそうである。
「……ところでティズはメイニの事で走って来たのか、わざわざ?」
「えーと、うんそう……分かってるよ、ちゃんと行くよ……戻るってばッ」
そしてティズは来た時と同じように走り去っていった。
「すっごい好かれてるんだ、ラツ」
「まぁねー。でもこのままも困る。だけどティズが本当の主人を見つけた時には、絶対相手に何かしら文句付けるぞ、僕。矛盾してるよな」
「それって花嫁の父の心境でしょ、やっぱりお父さんだよ」
「本物のお父さんはサンフォなんだけど」
「そうなの?」
「ティズは、サンフォが生みの親だからなぁ」
「……噂は本当だったのねぇ」
「そういや、サンフォの事だけど、僕はサンフォと力が欲しいか云々で喧嘩になってるんだよ。
メイニは手紙で僕がすっ飛んで来ると思ってたって言ってたけど、むしろティズと神霊山での事がなきゃ、こんなに奴を気にしなかったし」
「え~そうなんだ? そうかな~? でももしラツが王都神殿にいたら、サンフォは出て行かなかったよ」
「それこそ、そうかな~? だ」
メイニは断定しているが、その意見には頷きかねる。
「メイニ、頼みがあるんだけど」
「なぁに?」
「メイニの職場に僕が行ってもいいかな? 自我はティズが初めてらしいけど、術具に別の術具に残されてた力を集められるのかとか、遺跡に精霊がいた事例はあるのかとか、中央の見聞課にある資料を見せてもらえたら嬉しいんだけど」
「大忙しだね、ラツ」
「うーん。ティズの顔合わせが終わるまで暇だし、かといって王都見学って気分でもないし」
昔々に何があったのか、そしてこれからの人間と精霊の関係もあるしなぁ。
きっと目覚めた精霊の王達は昔の事を知っているのだとラツは思う。
でも火と水の女王様二人はサンフォと行方不明。
風の王様は引き籠っていて、ラツには答えてくれないに違いないと苦笑いを浮かべて見せた。
日中は離れ離れだったが、子供の外見のせいか夜はティズとラツで同部屋だった。
ティズの力を見るのはもうしばらくこりごりのはずだったのだが、ラツは腹を括って頼んだ。
「ティズ、もう一度見せてほしいんだけど」
「え、でも……」
ティズに思いっきり心配そうな顔をされる。
「今度は飲まれないように遠くの景色を眺めるような感覚で、頑張ってみるから。僕が変だと思ったら、また名前を呼ぶなり、叩くなりしてくれ」
言うだけは簡単だった。
結局ラツは何度も冷や汗を流す経験を実感した。




