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収穫祭 「私の心臓を掴むあなたの手が冷たくも温かい」  作者: 秦江湖


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果実・一華

「やっと熟したね」


 千尋は立ち上がると、動かなくなった明の死体をまるで「不要な家具」でも避けるかのように軽やかに跨いだ。その視線は死体には一瞥もくれず、真っ直ぐに私だけを捉えている。


「熟した……?」


「うん。最高の出来。やっぱり一華は特別だわ」



 千尋は私の手にある血塗れのナイフに触れようと手を伸ばし、そしてふいに視線を部屋の隅に向けた。  


 そこにあるのは、私が中学時代に作った『蜘蛛の糸』だ。私の原点。



「あの時と同じ。一華は本当に上手ね。『ゴミ』を『作品』に変えるのが」


 千尋は懐かしそうに目を細め、あの作品の方へ歩み寄った。


「あの部屋に入った時、すぐに分かったわ。異質な気配。そして、一華が私を呼んだタイミング。……カルシウムの白って、焼き固めると独特の美しさが出るものね」


 心臓が、早鐘を打った。 カルシウム?骨のこと? あの時。中学の時。父親を殺して、骨を作品に混ぜ込んだあの時。  


千尋は気づいていたのか? あの日、部屋に入った一瞬で?  


それなのに、警察への届け出を勧めた? 私が「作品」を学校へ運び出すのを手伝った? なぜ? 共犯になるリスクを負ってまで?


 千尋がくるりと振り返る。


「でもね、あの時はまだ青かった。お母さんや、由利ちゃん……余計な『脇芽』が多すぎて、一華の栄養を奪っていたから」


 脇芽。 脳裏に、千尋の庭がフラッシュバックする。 瑞々しいトマトの苗。ハサミを持つ千尋の手。  ――栄養を分散させないために、余計な脇芽は摘み取らなきゃいけないの。


『一華には私だけ』


 記憶の底から、あの「観察ノート」の文字が浮かび上がった。 お母さんが自殺したのも、由利が殺されたのも。 千尋が私から奪ったのではない。 千尋が、私を育てるために「剪定」したのか?



 足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。


 私が復讐のために、千尋を支配するために積み上げてきた死体の山。


 智花も、愛も、果歩も。


 私が主体的に選んで殺したと思っていた。 けれど、もしそれが……千尋が望んだ通りの「発育」だったとしたら?



「私が……誘導されていた?」

「ううん、違うよ」


 千尋は私の頬に手を添えた。その手は冷たく、けれど恐ろしいほど温かかった。


「一華が自分で選んで、自分で育ったの。私はただ、いい実がなるように環境を整えて、少しだけ水をあげただけ」


 私の不倫も、庭の破壊も、村重の件も。


 すべては、私がこの「明を殺す」という結末へ至るための、千尋による水やりだった。


 憎しみで私を満たすために。 私が千尋への執着で、他のすべてを捨て去るように。


「これで一華の中には、もう私しかいない。邪魔な枝葉は全部落ちて、私という色だけで満たされた、真っ赤な果実」


 千尋の瞳が、恍惚に潤んでいる。 


 私が千尋を支配しようとしていたのではない。


 私が、千尋という庭師の「最高傑作」として、今ここで収穫されようとしているのだ。



「一華。あなたの望み通りよ。私たちは同化している。感じるでしょう?」


 私の指と千尋の指が絡まりあう。

 互いの鼓動が一つに合わさる。

 恐怖と、絶望と、そしてどうしようもない歓喜が背筋を駆け上がった。


 私の復讐は失敗した。けれど、私の願い――千尋と一つになること――は、あまりにも皮肉で、完璧な形で成就してしまった。



「千尋。私たち、もう離れたら生きていけないのね」


「そうよ。どんなに憎んでも離れられない。一華には私だけ、私にも一華だけ」



 千尋は満足そうにうなずくと、私の手からナイフをするりと抜き取った。


 そして、あろうことかその切っ先を、自分の腹部に当てた。


「え?」

「さあ、仕上げをしましょう」


 躊躇なく、千尋は自分の腹にナイフを突き立てた。


「千尋! なにをしてるの!?」


 鮮血が飛び散る。千尋が膝から崩れ落ちるのを、私は慌てて支えた。


 なぜ? どうして自分を?  混乱する私の中で、千尋は苦痛に顔を歪めながらも、至福の笑みを浮かべていた。



「これで、一華は私を助けた『被害者』になれる」

「……被害者?」

「俺が刺したことにする」

「ルイ!」


いつの間にかルイがいた。


「私が呼んだのよ……」


千尋が私の腕の中で話す。


「由利を殺したときにルイ君が私の所へ来た。由利を殺された仕返しにね」

「あなたそんなことを!?」


「殺された由利の恨み。泣き崩れる一華を見ていたらどうにも自分を抑えられなかった」


ルイが静かに言う。


「そこで私は彼に取引をもちかけたの。一華を完璧に守るためのね」

「私を守る?」



「……あなたたちの最終的な目標が私からすべてを奪うことなら、当然最後の標的は明さんになる。おそらくはこうして私の目の前で殺すことで、私の中を憎悪で満たし、他のものに感情が動くことなく、ずっと一華だけで満たさせるのが目的。その後のことは、考えていなかったでしょう?だって私を殺すことはないのだから、憎しみから私が通報したら殺人罪で逮捕されるのは免れない。でも一華はそれで目的が果たせるから良かったのよね……仮に全ての殺人が明るみに出ようが、死刑になろうが、その間は互いに相手のことで一杯になって生きているんだから」


千尋の顔からどんどん血の気が引いていく。


「千尋!ダメ!もう話さないで!」



「でも一華、私があなたを受け容れて、二人は混ざり合い、二人で生きていくという発想はあなたになかった。そのときの最適解も当然ない。ではどうするか?明さんの遺体を処理して失踪届を出す?それは不正解。中学時代の人間が標的にされた犯罪の中に、明さんの事件は明らかに不純物。異臭を放つ。小野寺のように異臭を嗅ぎつけて、一連の犯行と結びつけた結果、事件の動機が私に対するものと警察が考えない保証はないの……小野寺はたまたま所轄の刑事だったから排除できた……でも次にそんなラッキーがあるとは考えられない、考えてはいけないの……そうなったら私とあなたは一緒になれない。もう離れたら生きていけないの……ではどうするか?」


千尋の息はだんだんと荒くなっていく。

しかし、私がどんなに頼んでも千尋はしゃべるのを止めない。



「ルイ君に明さん殺しの罪を背負ってもらう。一華、あなたは同居人からDV被害にあっていた。私と明さんは一華を助けるためにここにきて、明さんはルイ君に殺され、私は腹部を刺されたが、あなたがその隙に通報したのでルイ君は逃げた……当然ナイフについた一華の指紋は拭き取って、ルイ君の指紋をつける。これがルイ君に持ち掛けた取引の内容……彼はあなたを守るために了承したわ……でも選ぶのは一華、あなたよ……あなたが選ぶの。一華には私だけ……」



どうしよう?考えがまとまらない……どうしたらいいのだろう?


私はルイと千尋を交互に見た。


私には千尋だけ……。千尋にも私だけ……。


もう一度、千尋とルイを交互に見た。





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