アイの先生
アイの一族の里へは、森の中の道なき道を辿った。
何度も通っているのだろうアイには何かしら目印があるのだろうが、ラツにはそれが何なのかサッパリ見当も付かず、一人で河まで戻ってみろと言われても、確実に迷子になるだろう、そんな場所をしばらく歩き続けた。
そしてつい今しがたまで木々に遮られていた視界が、一気に開けて明るくなった。
「ようこそ、クミナへ。……厳しく排他的な里ではないが、一応私の側を歩いてほしい」
里でアイの家族には会えなかった。
両親兄弟みんな、遺跡探しや調査に出掛けているらしい。
クミナでは家族全員が家を空けるのは珍しい事ではなく、例え外へ出ていなくても誰かが持ち帰った発掘物や情報を、過去の事例に照らし合わせつつ研究したり、遺跡に携わっている家が多い。
遺跡から出た発掘物や情報は里全体の共有物なのだ。
そして発掘物などの共有が嫌な場合、里を出ていく決まりになっている。
アイの一族出身以外にも、遺跡に関わる人々は国を問わず大勢いるのだそうな。
「すぐに先生の所へ行くか? それとも明日にする?」
エミヒの遺跡の事やらを里長に報告に行っていたアイが、家に帰って来て一息つく間もなく言った。
「その先生が、古代文明について色々詳しいのか?」
「私よりずっと。……答えてくれる気になれば」
「すぐにでも参りましょう」
イリーサの鶴の一声で、ティズとラツも立ち上がる。
何だかそわそわと、気が逸る思いなのはラツも同じだった。
旅に出てからどこへ行っても落ち着けないなぁと思いつつ、アイの家を出て、里からも離れ、更にアイの後ろをてくてく歩いていくと大きな岩山にぶち当たった。
山といっても神霊山よりはかなり低く、そして木は一本も生えていない。
「この岩山は私の一族から聖地だと思われている。エミヒの鎮守様のように、とも言えるな。遺跡ではないと私は思っているけど。
遺跡には大概、エミヒで見たような物質が使われているから。……先生、ただいま戻りました」
アイが岩山に向かって話し掛けた。
しばらく返事が返って来なかった為、もしかして心話でもしているのかと思い始めた時、明らかに渋々な男の声が全員に聞こえて来る。
「……。……おかえり~、アイちゃん」
「遺跡ではないと思う理由がこれだ。声を発する遺跡の話は今のところ聞いた事がない」
「里に帰って早々ここへ来るなんて、何をそんなに知りたいのかな~子猫ちゃん……って。
あ~あ~アイちゃんだけが一人で来てくれれば良かったのにさ~。しかもアイちゃんが一緒じゃなきゃ、絶対返事もしないよ~な変なのを三人も連れて来ちゃって~」
アイにはちゃん付けだし、思いっ切り邪険にされて、ぼやかれてもいるが、この声の主はもしかして……。
「岩の神様ッ?」
ラツは思わず叫んだ。
しかし声は答えてくれず、変わりにアイが言う。
「神ではないと思う。……先生。私、ガイラ河で生まれたばかりの精霊に会いましたよ」
「ふ~ん」
「火と水に、フェシーとリマという名前の精霊はいますか?」
「あ~いるんじゃないの~」
「彼女達が目覚めた事で、他の精霊も生まれているのでしょうか?」
「そ~かもね~」
矢継ぎ早に尋ねるアイに対し、声は適当に相槌を打っているのが丸分かりだった。
「先生。確証が欲しいと思うのはわがままですか?」
「おやおや~? わたしの答え=確証になっちゃうのか~」
「先生の声を始めて聞いて、私がラツと同じように岩の神様か尋ねた時、先生は言ってましたよね。
地は水を堰き止め、水は地を崩す。
水は火を消し、火は水を蒸発させる。
火は大気の流れを変え、風は火を消し飛ばす。
風は地を風化させ、地は風を留める壁となる。
雷は暗にその輝く刃を放ち、暗はその刃を包み込む。
わたしはそ~ゆ~ものなんだよ~。いつかどこかで神でも魔物でも人間でもない存在と会ったら、質問においで~答えてあげるから。そ~だ、先生と呼んでおくれ……と」
まるで何かの呪文のような言葉をアイが話し終えると、声は感心して懐かしむような調子で言う。
「よく覚えてるな~。賢いアイちゃんが大好きだな、わたし。だけど前にも言ったけど、力ある人間は大嫌い。
それにアイちゃんが相棒に望んでる相手だなんて、邪魔っけだよな~。……だけど質問してもいいかな、お嬢さん?」
