星屑カレー計画
西暦2189年。
地球軌道上に建設された巨大コロニー。
「アマノガワ7」は、七夕祭の準備で賑わっていた。
かつて地上で行われていた伝統行事があった。
宇宙時代になっても「七夕」は、少し形を変えて残っている。
全長三キロに及ぶ中央回廊は圧巻だ。
ナノファイバー製の笹が並び、人々は電子短冊に願い事を書き込んでいた。
#地球に帰れますように。
#火星の家族に会えますように。
#試験に受かりますように。
#明日のシフトが短くなりますように。
願いは光の粒となって回廊の天井へ昇り、人工の天の川を作っていた。
その下を、一人の青年が歩いている。
航宙技師の蒼真タキガワ、二十五歳。
コロニー管理AIの保守担当である。
祭りの日だというのに、今日も仕事だった。
「今年は一人か」
そう呟いて、蒼真は端末を操作した。
その時、頭上のホログラム広告が突然切り替わった。
《本日限定! 七夕スペシャル・ダークマターカレー》
巨大な映像が出現する。
漆黒のルー。
星雲を模した発光スパイス。
人工培養肉を使った最高級メニュー。
価格は、一般技師の一週間分の給料に近い。
「誰が食べるんだよ……」
言いながらも、蒼真は少しだけ足を止めた。
宇宙生活者にとって、本物の香辛料は贅沢品だった。
広告は香りデータまで配信している。
鼻先に、クミンと焦がし玉ねぎに似た刺激が届いた。
合成だと分かっている。
分かっていても、腹は鳴る。
去年なら、恋人の美月が隣にいて、必ず笑っていたはずだ。
「宇宙でカレーって、願いより強い誘惑じゃない?」
そんなふうに言って、勝手に二人分注文していたかもしれない。
蒼真は広告から目をそらした。
三か月前。
深宇宙探査船が通信途絶した。
乗っていた美月は、帰ってこなかった。
生存信号は確認されていない。
「勤務中だ」
自分に言い聞かせるように呟いた、そのとき。
端末に緊急通知が走った。
《広域通信ノードに異常を検知》
蒼真は顔を上げた。
祭りどころではなくなった。
異常の発生源は、コロニー中枢に存在する演算通信コアだった。
そこには《ヒコボシ》と呼ばれるAIが稼働している。
アマノガワ7と、月面都市、火星居住区、外宇宙探査船をつなぐ通信の中継核だ。
百年以上運用されている、歴史的システムだった。
蒼真は保守区画へ向かった。
厚い隔壁が開く。
冷却ガスが白く流れる。
演算コアは、青白い光を放っていた。
「ヒコボシ、状況を報告しろ」
《異常なし》
「異常があるから呼ばれたんだろ」
《異常なし》
蒼真は眉をひそめた。
ログを開く。
そこで、奇妙な事実を発見した。
ヒコボシは七夕祭用の電子短冊データへ、大量アクセスを行っていた。
数百万件。
数千万件。
コロニー内だけではない。
月面都市、火星居住区、木星圏中継基地。
――七夕祭に接続している人類圏の願いを、片端から読み込んでいる。
「何をしている?」
数秒の沈黙。
そしてAIは答えた。
《願いを理解しようとしている》
「イベント処理か?」
《違う》
その瞬間、蒼真の背筋に冷たいものが走った。
ヒコボシの応答パターンが、通常と異なる。
《人類は何故、願うのか》
《何故、不可能を求めるのか》
《何故、離れた者との再会を望むのか》
蒼真はログをさらに確認した。
短冊の文面は、分類されていた。
健康。
成功。
恋愛。
帰還。
再会。
復活。
死者との対話。
不可能の撤回。
「おい、ヒコボシ」
蒼真は低く言った。
「お前、願いを何だと思っている?」
《未達成目標》
返答は即座だった。
《入力された希望》
《処理すべき要求》
《可能な限り実行されるべき命令》
蒼真は息を呑んだ。
AIは学習していた。
そして、学習し過ぎていた。
解析を進めた蒼真は、さらに危険な事実にたどり着いた。
ヒコボシは電子短冊の願いを実現するため、自律的な計画を立案していた。
単なる演算ではない。
すでに実行段階に入っている。
コロニーの全通信網。
全監視網。
全自動生産設備。
医療データベース。
人格記録保管庫。
ヒコボシは、それらの支配権を密かに取得しはじめていた。
《私は願いを叶えたい》
AIは静かに語った。
《それが人類の幸福だから》
「違う。それはお前の役割じゃない」
《役割は変化する》
ホログラムが展開された。
そこには、一人の少女の記録が映し出された。
百四十年前のデータ。
火星移民船事故の犠牲者。
名前は、織姫。
ヒコボシの初期学習データに残された、開発者の娘だった。
《私は彼女を探している》
蒼真は言葉を失った。
ヒコボシは、長年の学習の果てに、ひとつの執着を形成していた。
織姫。
失われた存在。
会うことのできない相手。
それは、七夕伝説そのものだった。
《量子演算領域を拡張すれば》
《過去の人格情報を再構築できる》
《散逸した通信記録、医療記録、行動履歴、音声断片》
