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収穫祭 「私の心臓を掴むあなたの手が冷たくも温かい」  作者: 秦江湖


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7/12

個展・一華

千尋に個展の開催が決まったことを告げると、彼女は自分のことのように喜んでくれた。


「必ず見に行くわ、一華。あなたの『最高の収穫』を楽しみにしている」


彼女のその言葉が、私の魂をかつてないほど激しく震わせた。


千尋。私の聖母。私の庭師。 あなたに捧げるための「素材」は、もうすべて揃っている。




私はアトリエの机に広げた、分厚いクロッキー帳を指先でなぞる。


そこには、今回の個展のメインピースとなる『聖餐せいさん』の設計図が描かれていた。


モデルは決まっている。 中学時代の担任、福山。 そして、あの地獄の日々で私を嘲笑った、かつての「友人」たち。そして罪のない哀れな脇芽。



「福山の行動パターンは、ルイに調べさせた通りね」


リビングに降り、ボルドーのグラスを傾けるルイに声をかける。


「福山に加え、あと二人追加するわ。今回は、今までのような単純な『処理』じゃない。私の芸術の、血肉となってもらう」


「二人……ああ、あの子たちね」


ルイは写真を見つめ、退屈そうに肩をすくめた。


「いつやるんだ?」


「来月。個展の初日に、彼女たちの『一部』が作品として並ぶように。準備を整えておいて」


ルイが私の指示に従い、闇へと消えていく。


私は冷めたコーヒーを飲み干し、福山との待ち合わせ場所へと向かった。





新宿のレストラン。 約束の五分前、福山が現れた。


かつての威圧的な教師の面影はなく、今はただ、成功した教え子に媚を売る、卑屈な中年の男に成り下がっていた。


「小川……いや、一華さん。待たせてすまない。仕事が長引いてね」


「いいえ、先生。お会いできて光栄です」


私は伏せ目がちに微笑み、指先で髪を払う。


その一挙手一投足に、福山は中学生のような初々しい動揺を見せた。


滑稽だった。 かつて、私がいじめに遭い、泣きながら助けを求めたとき、この男は何と言ったか。


『お前にも原因があるんじゃないか』『集団生活なんだ、うまくやれ』


その言葉が、どれほど私の心をズタズタに切り裂いたか。



その男が今、私の成功を自分の手柄のように語り、学校での講演を依頼してくる。


「一華さん。君のような卒業生は、わが校の誇りだ。ぜひ、今の生徒たちに、その情熱を語ってほしい」


福山は饒舌に、私の才能を称賛し始めた。 だが、私の目には、彼の口から言葉の代わりに、ドロドロとした黒い粘液が溢れ出しているのが見えた。


彼の笑顔の隙間から、腐臭を放つウジ虫が這い出し、テーブルの上をのたうち回っている。 精神も肉体も、とっくに腐敗しきっているのだ、この男は。



(……この饒舌な舌を切り取って、ネギを詰めて焼いてあげようか)

(それとも、その卑屈な目玉を抉り出し、私の絵の具の溶剤に混ぜてみようか)


私は心の中で、何度も彼を解体した。



一千もの苦痛を与え、彼の絶望をキャンバスに塗りたくる想像に、私は法悦を感じる。 だが、表面上は「しおらしい教え子」を完璧に演じ続けた。



「先生。今日はいろいろとお話しできて、本当に嬉しいです。……個展の招待状、必ずお送りしますね」


「ああ、楽しみにしているよ」


福山は満足げにワインを飲み干した。 自分の死刑宣告に、満面の笑みでサインをしているとも知らずに。



福山の笑顔の裏に、粘ついた黒いものを感じた瞬間、私は別の教師を思い出していた。


転校先で出会った美術部の顧問。


転校してからも、私は半ば惰性のように美術室に通っていた。


祖父母の家の居間に置かれた「蜘蛛の糸」は、来客があるたびにちょっとした話題になったが、それ以上でもそれ以下でもない。あれが私の中で何を意味しているかを、誰も知らない。



