魔王城の戦い
魔王城は、崩壊を始めていた。
砕けた石壁の隙間から紫色の光が漏れ、天井から落ちた砂塵が薄暗い空間を覆っている。
大気には濃密な魔力と血の匂いが染みつき、息を吸うだけで喉が焼けるようだった。
魔王も、レンも、すでに満身創痍だった。
ともに立っているのが不思議なほどの深手を負いながら、それでも互いを倒すため、最後の力を振り絞っている。
レンの仲間たちは、皆、床へ倒れていた。
そして、まだ辛うじて立っていた最後のひとりへ、魔王が腕を向ける。
その掌に、禍々しい光が収束した。
魔王の放った光弾が、最後にひとり残っていた仲間を狙った。
「……っ!」
レンは手を伸ばす。
間に合わない。
光が走り、仲間の身体が床へ崩れ落ちた。
……また、守れなかった。
彼自身が負った深手よりも、その事実は心の臓を冷たく握り潰すような威力で差し込んできた。
追い詰められた魔王の、獣のような咆哮。
レン自身の中から響く、早鐘のような鼓動と呼吸音。
それ以外には、何もない。
視界の端で倒れている仲間たちへ駆け寄りたい衝動を、レンは奥歯を噛み締めて押し殺した。
まだ魔王が立っている。
ここで背を向ければ、すべてが終わる。
王国も、王都も、故郷も。
仲間たちが命を懸けて守ろうとしたものが、すべて失われる。
レンは汗で滑る剣の柄を、一際強く握った。
………次で仕留める!
残された魔力は、ごくわずかだった。
大きな術を放つ余裕はない。ならば必要なのは、魔王の意識をほんの一瞬だけ逸らすこと。
レンは剣を構えたまま、残り少ない魔力を掌へ集めた。
狙うのは、魔王の目。
放たれた火球が闇を裂き、魔王の眼前で弾けた。
魔王が顔を背け、その巨体をわずかに揺らす。
………効いた!!
レンは低く踏み切った。
砕けた床を蹴り、高く跳躍する。
全身の傷が悲鳴を上げた。剣を握る腕から力が抜けそうになる。
それでも、ここだけは退けない。
「これで、終わりだぁぁぁぁ!!」
落下の勢いと、残されたすべての力を乗せる。
レンの一閃が魔王の身体を斜めに切り裂き、ひときわ大きな咆哮が辺りに響き渡った。
魔王の身体が大きく傾く。
深く刻まれた傷から、黒い魔力が噴き出した。
だが、その身体は倒れなかった。
「終ワラセハ……セヌ……!」
地の底から響くような声とともに、魔王の身体全体が眩い紫の光を放ちはじめる。
その光を見た瞬間、レンの背筋を冷たいものが走った。
「……! 魔力核が暴走している……!!」
魔王の力の根源である核が、限界を超えて膨張している。
もはや魔王自身にも止めるつもりはない。
このまま暴走を許せば、爆発は魔王城だけでは収まらない。
それは世界中へ及ぶだろう。
王国。
王都。
故郷。
旅の途中で行きずり合った人々。
笑って送り出してくれた者たち。
帰りを待っている者たち。
それらが走馬灯のように、レンの脳裏を駆け抜ける。
「……させるものか!!」
我が命、尽きようとも。
ここで止める。
レンは剣を手放さぬまま、渾身の力で結界を構築した。
幾重もの光が魔王の周囲へ走り、巨大な術式を形作っていく。
残された魔力だけでは足りない。
足りない分は、生命力で補う。
視界が霞み、身体から急速に熱が失われていく。それでもレンは術式を閉じることだけに意識を集中させた。
倒れている仲間たちを。
この城の外に広がる世界を。
必ず守る。
魔王の中の核が、一層怪しく光った。
◇
魔力核の爆発と、レンの結界展開は、ほぼ同時だった。
世界を白く塗り潰すほどの閃光が膨れ上がり、凄まじい衝撃が結界の内側で荒れ狂う。
城そのものを消し飛ばしかねない破壊の力を、レンの結界が押し留めた。
術式が激しく軋む。
光の壁に無数の亀裂が走りながらも、爆発の威力は外へ漏れない。
倒れた仲間たちにも、その先にある世界にも、破壊は届いていなかった。
やがて、魔王の姿は紫の光に呑み込まれて消えていく。
レンは荒い息を吐き、辛うじて意識をつなぎ留めた。
「間に合ったか……」
しかし、安堵の息を吐いた刹那だった。
爆発と結界。
二つの強大な力が拮抗し、行き場を失った魔力が空間そのものを歪めていく。
レンの真上に、紫色の裂け目が口を開けた。
光の向こうに見えるのは、闇とも虚空ともつかない、揺らめく空間だった。
「あれは……時空の裂け目……?」
爆発の威力が収束していくのを横目に見ながら、レンは足元が浮き上がる感覚に襲われた。
見えない巨大な手に掴まれたかのように、身体が上方へ引かれていく。
剣も、鎧も、身につけた装備もろとも。
レンは床へ剣を突き立てようとした。
だが、傷ついた腕には、引力へ抗う力など残されていない。
倒れている仲間たちが、急速に遠ざかっていく。
「待て……!」
まだ、確かめていない。
仲間たちが無事なのか。
世界が本当に守られたのか。
自分たちの戦いが終わったのか。
「まだ俺には、守るべきものが……!」
レンは仲間たちへ向かって手を伸ばした。
しかし、その指先は誰にも届かない。
伸ばした手も虚しく、レンの身体は時空の裂け目へ呑み込まれていった。
紫の光が視界を覆う。
上下も、前後も分からなくなる。
耳をつんざく轟音さえ遠ざかり、すべてが深い闇へ沈んでいく。
最後まで仲間たちの姿を求めながら、レンの意識は暗転した。