イリーサは何も返事はしなかったが、声は勝手に聞いて来る。
「火と水の親玉精霊、フェシーとリマの力を断ったのは、何故だい?」
「これ以上、力なんていらないからですわ」
「へ~、それだけ?」
「あの時はそれだけでしたけど、自我を持つ力なんて一人で充分ですから」
「うん、今精霊は必要ないよね~。でもお嬢さんの力よりも強いアレが出て来たらど~する? ま、相手は魔物と限らないけど」
「ワタクシでは無理そうなら、……逃げますわよ」
「だよね。だけど後ろに大切な人がいたら? 逃げ場がなかったらど~する? 生まれたばかりの精霊でもいいと、今以上の力を欲しない?」
「……」
精霊の力なんて欲しくない、けれどどんな状態になっても、今以上の力を望まないとイリーサは断言出来なかった。
例えば精霊の意思に反し、力を使う事だってあるかも知れないし、もしかしたらその精霊が消えてしまうほど、大きな力が必要になる時だって来るかも知れない。
ぎゅっと眉を顰めたイリーサの様子を見て、その気持ちは読めなかったが、ラツは声を取り成すように言う。
「精霊と人間との関係をどうするかは、イリーサだけの問題じゃないですから、ここで今イリーサに迫らなくても……」
「わたし実はお前みたいなのが、もっと嫌い~。力がないくせしてボカボカ受け入れ領域のある人間がさ~」
「え、僕ッ?」
突然声の矛先がラツへと向けられた。
「そ~。力を持った以上、そのうち絶対に使うんだ。なのに訓練してないもんだから、力が暴走して大抵ろくな事にならなかったね~。下手したらお前も世界ごと消えちゃうんじゃないかな~」
「……」
消えるという言葉に具体的にはピンと来なかったが、ラツはその不安な響きにゾッとした。
「変な事言うなッ! オレがラツを消すもんかッ!」
「いや~坊ちゃんには何も言うつもりなかったけど、やっぱ言っちゃお~。精霊は自然から力を補充出来るけど、坊ちゃんには無理な話だよね~。
何かしら力を使っちゃったら、そいつが主人な以上、誰かから力をもらうしかない。そいつだって誰かに力の補充を頼むのが、いずれ面倒になるんじゃない? 坊ちゃんの事を鬱陶しく思うかもね~」
「ラツはそんな事ない……」
「かといって主人の望みなしに力を使っても、暴走だしね~。地のやつも主人を介さずに力を使って、わたし一人を閉じ込めるのにこんな仰々しい岩山にしてさ~。
ただでさえ坊ちゃんの力って、グチャグチャだし~。今のままじゃ、どう転んでも暴走だ~」
「……」
岩からの声は、イリーサ、ティズ、ラツを沈黙させた。
考えざる得ない事を突き付けられたからだ。
「あ~あ、結局アイちゃんに答えをあげちゃったよ~ちぇ~。でも言いたい事言えてスッキリした~。も~寝よ~っと」
ちっともスッキリしていない苛々とした様子なのに、岩の声は四人との話の終わりを宣言した。
「先生、一番知りたかった事がもう一つあります。もう何度も聞いていますが、先生はいつここから出るんですか?
風は地を風化させる。目覚めて随分と経つはずです。私の小刀にも退魔の力をくれた。本当はもう出られますよね」
「……アイちゃんはほんとに賢いなぁ~」
本当に寝てしまったとは思えないが、それっきり声はしなかった。
話し掛けるのを諦めたアイはそれぞれ考え込んでいる三人に、岩山から離れようと促す。
「……何も反論しなくて、すまない。珍しく色々ぼかさずに話していたから、主観を入れずに聞こうとしていた」
「……いやはや、厳しい先生だった」
もうアイの先生が岩の神様ではないと分かっている。
岩、つまり地が留める壁となるのは風だ。
歩きながら、ラツはアイに答える。
「先生は風の精霊、なのか。フェシーとリマを火と水の親玉って言ってたけど、そんな口が利けるって事は、ひょっとして風の親玉? 女王とか王って言葉の方がいいかなぁ」
そうすると、サンフォは女王様二人の主人になる。
いや女王や精霊の力云々を差し引いたって、両手に美女は非常に羨ましい図なのだが、ちらりラツの脳裏に不安が浮かんだ。
サンフォは魔物を従える為の力が欲しいと言っていた。
けれどフェシーとリマは従えるのではなく、倒す為に力を与えたいはずだ。
人間の主人と精霊の間に齟齬があった場合、精霊はその人間から離れるのではないか?