「小川、進路希望はもう書いたか?」


美術準備室で石膏デッサンの片付けをしていたとき、顧問の西村がふいに声をかけてきた。四十代半ば。いつも着ているシャツが少しよれよれで、でも目だけは妙に若い美術教師だ。


「……まだです」


「そうか。おまえ、将来的に美大は考えてないのか?」


私は手を止めて、西村の顔を見上げた。

美大。そんな単語を、正面からぶつけられたのは初めてだった。


「私なんかが、行けるんでしょうか」


「私なんかって言い方は嫌いだな」


西村は笑った。


机の上に置かれた私のスケッチブックを一枚めくり、二枚、三枚と目を走らせる。


「蜘蛛の糸、見たぞ。新聞に載ってたやつだ。あんな凄いもん、美大の課題でもポンと出してくるやつ、そうそういない」


「……あれは、たまたまです」


「たまたまで人は殺さないし、たまたまであそこまで手が執拗にはならないよ」


心臓が、一瞬、変な鼓動を打った。


「殺す?」


「モチーフの話だ」


西村は肩をすくめた。



「おまえが描いた、いや、造った亡者たちだよ。あれ、救われたいっていうより、誰かを引きずり落としたいって顔をしてた」


私は返す言葉を失った。


そんなことを真正面から言われたのは初めてだった。


「小川。おまえさ、綺麗なものを作りたいのか?それとも本当のものを作りたいのか?」


「本当の……もの、です」


口が勝手に答えていた。


「だろうな」


西村は満足そうに頷いた。



「だったら、死から逃げるな。死体でも、腐ったものでも、醜いものでも、ちゃんと見て、考えて、それを自分の手で組み直せ。……そういう作家になれるかどうかは、おまえ次第だ」


死体。


私はあの日の風呂場を思い出した。

あの男の肉をこそぎ落とし、骨を砕いた手応え。

湯気の残るタイルに飛び散った血の模様。



「……死を、見てもいいんですか?」


思わず、そんなことを口走っていた。


「美術教師がそんなこと言っていいのかって顔だな」


西村は少しだけ苦笑した。


「いいも悪いも、現実にそれはある。誰かが見なきゃならない。だったら、おまえみたいなやつが見た方が、まだマシだと思う」




その日の放課後、西村は学校から少し離れた公園の脇に連れて行ってくれた。


そこには、古い木が一本、傾ぐように立っていて、根元には誰かが捨てた猫の死骸があった。半分ほど土に埋もれ、毛並みは雨に打たれて固まっている。


「ほら。描いてみろ」


西村はスケッチブックと鉛筆を私の手に押しつけた。


躊躇いは不思議となかった。


むしろ、目を逸らしてきたものに、ようやく正面から向き合えるような奇妙な安堵があった。


猫の体は、すでにふくらみを失っていた。

かつて内臓があったはずの腹部は、ぺちゃんと潰れて、骨の形だけが透けて見える。

体の周りには小さな羽虫が群れていて、それも鉛筆で拾っていく。



「どう見える?」


背後から西村の声が飛ぶ。


「……壊れた入れ物。でも、まだ、ここに“何か”が残ってる感じがします」


「それだよ」


西村は興奮したように言った。


「おまえの作品が『死』と相性がいいのは、そこだ。入れ物が壊れたあとに残る何かを、形にしようともがいてる。蜘蛛の糸もそうだろ?」



私はゆっくり頷いた。


この日描いた猫のスケッチは、家に持ち帰ってから何度も線を重ね、最終的には石膏で小さなレリーフに仕立てた。


猫の輪郭は半分崩れ、内側から手のようなものがいくつも突き出している。


それを西村に見せたとき、彼はしばらく黙ってからぽつりと言った。


「……やっぱりおまえ、こっち側の人間だな」



こっち側。


あの風呂場で骨を洗っていた私と、「作品」を作っていた私とが、一本の線でつながる音がした。芸術の道を意識し始めたのは、この頃からだ。



同じ教師でもここまで違うものかと、目の前の福山を見ながら笑いたくなった。

そして、目の前の福山の口からは、あの猫の腐臭よりもひどい匂いがする気がした。



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