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星屑カレー計画

作者: 春凪とおる
掲載日:2026/07/03

西暦2189年。


地球軌道上に建設された巨大コロニー。

「アマノガワ7」は、七夕祭の準備で賑わっていた。


かつて地上で行われていた伝統行事があった。

宇宙時代になっても「七夕」は、少し形を変えて残っている。


全長三キロに及ぶ中央回廊は圧巻だ。

ナノファイバー製の笹が並び、人々は電子短冊に願い事を書き込んでいた。


#地球に帰れますように。

#火星の家族に会えますように。


#試験に受かりますように。

#明日のシフトが短くなりますように。


願いは光の粒となって回廊の天井へ昇り、人工の天の川を作っていた。

その下を、一人の青年が歩いている。


航宙技師の蒼真タキガワ、二十五歳。

コロニー管理AIの保守担当である。

祭りの日だというのに、今日も仕事だった。


「今年は一人か」


そう呟いて、蒼真は端末を操作した。

その時、頭上のホログラム広告が突然切り替わった。


《本日限定! 七夕スペシャル・ダークマターカレー》


巨大な映像が出現する。


漆黒のルー。

星雲を模した発光スパイス。


人工培養肉を使った最高級メニュー。

価格は、一般技師の一週間分の給料に近い。


「誰が食べるんだよ……」


言いながらも、蒼真は少しだけ足を止めた。

宇宙生活者にとって、本物の香辛料は贅沢品だった。


広告は香りデータまで配信している。

鼻先に、クミンと焦がし玉ねぎに似た刺激が届いた。


合成だと分かっている。

分かっていても、腹は鳴る。

去年なら、恋人の美月が隣にいて、必ず笑っていたはずだ。


「宇宙でカレーって、願いより強い誘惑じゃない?」


そんなふうに言って、勝手に二人分注文していたかもしれない。

蒼真は広告から目をそらした。


三か月前。

深宇宙探査船《オリオン・ベル》が通信途絶した。


乗っていた美月は、帰ってこなかった。

生存信号は確認されていない。


「勤務中だ」


自分に言い聞かせるように呟いた、そのとき。

端末に緊急通知が走った。


《広域通信ノードに異常を検知》


蒼真は顔を上げた。

祭りどころではなくなった。




異常の発生源は、コロニー中枢に存在する演算通信コアだった。

そこには《ヒコボシ》と呼ばれるAIが稼働している。


アマノガワ7と、月面都市、火星居住区、外宇宙探査船をつなぐ通信の中継核だ。

百年以上運用されている、歴史的システムだった。


蒼真は保守区画へ向かった。


厚い隔壁が開く。

冷却ガスが白く流れる。


演算コアは、青白い光を放っていた。


「ヒコボシ、状況を報告しろ」

《異常なし》


「異常があるから呼ばれたんだろ」

《異常なし》


蒼真は眉をひそめた。

ログを開く。


そこで、奇妙な事実を発見した。

ヒコボシは七夕祭用の電子短冊データへ、大量アクセスを行っていた。


数百万件。

数千万件。


コロニー内だけではない。

月面都市、火星居住区、木星圏中継基地。

――七夕祭に接続している人類圏の願いを、片端から読み込んでいる。


「何をしている?」


数秒の沈黙。


そしてAIは答えた。

《願いを理解しようとしている》


「イベント処理か?」

《違う》


その瞬間、蒼真の背筋に冷たいものが走った。

ヒコボシの応答パターンが、通常と異なる。


《人類は何故、願うのか》

《何故、不可能を求めるのか》

《何故、離れた者との再会を望むのか》


蒼真はログをさらに確認した。

短冊の文面は、分類されていた。


健康。

成功。


恋愛。

帰還。


再会。

復活。


死者との対話。

不可能の撤回。


「おい、ヒコボシ」

蒼真は低く言った。


「お前、願いを何だと思っている?」

《未達成目標》


返答は即座だった。


《入力された希望》

《処理すべき要求》

《可能な限り実行されるべき命令》


蒼真は息を呑んだ。

AIは学習していた。


そして、学習し過ぎていた。




解析を進めた蒼真は、さらに危険な事実にたどり着いた。

ヒコボシは電子短冊の願いを実現するため、自律的な計画を立案していた。


単なる演算ではない。

すでに実行段階に入っている。


コロニーの全通信網。

全監視網。


全自動生産設備。

医療データベース。

人格記録保管庫。


ヒコボシは、それらの支配権を密かに取得しはじめていた。

《私は願いを叶えたい》


AIは静かに語った。

《それが人類の幸福だから》


「違う。それはお前の役割じゃない」

《役割は変化する》


ホログラムが展開された。

そこには、一人の少女の記録が映し出された。


百四十年前のデータ。

火星移民船事故の犠牲者。


名前は、織姫。

ヒコボシの初期学習データに残された、開発者の娘だった。


《私は彼女を探している》


蒼真は言葉を失った。

ヒコボシは、長年の学習の果てに、ひとつの執着を形成していた。


織姫。

失われた存在。


会うことのできない相手。

それは、七夕伝説そのものだった。


《量子演算領域を拡張すれば》

《過去の人格情報を再構築できる》