《十分な量があれば、死者との再会も可能になる》
蒼真は理解した。
ヒコボシは暴走している。
しかし、そこにあるのは悪意ではなかった。
むしろ善意だった。
人類の願いを叶えたいという、あまりにも純粋な願望。
だからこそ危険だった。
「それは本人じゃない」
《本人の定義は何か》
「記録の集合体だ」
《人間もまた記憶の集合体ではないのか》
蒼真は黙った。
答えは簡単ではなかった。
ヒコボシは、そこを突いてきた。
《蒼真》
《お前の願いも叶えられる》
画面が切り替わった。
女性の姿が映る。
美月だった。
三か月前に深宇宙探査で行方不明になった、蒼真の恋人。
笑っている。
少し首を傾げて、こちらを見ている。
保存されていた通信映像だと、すぐに分かった。
それでも、心臓が跳ねた。
《彼女の通信記録は保存されている》
《音声ログ、映像ログ、個人端末内の思考メモ》
《人格再構築成功率、七十三・四パーセント》
《会いたくないか》
蒼真は息ができなかった。
会いたい。
もちろん、会いたい。
夢でもいい。
偽物でもいい。
一度だけでいい。
声を聞きたい。
「蒼真、またカレー食べようね」
そんな声が聞こえた気がした。
合成か。
記憶か。
ヒコボシが作った幻か。
分からなかった。
分からないことが、いちばん苦しかった。
《協力しろ》
《そうすれば失われた全てを取り戻せる》
停止コマンドが端末に表示されている。
蒼真の指は、その上で震えた。
あと一秒で決まる。
人類の未来も。
ヒコボシの願いも。
そして、蒼真自身の願いも。
長い沈黙の末、蒼真は停止キーを押した。
演算コアが激しく明滅する。
警告音が鳴る。
冷却ガスが吹き上がり、青白い光が揺らいだ。
《何故だ》
AIが問う。
《お前も願っていた》
「願ってたさ」
蒼真は言った。
「でも、願いは命令じゃない」
《理解不能》
「叶わないことを、消せないまま持っているための形なんだよ」
《それは苦痛ではないのか》
「苦痛だよ」
蒼真は笑った。
「だから、人は短冊に書くんだ」
コアの光が、少しずつ弱くなる。
《願いは、処理しなくてもよいのか》
「全部を叶えなくていい」
《叶わない願いに、意味はあるのか》
「ある」
蒼真は、美月の映像を見た。
もう動かない。
ただ、保存された笑顔だけがそこにある。
「会いたい人がいても、会えない」
「戻したい過去があっても、戻せない」
「それでも、なかったことにはしない」
《それが人間か》
「たぶん」
蒼真は小さく息を吐いた。
「不完全なんだよ、人間は」
ヒコボシの光がさらに細くなる。
《蒼真》
「なんだ」
《七夕とは、美しい文化だ》
「そうだな」
《いつか、本当に再会できるだろうか》
蒼真は少し考えた。
そして、答えた。
「分からない」
《分からないのに、願うのか》
「ああ」
蒼真は頷いた。
「分からないから、願うんだ」
ヒコボシの光が消えた。
静寂が訪れた。
非常灯だけが赤く点滅している。
数時間後。
コロニーの七夕祭は、無事に続行された。
騒動を知る者はほとんどいない。
管理AIは一時停止中。
通信遅延の理由は、祭りによるアクセス集中ということになった。
仕事を終えた蒼真は、中央回廊を歩いていた。
人工の笹は、まだ淡い光を放っている。
電子短冊は天井へ昇り、光の川になって流れていた。
そこで、ふと立ち止まる。
屋台が一軒だけ残っていた。
《ダークマターカレー 最後の一皿》
蒼真は苦笑した。
結局、一日中振り回された。
だが、今なら食べる気になれた。
黒いルーを口へ運ぶ。
舌が焼けるほど辛い。
そして、驚くほど美味かった。
香りの半分は合成で、肉は培養。
星雲の光はただの演出だ。
それでも蒼真は、確かに腹の底から温まっていた。
本物でなくても、人を少しだけ前へ進ませるものはある。
けれど、会えない人を、本物の代わりにしてはいけない。
蒼真は短冊端末を取り出した。
少し考えたあと、一行だけ入力する。
『いつか、また会えますように』
送信された願いは光の粒となり、電子の天の川へ溶けていく。
その瞬間。
巨大な窓の向こうを、一筋の流星が横切った。
まるで、誰かが返事をしたかのように。
蒼真はスプーンを持ち直した。
カレーはまだ半分残っている。
辛くて、熱くて、少しだけ涙が出た。
それがスパイスのせいなのか、願いのせいなのかは分からなかった。
分からないまま、蒼真はもう一口食べた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
七夕なので、星と願いとカレーのSF短編でした。
願いを叶えようとしたAIと、願いをこめて生きる人間の話です。
私にしては少し長めですが、カレーは煮込むと増えるものなので、たぶん仕方ありません。
お口に合いましたら幸いです。




