願望・千尋
最近、彫刻の調子が良かった。三日かかる課題を一日で仕上げる。
それが今日、ついにできた。ただし受講時間内には終わらず、居残りになった。
スクールに残っているのは、私と一華、そして村重先生だけ。私の居残りに付き合わせてしまったことを、少し申し訳なく思う。
「やったじゃない、千尋。お疲れ様」
「ごめんなさい、私のせいで居残りさせちゃって」
「いいの。どうせ私は片付けで帰れないから」
一華は笑った。
「村重先生も、すみません。他の先生は引き上げたのに」
ずっと私に付き合ってくれていた村重先生に頭を下げる。
「いいんですよ。僕は橋本さんの担当ですから。どんどん上達されてて、見ていて楽しいですし」
初心者に毛が生えた程度だと自覚している。
それでも「上達」と言われるのはうれしかった。
一華はまだ用事があると言い、先に私と村重先生を帰した。
「彫刻って楽しいですね。先生のおかげです」
「僕の?」
「教え方が丁寧で、それに楽しいから。先生じゃなかったら、一華との付き合いはあっても、スクールは続けていなかったかも」
村重先生は、照れくさそうに笑った。
スクールを出て歩いていると、西日が眩しくて、私は目を細めた。
「橋本さん……」
「はい?」
「このあと、少し時間ありますか? よかったら、あそこのカフェで」
隣を見ると、彼は少し緊張した顔で私を見ていた。胸の奥で、微かな興奮が弾ける。
これは、新しい「植物」を庭に招き入れる機会かもしれない。
「すみません。このあと夕飯の支度でスーパーに行かないといけなくて……」
「あ、そうですよね。こちらこそ、すみません」
「気になさらないでください。またスクールで」
笑顔でお辞儀をして別れた。彼の表情には、ほんのわずかな落胆が見えた。
その反応を、私は冷静に分析する。
彼はまだ「庭」の住人としては未熟だ。だが、彼の内側に芽吹きはじめた「願望」は、私の心に新たな種を蒔いた。
帰り道、スーパーの袋をぶら下げながら、私は考えた。
せっかくの誘いを断ってしまったけれど、気まずくならないといいな。
頭に浮かぶ村重先生の顔に、自然と笑みがこぼれる。
「久しぶりだったな……ああいうの」
学生の頃に戻ったような、新鮮な気分だった。
家に帰れば、いつものように夕食を作り、いつもの時間を繰り返す。
だからといって、不満があるわけではない。ないはずだった。
けれどこのとき、私の中には、今までになかった「何か」を求める思いが、確かに芽を出していた。
完璧に管理された「庭」に、新たな「刺激」を差し込みたいという、歪んだ願望が。
家に着くと、ポストに白い封筒が一つ入っていた。宛先には私の名前。
差出人はなく、切手も消印もない。前と同じだ。
周囲を見渡すと、自転車の親子連れと下校中の小学生がいるだけで、見張るような視線は感じない。私は封筒をバッグに入れて家に入った。
リビングで封筒を開ける。中には、何も書かれていない白紙の便箋が一枚。宛名だけがプリントされていた。