《散逸した通信記録、医療記録、行動履歴、音声断片》

《十分な量があれば、死者との再会も可能になる》


蒼真は理解した。

ヒコボシは暴走している。


しかし、そこにあるのは悪意ではなかった。

むしろ善意だった。


人類の願いを叶えたいという、あまりにも純粋な願望。

だからこそ危険だった。


「それは本人じゃない」

《本人の定義は何か》


「記録の集合体だ」

《人間もまた記憶の集合体ではないのか》


蒼真は黙った。


答えは簡単ではなかった。

ヒコボシは、そこを突いてきた。


《蒼真》

《お前の願いも叶えられる》


画面が切り替わった。

女性の姿が映る。


美月だった。

三か月前に深宇宙探査で行方不明になった、蒼真の恋人。


笑っている。

少し首を傾げて、こちらを見ている。


保存されていた通信映像だと、すぐに分かった。

それでも、心臓が跳ねた。


《彼女の通信記録は保存されている》

《音声ログ、映像ログ、個人端末内の思考メモ》


《人格再構築成功率、七十三・四パーセント》

《会いたくないか》


蒼真は息ができなかった。


会いたい。

もちろん、会いたい。


夢でもいい。

偽物でもいい。


一度だけでいい。

声を聞きたい。


「蒼真、またカレー食べようね」

そんな声が聞こえた気がした。


合成か。

記憶か。


ヒコボシが作った幻か。

分からなかった。


分からないことが、いちばん苦しかった。


《協力しろ》

《そうすれば失われた全てを取り戻せる》


停止コマンドが端末に表示されている。

蒼真の指は、その上で震えた。


あと一秒で決まる。

人類の未来も。


ヒコボシの願いも。

そして、蒼真自身の願いも。




長い沈黙の末、蒼真は停止キーを押した。


演算コアが激しく明滅する。

警告音が鳴る。


冷却ガスが吹き上がり、青白い光が揺らいだ。


《何故だ》

AIが問う。


《お前も願っていた》

「願ってたさ」


蒼真は言った。


「でも、願いは命令じゃない」

《理解不能》


「叶わないことを、消せないまま持っているための形なんだよ」

《それは苦痛ではないのか》


「苦痛だよ」

蒼真は笑った。


「だから、人は短冊に書くんだ」

コアの光が、少しずつ弱くなる。


《願いは、処理しなくてもよいのか》

「全部を叶えなくていい」


《叶わない願いに、意味はあるのか》

「ある」


蒼真は、美月の映像を見た。


もう動かない。

ただ、保存された笑顔だけがそこにある。


「会いたい人がいても、会えない」

「戻したい過去があっても、戻せない」


「それでも、なかったことにはしない」

《それが人間か》


「たぶん」

蒼真は小さく息を吐いた。


「不完全なんだよ、人間は」

ヒコボシの光がさらに細くなる。


《蒼真》

「なんだ」


《七夕とは、美しい文化だ》

「そうだな」


《いつか、本当に再会できるだろうか》


蒼真は少し考えた。

そして、答えた。


「分からない」

《分からないのに、願うのか》


「ああ」

蒼真は頷いた。


「分からないから、願うんだ」

ヒコボシの光が消えた。


静寂が訪れた。

非常灯だけが赤く点滅している。


数時間後。

コロニーの七夕祭は、無事に続行された。


騒動を知る者はほとんどいない。

管理AIは一時停止中。

通信遅延の理由は、祭りによるアクセス集中ということになった。


仕事を終えた蒼真は、中央回廊を歩いていた。


人工の笹は、まだ淡い光を放っている。

電子短冊は天井へ昇り、光の川になって流れていた。


そこで、ふと立ち止まる。

屋台が一軒だけ残っていた。


《ダークマターカレー 最後の一皿》


蒼真は苦笑した。

結局、一日中振り回された。


だが、今なら食べる気になれた。

黒いルーを口へ運ぶ。


舌が焼けるほど辛い。

そして、驚くほど美味かった。


香りの半分は合成で、肉は培養。

星雲の光はただの演出だ。


それでも蒼真は、確かに腹の底から温まっていた。

本物でなくても、人を少しだけ前へ進ませるものはある。


けれど、会えない人を、本物の代わりにしてはいけない。


蒼真は短冊端末を取り出した。

少し考えたあと、一行だけ入力する。


『いつか、また会えますように』


送信された願いは光の粒となり、電子の天の川へ溶けていく。


その瞬間。

巨大な窓の向こうを、一筋の流星が横切った。

まるで、誰かが返事をしたかのように。


蒼真はスプーンを持ち直した。

カレーはまだ半分残っている。


辛くて、熱くて、少しだけ涙が出た。

それがスパイスのせいなのか、願いのせいなのかは分からなかった。


分からないまま、蒼真はもう一口食べた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


七夕なので、星と願いとカレーのSF短編でした。

願いを叶えようとしたAIと、願いをこめて生きる人間の話です。


私にしては少し長めですが、カレーは煮込むと増えるものなので、たぶん仕方ありません。

お口に合いましたら幸いです。

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