再会・千尋
同窓会の会場は、都内でも指折りの名門ホテルだった。
地上33階。白い重厚な石造りと、手入れの行き届いた緑豊かな庭園が調和するその空間は、都会の喧騒を寄せ付けない圧倒的な気品に満ちている。
一歩踏み込めば、歴史と伝統が織りなす静謐な時間の流れに、思わず気後れしそうになる。 会場の広間前には「公立英進中学校二年二組同窓会」と書かれた看板が掲げられていた。
扉を開けると、シャンデリアの眩い光に照らされた空間に、色とりどりの料理が並ぶ立食パーティーが広がっていた。聞き覚えのあるクラシック音楽が心地よく流れ、場を支配している。
かつてのクラスメイトたちはシャンパングラスを片手に、華やかな「非日常」に酔いしれていた。
「千尋!こっちこっち!」 呼び止めたのは、バスケ部時代からの友人、果歩と愛だった。
二人とも今日のために新調したであろうドレスに身を包み、高揚した表情を見せている。旧交を温め、当時の担任だった福山先生に挨拶を済ませた頃、会場に奇妙な噂が流れ始めた。
「ねえ、知ってる?今日のこの豪華な会場代、誰か一人が全額負担してくれたんだって」
幹事の津島由利から聞いたという果歩の言葉に、私は耳を疑った。一人一万円程度の会費で、このクラスのホテルを貸し切れるはずがない。誰が、一体何のために?
「小川一華よ。ほら、中三になる前に転校した……」
その名前が出た瞬間、私の胸の奥で、眠っていた庭師が目を覚ました。
小川一華。私の庭から忽然と消えた、あの未熟で美しい苗木。
「一華が……今日、来るの?」
「ええ。芸術家として海外で成功してるんですって。パリに住んでるらしいわよ」
かつて、幸福とは程遠い泥濘の中にいた少女。私がその手を引き、光の下へと連れ出したはずの彼女が、自らの力で人生を切り拓き、極彩色の世界で花開いたというのか。
私は期待と、そして説明のつかない不穏な予感に胸を震わせた。
その時、会場の空気が一変した。 入り口に、一人の女性が立っていた。
フィッシュテールの漆黒のドレスを纏った、長身の美女。
艶やかな黒髪、陶磁器のように白い肌。神が精緻に彫り上げた彫刻のようなその美貌に、会場中の視線が釘付けになった。控えめな装いでありながら、彼女の周囲だけがスポットライトを浴びているかのように発光している。
「誰あれ……?」
「一華よ」 私は直感した。あの懐かしい、しかし決定的に変貌を遂げた一華だと。
一華の周りには瞬く間に人だかりができた。かつて彼女を無視し、虐げていた者たちまでもが、その輝きに群がっている。
一華は優雅に微笑み、かつての敵たちに慈悲深い会釈を返していた。そして、幹事の由利に耳打ちし、私の方を指差すと、迷いのない足取りでこちらへ歩み寄ってきた。
「千尋」
その声が鼓膜を震わせた瞬間、周囲の喧騒が遠のいた。
「一華……一華なのね」
「うん。会いたかったよ、千尋」
13年ぶりに触れた一華の手は、しなやかで、白魚のように冷たかった。その冷たさが、私の皮膚を通じて心臓へと伝わり、奇妙な高揚感を呼び起こす。
かつて私が見下ろしていた少女は、今や私を見下ろすほどの背丈になり、その瞳には、13年前にはなかった深淵が宿っていた。
「見違えたわ、一華。本当に素敵になった」
「ありがとう。千尋にそう言ってもらえるのが、一番嬉しい」
一華は屈託のない笑顔を見せたが、その所作の一つ一つには、計算し尽くされたような洗練された美しさが宿っていた。
彼女は私を料理のテーブルへと誘った。
「これ、見て。私が作ったの。全部じゃないけれど」
彼女が指差した料理は、どれもが一流シェフの手によるものと見紛うほどに芸術的だった。
「朝から厨房を借りてたから、少し疲れちゃった。千尋、食べてみて」
勧められるままに口にした牛すね肉の煮込みは、舌の上でとろけ、複雑で深い旨味が広がった。
「美味しい……こんな料理、食べたことないわ」
「良かった。千尋に喜んでもらいたくて、これを作ったの」
一華は満足そうに微笑み、私をスープのテーブルへと導いた。
「こっちのスープの方が、さっきの料理に合うわ」
彼女は三種類あるスープの中から一つを選び、優雅な動作で私のために装ってくれた。その時、彼女から微かに漂う香りに気づいた。
「素敵な香りね。どこのフレグランス?」
「自分で調合したの。私だけの香り」
彼女の調合した香りが、私の鼻腔を支配する。
一華は、もはや私の知る「守られるべき苗」ではなかった。自ら毒を、あるいは薬を調合し、世界を彩る術を手に入れた、完成された「表現者」だった。
しかし、その幸福な再会は、あまりにも唐突に、そして残酷に断ち切られた。
「一華……? どうしたの」
一華の白い額に、じわりと脂汗が浮かんできた。彼女は困惑したように眉を寄せ、次の瞬間、その美しい顔を苦悶に歪めて崩れ落ちた。
「一華!」 駆け寄る私の腕の中で、彼女は喘ぐように声を漏らす。同時に、会場のあちこちで悲鳴が上がった。
食器の割れる音、倒れ込む人々。さっきまで華やかな音楽に満ちていた空間が、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。
救急隊と警察が駆け込み、会場は封鎖された。
「橋本さんが、スープの側にずっといたわよね」
「そうよ、あの人が一番近くにいた!」
クラスメイトたちの疑いの視線が、私に突き刺さる。
警察官が二人、厳しい表情でこちらへ歩み寄ってくる。鼓動が激しく打ち鳴らされ、現実感が剥離していく。
ねえ、一華。この再会は、神が仕組んだ祝福だったのか。それとも、私たちが13年前に蒔いた種が、ついに芽吹いた「収穫」だったのか。 あの時の私には、まだ知る由もなかった。この地獄こそが、私たち二人の運命を再び結びつける、血塗られた儀式の始まりであることを。