神霊山でサンフォはティズを強制的に従えるとも言っていたが、それが火と水の精霊の女王二人に通用するのだろうか?
「先生も否定しなかったから、そうだろう」
「火と水は眠り、風は地に閉じ込められていた。昔、何があったのかな? 先生……って僕まで性懲りもなく呼んじゃうけど、何か悪さして封じられたとは思えない。
それに世界ごと消えるって言ってたなぁ。意味なく人間を嫌ってるわけじゃなさそうだし」
ラツは口に出しながら、滅んだ古代文明を考えた。
きっと人間と精霊両方に一大事が起きたに違いない。
「……ラツは消えると言われた後でも、先生の事も考えてくれるんだな」
「う~ん、いや。う~ん、何でかなぁ。心に厳しかったけど、声だけで、面と向かって言われたわけじゃないからかな。先生に対して何も思わなかったわけじゃないんだけど、怒ったわけでもないし。
元々気になってた事を突き付けられて、更に問題押し付けられて、知るもんかって完全拒否したいんだけど、気になって結局考えちゃうんだよ。……アイはえらく先生に好かれてるよな」
自分が嫌われている相手から好かれているわけだから、余計にいいなぁとラツは思ったのだが、アイは照れるのではなく悔しそうな表情を浮かべる。
「受け入れ領域と先生はさっき言っていたが、私にはそれがないらしい。けれど始めて里を出る時、外は物騒だからね~と小刀に力をもらったのを見て思った。精霊の力は物に宿る事も出来るんだと。
だからこんな小刀ではなく、先生が宿れる事が出来る広い領域を持つ物を見つけたい。それを目の前に突き付ければ、今度こそ先生も根負けして、あの岩山から出る気になってくれるんじゃないかと」
「それってやっぱり遺跡にあるんだろうか?」
アイは頷く。
「たぶん。岩山から引っ張り出せてしまえれば、きっと先生は今まで閉じ籠っていたのも忘れて、風になって飛んで行く。私は先生に自由でいて欲しい。
……岩山にいるのは先生の自由だから、所詮は私の自己満足でしかないのだろう。結局そこを出ろと言うだけじゃなく、私が何か行動したいだけだ」
それを聞いてラツは驚いた。
「自由にって……岩山から出てきた先生と、ずっと一緒にいたいとは思わないのか? 例えば主人になるとかさ、力も手に入るわけだし」
「ラツだって、ティズに対してそうだろう」
ラツがティズに対して思っているように、アイも先生に対して、自由に生きてほしいと願っている。
「ホント、アイはしっかりしてるなぁ。僕がアイくらいの時なんか、退魔術でキャーキャー言われたいとか思ってたけど」
「そうなのか? そんなラツって想像出来ないな」
「そうなんですよぅ、アイさん」
同じ願いを持つ者同士、連帯感が芽生えたような気がして、アイとラツは笑みを交わした。
「……いつの間にやら仲良くなっていませんか? ラツはワタクシが先に目を付けたんですわよ、アイ」
オイオイ、九歳の子供の科白じゃないだろそれってと、突っ込みたくなるイリーサの声が背後から忍び寄り、そしてティズも言い募る。
「ラツはオレのだって言ってんだろッ」
たぶん先生に対して言われた事を、考えに耽っていたのだろうイリーサとティズが口々に言い出した。
「ただの自我のくせに図々しいですわねッ。誰があなたの者のですってッ!」
「少なくとも、どっかのムカツク女なんかのじゃねーよッッ」
「まあまあ二人ともっ」
そんないつも通りの応酬が始まり、それを宥めようとして……でもそれは表面上だけだった。
口喧嘩が過ぎ去ると、イリーサが言い出す。
「……ワタクシ、精霊の事を直接上に報告したいので、一度カミッシュへ戻りますわ。精霊について気持ちの整理もしたいです」
「そっか、イリーサがそうしたいなら、それが一番なんだろうな」
正直寂しかったが、ラツはそう答えるしかない。
「アイともどうするか、ちゃんと考えますわね」
「良い返事を待ってる。私がカミッシュまで送って行くから」
「う~ん、じゃあどうしようかなぁ。……ガイラ河を下って、海にでも出てみるか。ティズはどう思う?」
「ラツがそうしたいなら、それが一番ッ。よっしゃあッッ。これでや~っと念願の二人旅だッ!」
ラツがイリーサに言った言葉を真似してから、嬉しそうにティズが答えた。
それでまたイリーサとの間に一悶着勃発する。
ラツはアイが先生の為に物を探しているように、ティズに為に一体何が出来るだろうかと考え始めたのだった。




